クンダリーニ症候群なのか?その3。

ってことで続きです。

 

っつーかすんげー香ばしいゲーム見つけたんで。

 

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なんだろうな、瞑想して分かるのはっつーか別に瞑想しないでも分かれよ!って話なんだけど空虚さとかを誤魔化すために色々なものを押し込めるつもりの誤魔化しと能動的にやりたいからやっているってのとではだいぶ違うよね。なんでもハマる当初は能動的だからそれはいいんだよね。

 

ただ虚しさを埋めようと終わりがないエンドコンテンツがありそうなゲームに挑戦してみようとかさ、これってまぁ虚しさをストロングゼロとかで誤魔化すのと同じなんだよね。まぁなんか歳取るとアル中が増えるのもアルコールに逃げるっていうことなんだけどまぁ今なら分かるよね。あれは楽だからな。あとくだらないことが楽しいように感じるようになるから余計に楽だよね。

 

でもまぁこうやって本来の空虚さから逃げてると大体ツケが来るんですよね。今までも対峙してきたつもりだけど、特に最近エグいのは最後の戦線を張ってたような気晴らしとか誤魔化しが無くなったということだよね。だから何してようがもうそこには虚しさしかないんだよね。でもそれは何もかも虚しい・・・と感じるような鬱っぽいものではなくて本来の空虚さだよね。デフォの空虚さっつーかね。

 

で、瞑想でさらにそれを引っ張ってきてっつーか普通のプラグマティックな瞑想法とかだと多分気分を安定させるとか「きっとうまくいく」みたいなアファーメーションをかけるものだけど俺的に言うとこれは何の根拠もないことに期待を抱く誤魔化しだから自分である種の変性意識に入った後に「きっとうまくいく」っていうような洗脳をするわけじゃん?

 

何かに取り組んでる人はそれでいいと思うんだけど、所謂俺みたいに動機づけが宗教的で神秘主義的だとそういうプラクティカルなものとは別だからね。だから誤魔化さないってことを徹底するわけだから異様に感性が鋭くなるしこれはまぁ話半分で聞いてもらえばいいんだけど今みたいなずーっと続いてた鬱サイクルがさらに酷くなっても瞑想を続けてさ、んでこないだ久々にゲームやったのよ。

 

ゲームやったっつーより起動したっつー感じか。まぁ久々だったからって言えばそれまでだけどウソのような話だけどそのゲームってリマスターしたの?ってぐらい画質が良くなってたんだよね(笑)あと動き凝ってるなーとか細かいところにすんげー目が行くんだよね。普通にやってた頃は靄がかかってるようなスペックが低いPCでやってるような感覚だとすれば今は超ハイスペックのPCでやってるような感じだよね。

 

感覚が鋭くなるってこういうことなのか?っていうね(笑)でもなんでゲームなんだ・・・っていう。まぁそれはいいか。でもまぁ俺が感じてる虚しさなんてすんげー古い題材のもんですよね。基本まぁ昔からそうだから実存主義みたいなのにすんげー惹かれるんだけどあれはなんの解決にもならないしサルトルみたいに文学とかに昇華させればすげーなと思うしまぁそれで言うとドストエフスキーとかカフカとかだってまぁすんげー実存的じゃん?っていうね。

 

ただガチの実存問題と実存気取りって全然違うんだよね。前者は神秘体験を経験した人が言う神秘体験で後者は文字の世界だけで理解した気になってる体験が伴ってない人だよね。ニヒリスト然りだよね。ニヒリスト気取りは自己愛が高いわけだから気取れるわけでそれを病理とか根本問題として捉えないわけじゃん?

