でいじさんと躁鬱さんへの返信。

でいじ  2021-05-27 03:02:48


mimisemiさんが言う現時点で証明できないけど感じるものだったりって、木からリンゴが落ちる法則があるのと同じように既にそこに在るものなんですよね。科学、宗教、オカルト、数学なんなりで分別して名前や意味をつけたりしてますけど。

 

これから先何か証明される概念が出てきてもそれはずっと只在ったもので只在るものの一部をそうやって切り取ったってだけの話しで。ある人は信じたい信じさせたい為に過剰に意味づけしたり誇張して吹聴したりでオカルトなんだりって概念が出来たりするんだと思いますけど。

 

自分はmimisemiさんのように語彙力もないので「言葉にしたらそれがそれでなくなっちゃう」って感覚のものがいくつかあるんですけど、言葉にできない事は無理に言葉にせず一人抱えて感じるままに信じて生きる事ってのも大事かなと思ってます。自分の中で。

 

知識、語彙力共に乏しい僕のような元々直観で生きてきた人間が少ない点と点を無理に言葉でつなげようとするとオカルトのそれになる危険性を十分はらんでるってのもありますしw

 

ちなみに僕なりの神の概念ってこれらを含む「只在るそれ」なんですよね。認識されずとも関係なく只在る法則。法則と言葉にしたらまたちょっと違っちゃうんですけど。 久しぶりに見に来たら案の定自分の頭の一部とシンクロするような内容だったので思わずコメント書き込んでしまいました。乱文ごめんなさい。 mimisemiさんもウォール伝に何となく引き寄せられたみなさんも心身ともに健康でおられるよう願っております。

 

でいじさん、マジでお久しぶりです。書き込みありがとうございます。

 

いや、まさにそれです!リンゴが木から落ちるっていうニュートン力学そのものです。でもそれは力学として説明ができたので科学になるわけですけど、実際見ていたり感じていたり確実に「在る」ものが力学や物質や演算などで観測可能か?っていうとそうではないものもありますよね。

 

ただでいじさんがおっしゃるように誇張ってありますよね。神秘的なものには顕著なので詐欺に使われまくるわけですよね。サイババの粉とかキリスト教でも教会がおぜん立てした奇跡を教会内で起こすとか(笑)重力って悪用されないと思うんですけど神秘的なものって悪用されまくってるから、そういったものが「如何わしい」とされるのは如何わしい詐欺師とかが使う概念だからっていう概念上のレッテルですよね。

 

自称霊能者もいるけど霊能者と名乗ってなくてもなんか他の人には見えないものが見える人っているわけだし、これは例のインド哲学の人が言っていた意見なんですけど、見える人の中でもやっぱり頭の中に無いものが見えるはずがないからなんらかの形で記憶なり像を投影してる人もいるんじゃないか?っていうことでそれはなるほどなって思ったんですよね。見える人の中にもそういう記憶の投影の人もいるんだなと。

 

でもそうなるとより顕著に不思議なのが事前の情報が無くて、例えば怖い話みたいになっちゃいますけど、160センチぐらいの紺のワンピースを着た女の人が刺殺されてその幽霊が出ると言われる場所に仮に事前の情報を入れずに見える人を連れて行ったらその刺殺された人が見えたとか、あとはこういう風景が見えたっつって場所の答え合わせをすると実際そういうことが起こっていたとか、記憶に還元しきれないものがあるんですよね。それがまぁ謎でしょうがないんですよね。

 

それを「霊」と名付けるのはただの呼び方の問題で、僕はそれを霊とか地縛霊みたいな概念に捕らわれずに一貫して「現象」として捉えてるんですよね。まぁ怖い話とかを見てるときは「地縛霊でしょうねー」とかっていうコメントがあったら「そうだろうなー」とかって思いながら見てますが(笑)基本、唯物論者なので地の部分では「謎の現象」として考えてるんですよね。

 

あとうちの父がたまにあるんですけど町中を歩いていて急に昔の全然会ってない同級生のことを思い出したらその後偶然何十年かぶりにその同級生とばったり会っただとか、他にも面白いのは確率的にすげーなとかって思ったのが、アメリカに居た頃に僕がFなんたらの書類に問題があって日本に帰って作り直しをするときに成田から地元駅まで電車で帰ったところ東海道線で当時まだ会社勤めをしていた父と同じ電車に乗っていたようで(笑)改札でばったり遭遇したってのがありましたね。

