令和スペシャル・エクストラ4。

またアップしたんで。

 

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ってことで続きね。

 

特に90年代の音響派とかに関する批評とかだととりあえずケージ出しておけばいいやみたいなさ、ただまぁ音響派の昔の評論とかの場合、一応関係はあったからね。全く関係ないものを出してきて評論するみたいなことではなかったしただまぁ無駄にドゥルーズがどうのとかっつーそれは美術批評とかでもそうなんだろうけどまぁとにかくダサいよね。今読むと特にダサいよね。所謂ニューアカ的と揶揄されるようなダサいものなんだけど現代思想とクラシックって合わせるともう最悪ですよね。浅田彰みたいなのがその典型なんだけど浅田彰の場合、スノビズムじゃなくて単純な個人の好みとプロパーな知識を使うっていうところだから全然セーフなんだけど悲惨なのはフォロワーだよね。

 

ドゥルーズとかケージ出しておけばいいやっつーのとまぁ他の文脈ではあたかもコルトレーンのようにとかモーツァルトのように・・・みたいなスノッブな形容っつーのかね。一時期のゴダールとか意識高い系大学生そのままみたいなうすら寒い映画ばっか撮ってたんだけど何を隠そう俺はそういうのにどっぷりだったから(笑)だからこそそういうのを経て本質とは何か?っていうところに行くわけなんだよね。

 

ただそこでまぁ90年代後半的な価値観ってまぁまさに俺がリアルタイム世代だけどそういうスノビズムとかもありつつっつってもまぁ俺はそういうのを押し付けてくる大人とかと関わったことが無かったから全然フリーだったんだけどでもそこで一見難解そうなものでも背伸びして聴いてみよう!ってまぁ中学生とかが大人ぶってジャズを聴いてみる!みたいなのはあったかもしれないけど別に自慢じゃないけどうちの父がスノビズムとかじゃなくてガチでジャズとクラシックが好きだったから休みの朝とか必ずジャズなりクラシックが流れてたんだよね。あとまぁ寝る前は子供のためのクラシックっつーCDがあってクリスマスなんたらっつーバッハの煩い曲が一曲目なんだけどそれ聴かないと寝れないみたいなまぁ一曲目以降静かになるんだけどクラシックを良い!と思ったことはなかったけどでも自然に聴いてたんだよね。

 

親がそれをCDでかけるということの影響ってのはデカいなと。なんかさ、10連休は良いことだけじゃなかった!みたいなので普段はまぁお父さんってのは出勤してるわけなんだけど休みだからリビングで音楽をかけるんだけどどこでそんなのを知ったの?っていうようなあいみょんとかを爆音でかけててリアルに離婚しようと思ったとか(笑)ネット配信の時代ってまぁそうなりますよね。普段共有してるわけじゃなくてぶっちゃけスマホとかでLineとかSNSも含めて何やってるか分からないんだもんね。そこでまぁ出会った頃は聴いてなかったようなのを旦那が聴くようになってたりするのもある種普通なんだよなとか思いつつこの話はまぁどうでもいいや。

 

そのスノビズムとカルチャーということなんだけどさ、自分の場合、ジャズとクラシックがそんなに好きじゃなくても車とかでもずーっと流れてるからスノッブなツールという概念が無かったんだよね。父が聴いているものという大人が聴く音楽というイメージしかなかったんだけどんでそこでまぁ中二の1学期目とかに学校行かなくなってそっからまぁ色々あったにせよ音楽を自主的に聴くようになってそれがケンイシイとか電気だったってのは10回以上ここで書いてる気がするけど(笑)まぁその流れで当時の音響派っつーのも何でそういうのにのめり込んだのか?っていうと話せば長いんだけどまぁ電子音楽に凄まじい興味を持ったわけなんだよね。

 

んでテクノっつーよりかはっていうかテクノも好きなんだけどよりピュアな電子音楽を求めるようになったっつーんで当時まぁ良いバイヤーっつーか担当者がいたのが渋谷のWaveとタワレコの現代音楽のコーナーなんだけど品ぞろえがヤバかったんだよね。電子音楽以外になると新宿のタワーのほうが良かったりするんだけどまぁさすが当時のカルチャーの中心地渋谷!という感じで最先端のものとか昔のものでもアカデミックとか分からんけど昔にぶっ飛んだ電子音楽をアカデミックな領域でやってた人がいたんだ!みたいなね、アカデミズムというより電子音楽ジャンキー的な聴き方よね。

 

