K_Oさんへの返信。

K_O

 

記事と関係なくてすみません。

 

耳蝉さんは、「井上智洋」「のらねこま」「大西つねき」「入間川梅ヶ枝」の4名をそれぞれ御存知ですか?全員ベーシックインカム賛成派で、私はニートなのでBI早く実現して欲しいと思いこの4名もフォローしています。個人的に、BI賛成でもグッとこない人もたくさんいると言うかその方が普通なのですが、この4名にはそれぞれグッとくる部分というか、面白いなと感じる何かが私にとってはあります。

 

それで、耳蝉さんはこの4名についてそれぞれどんな印象を持つんだろうと気になっています。もし良かったら、全員でなくても良いので耳蝉さんから見た印象とか感想的な事を書いていただけると凄く嬉しいです。

 

一通り調べてみたり読んでみたり見たりした印象なんですが、基本的に僕がBI賛成派なので印象に関しては「本当にそうだよね」っていうところしか無いという感じなんですが(笑)ただ聴き慣れないMMT理論などというものを知ったりして長期的に勉強する必要があるなっていう感じがしていますね。

 

で、BIなんですが僕が一番難しいだろうなと思うのは民意の合意なんですよね。「働かざる者食うべからず」というのは新約聖書に書かれてる言葉でってまぁ今ウィキで調べて知ったんですが(笑)んでだいぶ後にレーニンなんかも言ってるんですが大体まぁその元々それが何を意味していたのか?というのはかけ離れた意味で理解されたりして結果的に井上先生か大西先生かどちらかは忘れてしまったんですが儒教的なイデオロギーと結びついちゃって勤労は美徳みたいなウォール伝初期からこれは絶対打破しなければいけない奴隷的イデオロギーだ!ってすさまじく思っていたものが今だと特に若い人を中心に変わって行ったりしてるのは凄くいいことだと思うんですよね。

 

あとまぁ「こんだけ働いてるんだぞ!」的なこんだけ苦労してるんだからお前が苦労しないのはアンフェアだ的な変な考えとかこの辺もそんなこと言ってるやつ頭おかしいよねっていう風潮があるので脱イデオロギーに関しては楽観的とは言えないんですけど変わっていってるなっていう気がするのとあとやはりジェネレーションギャップといいますかやはり僕の親の世代なんかは働くのが当たり前という考えだったり例えば家が貧乏だったから凄まじい努力をして成功をして経済的にリッチになったんだ!みたいな経験なんかもようはBI的な議論をするときに働くのが当たり前で怠けてるやつにも金を配るなんてとんでもない!っていう考えになりやすいっていうかそれは奴隷的な日本教が酷い日本だけではなく恐らく世界的にそう思うのが直感といいますかアプリオリに当たり前だろうって考えてしまう土台になっているっていうところがありますよね。もちろん国民がすんげーダラけてるところとかは良いんですけど基本やはり勤労とか努力が褒められる美徳であると考える文化やお国柄のところは多いと思うんですよね。

 

で、K_Oさんが挙げた4名の方々はやはり一般的な認識に比べて考えがプログレッシヴっていうところがありますよね。まぁ逆にそうじゃないと真剣にBIを議論しようと思わないっていうようなパラドックスがあると思うんですが、どういうことかと言うと結局僕が気になるところはどうそれを民意の合意に持っていくか?っていう導入のところなんですよね。ただまぁ当然そのためにも怠慢な人でも別に働かなくても基本食えるような地盤があったほうがいいっていうようなリベラル的な考えではなく科学的にそのほうが社会が上手く行くっていうエビデンスとか導入に繋がるような指標が必要だと思うんですけど、まぁそこで井上先生の記者クラブの講演なんかでも先生がおっしゃっていたようにデンマークフィンランドなんかで実験的にBIを導入してどうなるのか?っていうのをやっているっていうことでんでまぁ結果が2020年以降だかとりあえずどうだったの?的なことが分かるのが来年ぐらいということで楽しみではあるんですけどただどの道勝手に思うのはそこで割と肯定的な評価ができるようなエビデンスとか実例が出来たところでまだまだ弱いだろうなっていう気がするんですよね。

 

ただBIの面白いところは新自由主義的なゴリゴリの保守主義みたいな人間が社会主義的なものが嫌いだから金ばら撒いて社会保障とかやんなくていいよ的なベクトルから所謂恐らくデフォと思われるリベラル的な貧困層を救ったり貧困のスパイラルを断ち切って労働のイニシアチブなりとりあえず食えないということで自死を選ぶような選択に迫られるような社会は健全ではないので分厚い保護が必要だっていうようなベクトルから他も色々とあると思うんですが、それがバリバリの社会主義的な政策だとイデオロギー的な問題で実際の導入がかなり難しいというところがあると思うんですけど逆にミルトンフリードマンみたいな人間がBIって言うような資本主義のベクトルとしてもBIという話はリアルな話だっていうような地盤があるのは現実味があると思うんですよね。