 

っつーかこんなの「面白いねー」で済ませてることっていっぱいあるんだけどよく考えるとおかしくない?ってことっていっぱいあるんですよね。僕はこれは逆懐疑論とかって思ってるんですけどね。懐疑論ってなんでも疑うってことでシンクロニシティとか超自然的なものを疑うっていうことなんですけど、僕の場合、それが出来過ぎている場合、「ただの偶然だよ」って科学で検証できないことを全部蚊帳の外に置くことに懐疑的でそれは思考停止だと思ってるんですよね。

 

まぁそれ言い出すと人間なんて全部偶然の産物なわけですが(笑)でもあれですよ、言葉にしないとなくなっちゃうっていうような概念も重要なんですよ。まぁその「無くなっちゃう」という現象を記号論的だったり言語学的に考えるっていうことですよね。今読んでる本に書いてあったんですけど昔の神秘主義者の神秘体験が言葉にならずにメタファーになっているのは神秘体験自体が言葉にならなくて、体験後の人間と体験以前の人間との共通するボキャブラリーや表現形態がないということなんですよね。

 

この不在って凄く肝だと思うんですよね。人間って傲慢なんでなんでも言葉で表せるとか分析できるって思ってるけど変換不可能なものって必ずあって、ただそれは意識なり感覚として感じてるんだけど言語化できないので体験に留まっているっていうことはありますよね。

 

もしくは自分は当たり前だったと思っていた感覚が違っていたとか他の人には無いものだったとかも他の人と照らし合わせて相対化しないと分からないものですよね。主観に埋まっているものってそうだと思うんですね。

 

だから客観でいけそうなものって別に放っておいてもいくらでももっと精密に記述可能になるんでまぁプロに任せておいて(笑)重要なのは主観でただあくまで主観的な客観という意味で考えたときのその主観の中の客観でありえないことが起きたとか見えたとか感じたということをスルーしないってことですよね。

 

滅多にないから「たまたまだろう」とか「なんだったんだろう今のは?」で終わるんですけどそうじゃないんですよね。そこをディグることでなんか分かることがあるかもしれないんですよね。まぁそれと世界的な行き詰まりの中で神秘とか超越的なものへの憧れが高まっているみたいなのは関係ないんですけどね。僕がたまたま色々あってキリストに帰依して今はキリスト教神秘主義にハマっていて、ただその神秘の部分が仏教や禅とかの神秘の部分に繋がるものがあるなとか、特に初期の砂漠の教父とかは禅和尚みたいなことを言ってるからある種禅以前の禅だなとかっていう感動があったりして、でもまぁ禅って神秘主義じゃないですよね。

 

まぁ禅にそこまで詳しくないですけど無っていうことには変わりないと思うんで、世俗と違うエックハルトとか十字架のヨハネみたいな人が無に行きつくのも普遍性があるんだよなって思うわけなんですよね。なんでも類似で見ちゃいけないんですけど類似性を感じざるを得ないんですよね。信じろと言われても無理な欧米化したキリスト教より東洋的と言われるような考え方に近いキリスト教神秘主義の一部とか初期の砂漠の教父とかの思想が馴染むのは自分が単純に東洋人で元々仏教とか禅が好きだったってのはあると思うんですけどね。

 

話が逸れましたけどようは普遍ってことですよね。宗教の場合、少なくとも人知の領域でってことになるんですが、そうじゃない宗教の場合、民族主義だったり生活の習慣だったりするのでそれを押し付け合ってもそりゃ争いしか生まないから、おそらく自分がコミットしてるのは宗教じゃないんだなって最近思うようになったんですよね。

 

世俗的な宗教ってドグマの押し付け合いなんで本当にくだらない世界なんですよね。んで教義と違うことをなんかの宗教組織に属している人が書いたら破門されるとか、それは西洋東洋限らず本当にアホ臭い世界だなって思うんですよね。

 

そんなくだらないことではなく人間にとっての普遍を追求するのが宗教というか、まぁ宗教って手垢と血に染まりすぎてるんでキリスト道とでもいいますか、仏陀もキリストも普遍にコミットした人だと思うんですよね。んでまぁ多大なる功績を残したから神聖化されるっていうことだと思うんですよね。それ以上でも以下でもなくて、彼らの思想を曲げちゃいけないですよね。

