令和徒然。その2。

いやーCD購入いいね。散々昔CDとかレコードに金を使った身だけどやっぱCDだとちゃんと聴こう!という気になるよね。ストリーミングだとちょっと気に入らないと飛ばしたりしちゃったりしてでもまぁ我慢して聴くと意外に良かったりとかってことがあってまぁようはトラックモノとかクラブものはともかくちゃんと聴く系ってもう久しくCD買ってなかったんだよね。んでまぁ主に宗教曲とか宗教関係の声楽のCDを大量に買ってるんだけど一枚一枚ちゃんと丁寧に聴くようになるよね。

 

でもなんだろうね、mp3買った場合でも金払ってるわけでまぁストリーミングは無料じゃないけど買ったっつー意識が無いからすぐ飛ばしたりするけどmp3とかってまぁそんなに買ってないけどでもまぁ過去に買ったリストを見るとまぁ結構な数になるよね。

 

なんつーかまぁこれはフィジカルっつーものが作り出す意味合いというかそれはKindleで買った本をあんまり熱心に読んだりしないけどフィジカルの場合、つまらなくても飛ばし読みしてちゃんと読むっつー感じがあるのはやっぱりフィジカル世代の名残なんですかね。

 

それにしても本だらけの場所で聴いてるから最近まぁ前に実家の自室というかほぼ倉庫になってるところから色々ディグって来たって書いたけどCDとかも色々持ってきてまぁ取り込んだりしてるんだけど普通に踏んづけて割っちゃったのが3枚ぐらいあるんだよね(笑)ただもう散々聴いてたりリッピングが済んでるからそんなに「あーやっちまった!」っていう感じが無いのがアレだなと思ってなんか逆にCDを昔みたいに大切に聴こう!って思ったよね。アナクロニズムだけど逆にその方がちゃんと音楽を聴くようになるってことを考えるとまぁ昨今のアナログ流行りも分かるよね。CD以上にちゃんと聴くだろうからね。カセット流行りとかも一概に否定できないなとかって思ったりね。

 

あとまぁ本なんだけど一時期読もうとしててただキリスト教関係が大量にあるんでパスしてたなんつーかSound Study系の本なんだけどまぁそんなに量は無いんですよね。たまーに買って読むんだけど今読んでる「Sound Unseen」って本はシェフェールの概念をさらにMichel Chionがまとめたものなんかも開設しつつその後にフッサールシェフェール現象学的共通性っていうかまぁシェフェールもそりゃ現象論は知ってたんだけどフッサールをめっちゃ研究してミュージックコンクレートを音の現象論の実践としてやっていたっつーよりかは概念が現象論的でしかもある意味フッサールの現象論以上に原理的に現象論的であるとかなんだとかまぁすでに散々語られてる話ではあるんだけど音に関する本ってやっぱり面白いよね。10代の音楽のやり始めの頃とかはこういう本を渇望してた感じだけどまぁ今もその熱は残ってるんだなっていうかやっぱりまぁサブジェクトとして面白いよね。

 

結局まぁその現象そのものとしての音っつー媒体での哲学とか認識論ってことだからね。ただそれがつまらないアカデミックな言説に終わるんじゃなくてケージ的な音の認識の拡張とか変化とかをもたらすっていうかまぁそれはケージかぶれだった10代の頃にすでに変わってるんだけど改めて今の俺みたいな当時の俺はまだそんな学識無かったから色々と学識があるうえでまたそういう音の研究みたいな本を読むと面白いよね。

 

ニューヨーク時代もAudio Cultureだったかケージのエッセイとかシェフェールのエッセイとかまぁ音関係のエッセイとか論文のオムニバスみたいな本があるんだけどそういうのは読んでたしまぁ面白いですよね。んでまぁ例えば5年周期とかで見ると一時期色々と読んでたSound Study系の本だけどちょっと思い出してまた読んでみようかな?っつって調べるとその5年間の間に新しく出た本とかがあるわけでそういうのをポチって読んだりするってのがキリスト教関係ばっかになってる今の俺にとっての良い気分転換になってるっつー感じだよね。

 

あとまぁ一時期より洋書を読む量が減ったからやっぱなんか洋書を読むスピードが下がってる気がするんだよね。まぁなるべく英語に接することができるようにゲームとかは全部英語でやるようにはしてるんだけどやっぱりまぁ本となると違うよね。キリスト教関係も翻訳がすげー充実してるっつーのはありつつもやっぱり大著みたいなのになると値段が高くなり過ぎたり分量的に上中下って別れてちゃって合計で一万超えちゃうとかまぁしょうがないんだけどね、まぁやっぱそこで洋書っつーかまぁ英語に限ったことで言えばまぁ圧倒的に安く手に入るよね。安いっつってもそこまでバカみたいに安いわけじゃないんだけど大著みたいなのをボンボン買えちゃうってのは大きいよね。

