サイレントな悪のクラスター。

やっと復活しましたよ。もう完全復活ね。ただあれだけオナニーしてて一切やってなかったから夢精してるっぽくて抜いてないのに股がイカ臭いんだよね。

 

まぁそれはともかくだな、なんで引っ張ってるのか分からないFFピクセルリマスターだけどやっと4出ましたね。で、まぁ当日に終えました(笑)なんつーか難易度最高ね。良い意味で。色々発見があるんで是非やってみてほしいわ。

 

あとあのあれだ、耳蝉式のパラディン後のセシルをバロン城の地下水路で他の仲間寝かせてレベル上げまくって後にエッジ以外の仲間と再会したときにセシルのレベルが基準になるってのが何個かあるリメイクとかだと修正っつーか再会時のレベルが固定だったんだけどセシル基準になってるんで無茶して60ぐらいまで地下水路で上げるとローザが再会時にホーリー覚えてるとかリディアがメテオ覚えてるとかそんなのが可能です(笑)まぁ俺は50ぐらいまでしか上げなかったけどね。

 

これってデフォのFF4の難易度がエグいからこんぐらいやらないとすぐ死ぬからっつってやってたんだけどピクセルリマスターは特にレベル上げってやる必要がないっつーか雑魚の経験値が多いのかな。多くはないか。ただまぁすげーレベル上がりやすいんだよね。

 

あと他に驚き要素があるんだけどネタバレになるから書かないわ。まぁ些細な違いなんだけど何回もFF4やってきてる身としては感動する感じのバランスっつーかね。

 

まぁそんな感じですねって書くことねーじゃんっていう余白ばかりのブログみたいな感じになってるけど(笑)最近まぁなんか風邪症状で寝てたのもあって色々考えたね。まぁ何回も書いてると思うけど余生をどう過ごすのか?っつーそれに尽きるよね。これがあれば一生やってける!っていう学問の地位が俺的に揺らいでるのが変化なんだよねっつーのも哲学にそんなに入れ込まなくなったのはだいぶ前からだけど、特に例のインド哲学の人に出会ってから彼女からの影響が凄く大きくて、彼女はまぁ宗教的な体験みたいなものと言葉の世界を同時にやることは無理だと思うって言ってたんだけど、俺的に思ったのは無理というより体験のほうを重視すると言葉の世界がより相対化されてどうでもよくなっちゃうんだよね。

 

だから日々のマインドの在り方とかいきなりわけわからんこと思い出してもただそれを傍観するだけみたいなマインドの修行だよね。そっちのほうがよっぽど重要でさ、んで学問ってまぁぶっちゃけ歴史8割ぐらいだよね。例えばニーチェについてっつってもニーチェについての本ってのがあったとして平均的な洋書だとやっぱ半分ぐらい歴史とかバイオグラフィーなんだよね。で、あと思想の要約っていうね。

 

で、まぁ散々バイオグラフィーとか読んできてるから思想自体がmatterなわけじゃん?そうなるとそんなに多くないんだよね。文献学をやるならいつのニーチェの手紙が見つかって解釈が変わる!とかゾンビを切り裂くような考古学ってのはあるけどそういうのに興味ないしキリスト教史とかも重要なのは福音と関心は神秘主義とか実践者達の思想になったから歴史的に教会がどうのってああいうのってようはカトリックがどう世界を支配しようとしていたか?っつー歴史でつまんないんだよね。

 

まぁ東方に関しても数冊読めば十分だし、あとは思想ってことになるんだけど結局読むというより実践することが本当に重要で実践することの難しさと学問的なやった感が得られないもどかしさってのがあるよね。ロシアの詩人の名前忘れたけど語ることができる思想は嘘だみたいな言葉があるんだけど言わばこれって俺が最近批判してるロゴセントリックになり過ぎてる哲学への究極のディスっていうかさ、観念論をこじらせて脳内ループしてるとかただの病んでる世界だからね。所謂、世間から意味ないとされる哲学ってのはこういうのだよね。

 

じゃあ有用な哲学は?っていうと実践できる哲学なわけでまぁようは思想だよね。思想に生きるってことだよね。ニーチェのことならなんでも知ってる学者よりニーチェの思想を実践して日々生きてる歴史が長いやつのほうがすげーわけですよ。世間的には評価されないけどね。

