知のファスト化について。

今日も宣伝なんだけど結構色々出たんでねっつっても新しいやつっつーより過去のやつをまとめたやつばっかなんだけど。

Communicatio Idiomatum

Communicatio Idiomatum

  • 発売日: 2021/03/11
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Hallelujah!

Hallelujah!

  • 発売日: 2021/03/12
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Sacred Works 3

Sacred Works 3

  • 発売日: 2021/03/12
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ってことで何を今さら感があるけど知のエンタメというかファスト化についてなんだけどね、日本の出版ってレベル低いところが多いから知をエンタメとして消費したり長いの読むのが嫌だから超訳みたいなのが流行ったりそれを学んだ気になる薄っぺらい同人誌ぐらいのボリュームの新書とかさ、洋書が最強!とまでは言わないけど洋書のイントロダクションぐらいの分量のが普通に出てたりするじゃん?

 

まぁ俺もレベルが低かった頃はそういうのを読んで学んだ気になってたけど(笑)逆にちゃんと学ぼうと思うと専門書しかないわけでそういう意味で学問って万人に開かれてないんだよね。それこそ仏門に入るぐらいの覚悟で厳密にやらないと学問にならないわけでさ、本を売るためにはしょうがないのかもしれないけど曲学阿世を許したら終わりでしょう。

 

 

まぁこないだ書いたようにアメリカのゴミとかに比べたら日本人はマシな知能を持ってるけど本屋に行くと分かるけど分量が少ない薄い本ばっかが並んでてちゃんとしてるやつってまぁ翻訳は高くなるしそれこそ上下別れちゃったりするぐらいの分量があるんだけどまぁ無駄に長いやつもあるけどそんぐらいの長さがないと説明できないものってあるじゃん?

 

だから翻訳本も出版業界の基準になってて例えば誰かの主著みたいなのがあったりしたらそれのライト版みたいな要約版をあたかもメインにように出したりとかさ、でもそれって日本ダメだよなって思わないんだよねっつーのが昔って今の基準から考えるとよくこんな大著翻訳して出版したよなっつーようなのがあるじゃん?

 

だからなんか昔のほうが学術的な水準が高かったというか少なくとも知のエンタメみたいな厳密性に欠けるどうでもいい本がベストセラーになったりはしてなかった気がするんだよねっつってもまぁそれ言い出すとショーペンハウエルの時代でもショーペンハウエルが嘆いてたようにパンピーはくだらない本ばっか読んでて本屋に行くと吐き気がするみたいなことを言ってたけど(笑)でもそれがデフォにしてもあれなのかね、一昔前の日本人のほうがやっぱハングリーだったのかな?って思うよね。

 

一番危ないのって分かった気になるとかさ、学んだ気になるとか例えば月300冊読んでますっつって実際は薄い新書ばっかで内容が全く伴ってないようなものだったりとかっていう勘違いを産むのが一番ヤバいよね。そういうバカが多いからバカ向けの本を出した方が売れるし難しい本なんて出しても誰も読みやしないっつってその結果がまぁ書店のほぼ中身が薄い本だらけっていう結果になってるよね。

 

なんか短絡的なんだよね。色々と読むのが面倒だから「これ一冊で分かる!」みたいなのを出すのも読みたいのも分かるんだけどそれ一冊で分かったら苦労しないわけですよ(笑)だから学問の安売りっていうか切り売りなんてしちゃダメだよね。少なくともそういう矜持を出版社は持たなきゃいけないのにプライド無いのかな?って思っちゃうよね。

 

それこそネットにでも乗せればいいようなレベルと分量の対談が本になってたりとかさ、でもなんか本でそれなりに分量があるように見えるように作ってあったりすると「自分は本を読んでるんだ」っていう気にさせるじゃん?でもただの対談本じゃん!っていうさ、いや、読書って質ですよね。

 

そんな内容が薄っぺらいものを何冊も読んだどころで知は深まらないわけですよ。でも宗教とか哲学とかって難しそうで手が出ない・・・っつーところの入り口を作りましたみたいな口実で作られてるエンタメ本多すぎるよね。中には良い入門書もあると思うんだけどあくまでそれって原典に行く橋渡しじゃん?

