ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

わたしがウォール伝を書くのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために書いているのだ。

生殺与奪の権を他人に握らせるな!

宗教の中の人であるということはどういうことか?っていうと知識とかよりも感覚だと思うんだよね。似ているのが恋愛で恋愛経験が無い人にとっての恋愛とは観念だけども知ってる人にとってはそれが何かを分かってるよね。でもそれは理知的に分かっているというよりかは漠然とした感覚として分かっていて、んでそれが合理性とか「こいつとならくっ付いたほうが得だ」みたいに考えるのではなくて「好きになってしまった」というところは抑えられないわけだよね。

 

宗教的感覚というのも似たようなものだと思うんだよね。気が付いたり帰依するようなきっかけがないと分からないんだよね。でもなんとなく分からなくもないというのが恋愛経験はあってもストレートな人が仮にそいつが男だったとしてじゃあ女だったら有名人とかで言うと誰と付き合いたい?とかって言われたときに男の感覚で「あいつはかっこいいからなぁー」っていう感じで答えるわけでしょ?

 

俺みたいにゲイ気質がある場合違うけど(笑)言わばこれはヴァーチャルだよね。あと女性が男性を好きになる感覚は恐らくストレートな男性には分からないよね。逆もまた然り。ゲイとかレズは分からんね。俺はバイなので。

 

ただ「宗教は恋愛みたいなものよ」みたいな俗流の解釈はヤバくて、客観的に分からなかったり感覚が極めて主観的という要素が似ているだけで内容は全然違うんだよね。恋愛と宗教は似ているなんて言っちゃうのもまた宗教の扱いの雑さだよね。

 

「あの人宗教にハマっちゃったらしいわよ」的な宗教ってまぁカルトなわけでそれを宗教と呼ぶのは問題があるよね。自分はイエスの生まれ変わりだ!とか言ってる誇大妄想の教祖みたいな基本的にカリスマ的な人を崇めるようなものは宗教ではなくてやっぱ基本ユダヤ・キリスト・イスラムみたいな意味での神への帰依だよね。もしくは仏教とかの教えへの帰依っていうね。

 

まぁ俺の場合、キリストの教えへの帰依で神に関しては不可知論で形而上学なんで神の考え方としては禅的な無とかアートマン的な考えとかね、まぁエックハルト的なキリスト教だよね。

 

なんだろうね、んでまぁ崇めるってことなんだけどそれの対象が神じゃないと宗教と言えないってのは何しろ基本的に宗教のファンダメンタルって偶像崇拝禁止じゃん?ただキリスト教の場合、神が人間に受肉したっていう恐らく他にはない話なんでキリスト自体が神と言えなくもないということでキリスト像を拝むってのは偶像崇拝にはらないよねってまぁ偶像崇拝だって言う人もいるだろうけどようはイコンだよね。

 

象徴とされるものを象ったりなんかしてそれをポータルとして神に祈るっていう感じだから仏壇に祈るとかもまぁ故人の写真がかざってあってそれをポータルにして故人に祈ってるわけでまぁそもそもこれは祈るという行為で崇拝じゃないんだけどね。

 

だからまぁ教祖が崇められてるカルト教団の異常さだよね。人間が崇められる対象になるというのはまずありえないし、まぁその宗教の開祖とかカトリックにおける聖人とかなら別だけどっつってもそれは神として崇めているわけではなくて開祖とか聖人に対して敬意を表するということだから祈ること=神オンリーじゃないわけだよね。

 

何しろ聖人や開祖は明らかに神じゃないわけで神に祈るというのは神に祈ることでしか為されないわけでまぁトートロジーだけど当たり前だよね。神道なんかがすげー分かりやすくてっていうか全然まだ10代の頃とかだけどまぁ子供のころから聖なるものとか神秘的なものが好きだったから色々と調べてたんだけど神社とかって神が鎮座するというか鎮座してないのか。まぁ神を象徴としているものが鏡だったりするじゃん?まぁようは象れないということだよね。

 

まさにこの象れないのが神なんであってなんで象れないか?っていうと人間の知覚の及ぶところじゃないから人間が想像で勝手に形を作るのは人間がイメージした偶像にしかならないからあくまで象徴とか仮に太陽を崇めるなら太陽を象ったようなものをポータルにするとかね、そういうことになるよね。