 

なんでもコスパっつーのはあれだけど(笑)やっぱコスパ半端ないよね。よくなんか月に何百冊読む!みたいないかに多く読んでるか?みたいなのをアピったり読んでますって言ったりする人がいるけどそれって新書とか和書の量産されるような10分ぐらいで読み終わるような本とかを月に百冊読んでてもそれって別に大したことないっつーとアレだけど洋書のかなりハードコアなやつだと新書の30冊分とか50冊分ぐらいの分量があったりするわけで何冊っつーか何を読んでるのか?ってことだよね。

 

意志と表象としての世界みたいなのを月何百冊も読むのは不可能だよね。数学書然りだわ。年間何百冊を読むことを目標にしています!とか本当にアホだなって思うんだよね。何を読んでるか?でしょうっていうあと何冊って小冊子とかも含む何冊なんだ?って話だしパンフレットレベルのざっくりしたものを普通に一冊の本として出したりするわけじゃん?和書のレベルの低さって唖然とするんだけどただでも戦後すぐから80年代ぐらいまでのやつってちゃんとしたやつ多いよね。分量=質ではないんだけど文字が小さくてびっしりで400ページぐらいあったりするやつが多いっていうかまぁそれがスタンダードだと思うんだけど出版不況でくだらないジャンクフードみたいなのを大量に出版社が出すようになってから本のジャンク化が進んでるよね。

 

そんな中でそういうジャンク本を月百冊読んでますって言われても「は?」っていう感じだよね。いや、今の俺って読書中心の生活でまぁそれこそニューヨーク時代の頃並に読んでるわけでまぁなんか久々に以前にも増したような読書中心の生活なんだけど月に何冊読んだか?なんて気にしないけどボリュームがあるやつばっかだからそういうのを中心に読んでると月5冊もいかない場合もあるよね。ハードコアな分量のものを精読してたら目の奥が痛くなるぐらい本を読んでてもそんぐらいしかいかないわけよ。

 

まぁただなんかさ、日本の出版社って元々のレベルが低いわけじゃないんだよね。それこそキリスト教関係の本にしても全然売れ無さそうな分量があるやつをすぐに翻訳して出してたりして本当にすげーな!って思うんだよね。んでもまぁそういうのを出版してた出版社とかってもう廃業してたり倒産してたりとかんでまぁ生き残ってるのがジャンクなものを大量に作って売るみたいなファストファッションならぬファストブックみたいなのを出しまくってシノギを削っているっていうただまぁそういうジャンクなファストなものを何冊読もうがハードコアなものとか年寄り臭い言い方になるけど古典とかを精読するほうがよっぽど価値があるわけなんですよね。

 

でもまぁファストな本とかの価値が無いか?っていうとそんなことはないわけで良いのもあったりするんだろうけどそういうのは英語のヒヤリング強化とかも含めて倍速とかでAudibleとかで買えるならそれで買って携帯音楽プレイヤーで聴くとかゲームやりながら聴くとかしたほうがいいよね。聴くってことに関して言えば読むよりやっぱ楽だからね。でも目を使うのって情報が高尚であれジャンクであれ目っつーフィジカルなもんを使うから単純に消耗するよね。目が疲れるし肩は凝るしそれが原因で頭痛になったりとか頭重になったりして調子悪くなるとかってことがあるからこそ目を使うものはそれだけの価値があるものを読んだ方がいいってことになるよね。

 

まぁでもこれもよく言われることだけど例えば「読書」なんつって検索するといかにファストな本をファストに読むか?みたいなのが永遠に書いてあるようなクソみたいなページばっか引っかかって真面目な読書論とかが書いてあるのって10年以上前のブログとかが多かったりしてまぁいかに世の中がファスト化してるのか?ってことだよね。まぁ滅多に本屋には行かなくなったけどまぁ本屋にたまたま行った時のあの新刊の本のクオリティの低さとかファストでジャンクな本ばっか出てるじゃん?唖然とするよね。ああいうのを見るのが嫌だから本屋も行きたくなくなるよね。

 

・・・みたいなことをショーペンハウエルが読書についての本とかで書いてあったなってのを今思い出して別にそれは今に限ったことではないし日本に限ったことでもないんだよなって改めて思ったんだけどまぁそんな感じで続きを貼るわ。

 

ってことで以下が続きね。それにしても久々に踏み込んだ話してるなって思ってもっとこういうことこそ書いていかないとなって改めて思ったよね。

 

