ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

Googleに好かれるなんてやめてしまえ!って感じで日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

 あれからまた本買ったんだけど。

 あれからまた本買ったんだけど。

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰

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やめられない心 毒になる「依存」 (講談社+α文庫)

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つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体

つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体

  • 作者:シェリー・タークル
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2018/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―

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ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能

ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能

 

 

あとあれなんだわ、Franz Overbeckというニーチェのダチだった神学者がいて

 

en.wikipedia.org

 

まぁいつもの語弊だらけの言い方になるけど俺が思ってるような原始キリスト教以降に教会とか権力とか文化と密接に関わるようになるキリスト教というのがドミナントになってきて本来のキリスト教とそういった文化的で政治的なキリスト教にはすさまじい断絶があるっていうような説というか説というより真理ですよね。まぁそういうのを唱えてた人でまぁだからニーチェのダチだったんだろうなとか思いつつバルトとかも影響を受けたらしいんだが恐らくその内容だと思うんだけど全然読まれてないマイナーな神学者なんだけどさ、めっちゃ読みたいやんか?

 

んで調べたら英訳は出てるんだけど二冊しかないのとめっちゃ読みたい片方が200ページぐらいなんだけど諭吉プライスで(笑)オーファベック関係の研究本はドイツ語のやつばかりで所謂英語圏での研究はあんまり進んでないっていう感じで、んでもまぁドイツ語読めねーしなとか思いつつドイツ語の勉強をするべきなんだろうか?とか思ったりしてね、ただまぁ内容に期待し過ぎるのもアレだからアレなんだけどねー。

 

ただニーチェのダチだった神学者ってのが個人的にすんげー点数高いのと原始キリスト教以降のキリスト教はほとんどキリスト教じゃない!みたいに思ってる俺としてはまぁすげーシンクロするわけでね、先人に同じことを思ってた人がいる!ってなるとなんか勇気づけられるわけよね。過去にこれは精神的な友人だ!みたいに思える人がいるってまぁ凄いことなんですよね。

 

オーファベック全集その1が諭吉とかなら全然いいんだけど200ページに諭吉はキツいなーっていうか数学の専門書並の値段じゃん!っていうね、まぁそんだけマイナーだからなんだろうな。とりあえずプリンストンのモノグラフシリーズのやつは読もうかなと思ってるんだけどまぁそれは翻訳者の論文とかが半分でオーファベックの論文は100ページいかないぐらいなんだけどね。

 

まぁそれはともかくだな、まぁそろそろ2020年ですね。まぁ俺にとっては最高の2019年だったと思うわ。キリスト教を軸に気づきがいっぱいあったしDJ再開したしなんか色々と不可能に見える目標が増えて人生やりがいあるぜ!って感じになってて生きるモチベアップしてるよね。

 

んでまぁこないだジュンク堂で買ってきた本をだいぶ読んだんだけど「好き」と「欲しい」は違うっていうまぁ俺が常々自分は買い物中毒なんじゃないだろうか?って思っててまぁドーパミンがどうのとかさ、そういうのに興味がありつつあんま調べてなかったなとかって思ってたらまぁ見事に買った本に色々と書いてあってまぁ行動嗜癖って言うらしいんだよね。

 

まぁ俺のレコードがそうなんだろうなと。ようは狩猟っぽくハンティングするっていういつも書くけど半日休みにしてもらって洋服決めて電車に乗って渋谷に行ってディグるっていう一連の行動がすでに行動嗜癖というかさ、Rewardがゲットできたら最高!と思えるレコードなわけなんだけどこれってまぁネットで実質ほぼ調べられたりダウンロードできるっていう環境だと崩壊してんのよね。

 

それ言い出すと2000年代前半からもう崩壊してるよね。でも結局アナログで買った方が大切に聴くし何よりレコード自体がフェティシズム的に好きっていうのもあって前にも書いたけど手に入らなさ過ぎるやつはデータとかでいいんだけどディグればみつからなくもないやつはレコで欲しい!っていうのはまさに「好き」と「欲しい」ってのが違うっつーところだよね。

 

