ほどほどに孤独。その12。

ブルトマン関係について調べてたら若手のDavid W. Congdonという学者を見つけて早速本買って読んでるんだけどブルトマン入門的なのってないんだよね。バルト入門ってすげーあるんだけど。で、Congdonはブルトマンについての本で1000ページ近い博士論文が本として出たやつがあるんだけどもうちょっとコンパクトなやつってことで出したのがあってまぁとりあえず買ったやつ貼っとくわ。

The God Who Saves: A Dogmatic Sketch

The God Who Saves: A Dogmatic Sketch

 
Rudolf Bultmann: A Companion to His Theology (Cascade Companions)

Rudolf Bultmann: A Companion to His Theology (Cascade Companions)

 

 Congdonもバート・D. アーマンと同じ学校だったか忘れたけど似たようなガチガチのファンダメンタルな環境で育ったんだかでんで大学でブルトマンを知って衝撃を受けたみたいな感じっつーかインタビューも貼っておくからそれを見てほしいんだけど凄く良いのはアーマンとかと同じでプリンストン神学部で博士取ってるっつーちゃんとした立場でクリティカルな聖書の研究をしているっていうことなんだよね。

 

まぁようはバカバカしいアホが信じるキリスト教じゃないちゃんとしたキリスト教の理解と現代における福音とかミッションとは?みたいなことをシリアスにちゃんと考えていてんでまぁCongdonはインタビューでも言ってるように教会が言う福音ってのはいかに信者数を増やすか?っていうまぁキリスト教離れを懸念して福音を使ってるっつーかまぁ本文にも書いたと思うんだけど歴史的にもキリスト教ってイデオロギーとして使われてきてたんだけど近代になてイデオロギーではないちゃんとした思想としてのキリスト教ってのが出来て来てってまぁシュラエルマッハーみたいな近代神学からの流れとしてあってんでもまぁぶっちゃけ専門分野って感じじゃん?

 

でもまぁCongdonはミッショナリーとしてキリスト教をどう理解してどう伝えて行くのか?ってのをバルト神学とかブルトマン神学を研究する上で考えててまぁアイデアを色々とミックスして統合したみたいな感じなんだけど良心的な神学なんだよねっていうかこれがスタンダートじゃないと神学意味ないよねっていうか護教的になったり教会批判をしなかったりっつーものはもうファンダメンタルなんであって学問じゃないからまぁちゃんとした神学者は多いと思うけどそのうち啓蒙的なもっと簡単な一般向けの本とかも書いていくんだろうなっていう今後の活躍が期待できる人なんだよね。

 

最初はどんなおっさんかと思ったんだけど写真が若くてビビったんだよね(笑)とにかくまぁインタビュー見れば分かるんだけど特にブルトマンの理解の誤解ってのがアメリカに限らず一般的に凄いんでそれは違うってことをはっきりと説明してたりしてかといっても抹香臭くないっていうかあくまでアカデミックなスタンスでキリスト教を信奉するっていう感じのバランス感が凄くいい人なんだよね。

 

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ユニバーサルっつってもキリスト教で世界を支配する!みたいな頭のおかしい感じじゃなくて(笑)要約するのは難しいけどまぁ根は一緒だよねっていうかつまりはユニバーサルな善の概念ってのが福音によって描かれているみたいなことだね。

 

まぁ俺のコンテキストで言うと相対主義に陥ってはいるがレオ・シュトラウスの影響で絶対的な善に目覚めて全部ではないけど革命的な意味でのネオコン思想とかにも共感してたんだけど今はまぁそれもありつつ福音主義というかキリスト主義なのは相対的だと分かっているからこその絶対的な善の概念なんだよね。まぁ遡ればプラトンなんだけどイデオロギーとしてのキリスト教とか教会とか権力に乱用されるキリスト教ではなくて凄くラディカルな部分での究極的な善と革命家ヨハネから受け継いだ革命魂を持ったイエスみたいな善の革命物語としての福音っていう感じだよね。

 

マルクスが格差社会とかが酷くなって過去の共産主義とかとは関係ないイデオロギー抜きでのマルクスが何十年前から再評価されてるようにイデオロギーではないもはや宗教ですらないボンフェッファーが言うような宗教抜きのキリスト教ってのが評価される時が来てるよねって感じがするんだよね。特に日本はクソみたいなやつが本当に多くなってるからこそまぁその絶望もありきで俺はキリスト教に目覚めたってのもあるんだけど世の中が暗黒だから光が差すんだよね。