 

なんかだからさ、なんで哲学ってものとか学問っつーややこしいものを簡単に理解しようとするのかがさっぱり分からないんだよね。大変なもんは大変なもんなんだからさ、そんなもん武術とかスポーツも一緒じゃん?このDVD見ればやれるようになります!なんて近道はないわけだよね。

 

それこそ基盤作りに何年もかかってそこから基礎を作って・・・っていうまぁ逆にすぐできるようなのを仰々しくしてるような武術というより日本の武道ってそういうの多いから(笑)そういうのはともかくすぐ分かるようになるわけないようなものを分からせたような気にさせるって一番マズイですよね。

 

本人もそれで理解してるつもりになっちゃうから次のステップに行けないじゃん?もう俺は理解しているのだっていう思い込みになっちゃうよね。そう思いたい大衆が多いからそういう大衆のために売れる本を出すんだっつー風になってるならまぁ分かるんだけどさ、知って基本プラトンの比喩で言うところの洞窟から出ることなわけじゃん?

 

でも薄っぺらい知のエンタメ本だと何がマズいのか?っていうとただの切り売りだけなら別に勝手にすればいいけど問題は「読んだ」とか「知っている」っていう意識を植え付けちゃうっていうことだよね。別に良い新書もあるんだけどさ、入門書っつってもやっぱなんだろう、例えばカントとかヘーゲルとかだったらだったら竹田青嗣 and 西研コンビの重厚な入門書とかになるわけだよね。

 

んでまぁ安易な本で「分かった」って意識を受け付けるのってマトリックス的な世界と同じでさ、ようはVR彼女みたいなもんだよね。でもVRって仮にもっと進化したとして二次元的なものじゃなくて三次元レベルの美女とVRで付き合える!なんつってもVR外すと惨めな自分が現れるわけだしそれが現実だって錯覚してる間ってVRつけてる時だけじゃん?

 

でもそれが事実だって常に思わすようなのって危ないよね。それがイデオロギーだったり洗脳だったりするんだけど適当なレベルで学問を扱ったものでもそれは起きるよねっていうのが本人がそれであたかも哲学書を読んだ気になるっていうことだよね。でもそれは偽の意識じゃん?

 

安易な出版社がバカに向けて出版したライト過ぎる本なのにそれを読んで理解したり本来は理解までに相当な時間と労力を要するものを習得したって思わせるみたいなさ、いや、例えばVR彼女って恋愛諦めきったやつとかあとまぁ見た目の問題とかもあるからオルタナティヴとしてありだと思うんだけど知の世界って地頭の差はあっても見た目よりかはなんとかなるじゃん?

 

だからまぁカントとかヘーゲルとかってクソ難しそうやな、でも頑張って理解したいな!って思うのがようは自分を磨くってことじゃん?理解できるようになるまで知を磨くとか恋愛でもモテなくてもモテるように頑張る!とかっていう日々の生活の中で切磋琢磨するっつーことになるわけだよね。

 

 

まぁ誤解の多さっていうかこないだ言及したふしキリじゃないけどこういうのってキリスト教だけじゃなくてイスラムもそうなんだけどイスラムはまぁ過激派のせいもあって世界的に誤解されてるっていうのがあるからまだ分かるにしろ一応宗教学とかもやったりしてる人間ってのがその誤解を広めるってのと知の世界で一番やっちゃいけない「分かったような気にさせる」ってことを率先してやってるってのがモラルハザードだと思うんだよね。

 

良い入門書って「こんなんで分かった気にならないでください」っつって今後の学習を促すようになったりしてるじゃん?それでこその入門書なのになんつーかあれよね、知のファスト化だよね。ファスト学問っつーさ、邪道もいいところでしょう。

 

啓蒙と真逆なんだよね。バカはバカのままでいいっていう風にバカに麻薬を与えるようなプッシャーみたいな役割を果たすものなわけでさ、バカだったけど「ハッ」と目覚めさせられるようなものじゃないとダメじゃん?