俺が前に悪について本当に真剣に考えなきゃいけないってまぁその宗教関係の話で改めてああいう事件があって思ったってことなんだけど純然たる悪は存在するからね。生まれついての悪人なんていない!っていうけどそれは脳の障害とかも含めてそれこそ共感性が欠如したような子供の頃から平気で小動物を殺せるような子ってやっぱヤバいよね。カエルの口に花火突っ込んで爆発させるのと猫を殺して刻むのとでは全然レベルが違うでしょ。

 

そういうなんつーか踏み込まない話ばっかしてるから話がタブーみたいになるんだよね。それは優生学に繋がるだの生まれついての悪人なんていない!だのってじゃあそれを科学的に調査したんですか?っていうね、DNAのワトソンだかクリックだかどっちか忘れたけど炎上レベルではないノーベル賞はく奪だっけな?単純にデータだけ見ると黒人は白人に比べて劣っているって言ったことが問題になったってことなんだけど俺はもちろん差別主義者じゃないけど仮にPCとか抜きでデータだけ見たらそうだったかもしれないよね。

 

でもその判断は早計だったってことだよね。それこそ教育とかが行き渡ってないアフリカとかも含めた統計なんだったらそれは言い方悪いけど底辺が平均を下げるのは言うまでもないよね。でもまぁ優れた黒人ってのは白人と同じぐらいいるし仮に足を引っ張ってるとしたら後進国の黒人でしょう。

 

あとまぁ仮にアジア人にしても遺伝がどうのっていうよりIQってことで言っても極貧の中国の農村部の子供たちのIQと都市部の共産党幹部の子供たちのIQに相当な差があるって当たり前のことだよね。そりゃまぁそれなりの親の元に生まれついて権力も金もある家で良い教育を受けて育ったらまぁそりゃそうなるわな。ただまぁ極貧の農村部では寄生虫だらけのカエルとかを食わなきゃいけないみたいなレベルでの貧困層の中で育った子供のIQが低いってのはしょうがないことでしょう。親からの遺伝もあるしさらに環境的な要素が後押しするよね。

 

だからよく言われるように格差を無くさなきゃいけない!っていうけど格差なんてあるのが当たり前なわけですよ。そんなもんそれが遺伝だろうが後天的な要素だろうが人によって能力とか知能指数が違うってのはそれが自然なんだからしょうがないよね。んじゃあ逆に遺伝的なものを弄って不気味な平等社会を作るのか?ってことでしょ。

 

ようはこんなのは当たり前すぎて書くほどでもないんだけどっていうか散々書いてきたけど必要なのは人生始めます!これからっつースタート地点で生じる格差みたいなのをなるべく無くそう!っていうことだよね。富裕層のほうが明らかに育成に有利なリソースをたくさん持ってるわけなんだけどそういうもので差がつき過ぎるとましてや教育も金次第ってことになると結局金持ちが勝つっつー図式になるでしょ?

 

そうじゃなくて富裕層の有利さ加減ってのは例えば子供のころから世界を休暇とかで旅できて色んな経験があるみたいなそういうのはもう金持ちの特権だからしょうがないんだけど教育の機会とかさ、やろうと思えば上にいくらでも行ける!っていう機会の平等の必要性だよね。

 

でもそれがあったところで格差はそりゃ生じるよね。優秀かそうじゃないか?っていうことだけじゃない運みたいな要素もあるしたまたま上手く行ったとか上手く行きそうなものに出会えてそれに乗っかれたみたいなこともあれば優秀でも斜陽すぎるものに身を入れすぎて失敗しちゃったとかまぁ仮にそれで失敗してもまた再スタートがいつでもできるっていう機会の平等だよね。でもそこでやっぱりまぁ地頭の良さとかいくら外見で差別をしちゃいけないなんつってもやっぱりまぁイケメンだったり美人のほうが有利なわけでしょ?そういう差はしょうがないよね。それが自然なんだから。

 

んでまぁある程度話を戻すとレザーフェイスとかの元になったアルバートフィッシュとかってまぁ確かアルバートフィッシュだったと思うけどまぁ色々な巡りあわせがああいうサイコ野郎を作り出す要因にはなったかもしれないけど子供の生皮を剥いで被るとかね、それで満月の夜に全身殺した被害者の生皮を被って生皮と骨で作ったドラムを骨で叩きながら雄たけびを上げるとかもう人間じゃないでしょ。

 

共感性もクソもないですよね。もう完全にいてはいけない人間だしそれで終わりにしなきゃいけない遺伝子の情報ですよ。優生学ってのも色々あって優生学ナチスって考えがちだけどいや、ナチスの場合さ、優生学の考えでアーリア人が最高でユダヤ人は殺すべし!とかさ、まぁあと前の障碍者施設の大量虐殺じゃないけどまぁ精神障害とかあるやつもみんな殺せってまぁそうなると俺も殺される対象になるよなとかって思うんだけどただまぁ実際、植松によくやった!とかっていう意見とかが結構あるわけでしょ?

