アシッド備忘録。

アシッド三昧になってボチボチ二か月ぐらい経つんだけどなんかふと現実に戻ると例の虚しさとか闇みたいなのが一挙に押し寄せてくる感じだよね。まぁそれは元々そういう人間だからしょうがないとして、最近厄介なのが作るペースが速すぎてネタが無くなったらどうしよう・・・という不安だよね。

 

だからあえて曲を完成させずに放置しておいて映画見るとかゲームやるとかっていうネタ不足回避のためになんか他のことをするっていう感じになってるんだけどまぁこれって元々俺って実存的に極限状態なわけじゃん?

 

だいぶ前からだけどね。そのなんつーの、お金がどうのとか生活がどうのではない精神のレベルである意味常に限界なんだよね。

 

だから何らかのオブセッションが必要だったり刺激が無いと脳と共に魂も死んでいく感じがしてそれがまぁすさまじい恐怖なんだけどさ、何かに没頭してるとそれを忘れられるから今はアシッドがモロにそんな感じでいつもギリギリのところで救いが見つかる感じなんだけどずーっとこれをやっていたい!と思えば思うほどいつかネタ切れるのかな・・・というようなことが頭をよぎっちゃったりなんかしてさ、なんかちょっと曲作りに関して真面目になり過ぎてるのかな?とかって思い始めてるよね。

 

これで食うぜ!とか成功するぜ!みたいな感じじゃなくて「この音最高!」っつー現世での成功だの経済的な見返りだのってのを求めないそれ自体が目的化するという音楽の究極系を選んでいるんだけど配信するとなると妙に真面目な感じになってきちゃうんだよね。

 

すんげー自分らしくないんだけど色んな環境でストリーミングで聴いたらどうなるか?ってことを考えるとある程度まともな音量バランスを保たなきゃいけないなとかっていうそういうつまらないことが頭に入ってくるとそれがつまらない要素とかになっちゃうと最悪なんだよね。

 

音量のバランスとかマスタリングがどうのでプロがどうかが分かるとかほざいてる本とか文章いっぱいあるけどいやいや、音楽ってそれが良いかどうかですからね。極貧からゲットーハウスを始めたDJファンクの音楽がなんであんなにかっこいいのか?ってプロフェッショナルなわけじゃなくてすんげーRawでリアルなゲットーの音がするからでしょ。カセットに録音したようなヒスノイズとか音のバランスの悪さとかあとダンスマニア特有の盤の質が悪いとかっていうところも含めてかっこいいわけでそういう意味での世間的なプロのベクトルって凡庸さへのベクトルなんだよね。

 

バランスとか神がかっててプロダクションとかもプロっぽくても音楽がクソだったらクソだからね。逆にかっこよかったらリズムマシンと安っぽいシンセを直にMTRに録音したようなやつでもかっこいいんだよね。そりゃロックとかでもそうでしょ。スタジオでちゃんと録られたやつより荒っぽいライブ音源のほうがかっこよかったりするわけでね。

 

何かその辺の本来の自分のやりたいこととか求めてることってのを見定められないと迷いが出て結果的にアウトプットもクソになりそうだなって思ったんだよね。真面目になろうとしてる自分をたまに感じると「いかんいかん!」って凄く思うんだよね。

 

本当にそういう意味で世の中って凡庸さだらけよね。何もかもが凡庸になるようにできててエッジを保ち続けるということが凄く難しいわけだよね。他人に「プロみたい」と思われるような音源を作りたい!とかって思った時点でアウトなんだけどそういうのって完全に無いわけじゃないじゃん?ただかっこいいのを作りたい!でいいんだけど他人の目ならぬ耳とかね、評価とかを気にし始めたらまぁ終わりだよね。あとまぁプロに認められるようなクオリティであるか?とかってのも終わり要因だよね。

 

それを意識し始めた途端にアウトプットがどんどん凡庸になっていくんだよね。それは別に音楽に限らないよね。だからなんかマスタリングの本とかさ、曲作りのアイデアのひねり出し方とか本以外でもYoutubeとかでも英語のばっかだけど大量にあるけどああいうのって反面教師なんだよね。確かに基礎で知っておいたほうがいいんだけど守破離の守のプロセスを通るための基礎というかさ、いや、仮にみんなが同じルールとか音量のバランスとかになったら全部並列化されるよね。だからまぁ似たような音が増えるんだけどね。

 

かといってもルールを守らないようにしたところで凡庸にならないか?っていうとそこはセンスの問題だからなんとも言えないんだけどプロフェッショナルであるか?っていうのとかっこいいか?ってのははっきり言って全く関係ないからね。CM音楽とか企業の宣伝用の音楽とかってプロダクションとしてはプロフェッショナルだけどかっこいいわけじゃないでしょ?(笑)かっこよさを狙ってるわけじゃないんだけどかっこよさげにしてるやつは大抵ダサいからね。