 

「お前らにはこんぐらいのもんでいいだろう」って読者舐めすぎだしさっきも書いたけど倫理の問題よね。大澤のほうは橋爪に聞く側みたいだけどこれまだクソみたいな本のゆかいな仏教だか仏教をまた適当な知識で語ってるやつも大澤も大概なのが「凄く生に積極性を与える理解で素晴らしいですね!」なんて言ってるところだよね。オイオイと。

 

それは橋爪の仏教理解なんであって本来の仏教じゃないじゃん?で、そんな勝手な解釈はマズイって普通思うわけじゃん?アカデミシャンならね。それが作法でしょう。でもまぁなんか利害関係とか先輩だからおだてるみたいなのもあるのかもしれないけどそんな厳密性に欠ける適当な理解とか物言いっていうのに何も感じないってのがアカデミシャン以前に人間としてどうかと思うよね。

 

だって事実ってのがあるわけじゃん?連立方程式とかなんでもいいや。計算が煩雑なやつを「こうすれば簡単に計算できるんだよね」っつっててさ、でも計算方法が根本的に間違えてるんで正しい答えが出ないってものに対して「それなら煩雑な計算を楽に処理できて便利ですね!」って言ってるようなもんだよね。いや、ちゃんとした解が出ないものはそもそもダメでしょっていう(笑)

 

そんなもん人文とか関係なく学問の厳密性って数学と同等なものじゃないとぶっちゃけ全く価値が無いといってもいいと思うんだよね。まぁこういうところが理系から文系がバカにされる理由でもあるよね。そんな適当であやふやな定義づけで学問なんてちゃんちゃらおかしいってのも言えなくもないところはあるっつーところだよね。

 

何しろ間違って計算方法でただ「分かりやすくて計算しやすいから」なんつー理由でそれを流布させるとかさ、いや、単純化させてちゃんと計算できるようなものならいいですよ。ただまぁ概念って一概に単純化させればいいものじゃないからそういうののファスト化ってのが良いとは言い切れないけど少なくとも事実があってればそれはいいと思うのよ。でも事実が間違ってるってヤバ過ぎでしょ。

 

歴史認識とか計算式の概念が間違えてて答えも間違ったものが出るものってのが素人の自費出版ならともかくちゃんとした出版社からしかもトンデモっぽくない真っ当だと思ってたような学者がそういうのを出すってのは酷いことですよ。まぁ橋爪も大澤も自分のメインの領域ではそんな適当なのを適当な本ですらもそんな言い方はしないと思うんだけどキリスト教程度だったらいいやっつー感じでやってるならなおさらそんな雑なキリスト教の扱いするな!って話だよね。

 

ただまぁそんな作法でくだらない本とは言え出版するってことは普段の学問の姿勢も疑わしいものになるよね。そんな適当なやり方をしてるやつの話とか研究なんて信用できないでしょう。

 

ましてや宗教ってデリケートなもんじゃん?こないだイスラムのことで書いたけど今って強制グローバル化の時代なわけでちょっとした勘違いが信者の怒りを買う場合もあるわけで「それは勘違いしてました。すみません」で済む話でもないわけでさ、そういう意味で生活の密接に関わる宗教に置いてそういう適当なものがベストセラーになるっつーのは本当にヤバい現象だよね。

 

まぁもちろんふしキリとか他のバカ二人コンビが書いたっつーか放談してる本はまともな人からもようはアンチキリスト側からもキリスト教信者側からもぼろ糞に言われてるから読者のリテラシーレベルが低いって言ってるわけじゃないのよ。読んだ人全員が鵜呑みにするほどバカじゃないんだけど問題なのは鵜呑みにするやつもいるでしょってことなんだよね。