 

あとあれだ、ブルトマンの理解されづらさっていうか誤解の典型がヤスパースのブルトマン非神話化批判とかだと思うんだけどヤスパースの批判が的を得ているならともかく的外れだらけなのと勘違いしてようが妥当ではない勝手な思い込みと独断と偏見に満ち溢れててヤスパースの知性を疑うような内容なんだけど(笑)まぁでもこんな風に誤解されててそれが今でも誤解され続けてるんだなっていうのはよく分かるよね。

 

ってことで続きを貼るわっていうかCongdonのことを昨日知ったんで(笑)Congdonの動画貼ってからブルトマンの話の続きを貼るのは気が引けるけどまぁいいやってことで貼りますね。

 

ってことで続きです。

 

だからまぁこれは逆説的に信仰の試金石みたいなもんで非神話化しても全く信仰には影響はありませんよね?っつーところが問われてるんだよね。そこで超自然的なものに依拠してそんなスーパーパワーを使えた人物なんだから神に違いない!みたいな理由で信仰してたんだったらまぁそいつは相当なアホだよねってことになるんだよね。

 

俺も含めた日本人が思うなんであんな荒唐無稽な物語を事実として信じてるの?ってキリスト教に突っ込みを入れたくなるような意味でのアホさ加減だよね。

 

でもこれはあくまで現代の話で神話とかを事実だと信じられてたような時代における信仰は単純にはアホってことにはならないよねってのがコンテキスト理解っつーところで例えばいつも擁護するわけじゃないんだけど知識人のくせに戦争を擁護してたんだ!っつっても擁護しなきゃ牢屋にぶち込まれてたとか仕事干されてたとか当時のムードも知らずに今の戦争をおっぱじめるなんて狂ってる!っつー価値観から批判するのは違うじゃん?

 

それと同じで科学とかがまだ発展してないときの人間の思考をアホだって言うのは全然違うよね。でも自分が色々と読んでる限りドグマティックな教義を信じてそれをひたすら護教するみたいなくだらないものは昔からあったんだけど例外的に色々と派生するキリスト教がベースにある神秘思想とか修道思想ってのがあってそれは神話とかが信じられてて当然っつーヒストリカルなコンテキストを踏まえつつも時代を超えて心に刺さったり魂を揺さぶるようなものがあったりするわけじゃん?俺がキリスト教に帰依する理由はそこなんだよね。キリスト教という宗教というより文化が生み出してきた過去の膨大な思想が全てではないにしてもなかなか凄いもんがあるっつーところなんだよね。

 

で、それは形而上学とか机上の空論というより仏教もそうだけどっていうかブッダ自体の教えがまさにそうなんだけど来世がどうのとか理由がどうのとかってことじゃなくてまず今の自分をどうにかするっていうどう生きて行くか?っていうところなんだよね。まさに毒矢の例えなんかはブルトマンの啓示の話と通じるものがあるよね。毒矢は誰がどういう種類の弓でどういう身長だったり部族だったり性別だったりするやつが射たものなのか?っていうのを知らないで自分に刺さった毒矢を抜かないという理由にはならんだろうっていうのがまず毒矢を抜きなさいってことなんだよね。

 

だからそういう来世がどうのとかなぜか新約に入っちゃった黙示録とか神話を抜けば言わば毒抜きされたイエスの姿が見えてくるわけでそれは一人の人間がどう生きるべきなのか?というのを述べているものということになるんだよね。まぁケリュグマに関してはまだそんなに読んでないけど恐らくブルトマンが言ってる聖書はようはケリュグマってのも宣教のパンフみたいなもんが聖書なんだっつーところでそれが事実なのか?とか実際に蘇ったのか?とかってことより重要なのは内容でしょっつーまぁ極めて当たり前なことを言ってるにしか過ぎないってことなんだよね。

 

まぁそう考えるとこれはブルトマンが言ってるわけじゃないけど当時ドミナントだったユダヤ教と無理やりでも関連付けたほうが説得力が増すから無理やりキリストの話と旧約の話を結び付けたっていうようなね、まぁ同じような一神教の宗教として旧約の内容に説得力を持たせるために色々と継ぎはぎしたわけじゃん?

