祈るとか瞑想とか。その2。

まぁ人間の可能性ですよね。祈るとか瞑想とかって。ほかの宗教をディスるわけじゃないけど神にひれ伏すというより神に祈るというスタンスよね。ただまぁ人事を尽くさなきゃ天命は待てないわけだからね。そういう人事を尽くすための手段の一つとしての祈りだよね。

 

で、まぁ場のエネルギーとか場の記憶みたいなことを書いたけど、一気に話が飛ぶようだけど最近曲作ってるから音ネタとかを探すんで結構ディープにウェブをディグってるんだけどフィールド音源とかで面白いのがあってチェルノブイリのフィールドとかね、あとまぁ殺人事件があった森のフィールド録音とかね、まぁすげー観念的だよね。

 

音自体に原発とか殺人とかが介在するわけじゃないんだけどその場でそのことがあったという観念と音だよね。ただまぁアート系の領域だとこういう概念とか別にそりゃ文学とか詩なんてもっとそうだろうけど、こういう人間が当たり前にあるそれこそ事故物件は嫌だなとかね、霊とかの存在は信じてないのに一般的に事故物件は価格が下がるってのもまぁ「なんか嫌だな」って思うわけでしょ?

 

それは心理的瑕疵っていう情報が与えられて嫌だなって思うものだけど情報は情報だよね。ただその情報を言葉や文字を介在せずに受け取れる人がいてもおかしくないってことだよね。具体的にここで首つりがありましたとかになるとサイキックレベルだけど(笑)なんか嫌な感じがするとかってのはなんらかの情報をその場から得たわけだよね。

 

それが場に介在する記憶っつーエネルギーでしょ。まぁ記憶って何なの?って話だけど記憶の正体っていまだにわかってないし意志とかもわかってないけど情報として扱えるようになったらソケットに誰かの記憶を指して追体験できるとかSFでよくあるけどまぁ俺が言いたいのってそういうレベルのエネルギーなんだよね。

 

言わばいつか観測可能になるであろうものっていう先を見据えたものなんだけど現代でそんなことを言い出すとオカルトになるとかって言う割に観念としては普通にあるんだよね。オカルトっていうカテゴライズ化すること自体が思考とか可能性の幅を狭めるんだよね。そんなこと言うとアカデミズムから見放されるっつってもまぁ別にアカデミズムとか関係ない側からすれば自由に考えられていいやってことになるよね(笑)

 

そうなるかもしれないっていうかなりまともな科学的エビデンスがある中でじゃあその科学の仮設とか将来はこうなるだろうっていうのを「なった」と仮定した場合に覆されるとかアップデートしなきゃいけない領域って出てくるじゃん?

 

だからまぁそれを先取りするんだよね。でもそれはロマン的に意識なんて数値化できない!って考えるのはいいんだけど仮に情報として観測されるようになった場合、情報=エネルギーではないにせよ結果的に情報が人間の行動を動かすわけじゃん?

 

コロナ然りだよね。さっきの事故物件も自殺がありましたっていうことにエネルギーは介在しないけどあたかもエネルギーが介在したかのようにそれを避けるようになるか、まぁ人によっては気にしないってのもあるわけなんだけど情報は影響を与えるよね。無視するのも受け取るのも任意なんだけどこの肉は腐ってますって言われて極限状態でもない限り食う人はまずいないよね。

 

心理戦とかってこういう情報のやり取りだよね。だからまぁ意志も情報だよね。意思決定に左右されないっつー話があったとしてもそういう細かい話ではなくてファンダメンタルなものとしてその肉は腐ってないだろうか?っていうことを察知するとか、食っちゃった場合、明らかにヤバいものを反射的に吐き出すとか飲んじゃった場合、胃がそれを戻そうとするとかってのは生理的情報だよね。人体と物質が触れ合ったときにやり取りされる情報だよね。

 

まぁなんだろう、厳密じゃないけど情報理論と熱力学のエントロピーを同じと考えるみたいなもんだね。ただそこに厳密さが無いのは情報理論と熱力学のエントロピーが同じと見なすような検証可能な実験があるわけじゃなくて俺が言いたいのは結果的にそれに似てるけど現象は今のところ把握できないけど結果的にエネルギーが介在した結果、そうなったと言えるようなところに「偶然だ」って考えずに個々の現象の顕在化についてのプロセスに色んな情報やエネルギーが介在して、まぁ当然そこで意志ってのもある種のエネルギーとして考えるとそれが介在することで現象が変わったり現象の帰結が変わったりするっていう、人間が介在することで現象が変化するというより人間の意志とかそれにまつわる情報とか何をそうさせたのか?っていうそれが立ち上がる要素みたいなものもすべてさっき書いた顕在化のプロセスの中に組み込まれてるとするとっていうかまぁ諸現象はそもそもそういうもんだよね。