 

まぁ世の中そんなのだらけだわ。だからそのガチなかっこよさとかグルーヴとかさ、ヤバさとかイルな感じとかってやっぱり言語化できない何かなんだよね。でもそういうのはやっぱり昔の音量バランスとか全く関係ないRaw過ぎるファンクとかに見られるようなさ、アマチュア臭さが良いとかっていうけどかっこいい時点で上手いつまらない音楽をやっているプロより上だからね。だからそういう意味でスキルとかともほぼ関係ないよね。

 

DJにしてもそうだよね。つなぎが完璧!とか構成がしっかりしている!っつってもかけてる曲がクソだったら基本クソだからね。逆に下手だったりラフでもヤバい曲ばっか考えもつかないような順番とかミックスで繋ぐようなやつのほうがよっぽどかっこいいわけで一般的な評価はそうならないんだけど場数だけ無駄に踏んできたつまらないDJよりぶっ飛んだ選曲をするDJのほうがよっぽど面白いんだよね。でもそういうDJもだんだんプロってのを意識し始めるとある意味無知だからやれた的な初期衝動が無くなって洗練されてだんだん凡庸になっていくっていう路線を辿りやすいよね。

 

これは「上手さ」とか「質」みたいなものが持っている罠だよね。そういうものが盲目的に評価軸になっているんだけど実際じゃあ何がいいのか?っていうとグルーヴだったりヤバさだったりするわけで上手さとか質じゃないじゃん?かっこいいかどうか?だよね。あとまぁ普通じゃないとか奇抜という意味ではない独自性とかよね。

 

まぁこういうところってさ、面白い宅録のインディーズとかのやつをディスクレビューしてる本があったけどこういうまぁある種のモンドな感覚だよね。異様な音量バランスなんだけどすんげーイルな感じになってる!とかさ、こんなのを自宅で永遠と録音し続けていたのか!という驚きとかね、狙ってやれるものではない天然のものなんだけどそういう天然のものをいかに人工的な装飾とかをせずに素の状態で濃いままアウトプットとして出すか?っていうところだよね。

 

ホリエモンとかが言うように独学に関しては過去に比べてリソースが半端じゃないからガチで打ち込めばプロレベルになれる!ということの敷居が下がってるってのはあるんだけどその反面、リソースが並列化されているからその並列化されたプロクオリティ!とか質!みたいなのに自分も知らないうちに並列化されて取り込まれるという危険性があるよね。

 

ネットが無い時代ってのはプロ以外はみんな手探りでやってたから独特の音が生まれたといっても過言ではないよね。情報が無さ過ぎて自分でやるしかないから自分の感覚でやったっていうのが場合によっては唯一無二の音を作り出す天然のプロセスになってたりさ、だから思うに参照するべきなのってまぁ俺の場合だけどインディーズだったりアンダーグラウンドの人たちが手探りで実験も含めて色々やってたっていう時期のプロセスなんだよね。

 

まぁ自分もやり始めの頃は今ほどネット環境なんて揃ってなかったから手探りだったけど便利になった今の環境に頼り切るんじゃなくてあくまでエクスペリメンタルな感じってのに常に挑戦していくっつーのかな?音楽はどう足掻こうとも既存のもののパッチワークになるっつーのがソフトシンセの低価格化とかDAW環境の揃えやすさっていうのがまたさらにそれを加速させてる感じなんだけどそこにどう下手にプロフェッショナルにならずに自分のRawな衝動とか良い意味でのプロ的ではない下手くそさってのを組み込むか?っていうことだよね。

 

あとDAW環境が揃ってくると音楽知能指数みたいなのが飛躍的に上がるんだよね。色々と便利なのを使えるからインテリっぽい作業ができるようになるんだけどそこをなんつーかRawのバカさ加減ってのを常に忘れないっていうかさ、あと忘れかけてたらゲットーハウスとかめっちゃRawな初期テクノを聴くとかあくまで軸はこれだ!ってのと難しく考えすぎないっていうのを肝に銘じないとすぐ凡庸化するよね。

 

エッジってのはそういう意味で常に自分で磨いて先鋭化させていかないとすぐ鈍るよね。刃物と同じ原理だよね。

 

まぁそんな感じなんだけどところでリリースなんだけどカバーライセンスの取得みたいなのに異様に時間がかかってるみたいで「マジでいけんのかな?」っていう感じがまた出てきたりして(笑)まぁダメだったらダメでサンクラにあげればいいだけだし配信は配信でまた考えればいいわけだからまぁいいかなと。

 

まぁそんな感じんじゃまた。