 

そこを組織とか世俗でやっていくのにガンガン曲げていくのが世俗の宗教ですよね。で、それをルール化してドグマにしちゃうっていうね、仏陀もキリストもドグマなんて作りませんでしたからね。

 

マルクスが自分はマルクス主義者にはならないだろうって言ったように仏陀もキリスト教も自分は仏教徒とかキリスト教者ではないだろうって言うと思うんですよね。真の仏教徒とかキリスト者ではあったわけですけどね。その辺をニーチェがキリストのみがキリスト者だったとかって言ってるのも感慨深いですよね。

 

だからアンチクライストってキルケゴールみたいな世俗の堕落しきった教会とか宗教批判なんですよね。キリスト自体はめちゃめちゃリスペクトしてるどころか彼らの思想の中核にいるんですよね。なんかその顕在化こそがまさにキリストたる所以だと思ったりもするんですけどね。

 

ホント、でいじさんがおっしゃるようになんとなくウォール伝に引き寄せられた人が心身共に健康になったりすればそれが自分にとっての最高のことですね。でもそれをさせていただいてるソースはキリストなので、仮にウォール伝がそういう場所になってもそれは自分の力じゃなくてキリストの力なんですよね。ただ自分は帰依することにしたので従順になったからこそキリストの部分的な顕在化がしやすくなったのかな?って思いますね。

 

だからまぁなんか昔書いてたようなネガティヴな話とかもう一切しないようにしようと思ってるんですよ。まぁ書いちゃうかもしれませんが(笑)心身健康になるようなヴァイブスを送るってことが福音の力ですからね。まぁ真言の力ですね。

 

これを読んでカタルシスを得るようなものじゃなくてサステイナブルなパワーを提供できたらなって最近めっちゃ思うようになりましたね。そのためには自分の霊性というか気を上げないと話にならないんでそれが今の自分のミッションになっていますけどね。

 

というわけで書き込みありがとうございました!

 

躁鬱奇想天外  2021-05-27 04:56:06

 

オカルト話おもしろいです。 これもオカルトなんですが、この世界がシミュレーションだという説は耳セミさんはどう思いますか?たしかイーロンマスクだかが言ってたと思うんですけどこれからAIやらを使ってコンピュータ上に私たちの現実世界と同じようなものを構築したら、私たちも同じようにシミュレーションされた世界にいるんじゃないのか?みたいな話です。

 

仮にシミュレーションだったとして私たちは外の世界には出れないので、で?となる話ではあるんですけど。釈迦とかニーチェも実はそれに気づいてたのかな?みたいな。 まあまんまマトリックスなんですが、マトリックスもあの機械が支配する現実世界も実はシミュレーションじゃないかみたいな取り方もできたと思います。 あとたしか最近自由意志はないみたい話もありますよね。

 

筋肉の方が先に動いていてあとに脳に信号が行くという。。。 相対性理論もそうじゃないですか?速すぎると時間が遅くなるっていうそれって処理落ちみたいな取り方もできますよね。 オープンワールドのゲームみたいにプレイヤーが見ていない間は描写されなかったりするのかなあと。。。

 

観測者がいるときだけ月が見えるみたいな。我思うゆえに我ありみたいな。 だいぶオカルトですが耳セミさんの意見を聴いてみたいです。 あと全然関係なくて最近タンテを買ってみたいなあと思ってるんですが、なにか初心者におすすめありますか? 耳セミさんはなんか1200のmk7を買ったみたいなの見た気がするんですけどmk3dと音の違いはあるんでしょうか?1200はDJユースですけどオートリターンがないって辛くないですか?たとえばレコード聴きながら寝落ちした時とかオートじゃないと針減っちゃいそうですし・・・

 

シミュレーション仮設はマトリックスそのものですよね。元の議論も知ってます。これはある意味、神秘主義や神学と似ていてっていうか自分の考えですが、シミュレーション内にいる人間がシミュレーションだと検証できる手立てがないはずなので、ウィトゲンシュタインが言うところの「語りえないもの」になりますよね。

 

もしシミュレーションを作っている主がいるとすれば、それは今の人間にとっての神みたいなものなので、言わばマトリックスで言うところのアーキテクトですよね。所謂、一般的に考えられる世界を俯瞰しているタイプの神の目線がまさにそれですよね。まぁただ僕の神の考えではシミュレーションだろうがシミュレーションをしているその主は神ではないので、それとは関係なく神は存在するっていうことになるんですけどね。