 

ただ宗教の自由っていうけど宗教は思想とは違うから神を崇めるか崇めないか?の自由はあっても人を神として崇める自由って無いと思うんだよね。だってもうそれってそのままカルトなわけでさ(笑)いや、あんまりそもそも人と会わないから「自分はクリスチャンなんですよ」なんて言ったことないけどってまぁ一回だけあるんだけど「あ、そうなんですか」っていう感じだよね。まぁようは自分は仏教徒だとかイスラムは分からんけど普通の宗教の場合、家柄がそうだったのかな?とかまぁうちは浄土宗ですって言うようなのとあんま変わらないんだよね。

 

でも聞いたことないカルト臭い名前の宗教団体の会員ですってことになるとまぁそりゃーカルトだよなって普通思うよね。キリスト教派生のカルトもロクなのが無いし統一教会なんでリアルにヤバ過ぎるし創価学会は嫌いだけど武装蜂起してる統一教会とかに比べればマシで(笑)ただ学会員なんですって言われたら距離置いちゃうけど浄土宗ですって言われて距離を置かないのはようはまぁ真っ当な宗教だったら宗教に偏見があったり無宗教者が多い日本ですらそこまで偏見ないってことだよね。

 

だからその胡散臭い宗教とそうじゃない宗教の決定的な差って崇めているものが何なのか?っていうところだと思うんだよね。まぁしつこいようだけど人だった場合まぁ大体ダメよね。あと聖典を勝手に書き換えたり解釈し直してるようなものもダメだよね。そういう意味でなんか思ったのはイスラムってコーランの書き換えなんて恐らくご法度中のご法度で死刑とかになったりしそうだからイスラム派生のカルトってそんなになさそうだよなって思ったんだよね。まぁ過激派とかは別としてね。

 

まぁ書き換えたら死刑!とかアザーンを音楽に使ったりしてもダメ!とかってのもまぁ他の文化から見ると不寛容と思われるかもしれないけど宗教の聖性とかストリクトな感じを維持するために当然のことなんで所謂「やっちゃいけないこと」っていう制約があるんだよね。

 

で、キリスト教派生のカルトとか仏教派生のカルトが多いのは特に誰からも命を狙われたりしないし宗教の自由がある場合、勝手にやっていいってことになるんだけど勝手にやって良かったことがあったのか?って話だよね。

 

神に帰依してない場合、教祖様のお考えで一気にテロリスト化したり変な独特の治療法とかで死者が出たりっていうような事件になることしかないと思うから宗教の自由ってどう神を崇めるのか?という方法や信じませんとか崇めませんっていう自由があるだけでグレーゾーンみたいなのがあったらダメだと思うんだよね。

 

いやまぁそれはなんでか?って人を崇めるようなものはヤバいからってことだよね。危険になるベクトルしか持ち合わせてないとも言えるよね。何しろマインドコントロールだのしつこい勧誘だのロクなものじゃないわけで神に感化された人だったら自発的に自分の宗教を選ぶよね。勧誘されるようなものじゃないわけだよね。

 

オルグされるようなもんだったらそれはセクトなわけで明らかに神を崇める以外の営利目的だのテロだのっつーロクでもない理由があるわけだし信者から金を巻き上げるようなものへの自由ってないわけだよね。そこはまぁヤクザを取り締まるぐらいカルトも取り締まらないといけないと思うし、自由を与えちゃいけないよね。

 

思想の自由といってもナチズムを信奉するってまぁドイツとかだと犯罪になるんだろうけど他の国ではそうはならないっつってもまぁドイツみたいに犯罪にした方がいいわけだよね。ここがなんかアメリカ的な行き過ぎた自由の嫌いなところでさ、言論の自由だ!とか宗教の自由だ!って言った結果、白人至上主義団体の存在が容認されてたりさ、でもあれってヘイトスピーチをする団体みたいなものなわけでレイシズムってそもそも犯罪でしょ?

