気功徒然。その2。

気功ヤバい!って書いてるけど別な意味で「ヤバい!」という人もそりゃいますよね。エセ医学を親の仇のように批判する人たちがいるのは知ってるしそもそも俺も未知の世界は好きだけど基本根っこは唯物論的なド左翼なんでそういう批判とかは分かるんだけど気功への批判とかも当然あるんだけど例が酷いんだよね。

 

腰にできたガンがあるんだけど気功師にかかっていてその気功師が痛み止めとか病院から出された薬とかも悪い波動を出しているから全部捨てなさい!とか言ってて、んでまぁそれを実践したはいいけど痛みは当然取れないから「先生、いよいよヤバいです」って行ったら「病院に行け」って言われたとかね(笑)こういう酷いケースを例にして批判するってのは極端だよね。これは気がどうのよりその気功師が悪徳なだけでしょっていう、しかも気功の本とかに痛み止めが悪い波動を出すなんて書いてないし基本気功は前にも書いたけどヨガとか瞑想法とルーツは同じなわけで、ただヨガとか断食でがんが治った!とかってのは極端ですよ。

 

そりゃ今俺が通っているところでも気功の先生ではないお灸と整体をやってくれる院長先生はそりゃウィルスとか腫瘍とかできてたら西洋医学の出番だし薬を飲まなきゃいけないって西洋医学を否定するようなことなんて言わないし西も東も両立するっていう考え方なんだよねっていうかまぁそれが当然だよね。

 

でも批判のやり玉に挙げられる例ってのはそれこそ心身の健康のためにマインドフル瞑想を教えている先生とかいいじゃん?でも出てくる人物が高額なものを買わせたりヨガで全部治させようとするっていう極端な話ばっかで批判するっつー前提があるから出してくる例が印象操作に使われてるっつーか悪徳なのを例に出したらそんなもん関係ない薬を出しまくってる西洋医学の医者とかもいるわけで軸の医学の部分の是非じゃないよね。

 

あとなんつーんだろうな?欧米では東洋医学の研究も進められてるし日本でもちゃんとした医大に東洋医学を研究するところとかあるし外来もあったりするわけで東洋医学とか東洋医学的なものをホメオパシーとか水素水とかと一緒くたにして似非医学とするのはどうかと思うんだよね。

 

東洋医学って効果があるみたいだけど分かってないことが多いとか西洋医学みたいな分かりやすいエビデンスが取りづらいっつーことでデータが無いってだけでまだ未知な部分なんだよね。そういう未知な部分で人によっては西洋のよりよっぽど効果があったって人がいるっつーだけで医学的根拠がないってのは医学的データが無いだけで研究が進んでないだけってことじゃんね?

 

いや、気功っつーか気ってベースですよ。それは太極拳的な動きが伴ったりとか単純に体を動かすというエクササイズ効果もあるけど東洋医学ってホーリスティック医学って言われるように例えば鍼だけとか気功だけとかじゃないんだよね。鍼やって気功やって太極拳やって漢方飲んでっていう予防医学なんであってさ、逆にそれの効果が無いなんてのを実証するのはほぼ不可能だよね。

 

だからまぁあれだ、批判が恣意的なんだよね。水素水とかホメオパシーみたいな明らかな間違いは良いんだけど東洋医学まで胡散臭い悪徳な医者とか気功師を例に出して批判するってのは印象操作ですよね。あといつも思うんだけど東洋医学的なものはあんなもんは迷信だ・・・みたいなすげー低く見てるような医者とか人間も「ここのツボがいいらしい」とかって言ったりすんじゃん?それ東洋医学なんですけど?ってことだよね(笑)あんなもん迷信だとか科学的ではないって言いながらツボは認めてるんだねっていう何なのそれ?っていう整合性の無さだよね。

 

