ほどほどに孤独。その9。

強制的封鎖一か月延長、みんな頑張ってね!最後は生活保護があるよ!もう暴動もんだろこれ。特措法が通るわけでしょ?完全な強制だよね。だから自ずと国民の生存権のために政府の手当なんてデフォでしょ。あと飲食店だけじゃなくても被害を受けている業種って腐るほどあるわけだから手当しなきゃダメでしょ。「もう終わりだ」ってリアルに思ってる人が多いとかもう市民社会じゃねーよ。マジで。

 

ただまぁあれなんだよな、自己責任イデオロギーが強い日本だと自分は被害をそこまで受けてないっていう立場だと他者への共感とか怒りってのを他人事にする感じがあるからね。氷より冷たい日本人の心ですよ。自分は関係ないやラッキー!じゃなくて市民の権利が侵害されてるんだから由々しき事態ですよ。そういう意味ではリアルに緊急事態だと思うよね。

 

自殺者がガンガン増えてるとかどうするつもりなの?人がリアルに死んでるのにね。コロナで死んでる人よりコロナ関連の自殺者のほうが多いわけでしょ?まぁでも今ダメそうだからっつって我慢する必要は無いからね。色々と問題が終わった後にガンガン掘り起こして訴訟起こすなりすればいいわけだからね。絶対我慢したらアカンよ。

 

もうここまで来るとウィルス云々じゃなくて人為的な殺人だからね。兵糧攻めとでもいうのか凄まじい強制力だよね。保証がセットなら全く問題ないんだけどここまで来たら保証無しはダメでしょう。最後は生活保護があるって歴史の残るセリフだと思うよ。いかに市民的な感覚が無いかの証拠だよね。生活保護を受けるにしてもスティグマみたいになるのが現実だし受給率二割ぐらいだしそもそも「最後」ってなんなんだよ?っていうね。last resortってことですか?って感じだよね。

 

色んな所で抗議デモが起こってるらしいけどそれなりの死者数がいる国だと「うーん」って微妙なところもあるけど日本の死者数見てよ?それで暴動起きてないとか従順もいいところだよね。まぁただ暴動起きない国だとしてもとにかくこれはコロナ問題として先々に生存権を奪われた人たちが声を上げないとダメだよね。国の恥ですよ。こんなの。

 

んであと理不尽に怒りを他の市民とかに向けるんじゃなくて矛先はしっかり政府にしてくださいってことだよね。こんなんでべらんめぇな通り魔事件とか起こったら悲劇も悲劇でしょ。

 

ってことで続き貼るね。

 

でもなんでそんなね、根は恐ろしいぐらいのニヒリストである俺が厭世的なタイプの仏教とか中世の修道思想みたいなものに惹かれるのか?っていうとさ、あとまぁ心の師である保田与重郎が論ずるような中世の厭世詩人とかもそうなんだけどまぁ色々と読んでる最中で決定的なことは言えないにせよ読みながら思うのはしつこいようだけど世に出て伝道しろとか福祉のような活動をしろというようなものではなくて引きこもり型のものに惹かれるのかってのは俺の元々の気質ってのもあるんだけどさ。

 

あれなんよね、例えばトマスアケンピスなんかはキングオブ引きこもり思想という感じがするんだけどああいうのって瞑想的な生活って言われるよね。テオリア的な生活っつーかまぁカルトとかもそういう生活を求めてコミュニオンみたいなところがあってそこに入るってケースが多いみたいだけどまぁそれはいいや。

 

まぁようは他に全く期待せずに望みも捨ててひたすら神のことを思いなさいとか神に奉仕しなさいってのは有神論的ニヒリズムだよね。そこで神が無いと究極的ニヒリズムになるよね。よくニーチェはそこで神は死んだってことでニヒリズムに陥ったとかって言われるけどニーチェの場合はそこでディオニュソス的生とか無理だとしても超人になれ!っていう究極的な生の肯定の思想が生まれたわけでそれってニヒリズムあってのものなんだけど現代の場合ってその気力もないじゃん?