好きなんだったら別に聴ければいいわけでダウンロードするなりCDとかだったら大体安いからCD買えばいいんだけどレコードにこだわるってのは行動嗜癖の面が強いんだよね。で、それは一概にそうとは言えなくて俺の場合、まぁ繰り返しになるけど原体験があるでしょう。ディグってた10代の頃にインダストリアルなバイトをしたりブラックなコンビニで精神と肉体をすり減らして稼いでたバイト代を全部レコに使ってたっていうまぁ一種のドラッグみたいなもんよね。

 

レコを買うという快楽のために過酷なバイトというのに耐えることができたというぐらいレコは俺の中で大きなものだったわけだ。で、その頃は失敗するレコードも多かったけどReward感もあったしなにより毎日聴きたいレコがあるという生活が生活の中心になってたんだよね。まぁもちろん他に音楽を聴く方法が無かったというところが大きいんだけどね。

 

んでまぁ今みたいにナイスエイジになってから結構色々とやり尽くして人生いよいよ飽きてきたな・・・っつーときにGet back to the old schoolな感じでレコ買い直すのはどうだろうか?っつーところからDJ熱が出てきてDJ再開!って感じになったんだけどまぁSMK再始動の頃と似てますよね。

 

ただまぁなんつーかそれ以外にほぼ行きたいところもないわけで外出したいんだけど行く場所が無いし着たい洋服も着れない・・・なんていうジレンマがあって(笑)そこでまぁ渋谷に狩りに行くっていう10代の頃に脳が覚えた快楽のパターンってのをトレスする感じで意図的に頭を錯覚させてるっていう感じだよね。場所が渋谷とか原宿というのもやっぱり10代の頃に出来上がった快楽のメカニズムみたいなのを思い出して再活性化させて脳をダマしてる感じだよね。

 

ただまぁ生活が崩壊するほど買うわけじゃないしっつってもまぁ今はスタートダッシュみたいなのが凄くて大量に買ってるけど今後は枚数も安定してくるだろうしコレクションを先鋭化させていきたいから無駄なのを買わないようにすれば結果的に本当に欲しいものしか買わなくなるからね。

 

んでまぁなんかね、ドラッグとかにしてもあれなんだってね、そのドラッグをやってしまうという環境がそうさせてしまうんであって全く違う環境に身を置くとやらなかったりするっつーのがベトナム戦争の時に現地で米兵がヘロイン中毒になったんだけど帰国してからやり続ける割合は予想よりだいぶ少なかったっつーのがまぁようは環境がそうさせているっていうところなんだよね。

 

だからまぁ俺の場合、10代に渋谷でディグってたっていう原体験があってそこで頭に快楽のネットワークみたいなのが出来上がってるから別にディグらんでも同内容のものを安価でダウンロードできたりぶっちゃけ聴くだけだったらyoutubeとかにあったとしてもディグることに快楽を覚えるっつーのはそういうことなんだよね。

 

だからこれってすんげー個人的原体験とディグらないと音楽を聴けなかったっていう環境が作り出した快楽のメカニズムなわけで仮に俺が10年遅く生まれてきたら聴く音楽も違ってたかもしれないしまぁそれはともかくあそこまで必死にディグってただろうか?っていうと音楽は好きになるとしてもやっぱりデータが主流になってたんじゃないかな?って思うんだよね。DJ始めるにしてもPCDJでやってたんじゃないかと思うんだよね。

 

その結果、ディグの快楽というのが脳内に形成されないから「昔の人はそうやってレコードを探していた」っていう過去の産物という見方しかできなかったり、そもそもデータでいくらでも聴けるという環境においてのディグってのはまた意味合いが違ってくるから渇望感とかも違うよね。

 

今は当時の渇望感を自分の枯れた心と人生への絶望をもっと生にドライヴさせるためにあえて発動させているという感じだからいつも延命って書くけどまぁそういうことなんだよね。逆にそれがあって良かったなとも思うんだよね。

 

それっていつも書くだいぶ昔に古本屋で立ち話をしてた初老の人たちの会話を盗み聞きしたっつー話で出てくるあれよ、「戦後なんて物資自体が限られてたからみんな活字に飢えててそんな中で三銃士の翻訳ってのがあったからそれを暗唱できるぐらい何回も読んだんだよね」っていうその初老の人は別にそこまで三銃士が好きだったわけじゃないにせよ物資が無い中で三銃士の翻訳というのがあってそれが相対的に他に刺激が無かった時代だからすごく楽しく感じたっていう歴史の産物じゃないですか?