 

ニーチェはそれを根本問題だと思ったからニヒリズムの超越って考えてたわけでしょ?ニーチェっていまだにニヒリストの哲学者とか言われるけど違うからね。超人思想の哲学者だからね。ニヒリズムってのも本当に受肉して辛さを味わわないと分からないよね。で、気取りとは程遠い世界だってのが分かるはずだよね。で、そのままでいられるわけがない。辛すぎて。

 

なんとか日々それでもやってける場合、ニヒリズムとは違うよね。ニヒリズムはもう動けなくなるようなもんだからね。なんだろう、あれだな、自分が大人になったなーって思ったのはエヴァの完結編を見たときだね。作品としては良いと思うけど見たのがまさに中学ぐらいの頃だからモロにシンジ君に自分を投影してたっつーかだから流行ったみたいなさ、「俺ってシンジだから」みたいなね、ただまぁどんなアニメでもそうだけど大人になってみるとそんなことで文句言ってないでなんとかしろ!とかってガキ臭さにイライラすんじゃん?(笑)それと同じだよね。

 

下手にキリスト教学んじゃったもんだからあの思わせぶりなキリスト教モチーフに何かあるのか?っていうまぁ思わせぶりなのに引っかかるのが中学生で大人はまぁ引っかからないですよね(笑)だからまぁ結局ああいう感じなのかっていう深さなんて求めてないけどまぁそういうもんだよなっていうね。

 

それはあらゆるものに言えるよね。なんか求めちゃうスタンダードが高くなっちゃうとアート映画気取りみたいになっちゃうけどベルイマンとかパゾリーニとかタルコフスキーとかタル・ベーラとかブレッソンとかに極みを感じちゃうから魂のゆくえとかにすんげー失望しちゃうんだと思うんだよねっていうかああいう昔のレベルの深さを求めちゃいかんなってことになる。

 

あとまぁゴダールとかは中二病の上の哲学病とか文学病を拗らせた二十歳前後のやつがハマる感じだから大人になると意味のある難解さと意味のない難解さが分かるから本当にくだらないと思うものは本当にくだらなく感じちゃうよね。だからまぁアンナ・カリーナがひたすら可愛い!みたいな、あとまぁゴダールならではの色彩とかスタイリッシュさとかそっちにいっちゃうよね。

 

今の映画がクソだとは言わないですよ。今はピーターストリックランドが大好きでしょうがないし他にも上げれば色々と出てくるから別に音楽ほど映画は昔が良かった!なんてことはないんですよね。まぁ音楽っつっても俺が聞かないジャンルでは今のほうが良いやつなんていっぱいあるだろうしね。何しろ俺が好きなジャンルって古いからね(笑)

 

まぁあと外出がつまらなくなるのは必然かなと。買い物にしても通販で事足りるしブラブラするっつってもチェーン店とかファストファッション・ファストフードだらけの似たような風景の切り貼りみたいな街に魅力は感じないし、まぁもっと昔の人から言わせると俺が面白いと思っていた90年代ですらもつまらなくなり始めていた時代らしいけどまぁ面白かったですよ。若かったのもあるけどね。渋谷とか原宿なんてみんな色んな個々が思う独特な恰好してたし。今はテンプレだらけだからね。

 

合理化の結果なのはチェーン店とかファストファッションだらけだとかいろんな意味で人間がテンプレ化されるっていうのは分かるんだけどそれによって失われてる個性ってまぁ個性って言い方に問題あるけどさ、まぁでも社会的には個の時代になってるんだよね。昔は北朝鮮並の全体主義国家で今も名残はあるけどだいぶ個になってきたし、かといってもアメリカみたいに行き過ぎるとすぐ弁護士呼ぶだ人権だ侵害だなんだってうるさくなるから今ぐらいが一番いいと思うんだけどね。

 

アメリカ人のマナーの悪さって強烈だからな。そこに足乗っけるなよとかそんな座り方すんなよって座り方するからね(笑)最初は新鮮だったけどさ、自由過ぎるが故の問題もあるし政府も自由推進でただ全部自己責任でねっつって切り捨て凄まじいし(笑)だからなんでもビジネスに結び付けないとやってけないみたいな拝金主義がまかり通っちゃうんだけどまぁしょうがないよね。

 