まぁそういうのを意識的にラディカルにやってたのが当時のMegoとかミルプラトーだったんだけどそういう電子音ジャンキーっつー目線からアカデミックな音楽とかにも触れる機会が増えたってのは良い入口だったんだなって今は思うんですよね。スノビズムとしての教養としてのクラシックとかジャズなんつーのはもう悲惨でしかないよね。まぁ入り口がそうであっても聴いていくうちに好きになるということはあるとは思うんだけどまぁそれで言うと映画も同じだよね。

 

好きな監督は?っつってゴダールとかトリュフォーとかヌーベルバーグ系ですかねーとか言うと意識高い系美大生みたいな(笑)まぁ俺は意識どうのっつーより学校とは無縁だったしでも実際に芸術かぶれだったからマジでそういうことを言っていたと思うんだけど若い時の恥ずかしさというのがありつつもスノビズムでそういうことを言っていたというのは無かったなというのを思うわけよ。

 

そういうのを考えると教養として聴いているとか読んでいるとか見ているっていう人の心理とは何なんだろうな?って思うんだよね。あとその近代の分かりやすいシンプルに旋律が甘いドビュッシーとかオネゲルみたいなのではないクラシックとかの良さって何なんだろうな?って思うんだよね。

 

今はキリスト教関係を究めるべく関連するカルチャーをディグってるっていう中でクラシックっつーかまぁ宗教音楽のCD100枚!みたいな本とか買ってまぁいい時代ですよねっていうかだいぶ前からそうだけど買わなくてもストリーミングで大体メジャーなのは聴けるっていうね。で、まぁ聴いてるうちにクラシックってのに接せざるを得ないというか一時期ハマってたというよりあまりに毎日退屈だからクラシックを趣味にしてみよう!ってことで色々ボックスセットは買ったけど元々そんなに好きじゃないから聴かなくなるんだよね。

 

んで何を書こうとしてたんだっけな?あ、スノビズムですね。まぁーなんでしょうね、ジャズの場合、俺の世代はアシッドジャズやらその後のクラブジャズやらおっさんのジャズっつーよりクラブ向けに作られたものとかクラブ系の文脈で解釈される古いジャズっていうことがあったからまぁスノビズムとは関係なかったってのもあってまぁジャズはいいんですよね。

 

ただクラシックとなるとあんなに色々な世界があるのに生理的に受け付けないのはなんだろうな?って思うと別にまぁ子供の頃に普通に家でかかっていたってのは良かったんだけどこれはまぁよく言われることだけどクソつまらない学校の音楽の時間でしかも趣味の悪いモルダウみたいなのを無理やり聞かされるっていうしかもそれに日本語の歌詞をつけて歌わせるとかバルトークのもあるよね(笑)で、それ当時親父に話したら「なんじゃそれ?」って呆れてたんだけど(笑)とにかくまぁ押し付けられるもの全般って趣味悪いよね。

 

バルトークが悪いんじゃなくて変な日本語の歌詞をつけて歌わせたり簡単なメロディーのところを吹かないといけないなんつって無理やり好きでもないものをリコーダーで吹かされるみたいな(笑)まぁこれがクラシック嫌いにさせるというのは数学然りだよね。数学のほうがもっと酷いんだけどね。

 

まぁただジャズ喫茶カルチャーみたいなのでも高度成長期とかでまぁそんなに恐らく今ほどの不安はなかっただろうっていうような能天気なリーマンのおっさん達がジャズ喫茶に集まってブラインドごっごっつって誰のレコードかを知らせないで曲名を当てるとかじゃなくてベースとかドラムは誰だ?みたいなのを答える遊びとかっていうのがあったりしてただまぁ今ほど娯楽がなかった同時だからそういう遊びしかなかったんだろうなって思えるしジャズが生きがいだ!っていうのもクラシックのスノビズムに比べたら全然良かったのかもしれないよね。

 

オーディオマニアにしてもまぁ俺が好きなモンドってモンド本に書かれてるけどスペースエイジバチェラーパッドミュージックってのはざっくり言っちゃえば独身貴族みたいなのが戦後の良い経済の中で使えるお金をオーディオにつぎ込んで「これがステレオだ!」と言わんばかりのステレオフォニックサウンドを満喫するっていうだからまぁレコードにステレオアクションみたいな右から左から音が移動するみたいなギミック的なレコードが量産されたっていうまぁそういう独身貴族とオーディオマニアっつー生活の謳歌なんだよね。

 

