アシッド考。

つまんなさ過ぎてオンゲーに手を出しちまったっつっても前にやってたFF14なんだけどまぁFF7Rの影響ですかね。FF13が終わってFF13-2もスラスラ進むから一瞬で終わるなとか思いつつだったらまずFF7R終わらせればいいじゃん!とかって思いつつゲームロスが怖いなんてずいぶんと酷い状態になったもんだなと(笑)

 

ただあれなんだよね、FF14って最初にやったのがもう5年ぐらい前でまだDLCとか出てなかったと思うんだけどクソみたいなお使いクエストが永遠と続いてレベル上げに時間がかかる最悪なゲームという印象しかなかったんだけどイシュガルドとかが結構いいらしいっつーのは知ってたんだよね。常にやるオンゲーっつーよりかはオンゲーのソロの部分だけやるみたいなね、エンドコンテンツなんて大体つまらないしソロの部分だけやろうと思ってやってるんだけどレベル70まで経験値ブースト!とかってのがあってメインをスラスラ進められるんだよね。

 

あと驚いたのが例えば黒魔術師だったら呪術師であってたっけ?下位の初期ジョブを30にしてからサブジョブを15ぐらいまで上げないとなれなかったんだけどそのままなれるのね。すっかり必要なもんだと思って弓術師を上げてたんだけどいらなかったのか・・・と。

 

まぁいいや。そんな感じでまぁガチでネタないっすね。テクノアナリーゼな毎日でこれを「研究」と考えればテクノ研究三昧なんだけどやるのが当たり前すぎるルーティンになってるからいつものようにのめり込み過ぎることにはもはや作為性が無くなってやるという行為者がいなくなるんだよね。ある意味での究極の主体性だけど本人的に何もやってないってわけじゃないんだけど楽しみが無いという風に錯覚しちゃうんだよね。

 

まぁ元々なんつーか刺激ジャンキーでドーパミンが出過ぎてるタイプの人間で脳がおかしいから精神も病むタイプってのは分かってるんだけど退屈さに敵わないよね。外出もこの退屈しのぎみたいなもんだしユニオンは通販はやってるからレコ買えないこともないしね。金使えないけどまぁちょっとは買ってるわけでそりゃー大切に聴くよね。中学生の時とかにラッキーで手に入れたエロ本並に大切にする感じで。

 

まぁそんな感じなんだけどテクノアナリーゼなんだけどさ、結局まぁなんか音響なんだよね。アシッドも抽象化していくと曲というより音像というほうが正しくてアシッドなレイヤーが重なっているループというのが理想形という風に気がつくんだよね。リッチー・ホーティンなんかはそれにいち早く気が付いた人なんだと思うんだけどようはドラムマシンとかもリムショットというよりかは「木が軋むような」とかスネアもドラムというよりまぁ元が909だったり808だったりするからPCMとは言えシンセみたいなもんなんだけどドラムというより「パシャッ!」っていう音像っていう言わば音の概念がコンクレート的になるんだよね。

 

それで気が付いたのは自分がやってるのは昔と変わらないミュージックコンクレートなんだなっていうところなんだよね。ただそこでの電子音の快楽というのが303に集約されていて要素がただアシッドテクノになっただけでやっていることは変わらないんだよね。

 

そうなるとなんかさ、分かるんだよね。PlastikmanとかがConsumedになる感じとかさ、典型的なアシッドトラックってPlastikman以前にFuse名義のやつとかでやってるじゃん?だからすでにSheet Oneで実験的アシッドになってるんだけどその後の音を削った感じってのは本人曰く弟が現代アートやってるとか自分自体もアート自体に興味があるからミニマルといっても現代アート的な感じという意味である種の現代音楽的ミニマリズムなんだよね。

 

ラッヘルマンとかがバイオリンの音とかをコンクレート化しちゃうのと同じでリッチー・ホーティンもドラムマシンとか303ってのをコンクレート化しちゃうんだよね。だからリズムという概念より音の羅列のレイヤーのパターンとかっていうような後のDe9のコンセプトにも通じるようなっていうかもうそうなっててそれを自分の曲ではなくて既成のテクノトラックでやったというのがDe9なんだよね。

 

だからまぁある意味やり尽くされてるっていうか新しいことをやろうとしてるわけじゃないんだけどただ色々と分析的にじっくり聞けば聞くほど最良のものがすでに90年代前半にあったりして、2000年以降のテクノっていうと本来のテクノとはかけ離れてたり、あとクラブトラックとしてのテクノっていう意味でも90年代は実験性も伴ってたんだけど2000年以降はエレクトロニカ的な実験的だったり音響的だったりするか完全なクラブトラック的というかDJツール的な感じとかっていう二極化があるような気がして90年代ってそこの境界線が曖昧だった気がするんだよね。

 

あと前も書いたけどシカゴアシッドは天然の実験性っていうかさ、黒人の実験音楽なんだよね。実験音楽っていうと白人のアカデミックな連中の特権という感じがするけど初期のハウスとかデトロイトテクノって実験的電子音楽の要素も含んでたんだなっていうね、ただそれが一過性の実験に終わったんじゃなくてテクノの基盤を作ったってのがすげーなって思うわけよ。しかも今のコロナ禍のような未来が見えないような退廃したデトロイトで未来を志向する音というのが絶望から出てきていたというのにロマンを感じざるを得ないよね。

 