だから批判するにしてもそれは例えば特に気とかの場合、未知な世界過ぎて気功師が神様だ!とかって思えるようになっちゃうとかね、そういうのを利用したちょっとしたカルト化とかね、そういう風になりやすいジャンルだからこそ気をつけなきゃいけないってことでそれは気功が嘘なんじゃなくて気功界隈のものが胡散臭いというだけだよね。

 

例えばツボにしても普通に言えば単純に血行が良くなって老廃物が排出されてそれに関係する場所が良くなるっていう当たり前なことなわけで気功ってのはその今書いた「血行」みたいなもんなんだよね。ただ不思議なのは鍼とか整体と違って物理的に触れるわけではないのに循環が良くなったりするっつーところだよね。だからそこは人間とか動物にも気があるっていうけど機械的な機能的なものの集まりなんじゃなくてそれだけじゃない何かってのがあるっつーことよね。

 

それはまぁ意識とかスピ系になっちゃうけど魂とかもそうでしょ?なんかで可視化されたり見えるものじゃないけど確実にあるものだよね。気に関してそんなの無いっていうと武術全般で日本の武術にも日本式の気の鍛錬法があるようにああいうのも全否定ってことになるもんね。武術における気の鍛錬ってそこを強くしたりとか動かしやすくしたりとかってことだと思うんだけどこれとガンの治療って全く関係ないよね。当たり前だけど。

 

ただそういう風に武としても使える気というのが治療の気という使い方もあるっつーだけの話だよね。それでガンが治るか治らないかとか気功師がガンが治ると言い張ってるとかってそんなのまぁどうでもいい話だわな。っつーかなんたら批判みたいなの全般ってそういう傾向があるよね。数学みたいにニュートラルな状態から初めて「これは嘘である」という命題が引き出されるというよりかはエセ医学を批判してやろうっつー前提でやってるから貶めやすいロジックだとか恣意的な例の出し方とかね、んじゃあなんで鍼とかはWHOとかが認めてんのよ?とかっつーそういうところは出さないんだよね。

 

鍼と気功は全然違うだろって思うかもしれないけど同じなんですよ。鍼はそこに気が入るってことでもあるし気という概念を使わないならジャストなところに鍼が入ることで固まってた筋肉が緩んで老廃物が放出されるとかそこで詰まってたから他のところもそこが詰まってるおかげで不調になってたのが元に戻るとかって話なわけでオカルトでもなんでもないよね。

 

ただ気はそこで例えば鍼とかを入れなくても鍼を入れたかのような効果というのが得られるというかまぁそこは人それぞれでまぁぶっちゃけ才能とかもあるんだと思うけどね。ただまぁそういうことができる人もいるってことだよね。でもそうなると西洋的なスタンダードから言うと全員が体系的に学べばできるようになるわけではないっつーところで超能力みたいになっちゃうんだよね。でも予知能力とか霊感ほどの超能力じゃないんだよね。誰でも伸ばすことはできるけど使い手というレベルにまでなれる人はあまりいないかもしれないっつーところだよね。ただまぁとりあえず言えるのはみんな気は持ってるわけよね。

 

まさに陰気陽気の「気」ですよ。んでも陽気に振る舞っててもヴァイブスが陰気ってやつもいるからね。なんか負の感じがするって別に暗い明るい関係ないんだよね。まぁ俺が思い悩むのって人間の怖さなんだよね。見た目じゃ分からないしデフォで嘘つくから見抜けなくて騙されたりするからそういう気のような感覚をcultivateすることで敏感になったりちょっとでも分かるようになればいいなってのもあるよね。興味もあるけどそういう実用面ってのも大いにあるわけね。

 

なんかだからあれなんだよな、アトスの瞑想法とかヨガの瞑想法とか場所関係ない色々なところに共通するような気をcultivateしているとしか思えないようなものってのがまぁまさに気功なんであってそれは呼び名が違ったりするだけで、ただ気功はそこに「気」という名詞があるから逆に下手するとそれが独り歩きしかねないということもあるっつー言葉の問題でもあるよね。だから「これ」という風に名指しはできないけど確実に存在しているものだよね。そんなもん他にもいくらでもあると思うんだよね。見えてたり科学的に分かってるものだけが全てじゃないわけだし科学は後に万能になるにせよ現代の科学なんて未来のなんでも分かっちゃった科学から見たら発展途上もいいところでしょ?