 

だから民族主義とかもダメになるよね。じゃあ右翼も解散だねっつっても本当の右翼はインターナショナリストなはずだから偏屈な国粋主義にはなるわけがないのは戦前の右翼を見れば明らかなわけでまぁその思想に最低限守らなきゃいけないルールを破ってるものに自由を与えちゃいかん!って話だよね。

 

イスラムについて色々と読むと思うのは自分はイスラムの教義とか思想にはスーフィズムとかイスラム思想としては興味あっても宗教としては全く親近感を覚えないんだけどあのガイドラインのストリクトさは逆に混乱を生まないでいいなって思ったんだよね。すげー自由が侵害されてるように見えるんだけどイスラム教徒にとってはそれがデフォなわけだしそういうルールの生き方で生きているわけだからそこは自由だよね。

 

といってもまぁイスラムでもイスラム同士での揉め事は多いらしいんだけどあくまで規模は国家レベルじゃん?でも人に知られてないようなカルトも含めたものってまぁ大体聖書か仏典がっていうソースがあってブッダとかイエスっつー権威を出しつつそれに立脚した進んだ宗教なんだ!とかって言うようなさ、まぁエホバとかは人を崇拝するのが問題なんです!とかって言ってるけど聖書を書き換えるようなものの何が宗教なんだ?ってことだよね。

 

ようは厳密な学以外の宗教ということを考えるとさ、んでそれ以外認めないってなると今よりかは健全な世の中になるんだよね(笑)まぁんでイスラムの過激派がヤバいとばかり言われてるけど猿以下の人間の集まりのカルトであるアメリカ教とも言えるようなアメリカの福音主義は本当にヤバいよね。オフィシャルにキリスト教と名乗れるカルト教団だよね。

 

ネットフリックスとかでアメリカのファンダメンタル系のヤバさのドキュメンタリーとかあるから見たほうがいいと思うんだけどアメリカって国はアヴェレージの知性がヤバすぎる結果、変な宗教がいっぱいあって、しかもオフィシャルな福音派ってのはオフィシャルが故に本当にヤバいっつーところはタリバンとかばっか批判できますか?って話だよね。

 

宗教のヤバいやつらって圧倒的にキリスト教系が多いんだよ(笑)それはアメリカ的な行き過ぎた自由を容認し過ぎている結果、あんな異様なものが出来上がるわけで、そこはムスリムのストリクトさを見習え!って思っちゃうよね。人間は自由が大事だと思ってたけど自由過ぎるが故の不自由さとかカオスってあるわけで、神に帰依するおかげで出来る規制というのは人間としての神への絶対的な帰依と服従と倫理なんだよね。

 

まぁようは人に嫌がらせをしないとか人が嫌がることをしないみたいな当たり前なことですよ。ハラスメントをしないとかね、ブラック社会の日本にこそ正しい宗教が必要なんじゃないか?って思うよね。何しろブラック企業ってカルトみたいなもんだからね。

 

人間に支配されることのヤバさですよ。神に帰依すると分かるのが人間のどうでもよさだよね(笑)ある意味関係なくて自分に何かを課すことができる権限なんてのを他人が持てるわけなくて課すことができるのは神だけだってことになると人間を信用するしないとかっていうのがもはや関係なくなるんだよね。神しか究極的には信用できないわけである意味俺の病理とか悩みってのもまぁ人間不信とか社会にロクでもないやつが多いから社会が嫌いになるっていう原因がロクでもない人間にあるわけで俺自体は狂ってるととっくに思われてると思うけど(笑)狂った人が言う常套句で俺は狂ってない!なわけだよね。

 

まともだから神に帰依するわけだ。その結果、非常に楽になる。それは宗教に逃げているのではなくて人間からの支配から逃れて神の支配に身を委ねるってことなんだよね。イスラムって服従するって意味だったかムスリムってのは帰依者って意味なんだけどこれってある意味で最強の反権力じゃん!って思ったんだよね。神以外に究極的に個々に命令をしたり指示したり強制をすることはできない!ってのは一歩前違えればアナーキズムだけど(笑)ここが元々アナーキストの俺との相性の良さなんだよね。

 

なるほど!って感じでしょ?(笑)急に人が変わったのではなくて神に帰依することでより自律したアナーキストでいられるってことだよね。クリスチャン・アナーキストだと作曲家のKlaus Huberなんかがそうだけどまぁ今調べたらウィキが出てくるぐらい普通にあるジャンルみたいで驚いたけど(笑)別にそのジャンルに帰属するというわけではなくて基本的に神以外の権威を認めないってことだよね。

 