だから恐らく日本人がファンクとかやっても真似事になるんだけど電子音楽とか電子楽器を通じれば人種関係なくファンクすることができてテクノというのはその人種関係なくファンクネスを追求できる稀有なものなんだっていうのに気が付いたりもしたよね。言い方悪いけどジャズとかヒップホップとかは絶望的じゃん?日本的ってのはヒップホップではあるけどやっぱり黒人のジャズに敵うもの・・・っていうといやー無理だろうねーっていう感じがするよね。

 

ただ電子楽器ならファンク出来るんだよね。でも別にそれはいかにも!っていうファンクネスだったりファンキーなベースラインとかサンプルである必要は無くてグルーヴ感とかイルな感じがファンキーだったらそれはファンクだし自分が好きなアシッドってのはファンキーなアシッドなんだよね。トランスっぽいジャカジャカしたやつとかハッピーハードコアっぽいやつとかは全然アシッドじゃないからね。

 

まぁアシッドっつって調べると出てくるのが多いのがこういうユーロテクノ的アシッドでレコとかで買っちゃうとスマイルマークに騙された!って感じになりがちなんだけど(笑)でもなんか自分が中学行って無かったけど渋谷に恐る恐る通いながら買っていたレコードってシカゴハウスでまぁダンスマニアばっかだったけど必ずアシッドトラック的なのが入ってたからね。自分はゲットーなエロネタとかが入ってるのを探してたから当時は単純な外れトラックだと思ってたけど空気のように接してたんだなって思うと今って単純な先祖返りよねって思ったんだよね。

 

結局シカゴとデトロイトに戻ってきたのか!っていう感があるよね。だからこれは単純なノスタルジーではなくてテクノから始まって作ってたわけじゃないけどジャズに熱中したりドラムンベースに熱中したりその他実験音楽やら電子音楽やらノイズやら・・・っていう中である程度一周回ったのかな?っていう感じがあるよね。

 

ただまぁそこで一周回ったときに頑張ってヤマハのシンセ一台でシカゴハウスを真似しようとしてた時より音楽的スキルとかボキャブラリーが増えてるのとツールが増えてたり909なんて当時買えるわけなかったけど今はハードではないけどサンプルパッチとかも含めたら909だけで何百ってあるわけだし303に至ってはgizm0xとacidlabがあるわけでオリジナルよりもっとアシッド!っていうようなハードウェアがあるからすぐやれるっつーのがあるよね。

 

アシッドやろう!と思い立って元々作ってたのもあるけどどうすれば作れるのか?というのが分かってるからやるまでが早いじゃん?で、どこを研究してディグっていけばいいのか?というのも自ずと分かってくるから昔と違ってそういう面で苦労しないんだよね。でも音はソレでもファンキーか?とかグルーヴ的にどうなの?っていうと打ち込みどうのとかサンプルどうのとかのプログラミングの問題じゃないじゃん?質感の問題だからそこの追求って超絶的に難しいよね。

 

形だけのアシッドはリズムループと303のエミュレーターだけあれば誰でも作れるんだけどファンキーでかっこいいアシッドとなると普通のテクノを作るより何倍も難しいよね。んでシンプル過ぎてトラックの体を成してないっつって色んなもん加えるとリズムとアシッドが濁るだけで純アシッドから遠くなるし決してwell-madeなものが良いアシッドではないからね。超雑なんだけどかっこいいシカゴハウスとかアシッドハウスはなんであんなにかっこいいんだろうか?っていうところになるんだよね。

 

まぁなんか世界観的に陶芸家の壺みたいなもんだよね。「んーダメだ!」「ガッシャーン!」って割るの繰り返しっていうか(笑)この陶芸家のステレオタイプってどっから来たのか?って今思ったけどまぁそういう世界よね。なんかが良かったからそれをテンプレ化すれば使いまわしが効くというようなものではないしそのぐらいの認識でアシッドをやってるのってトラックの薄っぺらさとかにすぐ現れるから聴くとすぐ分かるよね。

 

だからもう世の中のアシッドなんて8割ぐらいクソですよね。求道的にやってる人間なんて本当に少ないよね。スタイルとかリバイバルとかで流行りっぽくやったり普段ノイズやってるやつがブラックメタルやってみました!的ななんちゃって感ってめっちゃ出るから純ブラックメタルとかって結局90年代の地下テープ以上のものが無いのと同じでアシッド然りなんだよね。初期アシッドとかリッチー・ホーティンみたいなやり尽くしたようなもの以上のものはある意味出るわけがないっていうね。

 

それ言い出すとロックとかジャズも一緒なんだけどさ(笑)ただなんかあれよね、究極を求めると結局アンダーグラウンドに行きつくんだよね。本質的なものがアンダーグラウンドにしかないってのはメインストリームだったりコマーシャルっぽいものと本質性というのは水と油みたいなもんだからなんだよね。アングラがかっこいい!とかじゃなくて求めて行くとアングラになるというただの帰結だからね。アングラ至高とかアングラ至上主義なんじゃなくて本質主義的であるとアングラにたどり着かざるを得ないんだよね。

 

まぁそんな感じで久々の更新だったわけなんだけど書き始めるとどんどん筆が進みますな(笑)まぁでもこうやって客観的に書くと90年代テクノ研究ってのは趣がある人間的活動だなって思いましたね。んですぐそれをアウトプットにしたりそのままサンプリングしちゃったりして(笑)実践的でもあるから究極の合理性でもあるよね。合理性なんて寸分も求めてないのに凄く形の良い合理性にたどり着いたというかなんというか。

 

まぁそんな感じっすね。またなんかあったら書くんでんじゃまた。