躁鬱!奇想天外さんへの返信。その2。

躁鬱!奇想天外

 

 

耳セミさん返信ありがとうございます。へえー中国語てめっちゃ豊かなんですね。漢字しかないんでそんな表現できるんだ!て感じで意外でした。なんか結構前にライ麦畑でつかまえてをコミカレで読むことがあってーみたいな話を耳セミさんが書いてたような気がするんですが、あの作品は日本語だとわりとナヨナヨした雰囲気を感じますけど原語版だったらそういう雰囲気とかはなくなってるのかなーと思いました。

 

 

「文学」そのものの感じが変わるというか。日本語て複雑でなんでこんなガラパゴス原語が母語なんだー!と思ってましたが耳セミさんの話を聞いて情報量多いならいいか、と思いました。

 

 

前から気になってたんですが、耳セミさんは代数やらよくわかりませんがハードコアに数学を勉強されているという印象を受けます。そんな耳セミさんでも受験数学て難しいんでしょうか?わたしは数学系のエントリー見てて受験より難しいことしてるなー、と思ってましたよ。

 

 

具体的にいえば日本の受験数学に数3という理系しかとらない分野があるんですけど、複素数平面やら微積やら数12をちょっとミックスしてガワだけ難しくしたみたいな感じで。でもこれってほとんど計算問題みたいなもんでわりと簡単なんですよね。

 

 

それよりわたしが難しいと思うのが数1の場合の数やら確率で。耳セミさんも受験勉強やられてたと思うんですが、受験数学だとこの分野がムズイとかってありましたか?

 

 

耳セミさんのアメリカ時代のエントリー見てるとめっちゃ青春だな!と思うんですけど、あんまり行ってなかったんですね。今読んでもすごく輝いてますよねニューヨーク時代。読みながらめちゃくちゃ憧れてましたよ。たしかロシア系の可愛い女の子と親しくなったみたいなエピソードあったと思うんですけどリア2000?みたいな名前の人とかと連絡取り合ったりはないんでしょうか?なんかちょっと前にコミカレ時代の人と神社に行ったみたいなのは読んだんですが。

 

 

なんかニュヨーク時代の話だけで本書けそうじゃないですか。読んでみたいなあと思ったり。私は医療系の大学に進もうと思ってるのですがまあ理系て科目が多いのがなあというか。理系なのにセンター試験で社会とか国語はまだいいとして古文漢文はいるのか?と思います。

 

 

日本の偉い人でもそんな数1で十分、みたいなこと言ってたんですか。でもあっちてペーパーが簡単な分面接を重視してる印象があります。ボランティアをしとかないといけないとか。それと比較すると日本の入試はアメリカ式にだんだんとなってきていますがまだペーパーだけで入れるのでいいのかなあとおもったり。医学部は国立私立関わらず面接導入されましたが・・・と長くなりましたがお願いします。

 

躁鬱さんお返事ありがとうございます。

 

コミカレで読んだというか英語のクラスで強制的に読まされたのはグレートギャツビーですね。ロバート・レッドフォードとミア・ファローの映画版まで観させられてこれがまた退屈極まりない天然の睡眠薬みたいな映画でしてクラスメートの半分以上が寝ていたという(笑)ただおかげで内容は細部まで覚えてますね。ただまぁあれはアメリカ文学なので翻訳は読んだことありませんが言うまでもなく英語で読むのがベターでしょうね。

 

あ、んで受験数学なんですけど受験数学自体がどんなものかは見たことありますけど取り組んだことは全くありません。帰国後にごり押しで日本の大学の数学科に入ろうとしてたので色々と調べてはいたんですが今の仕事の立ち上げみたいなのをやることになって入学が無理になったのでそれ以来必要が無くなったのでそういったものに取り組むことは無くなりました。

 

で、独学でやり始めてなんかのきっかけでブルバキに出会ってようは自分が数学に目覚めた集合論とか数学基礎論的な感じのちょっとニュアンスは違うかもしれませんが構造主義的数学って言うんでしょうかね。とにかくブルバキに衝撃を受けてぞっこんでブルバキやブルバキメンバーの本ばかり読むようになったので所謂受験でやるような無意味な計算とかは一切やらずにというかやる必要が無く、まぁ本当の数学って数字っつーより記号ですからね。

 

そういう意味で完全に概念の世界ですね。当然何メートル先の何々を図るには・・・みたいな文章問題もないので所謂数値を出すみたいな計算のものはやってないし正直分からないですね(笑)考える意味が全くないので動機づけが無いから興味がないというのが大きいのですが文章問題と答えが書いてあったら当然概念は理解できると思いますが問題を解けるか?っていうとやったことがないので解けないと思いますね。