だから人間が人間を支配するみたいな病み切った資本主義社会なんてゴメンなわけでさ、神以外に服従するってのもそれは思想に反するってことになるしね。なんか書いてて思ったけどめちゃめちゃ厄介なやつだな(笑)でもまぁそれが思想の強さなんですよね。自分で考えるから自律しているから他者の洗脳や干渉を受けないわけだ。

 

今Christian Anarchismでググったら色々出て来て良さそうな本があったから早速ポチったけどまぁこういうところよね。何気にこうやって書いててググってみたらそれがあって読んでみようか!ってことに繋がるみたいなね、まぁ別に一般的にクリスチャン・アナーキズムってのがどんなものなのか?ってのを知りたいだけなんだけどね。

 

まぁこれも色んな思想がありそうだけどどっちが軸か?ってのにもよるだろうね。アナーキズム的信条があってそれを聖書に還元するみたいな還元主義もあるだろうし、聖書をアナーキズム的に解釈するとかっていう解釈学もあるだろうし、そもそもアナーキズムってNo Gods No Mastersなわけだから根本的に矛盾してるだろ!っつってもNo Godsってのは自分が帰依する神以外の神はいない!とも解釈できそうだし(笑)ただまぁ俺みたいに思想が出来上がってると「おお!」って思う部分はあるかもしれないけど変わったりはしないよね。

 

あくまで厳密に新約聖書を理解するというのが決定的なベースだから軸はキリスト教だよね。ただ俺の気質からそれは人間からの理不尽な支配からの解放と神に帰依すると決めたり宣言した時点で神以外のものを崇めたり崇拝したりはしないっていう宣言でもあるわけだからつまりは誰にも従属しないぜ!神以外にはな!ってことになるわけだよね。

 

今の色々なものに従属しきっている日本人に全く反抗心とかが無いのは昔みたいな分かりやすいイデオローグみたいなのがいなくなったってのもあるんだけどやっぱり思想が無いからだよね。でも俺がキリスト教に目覚める前からずーっと言ってたどんだけ世の中がクソだろうが人間がクソだろうが「善くあること」を実践し続けることが腐敗しきった社会への最高のアンチテーゼになる!っていう俺なりの善の思想との整合性があるよね。

 

その漠然とした「善くあること」の帰依の先が神になっただけってことだよね。ただ紙に関しては不可知なんで俺にとってはキリスト教が一番しっくり来るしあとは言葉で言えないような生まれつき宗教は大嫌いだったけどキリスト教的モチーフになぜか惹かれていたみたいなのは前に書いたと思うけどまぁ居心地の良さってのはあるよね。

 

しっくり来るというかね、コーラン読んでてもしっくりこないどころがたまに胃が痛くなったりするから相当合わないんだろうなと(笑)ただイスラムから学べることは相当多いから凄く有用な思想だと思うけどね。イスラム思想は。ただまぁここ旧約の話書いてあるけど違くね?ってこと言い出すとすさまじいイスラム思想へのディスになるから武闘派だけど思想的に穏健派の俺としてはそういう戦争を始めるようなことはやりたくないから(笑)そういうことは気づいても書かないけどね。それ言い出すと聖書も矛盾だらけだし誤りだらけだからね。ただコーランも誤りだらけなんつーと聖書と違って本文批評とかも許されてないからそれだけでディスになっちゃうんだけどまぁディスるつもりはないんでね。まぁ聖典が誤りだらけ同士仲良くやりましょうやって感じだよね(笑)

 

あ、んでクリスチャン・アナーキズムっつー分野があってそれなりに勢力になってるってのは今知ったけどクリスチャン・アナーキズムという思想があるのは知ってたんだよねってさっき書いた内容と微妙に違ってすまんね(笑)っつーか今思い出したんだけど神学やり始めた最初の年にJacques Ellulというクリスチャンアナーキストを知って本を買おうかと思ったんだけど結局買わなかったのは知ったのがよし頑張って教会教義学読むぞ!とかって張り切ってて色々と読んでる中でバルトの護教っぷりとかキリスト教系の思想家の護教っぷりに嫌気が指してその反動で神学自体への興味が薄れてきたぐらいの頃だったから買うのやめたんだったかな。

 

でもまぁ今のビンビンのベクトルならヴァイブス合いそうだし読んでみようかなと思って2年前に買わなかった数冊を一気に買いましたね。そんなにページ数多くないんですぐ読めると思うんだけど。