 

三銃士の絶対的な面白さというよりかは歴史と状況に紐づけられた言わばコンテキスト化された快楽だよね。まぁこれもドラッグと構造が一緒だよね。だからその初老のおっさんが情報化社会の中に生まれたら三銃士なんていう渋い古典は手にも取らなかったかもしれないし本は好きでもラノベ読んでるかもしれないしあとはもっと娯楽性が高い現代の日本の小説を読んでるとか、とにかくわざわざ三銃士を何回も読まないだろうっていうところだよね。

 

でもまぁそういう時代に生まれたから活字のありがたみというのを凄く知ってるわけよね。そこは俺みたいな世代にしても何か買わないと聴けなかったっていう時代に育ったわけで音源のありがたみっていう感覚があるわけよね。もちろん後にデータが主流になってストリーミングが主流になってもCDやレコを買うことに必死になっていたっていう原体験は変わらないわけよね。

 

あとまぁ大人買いにしてもあれじゃんね、アメトークのスニーカー芸人とかでもアンソニーとかが言ってたと思うんだけど中学の頃とかジョーダン欲しくても高いしあとすぐ足が大きくなって入らなくなるから買ってもらえなかったっていう超欲しかったのに買ってもらえなかった!っていう強烈な原体験があってそれがまぁ言わば抑圧になるわけよね。んで大人になってそこそこ芸人として売れるようになると使えるお金が増えるから湯水の如く同時買えなかったスニーカーを買いまくるっていうそれも中学の頃に買えなかった・・・っていう経験があるから大人になってそれが爆発するってのはあるよね。

 

だからなんだろう、ガチ富裕層はそこまでモノに執着しないってのも全てがそうとは言わないけど別に買おうと思えばいくらでも買えたから抑圧が無い分、そこまで物欲も喚起されないっていうのがあるかもしれないよね。仮にプレ値になってもカネはあるからいつでも買えるから逆に別にそこまで欲しいとも思わない的なね。

 

まぁそんな感じなんだけどオーファベック全集なんてあるんだろうか?って思ってたら全集の刊行が94年とかに始まっててんで2000年前かちょいぐらいで刊行が終わったらしいんだけどなんとですね、全集セットってのが出てるんですよ!全集好きにはたまらんでしょう!これ。コンプした感と読むのがキリがないぐらいあるってのは生きる動機づけになるじゃないですか?

 

ただもちろん全部ドイツ語なんですよ。でもまぁ1からじゃないよね。英語は読めるわけだから。あとまぁ文法とか一応フランス語もリベラルアーツで取ってたしね。だからもうオーファベック読むためにドイツ語勉強することにしましたよっつってもあれだよね、単語を猿のように暗記して基礎の文法をやってあとはもう読んでいくっていう脳にめっちゃ負荷をかけるごり押しだよね(笑)

 

まぁ俺はそれでやってきたしそれで脳を鍛えてきたから良いきっかけになるんじゃないかと。あとそれで言うと国家プロテスタンティズムなるイデオロギーを作り上げたWilhelm Stapelっつーとんでもないやつがいるんだけどまぁ日本で言うところの国家神道とかですかね。無理やりファシズムと宗教イデオロギーを結びつけるっていうありがちなやつだよね。

 

en.wikipedia.org

 

ただまぁどういう論理でキリスト教とナチスを結び付けたのか?っていうのが凄く気になるから読みたい!って思っててもニッチ過ぎるのとまぁそんなとんでもないやつだから英訳とかほとんど出てないんだよね。んで同じくドイツ語で恐らく負の遺産的に読めるみたいなんだけどめっちゃ気になるよね。Positive Chirstianityとかって言うらしくてまぁStapel一人だけじゃないんだけどね、

 

en.wikipedia.org

 