 

こういうのって数学以前の傾向と対策で「こういう問題が出た場合、こういう風に立式して解く!」っていうのを予備校とかで数学というより筋トレみたいな感じでやるわけですよね。超優秀な人は勉強しなくてもできるし、あと東大とか京大になると単純な暗記と傾向と対策だけではなく数学的思考力を必要とされる難問が出るので、最高学府の受験は本当にエグいなと思いますけどね。

 

数学科の教授陣が最高学府レベルの受験数学を解けるのか?っていうと結構微妙だ・・・みたいなのをなんかで読んだことありますね。それは知的レベルとか知識というより受験数学用の勉強が必要ということなんだと思いますね。なので僕はその経験がゼロなので分からないとしか言いようがないという感じです。

 

なので受験数学について聞かれても何も答えられないというのが正直なところなんですが、個人的な雑感だと躁鬱さんがおっしゃる割と簡単とおっしゃっているもののほうが僕としては厄介で、逆に確率になると数学はできないけど確率はできるという人がいるぐらいなので、あれはまぁ別な意味で概念的なので向き不向きか、あとは慣れの問題だと思いますね。

 

確率で言うとコルモゴロフの「確率論の基礎概念 」という本がさすがコルモゴロフ!という感じで鬼分かりやすくて確率に目覚めたのもコルモゴロフの本があったからといっても過言ではないぐらいでした。で、こんな明晰な入門書を書ける人なんだからってことでぞっこんになって「Introductory Real Analysis (Dover Books on Mathematics) 」という本も買って解析も好きになりました。ただ解析はブルバキが分かりやすいのと、すでに分かっていたということはあるんですが何冊も入門書の類を読んでみるというのは初学者にとっては良いことなので色々読み漁りましたね。

 

ブルバキメンバーであるデュドネの解析学シリーズは特に受験数学でやるようなエグイ汚らしい解析のごちゃごちゃさが無くて、それこそ代数的というか、数式から構造が見えるような芸術作品といってもいいぐらいの本で、いまだに大好きな本です。ブルバキにハマってきたときに明倫館の通販で英訳がセットで売っていたので高かったんですが買いましたね。こんな美しいものは滅多にないので自分の宝です。

 

どのデュドネの文句の付け所が無い美しさを参考にして書かれた解析学のテキストがヨストの「ポストモダン解析学」です。序文にデュドネの解析学の影響を受けざるを得なかったというように書いてあります。実際これも美しい説明がなされていて凄く読みやすい本でした。

 

あと美しさで言うとSaunders Mac LaneのAlgebraも凄まじいものがありまして、学校でやらされる煩雑な誰でも嫌いになりそうなごちゃごちゃした数学とは異次元の美しさと抽象度を誇るもので、押し付けがましいかもしれませんが、僕がやってきた数学というのはこういうものばかりなんです・・・ということを伝えたかったので例をいくつか出しました。

 

別に「俺がやっているのは最初から高等数学なのだ!」みたいなマウンティングをしたいわけではないので(笑)単純にごちゃごちゃしたのが嫌いで、すっきりした集合論的で構造的なものが好きという感覚からそうした記述が成されているものを中心に勉強してきたという感じですね。

 

ちなみに僕が数学で挫折したのはアラン・コンヌのNoncommutative Geometryとかの最終的にやりたいと思ったTopological Quantum Field Theoryというのがあったんですが、僕的に考えると極めてブルバキ的であるベクトル空間とか多様体とかそういう世界の話でブルバキのメンバーでもあったグロタンディークの代数幾何とかっていう構造的な代数っていうんですかね。そういうのが好きで割とやれるので構造的な代数のごり押しで
いけないか?と思ったらTopological Quantum Field Theoryはなかなか曲者で(笑)やってるうちに毎日頭を使い過ぎるもんで鬱っぽくなる傾向になり始めたのでやめたという経緯があります(笑)

 

Noncommutative Geometryはアラン・コンヌのページからPDFでダウンロードできるんで興味があったら読んでみてください。

 

http://www.alainconnes.org/en/downloads.php

 

主に挫折したのは「Noncommutative Geometry, Quantum Fields and Motives」ですね。それがQuantum Fieldsとかになると自分的に難しくなってくるんです。

 