 

ただそこでどの道、こういう貧困層を救うとか社会の地盤を強くするみたいな政策って富裕層の反感を買いますよね。で、そんなことするなら他に移住するぜっつって他行っちゃう人とかまぁ愛国心もへったくれもないような人間がそういう振る舞いをするというのも是正するのは無理なことだし実際に凄まじい経済的な生産性を持った人が他の国に行っちゃったりすると結果的に国益を損なうことになるので富裕層を怒らせないような方法を取るということになりがちですよね。それはもう政治の必然ですよね。

 

理念的にどんだけ貧困層を救うとか地盤を作るということに正当性があってもリアル政治は富裕層のことを考えるっていうまぁアメリカなんかはまさにそういう国なんですけどこの辺の話になるとやはり脱資本主義っていう話になっちゃってまぁ僕も資本主義は嫌いでっていうかK_Oさんがウォール伝をいつぐらいから読んでいただいているのかは分からないんですけどアメリカにいた頃とかまぁ大体10年とかもっと前になっちゃいますけど基本極左アナーキストなので権力が嫌いだし資本主義大嫌い人間なんですけど、ここでこういったイデオロギー的な闘争になってしまうと恐らく社会主義的なものっていうのは資本主義的なものに敵うわけがないんですよね。

 

あと例えば極めて資本主義的だと言われるようなアメリカみたいな国でも弱者は守られるべきだとは思っている人が結構いるわけでこの辺の自己責任論っていうか他者の生活のクオリティへの配慮が日本は異様に少ないなんていうところを見ても世論的にBIの導入がイデオロギーありきのものになると相当厳しいだろうなっていうところがありますよね。弱者は自己責任だって思う人が大半の国でのBI導入というのはそのインセンティヴが経済学的に景気回復に効果があるというような政治的イデオロギーとは関係ない経済政策のレベルでのものではないと難しいと言うことですよね。

 

ようは社会がどうあるべきなのか?ということを考えるというようなことは無理なのでこれで景気が良くなりますとか潜在的というよりかはもう目に見えてAI的なものが便利になっていて無くなる仕事とかいらなくなる仕事が多くなるっていう中で、でもそこで基本は労働力を売ることで生活をするべきだって考える人がその労働力を売るという原理に固執するようでは実現が難しいと言うことなんですよね。

 

だから課題はいかにイデオロギー臭さが無いサイエンスとしての経済政策としてのBIというのを打ち出せるか?っていうところに尽きると思うんですよね。啓蒙とかは絶望的ですしそういう分からないところに希望を持ってもしょうがないのであくまで実現可能なBIを考えるべきなのでまぁそこでK_Oさんが言及してくださった四名の方々はそういうベクトルでBIを打ち出しているかなっていう印象はありますけど、ただやはり金が全てではない!とか金の認識そのものを変えるとか脱資本主義というようなことは結局は領域が啓蒙になってしまうのでそういう理念の割合が大きければ大きいほど実現が難しいと思うんですよね。まぁようは多種多様な反対にあうだろうっていうことですね。

 

個人がそういったお金の認識を変えてより良い生活を送るというような啓蒙というのは全然アリというかむしろそれを個人単位で考えればガンガン啓蒙というのは必要だし色々と勉強する余力がある人はガンガン勉強して知恵をつけていくべきだしそれが健全な市民社会を形成していくための市民の義務でそれは労働の義務なんかよりよっぽど必要な義務だと思うんですが、それが社会単位になるとそれがどれだけ正しいかとか倫理的であるかというような理由や大義とは別に個人的な感情とか非合理的な考えとかまぁこれが現代の民主主義の限界というか民主主義はもう無理だよねっていう話に繋がるところだと思うんですけど社会的合意のレベルになると「これはワークするよ」っていうようなエビデンスがあったとしても感情的な非合理性で反対されるということがあると思うので本当に難しい話だなって思うんですね。

 

だからなんていうんでしょう、BI自体の議論のディティールとかももちろん必要なんですけどかなり前からのBI賛成派としてはBIにしていくという流れは当然としてではどうやっていけばいいのか?っていう話になると思うんですけど、結局問題は頑固な反対派をどうするのか?っていう話になりますよね。働いて糧を得るのが当たり前のことなんだっていうのを刷り込まれてきた世代をどう説得するのか?っていう話ですよね。

 