宗教が過激化するとかファシズム国家を後押しするような裏付けをねつ造する材料にされるだとかテロの言い訳になったりとか戦争の動機づけになったりとか、あとまぁ世俗化で言えば「ホモは死ね!」とかって言うようなアメリカのド田舎のキリスト教団体とかよね。ああいうクソみたいなとんでもない世俗化が起こるのはなぜなのか?っていうね、まぁこれは宗教学ということになるんだろうけど結局、民主主義と同じで扱えないものにそれが渡ると暴走する感じがあるよね。

 

まぁ衆愚化っていうことに尽きると思うんだけど「信者を増やす!」みたいなのが目的になるとそりゃ合理化されてって悪い意味で合理化されて誰でも分かるようなものに成り下がったりだとか念仏を唱えてれば救われるだとかまぁそれは宗派関係ないよね。

 

あとまぁ鈴木大拙みたいな大家が兵士を鼓舞するために禅のロジックを戦争動員に利用したとかジジェクが考えられる中で一番胸糞悪いことだみたいなのを言ってたけどっていうかまぁそこまで聡明な人がそんなことを言うのか!っていうことなんだけど今貼る動画めっちゃ面白いんで見てみてね。つべのコメントにもあるように観客の声がウザいけどね(笑)

 

www.youtube.com

 

ただこの動画にもあるようにある種の無神論的有神論みたいなのをジジェクは部分的に語ってるわけでようは厳密な哲学において無駄を切り捨てるとリアルなキリスト教が浮かび上がってくると思うんだよね。ブルトマンの非神話化がそういう方法論であったかはともかくとしてよく護教的な神学者の本とかになると「それを否定すると崩壊してしまう」みたいなことが書いてあってそれが復活だったり奇跡だったりオカルト臭いものだったりすると本当にげんなりするよね。

 

逆にそういうところに依拠しないと世界観は生まれないんだとすればそれは明らかにイリュージョンでしょう。バルトを最近ぼろ糞に書いてるっつーかレコハン記の続きで色々書いてるんだけどまずは信仰ありきっていうところから世界ができるとかさ、客体が生まれるとかなんとか、そもそも人間の意志に依存しているオントロジーってなんなのよ?って話だよね。

 

だからやっぱりエックハルト的な神の像にシンパシーを感じるのは例えば禅的無って信仰心とか関係ない客観的な真実じゃん?もちろんそれを認めるかどうか?という価値判断は介在するんだけども宗教関係ないじゃん?んでそれはキリスト教然りだと思うんだよね。やたら神格化されたイエスというよりかはナザレのイエスとしてイエスがこの世で唯一神が受肉して人間世界に切り込んだ結果、福音が人間の視点から分かるようになったという意味でそれが画期的だったってこれはまぁバルトで別にバルトの全部がダメじゃないんだけどさ、んでまぁイエスは神のロゴスとして人として振る舞ったということなわけでしょ?

 

だからそれは神のロゴスなわけで絶対であるっていうのは信仰心関係ないよね。絶対無を認めるのに信仰心がいらないのと同じだよね。ただまぁ道元とかは偉大だからめっちゃリスペクトする!っていうところよね。イエスもまぁつまりはそういうことでしょう。

 

それが絶対的に真だということが神のロゴスという根拠に於いて認められるんであればこれほど強いものはないよね。ただもちろん宗教者も含めてその教えを実践できているか?ってのはまた別なんだけどまさにイエスに倣いてイエスを模倣するかのようにキリスト者として行動するということが神のロゴスに沿った生き方をするということじゃん?そういうダイレクトな実践に繋がる究極のプラグマティズムだと思うんだよね。

 

でも世界的には世俗化されたキリスト教が大半でガチのキリスト者なんて逆にアウトローっていうか(笑)相当な変わり者になっちゃうから世の中でやっていけないよね。でもキリスト者であるということを貫こうとして社会とぶつかるんであればそれはぶつかって大いに結構なわけだよね。まぁソクラテスもイエスも大衆に殺されたようなもんだからね。でもプラトンも言ってるように真理ってのは現実との折り合いがすこぶる悪いわけだよね。

 