 

ただなんかクリスチャン・アナーキズムって立場表明に便利な言葉だなと思ったよね。クリスチャンっつーとペドファイルを擁護している世界団体の信者さん?って感じもするし(笑)所謂普通のクリスチャンじゃないからキリスト者と書くとしっくりくるけどクリスチャンアナーキストと言うと完全にマッシュアップで俺の思想をそのまま反映したような感じでアイデンティティもバッチリだから今後はそう名乗ろうかな(笑)

 

っつってもまぁ基本革命思考でしょうがないと思いつつ資本主義が嫌いでブラック企業の社長とかを常に暗殺したいとかって思うようなテロ思考も持ってて(笑)ただ神に帰依しているキリスト者であるっていうようなごちゃごちゃした思想が見事にまとめられるよね(笑)まぁただアナーキズムっつっても国家いらない国境もいらない!とかってなると大問題でアナーキズムって中間集団主義という意味だと言わばその中間集団を教会として考えるとアナーキズムとの整合性もあるんだけどNo Government!とかになるとダメよね。チョムスキーとかもそうだけど権力批判は見事だけど理念的過ぎて実効性に欠けるんだよね。

 

いや、それ無理でしょっていうね、あとまぁ性善説に立ちすぎてるとかね、俺は性悪説にならざるを得なかった結果、神に帰依したから人間の善を信じるようなナイーヴなアナーキズムなんてダメな政治思想過ぎてとっくに卒業してるし、でもそこに神の善に帰依した人間という前提があれば同じ人間でも信用できるかなってことになるから若干人間に寄り添うこともできるよね。神のおかげで。

 

まぁアナーキストではないけど革命志向を持ったクリスチャンって意味だと今ハマってるミュンツァーがまさにそうなんでミュンツァー的レガシーとかキルケゴールとかシモーヌ的な世俗的な堕落したキリスト教批判レガシーとかキリスト以外に真のキリスト者はいない!といったアンチクライスト面した超敬虔なニーチェとか(笑)まぁ俺自体が闘争的人間だからそういう思想の血筋を引いているということだよね。

 

それが見事にキリスト教神学に繋がるし整合性を保つことができるってことだよね。何よりまぁ毎日60人ぐらい自殺してる日本という国ほどアンチクライストな国も無いですよ。サタンが跋扈し過ぎてるだろうっていうね、マルコの福音書のキリストみたいに「サタンよ!去れ!」とかって言う人がいないと内面を蝕まれている人たちがずーっと苦しむだけだよね。

 

とにかくサタンを避けろ!ってことだよね。つまりは俺が昔から言ってるキリスト教以前の悪は許さん!っつー思想だよね。生殺与奪をカネと権力でコントロールするみたいなさ、コロナ禍でまたさらにそれが悪化するのか?っていう懸念もあるわけじゃん?金を出してくれる人に寄り添うしか生きる道が無い人が多いわけでっつーか今生殺与奪ってググッたら鬼滅の刃のセリフにあるんだってね。「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」って最高にいいじゃないっすか!っていうかそういうところが今の日本人の共感を得たのか!って思うとちゃんと見なきゃなって気がしてくるね。10話ぐらいまで見てみてないんだよね。

 

まぁその生殺与奪の権を神に委ねるということはその権を委ねているのは神のみっていうか本当はキリストのみって言いたいんだけど宗教的な普遍性を考えて今回はあえて神って言葉を使ってるんだけどまぁ別な意味だと他人になんか握らせてたまるか!という究極の帰依だよね。委ねれば神が示してくださる、みたいな何を?っていう主語が無かったりする福音書っぽい書き方になるけど(笑)究極の加護だよね。これ。究極の生命ガード装置ですよ。

 

でもそういうわけにはいかないでしょうというのは見える現実しか見ていないからでそこで信仰が必要になるわけだ。「人間から出てくるものが人間を穢す」わけでそれはサタンに憑りつかれた人間とかサタンって言葉を使わなくてもまぁとにかく悪に憑りつかれてるか元々悪なのか分からないけど悪の穢れを持った人間は多いわけだよねっつーかそんなやつばっかりだから命がいくつあっても足りないわけだ。

 