ちなみに当時熱心に取り組んでいた本は「Quantum Fields and Strings: A Course for Mathematicians」という本ですが編集がグロタンディークに師事したドリーニュという怪物で、そう思うと自分が取り組んでいたものはブルバキに始まりブルバキに終わるというぐらいブルバキ周辺関連だったわけなんですが圧倒的な知の壁というのを感じてしまい無理だと思いましたね。Topological Quantum Field Theoryはジェイコブ・ルーリーというこれまた凄まじい天才なんですが、ルーリーに心酔して手に入る本や見れる講義は何回も見ましたね。ただあくまで僕が見ていたのはイントロダクトリーレベルなのでそれが高度になってくると当然、どんどん難しくなってくるということですね。

 

あとあまりに抽象度が高くなると「何を」やっているのか分からなくなるんですよね(笑)それが観念的に確固たる実体がある数字とか分布とかではなくなんたら空間のなんたら位相といったような理論のまた理論みたいな感じになってしまってそれが実存レベルにまで落ちてくると自分の存在意義が分からなくなるといったような負の連鎖に繋がるんですよね。単純に僕の知性と才能の限界だったわけですが。

 

www.youtube.com

 

ルーリーの「Higher Topos Theory (AM-170) (Annals of Mathematics Studies)」にも必死で取り組んでいました。PDFはハーバードから直接落とせます。僕が頑張ろう!と思ったので本を買いましたが(笑)

 

http://people.math.harvard.edu/~lurie/papers/highertopoi.pdf

 

あとは数学基礎論的な話とかはManinの「A Course in Mathematical Logic for Mathematicians (Graduate Texts in Mathematics (53))」なんかがドツボでして、Maninは絶妙な哲学的感覚と数学的感覚の境を持っていてめちゃめちゃハマったんですが、これまた内容が高度で抽象的で何時間か集中して読むと甘いものを永遠に食べてしまうというような、脳のエネルギーの消費が半端ない感じで、これも読破せずに半分ぐらいのところで挫折しましたね。数学の本は読むのに時間がかかるのとサラッと読むということが不可能で、一個一個を理解していないと次に進めないので大変なんですよね。

 

あとは同じく基礎論の分野であるSaharon Shelahの「Classification Theory for Abstract Elementary Classes (Studies in Logic: Mathematical Logic and Foundations)」にも取り組んでいました。これもまぁ永遠と甘いドーナツが必要となるような本ですね(笑)

 

で、色々と手を出して模索しつつ挫折した後に、でも数学やりたいからっつって数学寄りの物理学をかじってみたりした後、例えばArnoldの「Mathematical Methods of Classical Mechanics (Graduate Texts in Mathematics, Vol. 60) (Graduate Texts in Mathematics (60))」なんかを決行じっくり読みつつ、金融工学に興味を持ってウィルモットの本なんかで金融工学を勉強したりなんかして、まぁようは数学が物理現象や金融という現象を記述できるんだなという、逆に物理から入ってれば物理現象を記述するための数学なので自明ではあるんですが、所謂集合論や数学基礎論といったような純粋数学から始めた自分にとっては新鮮で色々とハマったわけなんですが、んでこれで行きついたのがマンデルブロだったりしてこれはこれで凄く面白かったんですが、金融工学をやれば金融工学が分かるようになると勝手に思ってたら、まぁタレブの著書などの影響もありますが、スタンダードとされるモデルがインチキでだからまぁブラック・ショールズとかも散々批判されたわけで、リーマンショックの原因も金融工学への理解の浅さがあったていうものもあったりして、まぁようはランダムなんですよね。

 

とは言っても理論そのものがインチキなわけではなくて、例えばウィルモットは元は流体力学を専攻にしてたんですが金融工学に類似性を感じて金融工学に転身したんですが、こういう別な物理現象に似たような数学が対応する・・・といったような普遍性に魅力を感じたんですよね。ウィルモットの本は4冊のボックスセットがあってそれで勉強しました。「Paul Wilmott on Quantitative Finance 3 Volume Set (2nd Edition) 」ですね。

 

あとはまぁほんの一部ですが、大体こんな感じの本で勉強しました。

 

Fractals and Scaling in Finance: Discontinuity, Concentration, Risk. Selecta Volume E

 

Methods of Mathematical Finance (Stochastic Modelling and Applied Probability)

 

Derivatives: Models on Models (The Wiley Finance Series)

 

The Complete Guide to Capital Markets for Quantitative Professionals

 

Principles of Financial Engineering (Academic Press Advanced Finance Series)

 

Principles of Corporate Finance (The McGraw-Hill/Irwin Series in Finance, Insurance, and Real Estate)

 