 

知的に緩いやつに麻薬みたいなのを与えるなってことだよね。まぁただそういう麻薬を与え続けるコラプトした出版社っていうことがありつつも難しいのは結局商売だから需要があるところに供給を与えて何が悪い?ってことだよね。

 

ファストファッションは倫理的にマズイからちゃんとしたところで買いましょうってことになると値段が高くなるっつーのも知の領域で言えば書籍の値段とかじゃなくてそんな知的に緩い本ではなくてちゃんとした真面目な入門書を買いましょうっていうとようはファストファッション以外のちゃんとしたところで買うっていう場合の金銭的負担と同じようなものが読者にかかるってことだよね。まぁそれが時間と労力ってことだわ。

 

でもそんなの払えないからファストファッションでいいって選択している人に「それはダメだ!」とは言えないもんね。供給する側も必要としてる連中がいっぱいいるっつーんで供給するってのは商売だからしょうがないってところはあるよね。

 

バカ用に緩い本を出すセクションと学術的に堅気なものを出すセクションとって同じ出版社でもそれこそ胡散臭いスピ本とかを出しながら一方でちゃんとした本も出すなんつーところもあるわけでそれはバカが課金するスマホゲーみたいなのを金儲けとしてやりつつちゃんとしたものを作るゲーム会社ってのもあんまり無いと思うけど(笑)

 

恐らくなくはないだろうっていう意味でそれ言い出すとテレビのチャンネルみたいなもんだから例えばキリスト教を勉強しようと思ってテレビ伝道師の話を永遠と聴くのかちゃんとした本を読んで勉強するのか?ってまぁどのチャンネルに合わせるか?っていうチョイスなわけでそのチョイスを強制することはできないよね。

 

テレビ伝道なんてやめろ!なんて言える権利もないわけだし結局何が間違ってて何が正しいか?っていうのは読み手のリテラシーに関わることだからバカが事実だと勘違いするからフェイクニュースとか恣意的な並び替えをするまとめサイトとかをやめさせろ!とも言えないわけだもんね。

 

それ言い出すとクソみたいな商業音楽の塊みたいな今のコラプトしたJ-POPは配信禁止にして音楽を聴くなら3割ぐらいは強制的にクラシックとかジャズを聴かなきゃいけない!なんて強瀬もできないもんね。まぁそれってヒップホップだったら今の洋楽チャートに入るようなクソみたいなセルアウトしたヒップホップを聴くんじゃなくてオールドスクールからちゃんと聴いて・・・みたいなのってまぁヒップホップ蘊蓄おじさんにもなりかねないわけで(笑)黙ってろよおっさん!って言われたら終わりっつーかさ、別にそんなの聴く側の自由だからね。

 

だからふしキリとか他のファスト学問本に話を戻すとそういうのを読んだりするのも自由だし知的に下痢とかビッチのアソコぐらい緩いものなんてのは腐るほどあるからなんでふしキリがそんなディスられなあかんの?ってことにもなるよね。まぁ橋爪と大澤はちゃんとしたキャリアがあったはずなのに完全に信用を失ったっつー損をしただけで(笑)勝手に自爆しやがったなってのと出した出版社も信用を失ったっつーことなだけでそんな騒ぐ話でもないだろうとも言えなくも無いよね。

 

まぁその辺は俺はぶっちゃけどうでもいいと思ってるんだけどね。まぁただあんなに酷いと思わなかったっつー衝撃があったから色々書いてるんだけどまぁこの任意のチャンネル問題ってまぁ突き詰めればケツの穴が小さいっていうかまぁ掘られてただろうから実際は緩いかもしれないけどアラン・ブルーム的な「今の若者はワーグナーやベートーヴェンを聴かずにCDの棚にはロックとかパンクのようなくだらないものばかりがあってけしからん!」みたいなことにもなりかねないっていうかまぁ教養主義みたいなのを極論化すればそういうことになっちゃうよね。これは相当うざいよね(笑)

