祈るとか瞑想とか。その4。

不思議な能力を持った人の話があるんだけど、その人が喫茶店でバイトをしてたときにいかにもコーヒーを頼みそうなおっさんが入ってきたんでオーダーはコーヒーだろうなと思ってオーダー取りに行こうとしたら咄嗟に頭に「ココア」というビジョンが浮かんで「なんじゃこりゃ?」とか思いつつおっさんにオーダー聞いたらココアを頼みそうじゃないおっさんが「ココア」って注文したらしいんだよね。

 

んでオーダーのココアを持って行ったときにおっさんが「変なことを言うようだけど自分はいつもコーヒーを頼んでるからココアなんて頼まないんだけど君がオーダーを取りに来た時にココアって頭に浮かんで注文しちゃったんだよ」なんて言ったらしいんだよね。

 

生死を決めるような場面での不思議な話って「おー!」ってなるけど、こういうある種どうでもいい不思議な話のほうが「おー!」ってならない?で、これはもう現象としてあったわけじゃん?で、「面白い話もあるもんだね」で済ませちゃいけないんだよね。

 

ここが最近書いてる「不思議だから何とも言えない」っつってスルーするということではなく現象としてそれを認めてそれを何なんだ?ってスルーしないっていう話だよね。こういうのってさっきも書いたような特別な時にだけそういう能力が発揮されるように思われがちだけど意味不明な誰も得しないようなところでも発揮してる可能性があってっつってもこの話してくれた人はしょっちゅうではないんだけどたまにビジョンが下りてくる人なんでそういう能力を持ってる人と言っちゃえばそうなんだけど、こういうのって類型というとアレだけど、こういう話って古今東西あるよね。

 

ってことはある程度一般化可能ってことだと思うんだよね。あとこういうなぜか察する力って犬がめっちゃ強くてっつっても個体差があるんだけど普段仕事に行くときは特に反応しないんだけど休日に出かけようとするときは一緒についてこようとするっていう話とかがあって、んでその話を書いてたのが数学者だか科学者だったんだけど厳密に考えててさ、ようは出かけるしぐさとかは全く仕事に行く時と同じはずなのになんで休日の外出になると犬が反応するんだろうか?みたいなことを書いてたんだよね。

 

いや、なんかエピソード微妙に違ったかも(笑)仕事の時はスーツで休日は私服だから犬が反応しているとかって言えちゃうもんね。これは。いや、その話に出てたのはそういうのが一切ない話だったんだよね。

 

あとあれだ、そのココアの人の話で個人が特定できないようにディティールを若干変えるけど、現在の仕事がインテリアコーディネーターなんだけど全くインテリアとか興味なかったのに「インテリアとはこうあるべきだ」っていうビジョンが下りてきて高校の特につまらない授業の時はインテリアデザインとかインテリアの絵をずーっと書いてたらしいんだよね。

 

でも別にそれが好きだったわけじゃないんでインテリアコーディネーターとかになるわけでもなく関係ない仕事を長くやってて、んで色々なきっかけがあってインテリアコーディネーターっつーかインテリアデザイナー的なものになったんだけど、高校時代の友達に転職したという内容を言ったら「そういえばあんた高校の時にずーっとそういう絵を画いてたもんね」って言われて本人が「はっ!」と気が付いたっつー話なんだよね。

 

あんまそういう本読まなかったんだけど神秘主義の流れからあまりにスピ過ぎるのはともかく謎なものについて書かれてる本とかを若干読むようになって田坂広志っつー人の本にそういう話がよく書いてあるっつーかすげー本出してて内容がほぼ一緒っつーか同じエピソードだらけなんだけど(笑)ありえない偶然とかたまたま気になったビルがあって「なんだろう?」って思ったらそのビルに入ってる会社に入ることになっただとか、田坂広志の場合、スピ感漂うゼロポイントフィールド理論なんかを出してきて未来にすでに何かが現前してるとかホログラム理論的なやつなんだけど、まぁそれが対応するかはともかくとしてそれを裏付けるような体験があるってことだったりするんだよね。

