まぁチャラさ捨てたらウォール伝も継続しなくなるだろう。

見えないものにフォーカスしすぎて先が見えなくなっちまったよ(笑)っていうかまぁ色々あるんだけど精神世界にフォーカスするとっていうか瞑想とかを真剣にやろうと思ってて、んで珍しく本屋で瞑想の本を買ってきたっていうかマハーシ・サヤドーの大著があるんでそれが英語版で手に入るんでそれをオーダーしたんだけど取り寄せでんでまぁちょっとなんかやれないかな?と思って簡単にやれそうなのっていうかまぁマインドフル瞑想の本とか散々読んだんだけどさ、まぁいいや、んでまぁ本屋の瞑想のコーナーっつーとあれなのね、ニューエイジとかと混ざってるんだよね(笑)

 

エンジェルヒーリングみたいなうさん臭いやつのなかにちゃんとしたテーラワーダ仏教の瞑想の本とかがあるんだけどそこでOshoの瞑想の本があって値段の割に結構分厚い本だったんで買ったんだけどさ、Oshoってカルトっぽい新宗教のグルでしょ?みたいな偏見があったんだけどっていうかWikiみたらすんげー事件起こしてて(笑)しかもネトフリで製作されたドキュメンタリーがあってそれが2018年ぐらいのやつで結構話題になってたみたいなんだけどニューエイジ系ってやっぱ臭いがキツいよね(笑)

 

エンジェルヒーリングってなんやねん?と思って立ち読みってほどじゃないけど中身見たらキラキラしたバカな女子がハマりそうな感じのやつでドリーン・バーチューって人が提唱者らしいんだけど気になって帰ってから調べたんだよね。そしたらさ、散々エンジェルナンバーとかエンジェルヒーリングとかやってたのに60ぐらいになってキリスト教に回心してっていうか元々クリスチャンちゃうんかい!って思ったけどすげーのが今まで自分がやってきたことはエンジェルの姿をしたサタンの仕業だということがイエスに帰依して分かりましたみたいなことを公式ページに書いてるんだよね。

 

んでまぁ散々うさん臭いので稼いだからいいのか今まで発表した奴は全部悪魔の所産です!とか言い出してっていうか相当ファンダメンタルなキリスト教にハマっちゃったんだなと思って(笑)どっちがうさん臭い宗教なのかわからねーよ!って感じなんだけど流行ったのは形骸化して残ってて調べるとエンジェルヒーリングをやっている場所とか色々出てくるんだよね。

 

あとOshoについて検索してたらモーリー・ロバートソンが書いた記事が出てきてそこでカルロス・カスタネダなる人物を知って調べたらまた臭いがキツイ感じで(笑)簡単に調べたらなんだっけな?文化人類学者とかなんだよね。

 

んでフィールドワークでネイティヴアメリカンのドンファンって人にペヨーテを使った別次元の現実へ行く方法をあたかもドンファンが本当の人物のように書いて実は恐らくあれって小説なんだと思うんだけどフィールドワークでドンファンに色々教わったってのを記録したものだみたいな触れ込みですんげー昔っていうかヒッピーの時代とかに流行ったらしくてさ、オーディオブックがあったから早速聞いてみたらなんか習い事系で良くあるタイプのやつのプロトタイプでもないんだろうけど似たようなもんでさ、ジャズを習うっつーんで買った楽器に取りついていたジャズメンの幽霊に色々教わるみたいなのとか数学でもそんなのがあるけどそういうタイプのペヨーテ経験のやつをこれは別次元への扉なのだ!ってハクスリー的に打ち出したいがためにフィクションをノンフィクションとして書いたっつーうさん臭いやつみたいなんだけど10巻ぐらいあるらしくてロードかよ!って思ったけど一巻をとりあえず買っちゃったから最後まで聴こうとは思うんだけどね。

 

ただまぁニューエイジ系のコーナーの香ばしさって凄いよね。明らかに俺が求めてる世界じゃない異世界のものだってのが直感的に分かる(笑)ニューエイジとかも偏見なく読もうとかって思ってたけど明らかに無理だなと思ったね。ただまぁ超心理学っていう学問として認められてない感じのESPとかをちゃんと学術的に検証するっていうジャンルがあるのを知って超心理学の本とかは読んでるんだけどね。