 

くだらない映画の知識があまりなくてアレだけど映画っつっても色々で古くて恐縮だけど踊る大捜査線もあれば去年、マリエンバードでも同じ映画なわけで、ただ何を見るか?なんて個人の選択だからようは俺が言ってることって知の分野は聖域なんだからそんなくだらない本を出すんじゃない!って言ってるのとほぼ等しいわけでさ、くだらない映画を作るんじゃない!なんつーことと一緒だよね。もっと昔のタルコフスキーとかブニュエルとかヌーヴェルバーグを見ろ!なんつーのもアラン・ブルームのそれと全く変わらないよね。

 

でもそれで言うとそもそも事実が間違ってるっつってもまぁ有名な出版社で有名な学者がそういうのを出したっつーのにふしキリの色々ある問題の一つがあるとしても事実が間違ってる本なんて腐るほどあるだろうし映画にしたって歴史的事実に基づいてるなんつってもモロにアメリカ寄りの愛国映画だったりアメリカの侵略戦争とか虐殺を正当化するように作られたようなエンタメプロパガンダ映画って腐るほどあるわけだから事実を曲げてしかもそれを信じさせるってのはゲッペルス的な伝統から言ってもあらゆる分野で存在するからそれを止めるのは無理だよね。何しろ表現の自由があるからね。

 

でも誤った歴史認識とか数式が書かれた本を書店に並べるのはマズイだろうっつってもまぁそういうはあるからしょうがないとしかいいようがないよね。というかそんなのに怒ってたらキリないっつーかね(笑)書店に薄っぺらい本が並ぶってのも需要と供給の結果なんであってしょうがないわけだよね。まぁそれがさっき書いたファストファッションと同じなんですよね。

 

まぁあとちなみに今読んでる学術書ではないんだけどジャーナリストがイスラム体験とかについて書いてる本があってまぁそれこそ適当に書くと(笑)そのジャーナリストは熱心なムスリムではないんだけどまぁ興味があってムスリムの師匠みたいな人がいたんだけどその人が言うに大抵のイスラム教徒はコーランを読んでないって言うんだけどまぁそうだろうなって思うよね。

 

イスラム教徒っつーととりわけ宗教に熱心な感じがするけど別にイスラムでも国がイスラムの法学とかを元に形成されてる国とかならともかく別にムスリムでも色んなルールを厳密に守ってる人ばかりじゃないわけで何々教徒は酒を飲んではいけないとか豚を食べてはいけないなんつっても食生活は無宗教の人と全く変わりないし律法だらけでも全く守ってないから一応信者だけど全然無宗教の人と行動原理が変わらないなんつー人も多いのはどんな宗教も同じだよね。

 

キリスト教徒がキリスト教について厳密に学問的に歴史的背景を理解して福音に対して深い理解をしてるか?なんていうと逆にそこまで熱心な人なんて珍しいでしょう。そういう家庭に育ったから一応クリスチャンだけどあんま聖書とか分かんないなんて人がいても全然おかしくないしむしろ今の時代に宗教的に敬虔に生きるなんてある意味マニアックで特殊なわけでさ、普通まぁそんぐらいのカジュアルさだと思うんだよね。で、それは良い悪いで計れないっていうね。

 

まぁ結局、特に言うことはないってことになるんだけど(笑)ただまぁふしキリに見られるような日本ではドマイナー宗教に関する扱いの雑さってのは強制グローバル化社会にとってはなんの得にもならないしなんであんなのを信じてるのか分からないっつってもキリスト教だけではなくてムスリムとかユダヤ教とか他の宗教も含めると分からんけど3分の1は言い過ぎかもしれないけどまぁ近いぐらいの数が恐らくなんらかの宗教を持ってたりするわけで無知じゃ済まされないって話なんだよね。