 

ただこの場合、圧倒的にそういう経験をしている人の数が少ないから「えースピでしょー」ってことになりがちなんだけど、そうとも言えなくて実はそういうのは日常で経験してるんだけど気が付くことがなくて認識に至ってないだけで現象自体は起きているって可能性があるんだよね。

 

で、面白いのが俺の説明しづらいキリスト教への帰依ってのをそのココアの人の話したらある意味自分の話と似ているって言っていて、面白かったのが平均的な日本人だったら全く意識しないキリスト教とか天使みたいな概念とか教会に惹かれるものがあるっていうのも前触れだったのでは?って言ってたんだよね。まぁその前触れってのが前に書いたメガテンの影響とかもあるにしても(笑)やたらメシア教みたいなのに惹かれたりカテドラルみたいなのに凄く惹かれたりとか、あとまぁ90年代ってアメリカで天使ブームみたいなのがあって、んで邦訳を中学ぐらいに読んでたりしたんだけど、まぁ謎の惹かれる感じがあったんだよね。

 

でもまぁその後、マルクス主義者になったんで(笑)宗教は大嫌いなんだけどモチーフは好きっていうね、あとまぁアンチクライストなブラックメタルみたいなのに惹かれてたのも、その人曰く、キリストなんて全く普段考えないのにアンチにしてもキリストを意識するっていうのはなんかがあったんじゃないか?って言ってて、あーこの人には俺のことなんとも言えない帰依の理由が理解できるんだなと感動したんだよね。

 

だからそういうのが無い人には「へぇー」とかただの偶然として片づけられるのが、似たような経験がある場合、「自分の話と似てる」ってことになって話が通じるんだよね。あとまぁキリスト教に帰依する前と言えばDJ Spookyのリズムサイエンスっつーリズムの綴りが分からないからっていうかデリック・メイが間違えるぐらいややこしい綴りなんでカタカナで書くけど(笑)

 

Sub Rosaっつーレーベルの音源を使ってミックスしましたっつー内容でアメリカで買ったんだけどあちらではあまり咎められないものを嗜みながらこれをかけてるとぶっ飛ぶCDだったんだけど(笑)それはともかく一分ぐらいなんだけどSchola Hungaricaの聖歌がミックスされててそれを聞いた時の俺の反応ってのが凄いものがあって「いやーいいわー」っていうまぁ今は寝る前にグレゴリオ聖歌を聴きながら寝てるけどまぁこれも前触れだよね。なんか異様にそういう属性のものに反応するっていうね。

 

まぁ考え方によるけど先にすでにそれは決まっているっつっても決定論的ではないんだけどすでに投影されてて必然的にそうなるというものになる前から反応するようになってるってことだよね。俺のキリスト教とかココアの人のインテリアみたいにビジョンがあったから好きでインテリアデザインの学校に行ったとかではなくて、別にビジョンがあるだけで特に好き嫌いとかの世界ではないものというのに結果的に入ることになったとかって場合もあれば、幼少期からなぜかそれが大好きでその世界まっしぐらで勉強しまくってスペシャリストになったみたいな人もいるよね。

 

俺的に教えが結局は仏陀とか禅と要点は変わらなかったらなんで帰依するのが仏教とか禅じゃなかったのか?ってのもなんかそこはキリスト教なんだよね。だから思想的なものだけではない何かってのがあってそれに関わる教会だったり修道院だったり宗教画みたいな美術だったり天使という概念に異様に惹かれていたとかね、なんかやっぱそういうのが関係してるのかなってのはあるよね。ただまぁ帰依のきっかけはキリストの思想なんだけどね。

 

まぁあんま俺は信じないけど(笑)それは前世が関係してるみたいな言い方もあるよね。ただこれは輪廻転生とか前世の記憶とかっつーいろんな要素があるんで「ちょっとなー」ってのがあるけどホログラム的な話だと結構納得するよね。ただそれも「それに違いない」という話ではなくてそういう話が対応するっていうだけで説明にはなってないんだけどね。

