聴き倒れ方丈記。その3。

ってことで続きです。

 

いや、それはネットが出来てからは変わったんだ!って思いたかったけどまさかの検索しないとか知りようがないとか接点がないっていう盲点があるんだよね。別にそれは若い人が悪いわけじゃなくてそりゃ普通にしてたら例えば中学でも高校でも今こんなのが流行ってるとか聴かれているっていう情報を元に世界が出来上がるよね。

 

そこにモンドとかアングラロックが入ってくる余地がないっつーかね、まぁそれは昔もそうでしょうってことなのかもしれないけど逆に俺の世代の場合、メジャーなレベルで音響とかエレクトロニカとかってのがあってそういう観点からの現代音楽の見方っていうノイズとか音響的な見方っていうリヴァイバルがあって複雑なコンセプトとか思想というよりかは音響という即物的な面という意味でのクセナキスとかチュードアとかアーツユニオン系の音とかってのが再発されたりなんかしてそういうのを手に取ったり現代音楽なりエレクトロニカのコーナーに行くとフルクサス系のコンピがあったりとか知る機会ってのがレコード屋に行けばあったんだよね。

 

でも今はそういうリヴァイバルも一段落っていうか出尽くしてもう新しいのも古いのも出尽くしましたよっていう中で均一化されている分、どれにも手を出せるんだけど知る機会が無ければどうにもならないというところがあってあとまぁこれは業界人とかじゃないから分からないけどCD自体が売れなくなって売り場とかが狭くならざるを得なくなって無難に売れるK-POPだのAKBだのってのをどこも置くようになった結果、ショップも均一化されてつまらなくなってしまったっていうまぁ街並みも同じだけどね。

 

自分が渋谷でディグってた90年代後半だとクラブミュージック全盛期ってのもあってまずそういうのに追いつくのに大変だしレコ屋に行くと新譜が大量にあって全然買えないっていう(笑)クラブ系ジャズも欲しいけどダウンテンポ系も欲しくてんで他店でノイズとか音響系と現代音楽とかも欲しくて・・・っていう欲しいものが剥き出しになって陳列されてたんだけど今はそうじゃないからね。逆に何かしらのきっかけがあって知ることが出来れば逆にレコ屋とかに行かなくてもツベとかで聴けたりするんだけどただ文脈とかそういう意味不明な音楽をやってた人たちの経緯とかシーンとかってのを知りようがないっていうところもあるよね。

 

自分の世代の場合、そういうのが雑誌で特集されたりよくこんなテーマで雑誌出してたよなっていうようなのとかもあったりして知る機会が圧倒的に多かった結果、どんどん世界が広がっていったっていうのがあるんだよね。そこはやっぱり日本ってあらゆる意味で文化の最先端だから凄いわけよ。そういうのが一番先鋭的だった時代に自分は育ったから文化のシャワー状態だったのよね。それは映画とか然りなんだよね。

 

でも今はそういうのが売れないっていうか陳列してもどうにもならないとかフィジカルのショップ自体が縮小するしかないっていう感じになってきてて知るきっかけが少なくなってきてるのかなっていうのがあるよね。さっきも書いたけど見つけちゃうと映画にしてもフルでネットでタダで見れたりするかもしれないんだけど(笑)知るまでが大変というかね、あとまぁそんな世界知らないっていう状態から一気にそういうドープなところに行くっていうところのギャップが激しいというか橋渡しが無いんだよね。だから二極化してて軽チャーとドープというよりかは一気にマニア層っていうそういう感じなんだよね。

 

でもそれって普遍的なことで今の俺のキリスト教への傾倒というか開眼にしても所謂ドグマとしての聖書ってのは所謂ありふれたキリスト教っていう日本では信者数が極端に少ない西洋ではドミナントな宗教だけど日本だとマイナーな宗教っつーぐらいの認識しかなかったものが宗教というよりかはまぁきっかけは宗教的だったにせよ切り口を思想とか哲学にすることでスコラ学やら初期キリスト思想みたいな中世の思想とかそれこそアキナスみたいなものとかを思想のヘリテージとして読むことができるようになったっていうのもキリスト教に開眼したっていう契機が無いと無理だったわけで、じゃあその契機ってどこにあるの?ってことだよね。

 

今の自分みたいにその契機があったことで人生が180度変わる場合もあるわけで、それは音楽とか芸術全般にしても同じだよね。これに出会ってからはもう世界が変わった的な私的なコペ転だよね。ただ宗教っていうのは特殊過ぎるけど宗教とか思想に比べれば音楽って言わばありふれたものなわけでアングラと言っても頭脳警察とか(笑)そういうのじゃなくてヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかだったらアングラはアングラだけどメジャーじゃん?触れる敷居は低いよね。

 

ってことで続きますのでんじゃまた。