 

あんま外部と関わり合いが無かった過去なら良かったかもしれないけどこないだのムスリムのことでも書いたけど他国との距離が近いじゃん?今って。だからこそ結局、宗教的なことに無知か相当扱いが雑ってことになるとサイード的なオリエンタリズムにもなりかねないってことなんだよね。帝国主義かどうかはともかく自分は日本人なんだから関係ないっつー考えで宗教を雑に扱うというのはポリコレ的に相当マズイってことなんだよね。

 

まぁそれが結局他国とか宗教を信じてる人への偏見とか差別にも繋がるじゃん?まぁようはちゃんとしたリベラル感覚を持つにはある程度の理解とか寛容さってのが不可欠になってくるってことなんだよね。それが無さ過ぎるとネトウヨみたいなクズみたいな価値観を全部じゃないにしても部分的にネトウヨと共通するような宗教的なものへの偏見ってのを持つことになるんでそれは認識のある部分がネトウヨ並に腐ってるってことになるわけだからそんな毒を持っちゃいけないってことになるよね。

 

だからまぁ結局それは最低限特に今と今後の時代に持っていけないとダメなリベラリズムの話になるんで、そういう意味でそういう時代と逆行するようなふしキリみたいな本は放っておいていい本ってことにはならないんだよね。

 

あんまり重要性の差をつけちゃいけないと思うけどやっぱり宗教とか歴史みたいなデリケートなものに関してまともに見える学者が適当なの出しちゃいけないよね。小林よしのりみたいに明らかにバイアスがかかった人間が本を出すのは表現の自由でいいんだけどまともと思われてた人間が宗教のトンデモ本を出すとか、知識人の役割とか責任っていう自覚がないんだろうか?って思っちゃうんだよね。

 

さっきも書いたかもしれないけど橋爪はあんなひどい本を出しておいて教養の重要性を偉そうに説いてるような本出したりしてるしね。知的に誠実じゃない人間がよくそんなの出すよなっていうところだよね。

 

トンデモ本出したから一気に信用を失うっていうとそうでもないのがやっぱりキリスト教に関する扱いが雑だからなんだよね。本業の社会学であんな適当な本を出したらさすがにあんだけの大御所でも干されると思うけどそれっておかしいよね。なんで本業の社会学では緩いことをやらないで一応本人もやってるだろう宗教学ではあんなに適当なものを出すのか?っつーところだよね。

 

そのそういうのが出たり需要があったりっつーところはある程度しょうがないって書いたけどそれはそうなんだけどああいうデリケートな宗教に対する扱いの粗さが顕著に出てるものだと思うんだよね。まぁそのさっきのジャーナリストの本ってまぁ貼ったほうが早いから今貼るけどってまだ全然途中なんだけどね。

コーランには本当は何が書かれていたか?

コーランには本当は何が書かれていたか?

 

特に「これこれ!」って思うのが著者がね、それこそ知的レベルが高くてリベラルで博識な人がイスラムに関してはとんでもない偏見と誤解の元での理解をしていて例えば平気で「テロリストの宗教だ」とか「中世で時が止まったオワコンの宗教だ」とかって言ったりするっつーところなんだけど欧米の場合、キリスト教離れは凄まじいにしてもまぁキリスト教がデフォの国が無いからキリスト教にはそこまでの偏見と誤解はないにしてもイスラムに関しては凄まじいんだよねっつーのはもちろん分からなくもないんだけど恐ろしいのがその人の知的レベルとか政治的立場がリベラルだとかっていうところ関係なく平気で偏見を元に色々言っちゃうっつーところなんだよね。

 