そんな非力な人間でもその命を神に委ねれば神のご加護がある。アメーンってところだよね。アーメンじゃないところがいいでしょ(笑)そういう悪や穢れから身を守りたい!ということでもあるんだよね。言わば善く生きていきたい!という決意の表れだよね。その決意を心の底からした人間に啓示が来ることもあるってことだよね。でもそれは苦しみからの始まりなんであって極めて実存的なわけだよね。そういう苦しみをキリストは受けて磔になったわけで苦しむ人間にほど神への道が開かれているというのは神の加護が無くてもやっていけるか、加護など考えたこともないぐらい苦労したり苦しんだことが無い人間よりかは苦しむ人間の方が不幸そうに見えて実はより神の道に近いというところだよね。intimacyだね。

 

だから見えるものだけですべてを判断するような不幸の唯物論みたいな観念の牢獄にから抜け出して神に身を委ねよう!ということになるんだよね。それが本当の人間にとっての究極の自由の担保であるっていうことだよね。その信念を持つということがそのまま信仰に繋がるわけだ。

 

鬼滅はまだ10話しか見てないけど鬼ってのがサタンなんじゃなくてイエスが言うような人間の内側から出てくるような穢れに冒された人間が鬼になるっていう、その原因が本来の人間にあるっていうところの恐ろしさだよね。で、哀れに鬼になってしまった人間を成仏させるっていうマルコの福音書で言うところの悪魔祓いをするのが鬼殺隊だからまぁ鬼殺隊ってのはエクソシスト集団ってことになるよね。

 

単純な化け物狩りじゃないところが現実とリンクして話が実存的になるから共感を得てるんだと勝手に思ったけどね。みんな悪を憎んでいるし鬼落ちさせるようなブラック企業の社長とかパワハラ野郎全般に言えるような人間をみんな恨んでるわけで、でも悪を恨むのはある程度まともなら当たり前として鬼滅の場合、化け物=鬼じゃないところがミソだよね。

 

化け物にさせてしまったような罪深い人間の悪があるっつーところで鬼に落ちた人間にも最後に鬼殺隊に殺されることで成仏できるっていう、鬼になってしまった人も鬼も可哀そう・・・という鬼を成仏させる人たちっつーところがまた共感を感じるポイントだよね。作中の全ての鬼の由来を知ってるわけじゃないけどアニメを見る限り首を斬られた後に所謂「悔い改め」をして最後は救われているっていうのとかそれは鬼殺隊がそうしてるんじゃなくて炭治郎が言わば鬼の救済の役割をしてるんだよね。で、そういう救済をしてるのが炭治郎だけというね。

 

だから悪は何なのか?というとまさにフィクションではないリアルな人間が日常的にやっている人を追い込むような悪だよね。いやがらせとか悪口とかパワハラとか、究極の悪が人間にあるっていうところが示唆的だよね。イエスが言うように穢れってのは人間の内側からしか来ないわけだからね。

 

鬼殺隊になるような鬼に対して凄まじい恨みを持っている人間も鬼になるような人間もよくあるファンタジー系の分かりやすい悪役のボスみたいな明らかな悪が世界征服のためにそうさせているみたいな簡単な話じゃなくて凄く実存的な人間の不幸とか悪っつってもその不幸っつーのが見てる限り人間由来のものばかりだよね。

 

もしくは自分が間違えていたとかっていうことで鬼になってしまうとか、まぁ間違ってたって死ぬ前に炭治郎のおかげで分かるっつーのはあるんだけど基本、原因となっているのが人間に関することだよね。そういう実存的ヒューマニズムみたいな物語を鬼狩りっつーテーマみたいなので描いたのが斬新だったのかな?っつーかまぁ原型みたいなのがあってよりウケがよくなるように改善されてああいう形になったみたいだけど結果を見ると類を見ない漫画なんだよねって漫画に詳しくないから分からんけどさ(笑)

 

大ヒットアニメっつーとまぁ今劇場公開されてるエヴァとかもまぁベクトルは違うけどモロ実存だよね。あの90年代的感性を見事に体現してるっつーかさ、だからそういう意味でエヴァと対比してみると結構共通点があるよね。キャラが立っているとかまぁそれはある程度の成功の条件にしてもさ、あとまぁシリアスモードとギャグモードがテンポよく展開するとか、で、その度合いが極端なんだよね。