よくチャートだのなんだのとかって言いますけど数学分かってない人がよく言うこの勢いで患者数が増えて行くと1年後にはこうなっているみたいな全く条件や今後起こり得る病気への対策なども無視して現在の条件で単純計算して「何年後には・・・」とか平気で言う数学音痴がいるんですが、マンデルブロ的な発見だとというかそこまで行かずに確率の基本でもありますが、確立自体はそれ自体が独立していて完全にとは言えませんしこれも条件次第なんですけど前の事象の影響を受けないんですよね。独立が独立でないかで内容が全然変わってくるんですが、あとはまぁ普通のモデルで使われる正規分布よりも株はべき分布のほうがふさわしいのになぜか正規分布を使われているというのも、カオスを想定してない呑気な観点ということなんですよね。

 

別にでもこれって日常生活で当たり前で今までの観察から今後はこうなっていくだろうなんていう呑気なもんではないですよね。ロックだかヒュームだか忘れましたが、タレブの本によく出てきた例だと思うんですが、それまで可愛がられていてたらふく食べさせてもらえている鶏は毎日生きているので死ぬまでたらふく食えるだろうとそれまでの経験則からはそう思うわけですが、食用なので(笑)ある日、鶏が全く予期せぬタイミングで絞められて食肉に加工されるというようなことですよね。

 

俗流金融工学が呑気なのはマンデルブロが言うような株といっても株だけで話が済むわけじゃなくて気候や政治やテロがあったとか何かがいきなりダメになったという予測がつかなかったこととかも含めて変動するのでようはフラクタルとかカオスってことなんですよね。

 

乱暴に言えば人間の認識や学問をする上で正規分布のほうが認知的にも整合性があるように思えて便利なのでそれがデフォになっていますが、実際は自然はべき分布であるっていうところですよね。確率論的にトートロジーになりますがフラクタル分布的とかレヴィ過程的であるとかっていうことです。

 

今回のコロナとかでもコロナを予測できた人がいるわけないので普段は株でブイブイ言わせている人も相当損失があったと思うんですよね。それでもアルファを求める!みたいなのは所詮ロマンだなと思って急激に冷めてしまい(笑)金融工学もやらなくなってからはあんまり・・・って感じなんですけど、ただまぁ数学的認識とか思考は結構身についたと思うので凄い武器になってるとは思うんですけどね。

 

まぁこれが大雑把に書いた自分がやってきた数学の遍歴でした(笑)下手に数学科なんて進んでたら撃沈していたので結果的に数学科に進学しなくて良かったなぁなんて思っていますけどね。なんだかんだで金融工学に行って冷めるまでにアメリカで数学に目覚めて数学に専攻したという完全なる初期を入れると合計で5年以上はやってたと思います。

 

あ、んでアメリカの大学の話になるんですけど大学は行かないと強制送還になるので(笑)出席は必須で、ただ学校には行って授業も全部当然義務として出ていたけど授業の合間合間とかに学校の勉強をやらずに読書をしていたということですね。ただまぁ人生初の大恋愛があったり、まぁようはリアルな恋愛ですね。

 

そういうのを経験したのはアメリカでしたしその辺のハリウッド女優なんかよりよっぽど美人の誰もが二度見するようなリア2000なんかと仲良くなれたりして、まぁただ彼氏がいるって分かったときだったか忘れましたけど失恋でビールを5リットルぐらい飲んで失神するように寝て吐いて・・・みたいなことがあったのもまぁ青春っぽいですね。

 

ただまぁ今思うと凄く可愛いと思える女の子との出会いが多くて好意を寄せてくれていた子も多かったのに当時は今みたいな気質ではなくまだまだ内向的だったので全然攻めに転じられなかったんですよね。俺は哲学を勉強するから恋愛の時間などない!なんていう言い訳もしてましたが(笑)ただ臆病だっただけですね。

 

帰国後はエゲつないぐらい当たり前ですけど出会いが無いので今の自分だったら色んな女の子にアタックしてただろうに・・・っていう後悔もありますが(笑)出会いの機会とかも失って気づくもんなんであってまぁしょうがないですね。ただおっしゃるように凄く青春していたと思います。SOHOのスタバに籠って読書!なんてのもなんか洒落てますよね(笑)読書の場所がそこだった理由は日本のスーパーがある場所が近くて帰りにスーパーに寄って食料品を買って帰れるからっていう理由だったのと、一番奥の席の自分の勝手な特等席と呼んでいた場所が完全な死角になっていて店員とも店内の客とも目が合うことがなかったので読書に集中できたという理由ですね。

 

ところで医療系の大学に進もうとのことですが医療系も今はどうかは分かりませんけどやっぱりまぁ手堅いのかなって印象があるのでいいんじゃないかな?って思いますね。ちなみにアメリカの大学は底辺のコミカレしか経験してなくて、それこそ一流大学とかハーバードみたいなところだと高校の時の素行の良さとかボランティアの時間とか何か誇れることとかまぁ徹底したエリートな感じなんで僕はよく分からないですね。