まぁ橋爪大澤コンビもそんな感じなんだろうなって思うんだよね。同じ学問なのに本職の社会学は聖域みたいに考えててキリスト教とか仏教なんてどうでもいいから放談レベルにしておくっていうね、これもまぁ誤解と偏見だよね。しかもある程度知識がまともな人が平気でそういうことをやってしまうっつーところだよね。

 

需要と供給の話をすると低俗な本を求める層がいてそれをProvideするプッシャー側っつー関係は商売である以上しょうがないっつーレベルの話なんだけど知識人層レベルでそういう扱いの雑さってのがあっちゃダメだろうって思うんだよね。

 

まぁしつこいようだけどそれが誤解と偏見をさらに生んでこれまたしつこいようだけど強制グローバル化社会の中で多文化との軋轢を生むわけじゃん?相互で理解を深めなきゃいけないのに誤解をさらに広げるようなものを有名な学者が放談で出すっつーのは本当に倫理的にアウトよね。

 

なんつーのかな、宗教の中の人になりつつある俺として思うのはマーク・テイラーの神の後にって本の序文だか最初のほうにも書かれてるように今ほど宗教が色んな意味で重要な人々が無視できないものになっている時代というのは今まで無かっただろうみたいなことを言ってるんだけど。 

神の後に I: 〈現代〉の宗教的起源

神の後に I: 〈現代〉の宗教的起源

 

 それは良い面悪い面っつーよりかは一部にせよヤバいアメリカの福音派とかイスラムの過激派とかが無視できない存在になってるどころか世界の問題になっていてそれが宗教絡みだっつーところなんだよね。でも報道だけ見ても「とち狂った宗教だ」としか思えなくてコーランを読んでみよう!なんてまず思わないわけでさ、まぁそれは聖書然りなのかもしれないけど自分が信者かどうか?っていうのは別にして宗教を理解しないと世界が見えてこないっつーところなんだよね。

 

それは世界情勢という意味での世界もそうだし自分らが生きている世界という意味での環世界という意味でもそうなんだよね。まぁ本当にこれはグローバル化の産物だと思うんだけどね。これまた繰り返しになるけど距離が近いから地理的に遠くてもほぼ隣人みたいなもんだから隣人に関してあんまり分からなくても完全な無知ではいられないだろうっつーところだよね。

 

だからこそまぁ結局「知」の重要さなんですよね。それが生活とか政治とか寛大なリベラリズムとか多文化主義とかっつーのに必須というかね、逆に無知が生み出すのは悪い意味でのネトウヨ的な民族主義とか自分の国の基準が価値の中心だ!みたいに考える危険な思想とかね、まぁリベラリズムなんて今の時代のデフォだろって思うんだけどリベラルでいるためにはある程度の知を必要とするってことなんだよね。

 

その知の欠如がネトウヨみたいなクソとかアメリカの全く他の国のことを知らない田舎の福音主義の連中とか、まぁようは何かと問題を起こす厄介な人たちってのは大体その知が欠如してるってことじゃないですか?俺が言いたいのは価値観として知やリベラリズムは大事!ってことじゃなくて不毛な争いごととか偏見による文化の軋轢とかを産まないためにも知は必須!ってことなんだよね。啓蒙がデフォ装備じゃないといけないっつーかね。

 

まぁそれも俺が宗教を勉強し始めたから見えてきたことなんだけどね。元々そういうのは自明だけど改めて宗教的に無知ということを自覚するとすんげー誤解してたなとかっつーのが分かるわけじゃん?あとまぁよくキリスト教を知らなければ西洋の歴史は理解できないって言われるようにやっぱ歴史理解が深まるよね。それまではなんだか意味不明の宗教の争いごとで何百年ってずーっと戦争してきたっつーイメージしかないんだけどそこに知識が加わると全然見え方が変わってくるっていう、んでその変わってきた見え方が今の自分の認識に直結するから世界の見え方も変わるってことなんだよね。

 

長くなり過ぎたからこの辺でやめるけどまぁそんな感じですね。

 

ってことでんじゃまた。