 

超絶シリアスだった場面の数秒後には一気にギャグになってたりするっていうね。全編おちゃらけてても全編シリアス過ぎてもこんだけヒットすることはないだろうって考えるとまぁ構成の上手さとかも含めてこんなヒットするとは思わなかったっつっても結果的にヒットする要素を満たしてたって感じだよね。

 

完全なファンタジーがヒットしたっつーより今の自分の人生とモロに関係があったり人間由来の悪とは?みたいなテーマがあったりしつつ主人公が救済者と屠るものという二つ同時の役割を担っていて鬼を屠る時も敵を倒した!的な単純ではない、劇中にもあるような鬼も不幸だし襲われる人間も生存者も不幸を抱えて生きて行くことになるっていう不幸の連鎖を止めるんだ!っつーところがあったりだとか、現実が不幸の連鎖になってるから劇中ではその不幸の連鎖を断ち切る人間が主人公になってて勝利にカタルシスがあるんだよね。

 

現実でみんな望んでいるけど無理なんだよなーっつーところを物語の中では達成しててだからまぁそこに共感があるんだよね。あとまぁアフォリズム的な章のタイトルにもなってるような得意なことを極めろ!とか他が出来なくても得意なことが一つあればそれを極めればいいんだ!的な自己啓発的な内容もあったり見てる側に希望を与える要素が大きいんだよね。グロいんだけど子供に読ませたい漫画だよねっていうか俺が見てるのはアニメだけど。

 

グロさをちゃんと描いてるってのも重要な要素だよね。現実の残酷さに対して描写が軽いとギャップがあるわけでフィジカルなグロさってのをちゃんと描いててただそれを超えるようなファンタジーではないリアルな人間の悪とか不幸のグロさがあるんだよね。

 

あとまぁ訓練にせよ戦闘にせよ戦うことの痛みってのも凄く描かれてるよね。痛みを感じてても戦うしかないんだ!っていうのがこれでもか!というぐらい描かれてるよね。これもまた痛みを感じながらも生きるしかない!っていう人々の共感を得ているっていうか感情移入しやすいんだよね。

 

んで主人公が天才肌のスーパーマンとかじゃなくてまぁ天才肌ではあるんだけど凄まじい過酷な修行を経て救済者になっているっつーところもポイントよね。天才が活躍する系っておもしろさはあっても共感はしないからね。結局スーパーマンじゃん!っていうさ、一時期そういうの多かった気がするんだけどね。選ばれし物が活躍する系ね。

 

そうじゃなくて鬼滅って実存系だから没入感が半端じゃないんだよね。ビジュアルとか描写の良さとか美しさも合間って没入しやすくなってるっていうね。そういう見た目でもガッチリ掴んでて深いところでさらに掴んでるっていうところだよね。

 

そこでやっぱり気になるのが現実への不満のガス抜きみたいな機能になってないか?っつーところだよね。善とか救いの推進力になるのが最高なわけでさ、相対的な価値観を提示する鬼とか人間とかが出てくる中で炭治郎はナイーヴなまでのアツい正論をそんなの当たり前じゃないか!って叩きつけるっていうね、相対主義の先にある譲れないヒューマニズム的感覚ってのがあるよね。で、そんな相対主義とか知らないけどなんでそんな考えるになるわけ?だってこれが当たり前だろう!ってアツく語るのがいいんだよね。すげー現実へのアンチテーゼになってるよね。そこが別なカタルシスの由来でもあるよね。

 

時間差でじわじわとヒットに繋がってるやつとかって大体深いところに意味があるわけで無視できないよね。で、ちょっと見て見たらこんな感じなのか!って驚きがあったよね。シンプルに道徳的でただ押し付けがましくないモラルハザードだらけの現代への最高のアンチテーゼになってるっていうね、だからまぁ現実へのアンチテーゼだよね。

 

あとまぁ異様なヒットになってるのは苦しみがどうの救済がどうのっていうテーマを理解するかどうかに関わらずアニメとして面白いっつー子供でも面白く感じられて大人は大人アニメとして見れるっていう年齢層関係ない面白さだよね。コロナで巣ごもりが増えたからとかっていう理由もあるにしてもそれ言い出したらアニメを含む実写ドラマなんかも同じ条件なわけで鬼滅がヒットしたのはやっぱその中身よね。