 

そんな中途半端な科学を万能として全部のまだ分からないものなんかを科学の名のもとに切り捨てるなんて思考停止っつーかただのバカだろって思うんだよね。科学は万能だけど今はまだその水準じゃないってなんでそんなことすらも分からんの?って思っちゃうよね。否定するにもエビデンスと実証が必要だから一気に飛躍するけど心霊現象とか不思議な普通じゃありえないことなんかも「そんなことはありえない」っていうには例えばちょっと怖くて申し訳ないけど誰も居ない二階から足音がしたっつーそれが今だけじゃなくてたまにあるとかってのがある場合、そのケースを検証しなきゃいけないよね。

 

で、それは家鳴りでしたとか猫でしたとかっていう原因が分かったらそれは正体が分かったねってことになるわけじゃん?でもそんなの検証しようがないもんね。昔そういう家に住んでいたっつーところに戻って検証をしても今足音がするかどうかなんてわからないし検証が難しいよね。ただまぁそういう話ってあるじゃん?しかも国とか場所関係なくあるでしょ?

 

で、その世界中にある不思議な話とか起こっている心霊現象っぽいこととかも全部見ずに乱暴に「ありえない」っていうなんてそれがありえないよね。幽霊の存在を認めろってことじゃなくてなんか知らないけど人がいないのに足音がするとか声がするっていうことはあるんだよねっていうそれがなぜか現象として存在していて、でもそれが成立する条件としてはそこに誰かがいて物理的に声を出したり歩いたりしなきゃいけないんだけど確実に100パーセント誰も居ないというところから音がするってことがあるわけでしょ?それって何なの?って話だよね。そんなもん全部嘘だって言えるほうがすげーよ。

 

んじゃあそういう体験をした人は全員嘘つきってことになるよね。でもまぁ霊感商法とかがあるように悪用されやすいからあんまメディアとかで心霊とかやるなっつーのは分かるけどね。悪用するやつがいるってだけで心霊のオントロジーとは全く関係ないからね。それ言い出したら気功も同じやんか。悪用されやすいってのと気があるか無いか?とか痛み止めから悪い波動が出てるとか言うキチガイ気功師がいるとかって気功そのものと全く関係ないよね。

 

道具と一緒よね。ナイフがあってそれは人を殺すことも野菜を切ることもできるんだけどそれによって何かができるってのがナイフ自体の特性には何も関係が無いということと同じだよね。そこをナイフを使って連続殺傷事件を起こしたからナイフってのは悪いもんだ!なんて言えないでしょ?でもまぁ悪徳なやつらを例に出して「だからインチキだ」っていうのは簡単なんだよね。ぶっちゃけ霊感商法とかも悪徳じゃなくて善な場合どうなの?って話じゃん?あんま大っぴらにはやれないけど見えるから見てあげるっつってこうしたほうがいいよっていう見える側からのアドバイスを無料でやるとかね、変なツボを何百万で買わせることはないんだけどまぁその人曰く持ってると効果があるよっていう石とか数珠とかなんでもいいんだけどそれをもらったとかね、まぁそれ言い出すとユタとかもそうよね。

 

インチキなやつらが多いからガチな人は人づての紹介が無いとみてもらえないっていうね、でもまぁ霊感商法みたいなのがあるから心霊なんてインチキなんだ!なんて言えないでしょ?ユタのような人もいるし在野のそれが仕事と関係したりはしてないんだけど見えてしまう人とかっているわけだからね、そこを悪徳な例を出して「よってこれはインチキである」なんつー命題は成立しないんだよね。まぁ批判のロジックがおかしいってことだよね。