 

まぁ一応研究に携わる人はビリーバーじゃ絶対ダメで懐疑論者じゃないと絶対ダメだみたいな感じなんだけど予想が簡単につくと思うけどまともなデータってのがほとんど得られないのと似非学問扱いされてるから予算とかも出ないからなんか他のことをやりながら研究してる人が多いらしいんだけどまぁそこでユングのオカルト路線とかがまさに超心理学のルーツの一つみたいな感じなんだよね。

 

まぁコナン・ドイルとかが研究してた心霊学とかも超心理学になるからユングがオリジネーターってわけじゃないんだけどまぁ検証しにくい意識とか謎の現象っていうのをちゃんと検証するっていうジャンルはあるんだなってことを初めて知ったってのはあるよね。

 

だからなんだろうな、超自然的なことに懐疑的ながらも否定はしないっつースタンスよね。ただまぁんでんじゃあ日々何をやっていくのか?っていうとやっぱりその辺が実践的なのが当たり前だけど昔から実践されてる仏教の瞑想法とか精神修養の方法で、んでまぁそういうのを読んで内観とかしてるとさ、逆説的だけど何もかもが虚しくなるんだよね(笑)

 

まぁなんか色々と楽しみが無くなって久しいけど、リアルに外出ても行くとこないし最近はむしろ最悪で虚しさを物欲で埋めるみたいな感じになっててまぁ通販とかって届くまでが楽しみじゃん?だからStockXっつーサイトがあって前に書いたFlightclub方式っつーかFlightclubがパクったんだろうけど出品者がいてStockXが鑑定して本物だったらStockXから送られるってやつがあってまぁヤバいのがそりゃ当たり前なんだけど店舗と違って在庫というかまぁ出品数がエゲつないから色々見てたらさ、そこまで欲しいわけじゃないけどかっけーなっていうのを見つけて一気に三足ぐらい買っちゃったんだよね。

 

んでまぁ届くのが一番楽しみなのってスニーカーですよね。んで開けたときの新品の匂いがたまらん!っていうこれで何倍飯食えるんだ!ってのはスニーカー好きならおなじみだと思うんだけど、その一方で仏教の本とか瞑想の本とか読んでるとまぁよく言われる欲望が苦の源泉だから欲を断てばいいっつーんだけどそこで微妙になるのがスニーカーを買っちゃうのは虚しさを物欲で埋めてるのか本当に好きで買ってるのか?って本当に好きで買ってるんだけど結果的に何か買うようなものでしか虚しさを満たせないっていうのがあるのは単純にライフスタイルの問題なんじゃないか?って思うんだよね。

 

FFのピクセルリマスター一気にやっちゃったからとっとと4から6出せや!って思うぐらい娯楽が何もなくて(笑)しかも日中はダルくて何もやる気が起きないっていうね、だからまぁ洋服屋にいってレコード屋回るとやっぱ好きなものだからわくわくはするんだよね。でもそればっかになると額がどんどん上がってきてさすがにストップかけられるようになっちゃうからそれも無理になると何なんだ?って感じがしてきてさ、洋服無くしたらマジで何も残らねーぞって思うんだけどね。

 

ただまぁなんだろうな、急にチャクラが開きました!みたいなバカみたいな話じゃなくて内観みたいなのを続けるとどんどん虚しくなっていくっていうのはおそらくやり方は正しいんだよね。だからより虚しくなっていくわけで。でもこれも相対的で元々多趣味なのが昔は買えなかったのが買えるようになったりスニーカーじゃないけどずーっと好きだからコレクションしてると欲しいのを買いつくしてくるのと同じでまぁ物質的なものに限界があるんだよね。音楽然り。現代音楽のコーナーで必死に面白そうなのを探すんだけどまぁ無いんだわな。

 