 

まぁだから評価とかがどうでも良くなると学問ってある種、有名になってやろう!とか承認欲求とかもあるじゃん?書けるわけないけど凄い論文書いてやろう!みたいな野望というか幻想というかさ、なんかすげーデモテープ作ってやろう!的な昔の音楽業界への幻想みたいなのがあるよね。

 

でも今ってなんでも発信できるし別にレーベル頼らなくてもアマゾンとかに乗せられるわけでそれで聞かれるか?ってのは別だけどとりあえずストリーミングに乗ってれば限定何十枚とか何百枚のCD出すよりよっぽどいいよね。Tunecoreだけの再生数ですら3000とかいってるから全然まぁマッシュアップ全盛期に比べたらクソみたいな数だけど3000ってただだから聞かれるわけでCDで売ってたりしたら不可能だよね。

 

全く金にならんけどそんだけ聞かれてれば満足よね。一曲が200回ぐらい再生されてるだけでも何気にありえねー話だよな。全く無名のやつの曲がそんだけ聞かれてるんだもんね。

 

いや、思想も同じでさ、科学論文とかは別だけどなんか思ったら別に何かに書いてブログでもNoteでもいいから載せればいいんだよね。そうすると大したものではなくてもまぁまぁのものだと結構読まれるからね。それこそ論文で発表したらそんなに読まれないだろうっていう数読まれるわけだからなんか本を出してやろう!とかさ、まぁ出版自体オワコンだからもうあれなんだけどある意味読まれてる時点で達成できてるんだよね。

 

んでまぁなんか正式リリース!とかもう古いと思うけど曲できてるのに出すのに手間がかかるとかさ、どの道、金にならないのに大げさに色々と遠回りして出すとかナンセンスの極みだと思うから出来たらすぐ出せばいいんだよね。で、リアルな再生回数を見て納得すると(笑)まぁその数字ってのが本当にリアルだからね。

 

だからなんかただやれてて出せてればいいって感じだから夢とかいらないよね。即物的に作りたい!って思ったのを作って何かしらの方法でネットに乗せればもういいわけですよ。バンドとかなら別なんだけどね。

 

思想もやるっつーよりやってしまうもんだしなしでは生きられないもんだから夢も何もただそこに読むとか実践するっていう行為があるだけで昔みたいなそれで名を上げてやる!みたいな野望とかって意味なくはないけどなんかそういう時代でもないだろうって気がするよね。

 

ましてや宗教的実践なんて功名心とは真逆のベクトルだからね。イエスも言ってるけどパリサイ派みたいに大げさにやってる感を出して見せつけるようにやるんじゃなくて誰にも見られないところでやれっつってるからね。まぁそれが祈りであれ色んな宗教的行為であれね。何しろそこで自分がやっているっていう主体性が一番邪魔なわけだからさ、で、これって仏教とかキリスト教とかホント一緒なんだよね。シャンカラ読んでてエックハルト読んでるとどっちがどうだっけ?って思うぐらい似てるんだよね。

 

あとまぁ教会関係の組織系の話とか護教論とか全く興味なくなったから本当にフォーカスするのが内面とか精神世界というとニューエイジみたいになっちゃうけどまぁ内面世界よね。どんどん確信に近づくものがあるけどそれはキリスト教に目覚めた個人的な出来事の連続とか流れと一緒で喋ったり書くようなもんじゃないんだよね。確信もまさにそれ。

 

ただまぁすげーよ。ここ最近本当に自分変わったなって思うもんね。こういう状態になってからやる宗教的実践とか勉強ってのがリアルなものだよね。まぁそれまでもやってきたっていうことがあるから今みたいな状態があるんだけどね。ただ確信を得た後に過ごした時間とそうじゃない状態で過ごした時間っつったら後者のほうが圧倒的に長いわけだからなかなか変わらないんだけどね。変わったといいつつ変わらない。

 