ただ逆にというか別な見方をすればそれはただのジェネレーションギャップみたいなものでそういう古い価値観とかそういう理念でやってきたっていう人たちがいなくなって民意の総体のマジョリティが今の若い世代とかになったら政治的な現実性ってのがありそうなんですけどそれも少子高齢化でなおかつ医療とかが充実しているので老人は長く生きて若い世代の人数は減っていくっていうことになるとこれまた民主主義の原理からするとなかなかおぞましいことになりそうだなっていうところがありますよね。

 

結局まぁ主権の根拠というのは個人にあるので古い考え方の人たちとか世代が圧倒的なマジョリティという場合、先進的な考え方に民意をシフトさせていくということが凄く難しいことだと思うんですね。課題はこれに尽きますよね。だからこそデンマークフィンランドなどのBIの実験のフィードバックやイデオロギーではない現実論としてのBIというのを進めていけるような右左関係ない自明性というか、そのぐらいのBI導入の合理性というのが示せればいいんじゃないかと思うんですよね。

 

ただまぁ僕は経済学とかは齧った程度なので大したことは言えないんですけど例えば税率が上がったときの消費に対する影響ってどうなんだろうな?って思うんですよね。井上先生が300円で牛丼を食べるのと1000円払って700円の御釣りが来るというので牛丼を食べるということの違いはないというのは確かにそうなんですけどそれがBI的なインフラに回されるお金だということは自明でも例えばそこで税率が25%とかになったときに何かを買う時のその税金の額のエグさというのに直面すると直感的にギョッとしちゃうと思うんですよね(笑)

 

数字的にプラマイゼロでも日本政府の過去何十年の体たらくの実感として税金がちゃんと使われているという認識に至れないので仮に割とそこまで労働をしなくせ済むようになってお金をレジャーとかに使える金銭的余裕とか基本の生活がある程度保証されているという安心感から来るようはそういう精神的余裕があっても例えばそれはステレオタイプなんですけど戦争を経験した世代が金を使わずにため込むというのも凄まじい貧困なりモノの欠如というのを経験しているからいざというときにため込んでおくというのが身に染みついているというのがありますよね。

 

で、今の若い世代もレベルは違いますけど基本金無いよねっていう認識が強いんで仮に余裕ができてもまたさらに老後がどうのとか言い出してため込むんじゃないかとかって思っちゃうんですよね。ましてやいくらバックされるといっても税率が高くなった場合、使おうが使わまいが金は振り込まれるんだったら今の貧困から来るような勘違いミニマリスト集団みたいなのがヒッピーコミュニティーミニマリストバージョンみたいなのを作って大勢で集まって金をため込むということをするんじゃないか?とかって思うんですよね。金からの脱却とか言いながら逆説的に金に支配され続けるような風潮になるんじゃないか?っていう懸念はありますよね。

 

それももちろんそのミニマリスト集団が悪いというより若者をそんな風にした社会が悪いわけで仮にそういう集団が出来たとしてもまぁそれがどういう集団かにもよりますけどその人たちを責めるわけにはいかないですよね。それは戦争を経験した結果ため込むような癖がついているという人たち然りですよね。

 

で、僕の漠然とした印象だと脱資本主義とか金に支配される精神構造を変えるということは当然必要だと思うんですけどそのためにはある程度の贅沢というとおかしいんですけど消費の飽和みたいなのを経験しないと難しいんじゃないか?と思うんですよね。欲しいけど買えないから我慢するとか買えるわけがないので買いつくした後のミニマリズムではなく酸っぱい葡萄的な買ってもどの道虚しいだけだみたいな変な悟りによる似非ミニマリズムは本当にダメだと思うんですよね。それだといつまでも消費行動の飽和と本質的な虚しさの実感へは程遠いですからね。

 

言わば好きなぐらい買いつくすとかやり尽くして虚しさを感じないと脱資本主義は難しいと思うんですよね。だからそのためにもまずは消費の飽和を目指さないといけないと思うんですよね。井上先生は段階的にそういうフェーズもだいぶ先になるかもしれないが来るだろうと言っていましたけどまさにそういうところからの脱資本主義がリアルな脱資本主義だと思うんですよね。消費なんて虚しいんだ!っていう負け犬の遠吠えではなくて実際にその虚しさを経験して感じるしかないんですよね。

 

で、MMT理論については調べている最中でただすぐに終わりそうにないので、とりあえず暫定的に返信を書かせていただきました。個々の四人についてというよりかは四人の議論を踏まえた自分のBIに関する意見みたいになってしまいましたが(笑)とりあえずそんな感じです。

 

固有のトピックや何か特定のこれについてっていうことがあったらまた書き込み宜しくお願いします。