こないだ聞いたグレゴリアンチャントにパーカッション演奏が乗ってるやつとかあったんだけどクラシック界のやつら本当にセンス無いよなっていうような感じで呆れちゃうんだけどね(笑)まぁなんだろうな、ニューエイジとか知らない世界もあるし楽しみだ!って思ってたんだけど日々の実践が結局は地味なヴィパッサナー瞑想とかになるしいや、単純にこれはニューエイジ思想抜きで霊性高まるだろうなって思うんだけどどんどん世俗と離れていくよね。

 

洋服!とか音楽!とかっていつも書くけどこれが世俗とコネクションを持てる数少ないものなんだけどいよいよ神学だ瞑想だって世界になっちゃうともう戻れない気がするんだけどもうその時が来てるのかなって気がしたらなんか色々と良い意味でどうでもよくなってきちゃったんだよね。いや、霊性は気が狂おうが最高に高めたいし極力世俗との接触を断って生きていく!ってことに決めたんだけど俗っぽい部分の刺激を求めちゃうからそこがぽっかり空いた感じになるからそこを瞑想で埋めたらいよいよ隠者みたいになるなーって感じだよね(笑)

 

二十歳になる前から隠者気質であまりに隠者気質過ぎるから外に出なければ!って思ってたけどやっぱこれが本質だと思うと抗えないよね。あとまぁペヨーテがどうのみたいな幻覚剤の世界とか全然興味ないしね。あんなのただの脳内物質の所産なわけで霊性とは関係ないっつーかまぁあとはグルみたいな人がいれば霊性を高める使い方とかはできるんだろうけどそうなるともうどっかの山奥とか行って修行みたいなレベルになるよね。

 

まぁそこがさ、あんまり詳しく書きたくないんだけどこないだ見てもらったカウンセラーの人曰くの俺の前世ってのが3代ぐらいあるんだけどジャンルは違えど全部その隠者系で山奥で修行してた系なんだよね。「えー!」ってなるでしょ。謎の気質のルーツは俺の魂か!ってまぁそれだけじゃないんだけどね、「えー!」って思ったのは。

 

まぁその中にっていうか一番俺的に重要なキリスト教ってのが入っててさ、だからかっていうかまぁもうそうなんだなって分かったというかね、もうそれはそのカウンセラーの人が見えてた見えてなかった関係なくもうそうだなって思ったんだよね。まぁ自分の中では「やっぱりそうなのか」ってのとこのタイミングで見てもらいたくなったのもそうなのかってのがあったしただそうなってからよりなんか世俗的な欲望が無くなってきたっつーのかな。

 

やってやるぜ!とかさ、なんかで大成功してやるぜ!みたいなのを持ってないと現世で生きられないって思ってたけどそういうベクトルじゃなくてベクトルは霊性なんだなって思うとなんか「やっぱそうなのか」ってのがあってさ、だったらまぁ邪魔されないように生きるっていう方法を考えなきゃなってことになるんだけどね。

 

あとまぁなかなかアレよ、大変よ。イライラしてもイラつかないとか怒らないとかネガティヴだったり世俗的なものを見ないってことになるとさらにもうなんか本しかなくなるんだよね。まぁ娯楽程度に映画とかはいいだろうって思うんだけどまぁようは霊性を低くしちゃうような習慣とかを無くす!ってなるとガンガンミニマリスティックになっていくんだよね。かといっても別に出費が減るわけじゃなくて(笑)欲しいものは欲しいから買うんだけど精神修養かーって思うとなんかあれよね、ホントに地味だよね。

 

あとなんか体系的に神学をやろう!っていうのもなんかさ、学問的なアカデミックな水準で居たい!みたいなのがあるんだけどそれって世俗目線で世俗がどうでもよくなるとそれすらもどうでもよくなるから霊性とか信仰にかかわる意味での研究は必須だけどぼろくそ書きまくってる最悪の護教論を展開するバルトみたいなのに見られるような霊性がみじんもない既存の宗教体系の整合性のためにだけあるようなものってのを抜いていくとっていうかあ、護教だわこれって思うのを抜いていくと読む必要がない本が大量になるんだよね。

 