でもそこを妥協しない!っていうのがまぁキルケゴール的なキリスト者の生き方だったりね、ニーチェも本当は本質的なキリスト者だったんだけど世俗的な堕落したキリスト教をディスってたわけでキリスト教そのものをディスってたわけじゃないんだよね。だからまぁ代わりにツァラトゥストラを使ったわけなんだけどニーチェも所謂異端とされるようなキリスト教思想化とかに共鳴をしていたという意味でやっぱり本質的なキリスト者だったんだなって思うんだよね。

 

だからなんか俺の中で今の俺が全く矛盾しないんだよね。真のキリスト教に目覚めただけで世俗的なそれとはまったく違うし考え方も世俗的なものに関して言えば以前と変わらないし世俗的な宗教が言うような意味での神は絶対いないしね、まぁそもそも新約聖書とかパウロの思想とかをちょっとかじっただけで全然世の中のキリスト教とは関係ないなってのが分かるわけで、だから俺は原始キリスト教の重要性を感じるわけなんだよね。色々とローマだのなんだのっつー文化とか戦争とか政治とかとぐちゃぐちゃになっていないRawなキリスト教だよね。

 

そこをオーファベックは見抜いていてだからアンチクライストなニーチェともダチだったんだろうなって勝手に思うんだけど護教家とかキリスト教という宗教の既得権を得たものにとっては都合の悪いロジックだから無視されやすいとかね、バルトとかが世界的に人気があるのも護教的だからでしょう。認知的整合性を与えてくれるような麻薬みたいなことが書いてあるからだよね。

 

まぁそういう意味で俺は哲学のDNAを受け継いだ神学の徒なわけで師はやはりニーチェとかキルケゴールとかショーペンハウエルになるわけよね。そこが揺らがないのにむしろ神学によって世界観は広がっているという事実だよね。

 

ちょうど今ぐらいで真面目にキリスト教関係の本を読み始めて一年になるけどまぁ大躍進ですよね。アホみたいに読んでるから進むのも早いわけだ。まぁそのぐらいいつも書くけど魂が乾いてるんだよね。で、自分はイエスが言うところの地の塩になりたいと思うわけでそれってまぁ礎になるってことじゃん?

 

それにはやっぱり哲学とか神学とかとにかく知全般で自分がやれそうなことを徹底的に研ぎ澄ますっていうことだよね。それをめちゃめちゃ切れる刀のように先鋭化させるっていうことだよね。ニーチェが自分はダイナマイトだ!って言ってたのを倣って自分は日本刀だ!みたいな感じですかね(笑)

 

とにかく妥協しないということが難しいよね。世の中とぶつかるし現実が違い過ぎて絶望しか残らないわけじゃん?でもイエスの言葉は残っているっていうのが希望になってるわけだよね。その福音を伝えるというのが言わば宣教なわけでキリスト教に入信させることが宣教じゃないんだよね。福音を伝えて地の塩になるということだよね。

 

まぁそんな感じでめっちゃアツくなってますけど(笑)いかに善く生きるか?ということをこの薄汚れた世の中でどう実践するのか?っていうことだよね。それはもう常に課題としてあるよね。

 

なんかだいぶ長くなったんでそろそろやめるけどまぁ課題と言えばドイツ語だけどこういう時に教えてくれる人とかいるとありがたいよね。友達マジでいないからな俺(笑)

 

とりあえず明日これが届くから完全な無になって暗記だな。

 

Mastering German Vocabulary: A Thematic Approach (Barron's Vocabulary)

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  • 作者:Veronika Schnorr
  • 出版社/メーカー: Barrons Educational Series
  • 発売日: 1995/08/01
  • メディア: ペーパーバック
 

 

ただまぁやる気になったときの俺ほど最強なものはないからオーファベック全集を読む!という明確な目的がある中では達成できそうな気がするよね。で、いつのまにかマスターしそうだよね。そういう意味だと翻訳が少なかったり異様に高かったりするのに感謝かもね。まぁ全集それなりに高いけど数百ページに諭吉よりかは全然安いですよ。何しろ合計で5000ページ越えだからね(笑)通読すれば嫌でもドイツ語読めるようになってるだろう。

 

まぁそんなわけで今日はこの辺で。

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