 

でもまぁ誰にでも思い返してみれば「なんであんなに惹かれたんだろう?」ってことは少なからずあると思うんだよね。あと「これだ!」と思う直感とか、成功してる人っつーとアレだけど、なんかの世界にどっぷりな人ってそういう契機が少なからずあると思うんだよね。その「惹かれた」というところが面白いんだよね。

 

逆にそれがビジョンとか概念みたいな抽象的なものではなくてもっと物質的な感覚的なものの場合、それは前触れとか関係なく惹かれやすいってのは例えば中学ぐらいになってギターが大好きになってロックにハマってギター猛練習してバンドやるようになったとかさ、それってまぁ青年期特有のものじゃん?

 

俺の場合、いつも書くけど親のYMOのテープ聞いてヴォコーダーとかアナログシンセの音に惹かれまくってそっからまぁYMOから坂本龍一の電子音楽系の作品とかあとはまぁ当時テクノが流行ってたからケンイシイとかまぁあと電気よね。でもまぁこういうのはロック青年がロックにハマるのと同じで青年期のアイデンティティの芽生えとか感性が豊かな時期にハマるものってことで分かりやすいじゃん?あとまぁ文学青年になったり俺も同じく哲学青年になったしね(笑)

 

まぁただ自慢になるけど(笑)そのテクノ好きになってからEarly Electronicsみたいなのに行くのがめっちゃ早かったなって思うけどね。そういうの聴く前から具体音をPCのマイクで録音してミュージックコンクレート的なのを作ってたらOHMっつーEarly系の三枚組のボックスがあってそれでシェフェールの存在を知って衝撃を受けたりだとか、ケージって名前は知ってたけどあんなラディカルなカットアップをテープでやってたのか!とかね、他にもまぁあのコンピに衝撃を受けるところはいっぱいあって、まぁそっからまだ年齢的に高校ぐらいなのに現代音楽にどっぷりだったりとかね、あ、まぁ音楽遍歴の話はいいか(笑)

 

でもこれって感性の話で誰にでも起こりうるじゃん?電子音が使われている音楽に反応したってことだからね。でもビジョンとなると謎しかないよね。ココアの人は俺の比じゃないぐらい明確なビジョンがあったんだけど、俺も少なからずあったキリスト教的モチーフのビジョンってどっから来たかが謎で、家族は無宗教で中学ぐらいの時にメンタルやられてたときに「教会に行きたい」っつって親から大反対されたりとか(笑)でもなんらかの環境の要因があったら妹もそうなりそうなものなのに一切ないからね。

 

で、これって引き寄せの法則とも違うよね。引き寄せは願ったものが具現化するっていうナポレオンヒルみたいな思考は具現化するっていう古典的な自己啓発のものでスピ的な面を出せば分子だか量子だかが似たようなものを引き寄せるみたいなことなんだけど、別にそういう話を出してこなくても強く心に願ったり「やろう!」と思ったら用語合ってるか分からないけどプライミングみたいなのがかかるわけじゃん?

 

で、それが潜在意識にインプットされるんで意識をしなくても「それをやる!」というマインドで生活することになるから「それ」に関わるものに反応しやすくなる結果、あたかも「それ」に関するものが引き寄せされるように感じられるっていう、あくまで心理の世界に落とし込める話であるのに対して、願いとかとは関係ない半ばアプリオリ的にインプットされてるものってなんなんだろう?っつーところが今回の話だよね。

 

ただまぁ入り口がそういうキリスト教的なもので今は結果的にギリシャ正教とかヘシュカズムみたいな方向になってるのは俺の性質だと思うんだけどね。まぁ昔からの隠者気質で人里離れたところで祈ってるとか仏教だったら座禅をしてるみたいな世界観が一番しっくりくるっていうか、あんまり後世に作られたような教義学とかには興味無いっつーね、まぁあくまで精神性とか霊性なんだよね。だからまぁ初期の砂漠の教父からの流れのヘシュカズムとかってことになるんだけどね。