 

あと相対性理論と自由意志なんですが、確かに時間は絶対なものではないという時点で自由意志って結構揺らぎますよね。もちろんオカルトなのは自由意志のように見えてすでにあるかプロジェクションされた未来から自分の行動が規定されているみたいなことなんですが、これは時間が絶対的ではないからこそ成立する議論だと思うんですよね。まぁ議論っていうか内容はオカルトですが(笑)それもありうるってことですよね。

 

あとまぁもっと卑近な話だと自由意志って自由意志だと思っているだけでドゥルーズやフーコーみたいな話になるんですが、自分の身の回りの環境や置かれている場所によって行動は規定されるので、主体的に行動しているように見えて実は自由意志ではなくて、むしろ構造が体を動かしているんだみたいな話ですよね。

 

言わばラットとか微生物を観察するときに特定の条件下に置くとどういう振る舞いをするのか?というのが普遍的な自由意志が無いかのようなプログラムのような振る舞いを見せるっていうことですよね。例えば温度調整をして温度を温かいところと死ぬレベルの冷たいところに分けたらそりゃみんな温かいところに行きますよね。

 

それは自由意志というよりアルゴリズムみたいなものなので意志と言えるのか?ってことですよね。こういう生体の生き死にが関わるところは当然としても、でも他の自由だと思われている意志というのはそこまで自明なのか?っていうことですよね。それで言えば環境が規定している部分が相当大きいわけで、一体自由が介在する余地というのはどこにあるのか?っていう気がしますよね。

 

もっと細かい話で言うと例えばギターとか音楽をやろうと思っても自由にできないわけですよね。まともにやろうと思うと強制的に調性音楽になってしまうし、じゃあ基礎が無い適当なフリーインプロみたいなのをやろうとしても結局はそのフリーインプロというメソッドになってしまうっていう、まぁこれって即興論とかに繋がるんですが、これも自由意志の話と似てると思うんですよね。その辺を完全に取っ払って完全なる即興をしようとしていたのがデレク・ベイリーですが、あれはそのまま自由意志というか、自由演奏、つまりはフリーインプロが可能なのか?ということへの向き合いだったような気がします。

 

あ、んでシミュレーション仮説に戻りますけど、オープンワールド的な話があるんでしたよね。キャラがいる場所以外は読み込みが入らないと描写されてないって話ですよね。これって似たようなことを考えたことがあって、僕自身も二十歳ぐらいの時に音について考えるときに誰も全く観測できないような山の中で池に何かが落ちたときの音というのは存在してると言えるのか?とかっていう話なんですよね。「まぁそりゃ起こっているだろう」というのは経験則から言える推測なんであって厳密に言えば分からないんですよね。

 

ただまぁ観察者が介在しないと存在しないものってあると思いますけど、例えばこの山奥の池の話とか月っていうのは定点カメラを設置すれば存在していることが立証されるわけで、まぁ定点カメラすらも観察者として考えると別なんですが、特に人間が介在していなくても存在は客観的に存在するっていうトートロジーみたいになっちゃいますが、そういうオントロジーは確定していますよね。

 

ただ僕が思うにシミュレーション仮説まですべてをシミュレーションと言わなくても、これは部分的なら十分ありえるんじゃないか?って思うんですよね。滅多にないことですけど攻殻機動隊みたいな現実世界における投影とか在るというところにグリッチが発生するみたいなことってあると思うし、グリッチだと思えば納得できることってあると思うんですよね。まぁそれは世界が相対的であるのでグリッチがあって当然だという考え方もできるんですが、全てが平行線上にあるっていうのは人間の思い込みで時間線とか次元とか時空が微妙にずれてる場合とかってあると思うんですよね。

 

まぁそれは一瞬で修正されるようなものかもしれないけどその一瞬のズレを見てしまったり感じてしまった人が「なんじゃこりゃ!」って思うっていうことですよね。もしくは誰も観察していないところでグリッチは常に起きているとか、身近でも起きているんだけど全く気が付かないっていうレベルなのか、そもそも現在の観測レベルというのが発展途上過ぎて色々な仮説が成り立ってしまいますよね。「そんなのあるわけない」って言いきれないっていうか。