 

で、期待や望みをしても裏切られる確率が8割以上なんで防衛的に最初から期待しないというのが真っ当な選択というか態度になるよね。だからこそどんどん冷たい人間になっていくんだけどただまぁ期待とか望みって空虚なもんでただの妄想だからね。頑張っても頑張らなくてもなるようにしかならないんだけどその「なる」確立を高めるために頑張るって言い方はあんま好きじゃないんだけど人事を尽くすってことだよね。ダラダラしてていいってわけじゃないわけだよね。

 

だからまぁなんつーのかな、俺がキリスト教に帰依したといってもユダヤ教的な怒れる神とかね、人に語る神とかを信じてるわけじゃなくて唯一神がいるかいないか?なんて形而上学だからとりあえずスルーしてキリストに帰依してるっていうまぁブッダに帰依する仏教者と同じってことなんだけどこれって基本の俺のデフォの態度にただキリストが加わっただけなんだよね。

 

いきなりスピリチュアルになったとか宗教的になったのではなくてニヒリズムが行き過ぎて実存的神学に目覚めたっていうかね、やっぱりニヒリズムは良くないと思うし厭世的なものも自分の気質とは合ってるんだけどそうはなりたくない!とか思いつつやっぱり本性と合ってるものってのが一番自然だからそうなるんだよね。

 

それは生産的であるとか金銭に繋がることが良いこととされる近代とは真逆の内面的に忙しい生活なんだけど世間の目は厳しいよね(笑)でも全くそんなのお構いなしなんだけどこういうところも本当にニヒリズム的だと思うんだよね。

 

むしろ通俗的なキリスト教が生きることは素晴らしい!とか世の中は恵みで溢れている!とか神の愛に満ちている!とかってのに嘘と欺瞞しか感じないっつーか勝手に自分の世界でハイになってるだけであまりに現実を直視してないというかさ、こっちのほうが逆に自分の世界にハマってる引きこもりって感じがするんだけどニヒリストではあるけども良心的なニヒリストであるってのは色んなものに絶望してたり期待も望みもしてないんだけどだからといって行動がべらんめぇになるかというとそんなことはなくでだからこそより「善」ってことが重要になるっていうところだよね。

 

だからそこに神もクソも無くて善しかないしブルトマンとかも言ってるように神の支配=最高善の支配ということでもないのであくまで個としていかに生きるか?というときのプリンシパルだよね。でもそこで善というとイコールで善い行いをすることっていうことになりがちなんだけどまぁそれでもいいんだけどミッションとしての善ということを貫徹するにはやっぱり内面的な修行が必要で引きこもり的な内省的な生活というのが必要になってくるよね。

 

まぁディシプリンだね。修行といってもいいと思うんだけどむしろニヒリストにはそれしか残されてない気がするんだよね。ニヒリストだからこそ無駄な期待とか望みはしないしリアリストだからこそ善に全てを捧げることができるっていうかそもそもが虚無だからそれで言うと空の思想が中心にあるようなタイプの仏教思想だったらあれも仏という概念とか支柱が無いとニヒリズムと言えなくもないよね。

 

何しろすべては空だからね。無=空ではないんだけど凄く厭世的だよね。でもまぁそれがリアルなんだよね。だからブッダはすげーわけだ。まぁ散々世の中のありとあらゆる贅沢を尽くしたうえでの空なんで説得力があるよね。元々極貧の人が極貧な生活を正当化するために思いついた自己否定とかではなくてボンボンが遊び惚けた後で全ては虚しく感じで悟ったのが空っていうところがポイントだよね。

 

別にそれが当たり前なんだから虚しいというところに悩む必要はないんだっつーところなんだけど人間ってやっぱり刹那的な快楽とか楽というところに逃げたくなるじゃん?そういう快楽を求めるだけの生活がより無を増強させることになるんだけどでもまぁ世俗的な快楽を捨てちゃったら人生つまんないっすよね(笑)

 

禁欲だっつって旨い飯を食うとかも我慢してもう金玉から空気しか出ないってぐらいセックスをしたい!って思ってるのにそれも我慢して・・・とかってまぁそれってどうなん?っていうね、だからまぁ結局俺は快楽主義者でこれは変わらないんだよね。あと刺激ジャンキーってところね。そういう自分の本性までも捨てて禁欲的生活をする必要はないわけだし自分にとって神学は知的刺激を満足させてくれる言わば快楽なわけで、でもまぁ思想は禁欲的なんだけど結局まぁゲームにずーっとハマっちゃうのと一緒で神学を研究することにハマっちゃうっつーのがようは快楽なわけだし楽しくないと続かないなんてのは自明のことだからそこで快楽を捨てる必要はないし仮に快楽を捨てるんだとしたら知的刺激を満たすというようなことも快楽だからそれも捨てるってことになるからまぁそれはありえないよねってことなんだけどね。

 

 ってことで続きますんでんじゃまた。