 

大ヒットっつーとジブリとかエヴァは人を選ぶのに対して鬼滅は人を選ばないからね。さっき書いた相対主義をぶった切る善があるよね。もしくは「悪」が「不幸」の連鎖を生むという自明なんだけどそれをどうテーマに落とし込むのか?っていうのは安易にやれば安っぽくなるところを見事にヘヴィーに描いてるところとかね。

 

天晴な道徳っぷりだからグロくても子供に見せたい!って思う親御さんも多いだろうっていう子供に見せても大丈夫なの?っつーよりこれよりグロい現実が待ち構えているから早い内から知っておけって思うなら見せろ!って話だし(笑)悪による不幸を連鎖させたり鬼を生むのはダメ!っていう究極の道徳が盛り込まれているから下手な教育テレビよりよっぽど教育テレビだよね。

 

合理性で動くんじゃなくて内発性とか絶対的な価値観で考えながらある意味考考えずにそれを信じて突っ込め!っていう威勢の良さとか覚悟とか矜持よね。あ、最初のほうで10話までしか見てないってさっき全部見てまた続き書いてるからめっちゃ長くなってるんだけど(笑)藤の家のお婆さんが言うような「どのような時でも誇り高く生きてくださいませ」って名言よね。これは完全に大人に突き刺さる言葉で子供に聞かせたい台詞だよね。

 

こういう何気ないところに「お!」って思うようなメッセージ性とか台詞が多くて海外で人気なのもそういうメッセージ性の普遍性があるからだよね。やっぱこの単純な勧善懲悪じゃないところだよね。複雑な勧善懲悪っつーのかね?まぁ現実とリンクした実存的な勧善懲悪でそこには善くあることとはどういうことか?っていう問いみたいなものと悪とは?とか悪はどこから来るのか?っていう同じく問いみたいなのがあって、でも現実と同じく結局は相対的だなんつー諦めがあるところに炭治郎っつー救済者が出てくるわけだよね。

 

でもそれは特別な力を持ったメシア的な人間ではなくて全ての人が炭治郎足り得るっていうか炭治郎足るべし!っていうようなね、日々邁進して精進して善の道を歩んで悪を許さないっていう、そこがスーパーヒーロー的な感じではなくて自分に代替可能な感情移入できる主人公が劇中で活躍するというところに見てて感動があったり高揚するところがあるポイントだよね。スーパーヒーローを傍観する感じではなく自分に置き換えてんで炭治郎が痛い!っつーところは自分も痛いし結果、鬼の痛みとか鬼に家族を殺された人間の痛みとかDVとか児童虐待を受けている人間の苦しみとかも連鎖的にそれがフィジカルであれメンタルであれ辛い苦しみとして理解されるんだよね。

 

「あのキャラ可哀そう」じゃなくて現実に置き換えるっつーか現実がファンタジーに投影されている感じだからシリアスなんだよね。起こっていることもファンタジーの世界のようで現実の投影だから同じくシリアスなんだよね。その現実とフィクションの境が無いところのハイパーリアルな感じってのが鬼滅にはあるよね。

 

現実の苦しみとか悪とか救済とかって意味でエルフィンリートに凄く似てるなって思ったよね。エルフィンリートはハードコア過ぎるけど(笑)まぁそのハードコアさが海外でウケたんだけど鬼滅はグロさがアレゴリーのレベルに留まってるし本質的なグロさは描写にあるんじゃなくて内容にあるっていう意味でもまぁポピュラーになりやすいと思うよね。

 

エルフィンリートは救いを誰でも求めるっつーところだけど鬼滅は救いの物語で救済が毎回行われるからエンタメ性が高いんだよね。エルフィンリートは描写のみってわけじゃないけど描写に徹底してるから鬱アニメとかって言われるけど鬼滅はその鬱を吹き飛ばす!っていうところがあるよね。lainなんかもどんどん物語が自分の現実に侵食してきて鬱になる感じだけど鬼滅はそういうもの全般に立ち向かう主人公とかその仲間たちってのがあるから今みたいな時期だと余計にその魅力が際立つんだよね。まぁそれがさっき書いた現実へのアンチテーゼっていうところなんだけどね。

 

ってことでめっちゃ長くなったけどそんな感じでんじゃまた。