 

デカルトのコギト系の話だと仏教での唯識とかってそれに近いですよね。まぁ唯識自体が外部のもののオントロジーにまで派生しているかまでは覚えてないんですが、基本のスタンスは認識しかないってところですよね。

 

まぁこんな感じで話は尽きないんですが、とりあえずこんな感じですよね。色々な検証不可能な仮説があるというのをスルーしなくて可能性として留まらせておくってのは凄く重要ですよね。そもそも人間の認識や科学によって覆されるオントロジーとかが未来に存在するのが確定しているのになぜ現代のこの発展途上の認識を絶対にするのか?っていうことですよね。このあたりが僕が最近言っている未来に先回りしてトンデモはともかく、科学が発展したら検証可能になりそうなものを検証可能な科学の範疇に入れておくってことですよね。

 

んで話は変わってタンテなんですけど、僕はDJ用のしか買ったことがないので、オーディオ用のやつとか全く詳しくないんですね(笑)ただまぁおすすめはどのメーカーというより寝落ちしてもいいようにオートリターンがついてるやつとか自分のニーズによって決めていくってことですねって当たり前のこと過ぎますね(笑)んでオーディオ系って変にケチって安物を買うと結果的に損することになるので、そこそこのやつを買っておいたほうがいいです。大体まぁ5万以上ぐらいのやつがいいんじゃないですかね。

 

ただ音について言えばタンテもそうなんですが、針とかフォノイコライザーとかアンプなりヘッドフォンで聴くならヘッドフォンアンプとヘッドフォンっていう、そういうところのほうが重要ですね。まぁやり始めると沼なんですが(笑)とりあえず聞ければいいって場合だとあまりこの周辺機器にはこだわらずにタンテだけは長く使えそうなそこそこ良いやつを買って周辺機器は「レコードってこんなに良いものなのか!」って感動したら買い足していくみたいな感じでいいと思います。

 

ただ針についてはDJ用のを買ってしまうと低域が大きすぎたりっていうDJ用としては当たり前の出音になるので、オールジャンル鑑賞できるようなDenonとかの針がいいと思います。ぶっちゃけ針はマジでヤバいです。本当になんとなくのレベルではない音の変わり方しますからね。それ言い出すとヘッドフォンとかヘッドフォンアンプとかもそうなんでキリがない話になっちゃうんですけどね。ただCDとかと違ってタンテはちょっとグレードを変えただけでもだいぶ音が変わるってのが面白いと思うんですよね。

 

CDの場合、30万ぐらいするプレイヤーを買わないと誤差のレベルなんじゃね?って感じがするんですが、タンテ関係はちょっとのグレードで変化が顕著なんで面白い世界だと思います。ただ金をかけすぎると後戻りできなくなるのが難点ですね。舌が肥えると一緒で耳が肥えるんで、安物で聴くと昔のラジオ並の音質に感じられてしまったりするので維持しなきゃいけなくなってしまうのが難点と言えば難点ですが、針先以外はそんなにぶっ壊れるものじゃないんで文化的な投資と考えれば妥当だと思いますね。

 

金をかけると良いのがダンスミュージックみたいな大雑把なやつではなくて、クラシックや現代音楽やジャズといったような、生演奏の生もの特有の揺らぎがあるようなものの臨場感がえげつなくなることですね。もうぶっちゃけ全く世界変わりますよ。ただCDも聞くと思うので、それを考えると針とかに金を使うよりまず良いヘッドフォンを買うのがいいかと思います。んでまぁ良いヘッドフォンアンプ使うとまた音がえげつないぐらい良くなるので(笑)そこまでハマったら針をいくつか買うとかケーブルをまぁまぁのやつを買うとかっていう世界になると思いますね。

 

これの何が楽しいか?っていうと今までの音響機器のグレードで聴いたきた音楽が全く別に聞こえることですね。だから持っている音源の聞き直しという楽しみができるんで以外にコスパは良かったりするんですよ(笑)あとまぁ良くすれば良くするほどストリーミングとかで聴くのがありえなくなるので、結果的にあまり流通してないものでもCDかレコードを買うか、あとは手に入るならBandcampとかで圧縮されてないものを買うということになるので音楽ソフトに金がかかるようにはなるかもしれません。

 

まぁそんな感じでお役に立てたら幸いです!