 

まぁSNS的な映えみたいなもんだよね(笑)まぁ色々な理由はあっても基本的に善のことを言ってるから信じてもらえれば倫理の書として便利だからみんなこれを信じようね!っていうような空海が仏教でやったような政治的な統治みたいな目論見は無かったにしても学が無い人間が大半だった頃には凄く有効な手段だったってことになるよね。

 

でもまぁ今は違うわけでそんな何千年前の宣伝用の部分のものまで無謬だ!なんつって原理的に考えるのはおかしいよねってことだよね。だからまぁ非神話化は必須だってことになるしまともだったらあんなの信じないでしょう。まぁ変なあり得ないものに期待をしてるものは基本嫌いだからそういう意味での宗教は相変わらず大嫌いなんだけどね(笑)だからまぁ実存的な神学というのに凄く惹かれるしプラクティカルなものを感じるんだよね。でもまぁそれってのはキルケゴール的であるしある種ニーチェ的でもあるので思えば今までの俺の思想との断絶って無くて地続きなんだよねってのはいつも書いてることだけどね。

 

ただでも信じる理由ってのをそれらしく言えばそうなんだけど面白い偶然ファクターとか「なぜか分からないけど」っていう要素はすんげーあるのよ。それは合理性とか客観的に記述できるようなもんじゃなくて超個人的な主観的なものなんだけどまぁ例えばメガテンの影響なんだけど(笑)色んな宗教の神話とかがすんげー好きになってあとまぁ天使とかメシア教はカルトチックだけどカテドラルみたいなものに異様に惹かれたりして結局読まなかったんだけど小学生ぐらいの時に恐らくベストセラーになってた小説で読む聖書みたいなのがあってそういうのを買ってたりだとかこれまたベストセラーになってた天使ブームみたいなのがあったらしくて(笑)まぁ天使が現れたって色んな話が書いてある天使の本っつータイトルの本だったっけな?信仰なんて概念は無かったけどそういうのに異様に惹かれてたんだよね。

 

あとまぁ十字架とか教会とかダークな面でも寂れた教会とかあとまぁエクソシズム的なものとかね、悪魔祓いが大好きだったんだよね(笑)聖書とクロスと聖水で悪魔を追い出す!みたいなのかっけーな!とかもうこれはなんかもうそれとしか言いようがないものが昔からあって、でもキリスト教自体はバカばっかで大嫌いだし何より極左だから権威的なものが嫌いだしそんなイメージしかないじゃん?でもまぁ色々あって最終的に帰依したんだけどそれこそ子供のころからの前触れってのがあってなんでそういうものに惹かれてたのか?っていう理由は全く分からないんだよね。

 

両親がそういうゴシックめいたものが好きだったとかそういう美術が好きでよく美術館に行ってそういうのを見ていたとかってのは全くないんだよね。ただまぁ母も妹も宗教画とか綺麗な教会とかは美術って観点から昔から好きなんだけどまぁ俺はそれだけじゃなくて中身までいっちゃったっつー感じかな(笑)

 

ただこの「なぜか」というところが究極のところなんだと思うわ。拡大解釈してしまえばこれは言わば実存でしょ。なんで?って言われても答えられないけどこういう体験とか経緯があるっていうね、唯物論的で神とか信じてない割に「神がいたとしたら俺の体を使って何か成し遂げてくれ」とかって思ってたりね(笑)まぁ凄く善の渇望というのがあってなぜか神に語り掛けていたとかってのは病気とかじゃなくて信じてない割にそういう感覚が昔からあったんだよね。

 

まぁ逆にそういう色んな前振りが無いといきなり「キリスト教に目覚めました!」なんつってここまでのめり込まないでしょっつーのもまぁそういう個人的な経緯があるんだよね。だからまぁ「これだ!」感が半端ないのもそれなんだよね。で、まぁ個人的なレベルでじゃああのときのあれはああいうことだったんだっていう説明がつくことが結構あったりっていうことだったりとかね。

 

まぁただコアはやっぱ革命よね。革命魂ね。マルクスに傾倒してたのと同じで今はイエスに傾倒してるのもその善の革命っていうところだよね。

 

ってことで続くか分からないけどとりあえず今日はこの辺で。

 

んじゃまた。