 

でもそこで人間にとっては情報でしかないものが何らかの作用を起こしたり現象に介在するようなものなのであれば場のエネルギーとか意志ってのも現象に介在してると言えなくもないよねっつっても相関関係が必ずしもあるわけじゃないんだけど人間がいるだけで発するものっていう観測可能なものとそうじゃない意志とか魂の部分で観測可能になるようなものってのが何らかのエネルギーを秘めてたらそれは抽象的な意味ではない実際の情報空間に影響を与えているということになるよね。

 

いや、情報空間はすでに抽象的な意味ではなくて具体的なエネルギーの場と仮定するんだよね。そうなってくると逆に意志のほうが人間にとっては全然具体的なエネルギーなんだけど一般的なエネルギーの概念とは違うんでエネルギーとはみなされないんだけどでもエネルギーと仮定したときに合点が行くことも多いってことだよね。

 

太極拳とかだと気がぶつかり合うから気を下に落とすっていう抽象的な考え方をするけど本で読んだだけだと観念的なんだけど実際に検証してみるとあたかもあると仮定される気があたかもあるかのように作用するから面白いんだよね。それが意なのか気なのか、ただまぁ気は意と関係してるわけで、そこがまぁ宗教的な祈りとか瞑想とかにつながることなんだけどね。

 

あれもまぁある種のエネルギーを仮定するわけでしょ?宗教とかとは関係ないマインドフルネスとかでも気の玉みたいなのをイメージするっていうのがあるけどなぜかそれを仮定したほうが効果があるってことはそれは情報なんだよね。意図的にそれは情報だと仮定すると瞑想が上手くいくわけでしょ。まぁプラシーボもそうだよね。

 

でもそこには思い込みとかには思いこんだからっていうだけでは説明できないような異様なパワーがあるんだよね。まぁ念が宿るとかの念って意味ね。それで言うと意識の残留思念みたいなのが幽霊なんじゃないか?とかまぁ色々と考えられるよね。

 

自殺した人間の霊が死んでも自殺を繰り返すっつーのも強い残留思念としか言いようがないよね。そこに本体の魂が捕らわれてるのかどうか分からないけど除霊するってのはその例に「死んだ」と分からせるっていう情報を与えるってことだもんね。

 

癒しの効果なんてのも具体的に波動が出てますとかっていうとうさん臭いけど(笑)波動と考えたほうが楽な何かがあるよね。まぁただそれは相対的に人間にとって癒しと思える情報なだけでそれが現象として表れるのが人間が癒しとして知覚できるものなんであってさっきの除霊でも実際のところは死んだ魂に「あんた死んだんだよ」っつって仏教なら「すべては空だから安心しな」って言うわけでしょ?っつっても般若心経ってサンスクリット語をそのまま漢字に当てただけだから幽霊がサンスクリット語を理解するのか?って話だけどまぁその辺が真言足る所以なわけでしょ。

 

キリストの言葉も真言なんで人間にとって効果があるから幽霊を浄化できるなんつー言い方もできるけどまぁようは真言という情報だよね。そこに不思議な力が宿ると考えたりするのが神秘主義とかだったりするけどって一概には言えないけどあるかないかは分からないけどあるとしたほうが面白いからそっちをディグってみようってことだよね。ここまでのポストモダン社会だと何もないのが歴然としてるから(笑)あえて「ある」を前提に時を進もう!って感じだよねっつーかこういうのも数年後に古くなるんだろうか?(笑)

 

決めつけって可能性を消しちゃうからね。俺がキリスト教に帰依するのも根本的にいつも書くけどド左翼のマルクス主義というのが身に染みわたってるから根本は唯物論的ニヒリストなんだけど、そこに禅とかキリスト教神秘主義の無に帰依するっていう感じだよね。もちろん真言はキリストの言葉でまぁ福音ってことなんだけどね。

 