まぁさっきの超心理学でいうところで言えばあ、これビリーバーが書いた超能力肯定の本だわって思ったら科学性もへったくれもないから読む意味がないっていうね、それと同じだよね。ただそういう意味で宗教的厳密性って世俗の組織が押し付けるものを除けば基準がないから本当に自分でやっていくしかないんだよね。まぁまさに在家の僧侶みたいな感じだよね。でもなんだろうな、僧侶になろう!じゃなくて僧侶みたいになっちまったっていう感じだよね。

 

いや、まだ全然なってないんだけどベクトルはそんな感じでしょう。あとまぁ性欲の処理はテンガで彼女がどうのとか一切考えなくなると確かに楽だよね。本当に意味無いなって思うもんね。まぁ良い出会いがあれば別だけど望むものでもないし望むものは常に霊性!っていうマインドでいないとすぐまた俗の世界に落ちて俗の世界における虚しさに苛まれるからね。

 

ただまぁなんだろうな、霊性を高める!というまぁそうじゃないと生きていくのが大変だぞ!ってのがあるから必要でやるにしても虚しさとか日々やることが同じってのは今後より強まるからなんか変化が欲しい!みたいなのはあきらめないといけないね。内面を変えてランドスケープを変えることが一番の変化なのだ!って思うしかないよねとかって思ってるとこれって西洋がヒッピームーヴメントとかの頃に意識改革だ!っつってそれこそニューエイジ的なものとか幻覚剤とか西洋的な浅い禅の世界観とかと同じだよなーとか思いつつ(笑)ヒッピーは結局一過性のものでその後ヤッピーになったんだけど俺の場合、もうイッちゃうっていうことでしょ。

 

なんかそういうのをせき止めてたものを外しちゃうってことだもんね。世俗的な感覚が正常なメンタルを保つ一つの基準であるなら霊性の世界ってのはそんな清い世界じゃなくて狂気と隣り合わせのもんだよなって思うんだよね。まぁでも別に元々ある意味狂ってるし思えば10代とかの一番精神的な症状が酷かったころって統合失調症みたいになってたと今思えばなくもないなって思うからあんまりそういう狂うってことが怖くないってのはあるよね。経験済みなのと常にある種狂っててまぁちょっとせき止めてるだけででもそれは年々せき止める力も弱くなってきてるからもう自然体でいようってことになってるんだと思うんだよね。

 

そこでもう関心が霊性にしかないっていうんであればっていうかそこで霊性しかないってなってるのは良いことなんだと思ってるけどね。んでなんか都合の良い話だけど正道を進んでればなんかその世俗のやらなきゃいけない系のことに引っ張られて思うようにいかないみたいなこともなくなるような気がしてるんだよね。でもそれは相当真面目に取り組まないと無理で中途半端だと中途半端に終わるし世俗にも引っ張られる気がするんだよね。

 

だからまぁコミットメントだよね。本当に。色々と何もかもに興味を失うってのは危ないことだと思ってたけどそれを霊性の高まりとか変化の予兆として考えれば興味を失うことを恐れなくなるでしょ。むしろそれで執着が無くなるからより楽になるって考えていけばいいんだろうなっていう気はしてるよね。

 

ただまぁなんか暗いよね(笑)中身まで陰キャみたいにならなければ大丈夫だけどね。なんか俺の元々持ってるチャラい部分ってのはそれは自然のものだから捨てたくないよね。まぁチャラさ捨てたらウォール伝も継続しなくなるだろう(笑)

 

ってことでそんな感じでっつーかまぁ神秘の世界に幻想を持ってたのがそんなのは無い!ってのをモロに体験してる感じだけどまぁこれって日々の修行の成果が出てるってことだよね。どんどん世俗離れしていきそうだけど遷化しない程度にしておかないとなって感じですかね。

 

ってことでんじゃまた。

 

なんか誤字脱字とか一応チェックしてるんだけどあまりに厭世的すぎるんで補足しておくと何もかもどうでも良くなったので世捨て人になります・・・じゃなくて何もかもを神様にお任せしますっていうシェフのお任せコースみたいなコースにするっていう意味ね。今まではニーチェを出してきてWill Powerだ!とかっつーマインド面での体育会系な感じがあったけどそのwillをお任せするって感じになってるって意味で世の中に興味が無くなってるとかそういうのではないので。