あ、そうそう。幻想の話をこないだしたけど海外幻想ぶっ壊れもまぁ一つだよね。こんなの日本がクソなせいだからだ!ってまぁ昔の俺は思ってて今でもそれは変わらないっていうか日本特有のクソさはあるんだけどアメリカにはもっと根深いアメリカ特有のクソさがあって、例えば学校のアドミンレベルでのさ、それこそ学生が入学の時期を逃しちゃうみたいな問題すらも適当にほったらかしにするとかっていうあのレイジーさは何なの?っつってもなんでそれで労働効率が日本は悪いのかちょっと分からないけど(笑)対応のきめ細やかさってまぁ日本は精神労働になっちゃうけどまぁそこはすごいからね。

 

生きていき分には平和だし便利だよね。アマゾンが普通に届くってのがどんだけ凄いことなのか?ってことですよ。日本は生ぬるいとか言われるけどよく言えば便利なんだよね。だから俺はやっぱ日本好きだし出ていこうと思わないんだよね。便利過ぎて(笑)あとアメリカにいたころも同じだけどアメリカで市民権取ろう!って思ってても結局気になることって日本のことだからやっぱ俺は日本人なんだよね。

 

逆にそれでアメリカの政治とかアメリカの行く末を考えるとかあんまり考えられなかったからね。外様が何言ってやがんだ?って感じがしたからね。まぁそれでもやっぱちゃんとした憲法がある国は大好きだけどね。

 

でもアメリカ時代からこれ読んでくださってる人ならおなじみだけど陽気でエネルギッシュなアメリカのしかもマンハッタンにいても虚しさを感じてたから結局は心なんだよね。場所を移動すれば移動した先での慣れとか違いに新鮮さを感じるけどそれも時間の問題だよね。結局あるのは日常生活だからね。

 

移動すればなんとかなる!って考えるのもなんか東急ハンズとかで日々なんかやれるグッズみたいなのを買ってこれを買えば明日から生活が変わる!なんて思って変わらないのと同じなんだよね(笑)結局は変わらなさと退屈さと向き合うしかないんだよね。

 

まぁそれを感じている人はって話で感じてないならそれで全然いいんだよね。空虚さとか退屈ってなんかラスボスの全体攻撃が永遠とある感じでこっちは色んなアイテムとか回復魔法でHP回復するんだけどそれもいつか尽きてHPというSan値をガンガン削られることになるのは必然だよね。消耗戦だから負けが見えてるわけでだからその全体攻撃と付き合っていかなきゃいけないんだよね。

 

まぁそれはなんだろう、理想を言えばダメージゼロだけどラスボスに攻撃するわけではないみたいなことだよね。ラスボス自体がある意味自分の実存だからそれ攻撃すると自分を攻撃することになっちゃうからね。結局そういう辛さからの自殺ってのはそのラスボス戦でラスボスと共にメガンテで両方終わらせるみたいな話だよね。

 

でもそれは悲しすぎるでしょう。それはやっぱ無いんですよね。あと恋愛を否定するつもりはないけど彼女・彼氏ができたら変わるのに!みたいなのもちょっと前まではまず結婚への幻想がぶっ壊れて今は恋愛への幻想がぶっ壊れてリアルになってるから恋愛離れになってるわけだよね。まぁこれも無駄な幻想に惑わされないっていうことだから文明的には進化してるんだよね。

 

情報の速さってやっぱそれ自体の速度が幻想を壊すよね。かといっても別にロマンは消えないんだよね。FPSで言えばそれでもリボルバーがいいんだ!ってまぁ俺はマテバがいいんだ!ってのが人間らしい非合理性なわけでロマンじゃないですか?ロマン武器って用語があるぐらいで。だから恋愛もロマンなんですよね。

 

アサルトライフル使えばいいでしょう?っていうまぁAVとテンガがあればいいでしょうみたいなリアルに俺はやっぱり人間と恋愛がしたいんだ!っていう非合理性はリボルバーへの愛とかと同じなんですよね。愛は非合理だからね。そこがいいわけだ。だから逆に恋愛の良さは引き立ってると思うけどね。ただ幻想を抱くようなものではないのは確かだよね。セックス然り。性癖によっては快楽だけで言えばその性癖を利用したオナニーが一番気持ちいいからね。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。