信仰が揺らぐとかって言い方をするけどそれってみんな根本的に信じてないから信じようと頑張ってるってことだよね。ただまぁそれが語り掛ける神とか怒って津波とかを起こす神だったらそりゃ大変だろうなって思うけど(笑)そんな神はいるわけないし神ってそんな存在じゃないから俺にとっては大抵の不毛な神学論争が意味無いしあと宗教批判とかも単純な人間の心理に還元されるような、信じる人間の歴史とか心理とかっつー心だけの話になってたり、あと神の存在が何かをもたらすとか自然現象をもたらすようなものっていう超自然的なものだったりするわけで、まぁそういうレベルの批判なら俺も批判者のままだし根本的な宗教批判というのはありえないと思ってるんだよね。世俗的な宗教においては批判者のままだけどね。だからあんま変わってないんだよな。

 

まぁただ仏教にせよキリスト教にせよ仮に教えをそのまま突き詰めたら資本主義は壊れるから凄まじい資本主義の破壊者だとは思うけどね。みんな悟ったらヤバいからね(笑)ただ結局、ヒューマニズムが根本にある革命論とかって軸を金にしないでヒューマニズムにしろって言ってる時点でまぁ宗教と同じなんだよね。

 

ヒューマニズム=宗教じゃないけど似たようなもんだわな。ただホント、いい加減になんつーか俺が生きてる間に人が金に振り回されない社会が来てほしいと思うんだよね。前にも書いたけどハンナ・アーレントが言うところの仕事ができる社会になってほしいなと思うよね。まぁもしくはそういう仕事が軸で金が回る社会とかね。

 

今みたいにいらないもん作り続けて足掻くってのはサステイナブルなわけないし金回すにはいらないもん作るか金持ちが金で金を増やすかっつーぐらいしかなかったらまぁそんなシステム無くなったほうがいいよね(笑)もしくは金が金を産むんだったらそうさせて再配分すればいいわけでね、個人が持ちすぎてるのが問題なわけでね。

 

みんなその「持ちすぎている」レベルしか金持ちはいないってことに気が付いてないんだよね。だから金持ちを目指そう!と思ってもまず無理なのよ(笑)あと庶民が考える小金持ちって金持ちじゃないから小金持ちにはなれるかもしれないけどみんな金持ちになれるってことがありえる社会はまずないからね(笑)パイの取り合いなのに永遠とそういう幻想を与えるんだよな。本当に罪作りだと思う。

 

ただでも健全な分配ってある程度の人間の平均が求められるから難しいよね。生きるために与えられてる福祉の金をパチンコに使うやつとかも実際いるから一概に再配分がいいとも言えないしただそれ否定すると屑は救うな!になっちゃうしってまぁ日本人はみんなそう思ってるんだろうけどね(笑)

 

平等の不可能性は根本的に人間が不平等という事実から来るんだよね。だからそこで平等のために人間を選別するってことになると優生学になるからタブーで踏み込めないんだよね。だから不平等のまま最低限のラインはなんとか救えるっつーレベルを目指すしかないんだよね。

 

やっぱでも統計とか科学とか倫理無しにそのデータをそのままとして受け取っちゃうと大体どの分野でも優生学的な方向になっちゃうからそこに歯止めがかかってるんだよね。分かってるけど言ったら干されるから言わないっていうね。まぁ市民性ってやつですかね。なんかだから今回書いたような先を見据えた仮定から考えられるものっていう今言うとただのオカルトになることを先を見据えてオカルトとは考えない思考とかね、まぁ思考にストップを考えない思考よね。だから倫理的にアウトってのも考えないモードがあってもいいんだよね。そこは偽善的左翼の似非ヒューマニズムみたいなのは毒だからそういうのも所詮はイデオロギーだから、だからまぁ俺の場合、唯一真だと思えるのが「善」でそれは仏教なりキリストの真言ってことになるんだよね。

 

だからその「真」を軸に考えるってことだよね。ただそれも「真」を見据えなきゃいけないからだからまぁ書斎に閉じこもって本だけ読んでればいいって話じゃなくなるんだよね。まぁそこは祈りとか瞑想とか言っておきながらミュンツァーみたいなアジり続けるっつーかアジり続けるのはウォール伝のままとして(笑)それの主軸がキリスト教になったってことでアジり続ける革命の神学者でありたいなって思うんですよね。帰結が自己の救済なんじゃなくてあくまでやっぱり他でありたいというか変革でありたいって思うんだよね。まぁ何よりそれがキリストの意志だったからね。まさに「意志」なのよ。そういうエネルギーということ。

 

なんかこの話は続きそうだわっつーか久々に続く話題があるなと思って。

 

ってことでんじゃまた。