 

そもそも学校の入試のためにやるボランティアってボランティアじゃないじゃん!とかって思ったり(笑)ただまぁ躁鬱さんがおっしゃるように、日本の一流大学とかも勉強すれば入れるのである意味で万人に開かれているしチャンスと言えばチャンスですよね。今後学歴社会がどうなるかは別としてやっぱり一流大学卒っていう免許みたいなものは強いですからね。

 

ブランドみたいなものなのでゲットしておいて損はないし、逆に日本の大学なんてブランド的な価値ぐらいしかないと思うし、一部の東大とか京大を除いてはあまり差があるようにも思えないんで世俗的に通った名前の大学か、あとは「医大出てます」って言えるっていうメリットとかもあると思うので受験頑張ってほしいとマジで思います!

 

なんかちゃんとした回答になったかは分かりませんが(笑)ただ数Ⅲも含めた受験用にちょい難しくしたような小手先の計算問題が簡単だと思えるレベルなら数学は全然大丈夫なんじゃないかな?って思いますね。ただ「これって受験にいる?」ってことを言いだすといらないものだらけなのですが(笑)当たり前ですが躁鬱さんが現在受験をするにあたって必要とされるものはやらないと入学できないので適当にチャチャッとやってやりたい勉強をするのが一番だと思いますね。ただまぁ古文漢文は本当に謎ですね(笑)

 

なんかもっと学科ごとに必要なものを分けられないのか?とは思いますよね。例えば僕は日本の大学で数学科に行こうと思っていた時に理科大なんかも視野に入れていたのですが、理科大の数学科で理科大で必要とされるような受験数学のレベルって妥当だと思うんですよ。

 

入学後の学科にモロに直結しますからね。ただなんでもかんでもってわけじゃないんでしょうけど明らかに入学後にいらない漢文とか古文をやるってのはどうなのか?って思いますね。私立とか国立でも内容は変わってくると思うんですけど理系に進む人間が最低限以上のマニアックな歴史の年号まで知っていなきゃいけないのか?とかですね。

 

仮に受験学科に哲学ってのがあったとして(笑)医療をやる人が時間の無い時期にデカルト・ショーペンハウエル・カントを読んでないといけないのか?っていうとそれは任意で医者になってから時間がある時に読めばいいって思っちゃいますよね。ただ物理や生物や化学が必須なのは当然で何より学科に繋がる知識なので無駄にならないですよね。

 

まぁそんな感じでしょうかね。ちなみに僕も脳神経学をやりたいと思った時期があって、んでそれに伴って生物学や化学も必要になったのでアメリカの版落ちの安くなった1000ページ以上ある大学用のテキストを買って勉強したのですが、僕が通ってる心療内科の先生にこのことを話したら「医学をやらなきゃいけませんよ」って直接言われたわけじゃないんですが、ようは脳神経学といっても人体について全く知らないのに脳のことだけやれるか?っていうとそんなことないわけで(笑)医療全体か!って思ったときにやることが膨大過ぎて諦めましたね。ホント、色々手を出してますよ。僕。

 

まぁ脳機能学者なんつって医療の基礎すらも知らない人間が平気で脳だけのことを語ったりもしていますがインチキも甚だしいですね。なんで日本って学問的な厳密さがここまで無視されるんだろう?って思っちゃいますね。まぁ主にお茶の間大学教授やエセ知識人についてなんですが、そういう適当な知識やファスト化が色々なところにあるってことですね。

 

でもだからといって一般市民が専門的な知識が無いのに政治やコロナについて意見を交わすな!ってことにはならないんですよね。別に免疫学とかウィルス学を知らないからコロナについては語れない・・・なんてことではないのでね。ただ学者や知識人は違うだろ!って当然思いますよね。それについて専門なり知っているという立場でモノを言うならちゃんと厳密に学問的に勉強したのか?ってのが問われるわけですよね。でもまぁ結構専門家と呼ばれる人の知識が結構適当だったりとか(笑)だからまぁ本当に数学の厳密性から学べることって多いですよね。

 

科学だから厳密性が必要で人文学は主観や思い込みでも良いってことではないですからね。まぁそういう人文学とかサイエンスだと言っている社会学なんかにそんなのサイエンスじゃないだろうって批判してたのがファインマンとかなんですけどね。科学的な厳密性を担保するのは無理でも担保しようとする姿勢ですよね。それがないと学問とは言えなくなってしまうので。

 

ということで7割ぐらい相変わらず自分語りをしてしまいましたが(笑)そんな感じなのでもし返信があったらまたよろしくお願いします。

 

それではまた。