 

まぁ仮に言うとしても匿名でやれよ・・・っつーところを顔出しのツイッターとかでよくやった!っていうとか相当キテるな・・・って思うんだけどまぁそういう共感を得るやつもいるっていうことだよね。あれはモンスターなんだ!で済ましちゃいけないんだよね。それこそ逆に思うのはさ、川崎の件での共感性なんてクソ食らえ!って思うんだけど逆に植松への共感性っていうほうがむしろ嫌なんだけどアクチュアルだよね。

 

ようはすさまじい障碍者の介護の職場での経験でこういう人たちが大量の税金を使って生きているのか・・・生きているのも地獄だし介護も地獄だな・・・負の連鎖は断ち切らないといけないって思うかもしれない可能性はあるんだよね。それこそ植松をサイコとするような考えのほうがよっぽど共感性に欠けるよね。

 

それでもさっき書いたように施設の障害者全員を殺す!なんてことにはならない人が大半だろうけどでも現場で色々と疑問に思ったり優生学に繋がりかねないんだけど果たしてこれを生きていると言えるのだろうか?っていうね、そういう疑問とかって湧くと思うんだよね。それこそ現場じゃなきゃ分からないことっていっぱいあるわけでさ、それでも植松にノー!って言い切れる根拠ってのはあるのか?って思うんだよね。

 

そこはPCの観点からノー!って言わないと異常者とかヤバい考えの持ち主っていう扱いをされてヤバいから表面上はノーって言っておくっていうようなのがまぁ立ち振る舞いとしてのノーだよね。まぁみんなそれをやるわけだわ。でも心の底で共感してるやつもいるかもしれないんだよね。

 

んでまぁ前にマザーテレサが堕胎は殺人だ!なんつってまぁ糞カソリックは大体まぁそういう綺麗事ばっかり言うってことなんだけど実際のところ仮に医療の技術が進歩して生まれてくる子供が重度の障害を持つ可能性がほぼ100%でしかも治る見込みも無くて一生介護しないといけないレベルでなおかつその子供は死ぬまで苦しい思いをするだろうってことがあらかじめ分かったらそりゃ堕胎するのが人道的選択だよね。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。あと話全然違うんだけどゲームやらなくなったとか言いながらやってなかったデビルメイクライの5やったんだけどめっちゃ面白いね(笑)ダンテのバルログヤバ過ぎだろっていうコーディーのハメパンチをDMCで!みたいな感じでゲームの進化やべーなって改めて思うのとあとまぁゴーストリコンの新作とかCODの新作とかあとサムスピの新作が今月末にリリースされるとかなかなかアツいですよね。まぁどうせ格ゲーは世の中のレベルが上がり過ぎてるから対戦やってもまた中級止まりなんだろうけどまぁキャラごとのストーリーをアーケードモードでやるだけでもいいかなって気もするよね。何しろ中二病満載で橘右京に憧れて居合を始めた俺なんでねってまぁ年齢的に16歳ぐらいですかね。んでまぁ制定居合のスローっぷりに呆れてやめたってのは前に散々書いたけどSNK世代にとってはなかなかのムネアツですよね。

 

あとまぁストリートファイターとかがコンボゲーと化してるんでコンボがデフォになると相当練習しなきゃいけないしまぁあれはあれで面白い奥深い世界なんだけどサムスピの場合もまぁそりゃ上級者になると違うんだけど大斬りのデカさっていうロマンがあるのが魅力だよね。アーケードとかでやってた記憶としては全然勝ってたのに相手が怒り状態で猛攻撃してきて一気に死ぬみたいなのが普通にあるのがまぁ当時はストレスにしか感じなかったけど今考えると良いシステムだよなって思うよね。ただまぁシリーズを追うごとにコンボゲーと化していったんだよね。まぁコンボゲーがデフォみたいな格ゲーの流れに抗えなかったのは分かるんだけどまぁ今回の新作だとその過去のサムスピの良い部分がアウフヘーベンされてそうで期待大だよね。DLCとかで思わぬキャラがリニューアルで参戦!とかしても面白そうだし。

 

っつーか続きより雑談が相変わらず長くなったけど(笑)まぁそんな感じで続くんでんじゃまた。