それは圧倒的に生まれてからのある種の凡人的マインドというか小市民的マインドが長かったからそれが引きずる惰性は凄いものがあるよね。脳の何十年にも及ぶ癖があるわけで、それを治さなきゃいけないから本当にすぐできるようなもんじゃなくて持続を永遠に続ける感じだよね。で、そういうくだらないマインドで生きていた時期も経験で良かったんだけどもうそうじゃないっていうマインドへの移行を完全なものにするっていうかさ、こればかりは時間がかかるよね。

 

だからまぁなんだろうな、それについて考えるとか神について考えるじゃないけどさ、そういう時間の濃さを凄まじくしていくと実時間より長い時間そこに浸っているという状態が得られるんだけど思うに瞑想ってそのメソッドだよね。まぁ瞑想って頭を空っぽにするものだけどそれって俗人的なマインドから離れる時間を持つってことじゃん?

 

所謂凡夫マインドから離れるってことだよね。あとまぁ世俗的なことから離れるのもやっぱり有効だと思うよね。なんか普通の人がこういうこと言うとディスられたり怪訝な感じになるのに歴史的な偉人がそう言ってるとありがたい言葉になるから不思議だよね(笑)

 

でも俺みたいに元々例えばしょっちゅう飲みに行くとかカラオケに行くとかってことをしない人間だと移行は一瞬だと思うね。それでも数年かかるだろうけど元々のマインドが隠居マインドだと相当それはやりやすいし思うにこの隠居マインドって世に出なくては!とか社会と関わらなくては!みたいなのが絶対的に良しとされる前提があるからネガティヴに思われるんだけど、そんなの自明じゃないってことを考えるとこれって一種の才能なんだなって気が付いたんだよね。

 

すげーことだよね。一人でいるほうが好きで夜中が大好きとかさ(笑)で、そういう時間に深い集中を必要とするようなことをするとかね、あとはできる環境にいるとかってのもそうなんだけどそれが揃ってるって凄いことだよね。まぁ誰からも評価される凄さではないんだけど(笑)世間の尺度で考えなければやることによってはすげーアドバンテージだなって思うわけよ。

 

なんつーかだいぶ前だけどオワコンシリーズでまぁ逆にだからリアルを肯定するんだ!なんつって街に出よう!なんつってた時期があったけどそれはリアルの見方が一元的すぎるんだよね。内面世界もリアルじゃないか!っていうね、それこそオカルトとかで言われるアストラル界みたいなのも感じられればリアルなわけだから、そういうリアル感覚を研ぎ澄ませるっていうのは結局は精神の世界の感覚を養うってことだと思うんだよね。どうせ外界はつまらんしヴィッパッサナーとかで言われるような内面世界のdistractionになるsensualなplesureとかってのがね、まぁある程度やったからいいんだけどsensualなものって限界あるよね。

 

でも内面世界とかもっと言えば神との合一の世界なんて無限の世界じゃん?なんでそれを探求しない?って話だよね。まぁでもそれって別に社会から完全に分断されるとかじゃないからね。そういう風に生きている中で得た感覚とか思想とかが外界と繋がるときに面白がられたりとかさ、それもまぁコネクトするカタリストにはなるよね。

 

完全分断ってオンラインゲームに没頭するようなヴァーチャルの世界にイッちゃう人だよね。あれはさすがにマズいよっていうか俺はやらんしやったら終わりだと思うしね。内面世界を磨いてる人ってまぁ修行僧とかってそれなわけでさ、で、まぁそういう世界で得た知識とか経験をアウトプットすることはできるわけじゃん?だからそれも社会的活動ではあるよね。別にいつかアウトプットするんだとかって思ってなくてもいいんだけど無暗に世俗との繋がりを分断させる必要はないんだよね。ただ自分の領域を犯されない程度ならそれがベストだよね。

 

あとまぁ一時期の引きこもり論とかで引きこもる時期があったから今がある!みたいなさ、それだよね。結構いるじゃん?千原ジュニアとか天才肌の人に多い気がするけどあとネジロウの人とかもそうよね。引きこもって数学に没頭してたからネジロウがあるわけで外界との接点を最小限にして何かに没頭するってできるならやったほうがいいよね。功利的に考えるわけじゃないけど結果的にだらだら中途半端に生きてるより濃い時間を生きることになるからなんらかの結果的なメリットにはなるんだよね。

 

ってことで長くなったんで続きますんでんじゃまた。