 

まぁ仏教のヨーガとかにしてもヘシュカズムとかにしても現代の科学とかが入ってない時代のって霊性とかってのに特別な力があるってデフォルトで考えられてるじゃん?だからまぁそういうのがウェーバー的な脱呪術化と合理化の結果、客観性がデフォになるから、そういう体験とか霊性とかって主観の世界だよねーっつーオワコン化が始まるんだけど、依然として主観の世界でしか分からない謎なことは多いんだよね。

 

ただの呪術とか迷信はオワコン化していいんだけど、そういうものではない謎の領域までも検証不可っつーことでスルーするのはダメってことだよね。それって客観性とか科学主義っつーある種の認知バイアスだからね。ただ霊性とか謎の主観で起こる現象っつーのも今の曖昧なこじつけの科学の説明とかではなくてもっと脳とか現象全般についての解析の方法論とか技術が進めば検証可能になるから十分科学の領域の話だよね。

 

ただ現状はまだ検証できないってだけで先では可能になってるはずだからね。あ、あとどうでもいいけど今大量になり過ぎた本を整理してて昔の本とかが出てきてるんだけどU理論っつーのがあって面白かったのはイノベーションがどうのっつーより人間が必ず考える過去の経験や知識をベースに考えるっていうダウンロードベースの考えではなくて出現しかけている未来から考えるっていうもので、宗教だとかオカルトだとかっつー批判もあるんだけど単純に面白いよね。

 

実際、自己啓発本とかにも人々は過去をベースに物事を考えてるけど時間は未来から流れてるんだなんて話はよくあるよね。これってオカルト云々は別にして重要なマインドセットなんだよね。なんかをやるにあたって明確な目標やビジョンを描くことの重要性ってまさにこれだよね。

 

俺も前に書いてたと思うけど「こうありたい!」っていう自分のビジョンを未来に投影する感じだよね。そうすると投影された未来から時間は過去に流れるんでその投影された未来が訪れるようになるっていう必然って話だね。ただまぁ荒唐無稽な投影は無理なんだけどね。あくまで投影だから現実的じゃないとダメなのは明白だよね。

 

だからまぁこの未来から流れてくるってのが事実かどうかは別として、そういう流れなんだって考えるとある種のデジャヴとか俺やココアの人が見たビジョンっつーのも投影したわけじゃないんだけど理由はよく分からんが投影されてたものってのが流れてきていたってことだよね。ただそれは未来と出会ったというよりそういう未来があってそれがすでに現在にアクセスしてきていたっていう話だよね。それがまぁ謎の前触れみたいなもんだよね。

 

だからそう思うといつも書いてるように未来への不安って最悪なんだよね。あと不安ベースで生きるということの不健全性ね。まぁそうなっちゃうのは分かるんだけど、それがベースになったら何も思い描けないし投影もできないじゃん?もしくは不安を未来に投影するのか?って話でもあるしね。こういう話が自分の中で自明になる前から自分の座右の銘であったグラムシの「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」ってのは自分の全てに対応するよね。

 

簡単に言っちゃえばっつーかグラムシ流かはともかく俺の理解だと知のペシミズムってのはいつも書いてる知れば知るほど世の中オワコンでつまんないし悲観的にならざるを得ないんだけどプロジェクションする意志というのは驚異的にオプティミスティックってことだよね。知は誠実であればあるほどペシミスティックにならざるを得ないんだけど意志までもペシミスティックになったらただのニヒリストになるからね。

 

それは俺的に言えば知的怠慢なんであって、知が必然的にペシミズムに陥るからこそ、その知のペシミズムを利用した意志のオプティミズムがあるだろうってことなんだよね。まぁニーチェ的だよね。まぁ俺は結局いつもニーチェ主義者なんだなと思うんだけどね。

 

ってことで今日はこの辺で。