 

あとまぁ批判って色々とまとめて簡単に述べられるほど簡単じゃなくて批判しようと思ったら膨大なデータと研究が必要なわけじゃん?で、これは効いたとされている例が発表されているけど実際は違いましたとかっていうケーススタディっつっていいのか分からないけどそういうのを徹底的に研究しないと批判は成立しないよね。

 

ホメオパシー批判なんてのもインチキなのは明らかだけど批判しようと思ったら相当面倒なんだよね。なぜインチキなのか?ってのを証明するためには結局は学術論文みたいな体裁になっちゃうじゃん?相当根気がいるってことだよね。

 

だからまぁ色々とまとめて批判してるのって全部大雑把なんだよねっつーかそれを芸風にするとかね、それで名を売ろうみたいな功名心というかさ、ただまぁやるならしっかりやれよって思っちゃうよね。トンデモレベルから微妙なレベルまで全部同じ感じで批判するってのは無いでしょって思うよね。んでまぁ前提が現代の科学及び西洋医学がデフォルトであるっていうのがあるわけじゃん?そこがもうイデオロギー的よね。批判と言いながら書いてるやつが唯物論者だから観念論みたいなのは一切認めないっつー前提があるからじゃんこれっていうとただの著者の主観じゃん!ってことになるもんね。

 

特にさっき書いたような親の仇みたいに批判するやつらってのは硬直化したイデオロギーが絶対背後にあるよね。それが絶対だから乱暴なことまで書けるわけだ。でもあんたのデフォがなんでデフォだと言えるの?っていう客観性が無いんだよね。まぁウェーバーが言ってたような中立性ってのは無理にしても批判するにしても研究するにしても中立性は大前提よね。端から西洋医学以外認めない!っつー立場で東洋医学的なものを批判してもさ、それって中立じゃないもんね。ましてや東洋医学嫌いだったら東洋医学の効果とか良い部分とかって絶対認めようとしないじゃん?だからもう批判が成立しないんだよね。

 

だからまぁ「医学的根拠がない」みたいな曖昧な言い方をするしかないんだけど肝心の医学界が東洋医学研究とかも始めてるのにまだそんなこと言ってんの?って話だよね。ようは古いんだよね。東洋医学にだって西洋医学的に妥当な部分なんて探せばいくらでもあるだろうに丸ごと批判するってどういう精神なんだろうな?って思うよね。でもまぁ普段「眼精疲労に効くツボが個々なんだよ」とかって言ってたりするわけでしょ?(笑)東洋医学全部批判するならツボも認めるなよ!って話だよね。

 

つまりは東洋医学はさっきも書いたようにホーリスティックなんであって部分的な鍼とか気功とか漢方だけを切り離して批判しても何の批判にもならないってことだよね。それこそホーリスティックに体系が全て間違いであるというのを証明しないといけないんだから大変ですよね。

 

ただもちろんあれだ、こないだジュンク堂で胡散臭いのも含めて気功の本をごっそり買ったんだけどっていうかまぁ日本語の書籍ではどうなってるのか?って話ですよね。んでまぁ酷いのが多いってほどじゃないけどなんたら気功協会への加入を勧めるパンフレットみたいな本だったりエビデンスが怪しいようなそれこそ「がんが治る!」みたいなものだったりとか、それって変な話、瞑想で病気が治る!みたいな話なわけでそりゃねーだろっていうね、やっぱり気功を取り巻く情報がエセ医学と言われても仕方ないようなものはあるよね。

 

だからこそまぁなんかね、どう気功の凄さを伝えればいいのか?ってすげー思うよね。そういう怪しいやつじゃないやつの凄さってのは体験しないと分からないわけでそこを言葉で伝えるってのはなかなか難しいことだなと。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。