それの象徴みたいなもんでただ日本の場合、それがモンドじゃなくてっていうよりそういうレコードは当時はアメリカぐらいでしか流通してなかっただろうから戦後っつーとまぁクラシックかジャズってことになるからまぁオーディオ趣味というのもそういう時代背景を考えると一概にバカにできないんだよね。

 

逆に現代だと金かけようと思えば色々他にできるのにオーディオなんだ・・・っていう感じがあるけど当時はあんまりそんな趣味は今ほど多様じゃなかったんだよねっていうか多様じゃなかったんでしょう。だからそんな中でスノビズムとしてのクラシックっつージャンルがあっても今みたいに成熟した文化じゃなくて発展途上の文化の中ではそれはありえたかもしれないっていうことになるんだけどただまぁそれをそのまま受け売りで受けついているやつらは時代錯誤もいいところだよねっつーことなんだよね。翻ってって翻ってって言葉あんま使ったことないけど(笑)逆にだからイメージとしてクラシックはダサいみたいなのもあるよね。スノッブな茂木みたいなやつが聴いてるダサいやつが聴く音楽だみたいなイメージがあるというかね。

 

なんかだから今思うのはキリスト教関係からまた触れるようになったクラシックなんだけどそういう色んな先入観とか偏見を取り除いて聴いてみたほうがいいなとは思ったんだよね。まぁ一時期昔ボックスとか買ってハマってた時期にもそういう風に考えてはいたと思うんだけどイマイチハマれなかったっつーかまぁでもやっぱりドビュッシーは好きだなっていうことにはなるんだけどドビュッシーとかラヴェルになると現代曲だよね。

 

何しろハリウッド映画とかムード音楽とかでそのまま参照されてたりするもんねっていうかそれ言い出すと大げさなハリウッド映画の曲とかも昔のクラシックのコピペだよねっていうかそれのキングがすぎやまこういちなんだけどそういう意味で佐村河内とあんまり変わらないっつーか(笑)前にも書いたけどまぁ騙してたっていう売り出し方のモラルハザード具合はバイオハザード並のハザード具合なんで問題外なんだけど佐村河内の「ここはバッハのなんたら風で」とか「リストのピアノ曲っぽく」とかっていうガッキーに作ってもらうための佐村河内の楽譜というよりイメージ図(笑)みたいなのが流出したんだか出回ってたことがあったよね当時。

 

ただあれってモラルハザードとかは別として曲作りとしては大体凡庸な人はあんな感じでしょうって思うんだよね。あとまぁ90年代とかのクラブミュージックとかってこれも散々書いたけどDJがなんでこんなオーケストラとかを伴った曲を音楽理論とかもそこまで勉強してないのに作れるの?って思うわけじゃん?でもまぁそういうのって佐村河内的なディレクションなんだよね。

 

それを敏腕エンジニアとかがサンプリングとか譜面とかも含めて打ち込むっていうね、だからまぁ実際のライターはエンジニアとか周りのコーディネーターなんだけど作品としてはそのDJなりDJユニットのものとして発売されるんだよね。構造は同じだよね。イケてるDJ集団として売り出したほうが当然良いわけだし実際に打ち込んでないけどディレクションはしてるからそのDJ集団の作品と言えるわけだからそれでまぁ流通させるっていうね。

 

ただまぁそういう一時期のまだ音楽にお金が使えた時期にそういう手法で作れてた頃はまだ作れてたんだけどCDが売れなくなってそんなに金をかけたのを作れないってことになると売れる売れないというよりDJが元々打ち込んでないタイプの連中だと単純に自分だと曲作れないんだよね。もちろん作れる人もいるから作れる人は全部自分でやったりして作ったりもするんだけどただでもそういうディレクションで作ってたとは言えそういう時代の傑作って多いと思うんですよね。だからまぁ別に出来が良ければプロセスなんてどうでもよくない?ってのはあるよね。

 

そういう意味で佐村河内なりゴーストライターにしてもまぁあんま言えないけど固い情報で誰が実は誰のゴーストライターとか知ってる人は知ってるっていうのは普通にあるんだよね。でもまぁゴーストでも元はその人の考えたこととか喋ったことをテープに録音して本っぽく書くとか講演を元にしたのをゴーストライターが本として出したみたいなのもまぁ売り出し方を有名な人名義で出した方が売れるからっつーことだよね。ただそれはその本人の講演とか喋ったことっていうのが元になってるなら別に本人が書いてなくてもそれはいいだろうって思うんだよね。

 

ってことで意外に続いてるからこの辺で切るわ。んじゃまたね。