魂のゆくえ。その34。

見えないものが重要になる時代って言われてるけど、最近は学問的ではないスピ寄りとか一般的にはオカルトとかって言われちゃうような本とかも関係なく読んでる中で思うのはっていうか結果的に思うのはどんな宗教でも目に見えるものへの比重が大きすぎることの弊害ってのを語ってて、これは普遍なんだよね。

 

で、今は世界的に見えるものが頭打ちになってる時代だし、スピ的な意味合いじゃないもうちょっと抽象度が低いレベルでも例えば人間にしても肩書とか経歴とか資産とかよりもセンスとか考え方とかようは魂っていう部分が重要になってくると同時にそれが結果的に生存に繋がるという流れになってるんだよね。

 

でも戦前から戦後あたりまでの見えるものの時代ってのはよく考えればそれが必然でそれが無ければ今ほどの文明化もテクノロジーの恩恵とかもなかったわけで、ただまぁ見えない世界系の人たちが行きづらい時代ではあったんだけど、そういう時代が終わって見えないものの時代になってきていると流れがそっちになるからそういう人たちが活躍できる時代になるんだよね。

 

でもその「活躍」という概念すらも古いというか、例えば有名になるとかSNSのフォロワーがすげー増えるとか承認されまくるみたいなことではなくて(笑)まぁ一般的な成功とか「凄いねー」って分かりやすく言われるような指標ってのの基準自体も古い見えるものの時代の名残なんだよね。まぁフォロワー数とか再生回数とかね。

 

でも見えないものはとことん見えないわけだ(笑)だから当人は活躍しているという意識すらないのかもしれないけど、ちょっといかがわしい言い方になるけど(笑)最近書いているエネルギーの次元での活躍というのが活性化されているから、そういう見えない系の人たちのエネルギーが通りやすくなるんだよね。

 

でも目に見える形で何かを成し遂げた!とか成功した!って形になるとは限らないんだけど、それがワークして何かを起こしていたり良い結果になってる時点でもうそれは成功で活躍してるってことなんだよね。この「活躍」という概念も古いというか更新しなきゃいけないんだよね。

 

例えば今の自分の太極拳の師父にしても、宮平先生みたいに超有名なわけじゃないけど凄い人なんだよね。で、俺はよく先生におこがましいけど「そんなに凄い技術や体系をお持ちなんだったらそのうち超有名になって僕なんかがこういう距離感で話せるような人じゃなくなるかもしれませんね」なんて言うと全くそういうことは気にしないんだよね。

 

有名になるとかというより先生の中にあるのは自分の功夫の質とそれをどう上手く伝えるか?ということにフォーカスされててその熱量が凄いから結果的に凄まじいインフルエンサーなんだよね。でも扱っているものが抽象的でネットで発表してどうのという内容じゃないんでそういうのを発信もしないし、逆にそういうの発信してややこしい人が来てもアレだから(笑)って理由もあってやらないし、あとまぁ武術自体が口伝とか身体同士の直接的なやり取りでの伝達だからなんでもネットでどうのっていうところに疑問を持ってるということもあって、そういうのはやらないんだけど、なんかまぁ典型的な今後の時代の寵児だなって思うんだよね。

 

やり方とか思想とかポテンシャルが今の見えない時代に完全に合致していてなおかつ扱っているものの主なものが見えないものの世界だからなんだよね。いや、まぁオカルト臭いわけじゃないよ(笑)先生は言葉に凄く気を付けていて宗教性とか思想性が入っちゃうような言葉をなるべく避けているんだけど、でも俺の体感として結局、扱っているものは見えないものなんだよね。

 

これって見えないものっつっても見えないものの時代の見えないものとは違うのでは?ってことになりそうだけど違うんだよね。そういうもののバリューが凄まじいってことなんだよね。だから俺は申し訳ないぐらい安い月謝で超高度な内容を教えてもらっているということになるわけで、変な話、金で換算するととても払っている額じゃきかない内容を教えてもらっているということになるんだよね。

 

でもまぁあんま驕っちゃいけないけど先生は人を選んでるから俺みたいなzealotには積極的に教えてくれるし、コミカレ時代の俺とか知ってる読者なら分かると思うけど知りたいことがあると先生に永遠と質問攻めなわけよ(笑)そういうのを一個一個凄まじい精度で教えてくれるんだよね。まぁこれってようは魂の部分だよね。これもやっぱり見えないところだし、あと質問内容も教えてもらう内容もこう足を出したときに腕がこうとかっていう物理的な話ではなくマインドの話が多いんで、これもよく考えれば見えない世界の話をしているということにもなるよね。

 

ただ今の見えない世界の時代に生まれてくる子供たちってそういう時代を象徴するかのような子供が結構増えているらしくて、見えているものの時代が長かった自分たちはそういうニュータイプ的感性を子供から学べるようなこととかもあるかもしれないんだよね。あとまぁ横浜のとある先生に言われたんだけど俺はもっともっと子供みたいに無邪気でいればポテンシャルを発揮できるんだよね。

 

まぁニュータイプの時代ですよね。実際のガンダムのニュータイプのそういう意味合いがあったっぽくてニューエイジ的な流れがあったんだけど、まぁ時代的にモロに見えるものの時代だからまだあの頃から見れば先の話だったんだよね。あとまぁニュータイプといっても語弊があるのは例えばカミーユみたいにニュータイプがダークサイドへの道を開くとか精神崩壊に繋がる極端な繊細さとサイキック加減なんてのがあったと思うけど、見えない時代のニュータイプは究極的に善なんだよね。原理が愛なのね。

 

といってもそれはこないだ書いた宇宙意識とかキリスト意識的な意味でも無次元の愛ということね。AIとかの議論で知性体そのものの概念が覆るみたいな話があるけど、精神世界ではそもそもブッダとかもっと前の古代時代から覆ってたんだよね。かといっても古代に過度なロマンを抱くとただのロマン主義になってしまうけど、でもやっぱりそれは見えるものとしての文明化が進めば進むほど見えない世界での精神性というのは低くなっていくんだよね。

 

特に宗教の中でもキリスト教の本来のキリスト時代の教えとローマが国教として選択したキリスト教の違いってのが甚だしくてなおかつ精神性の劣化というのが恐ろしいレベルで進行しまくってたからキリスト教って原始以外から見ればもう劣化した別の異教なんだよね。スウェーデンボルグの霊界の話なんかを読んでても霊界の人たちはキリスト教はめっちゃ間違ってたり勘違いをしてるって言ってるらしくて「まぁそりゃそうだよなー」って思うのね。

 

そもそも魂あっての知性で知性は魂から来るしそもそも魂は霊から来るわけだよね。善も神から来るもので悪は聖書にもあるように人間から来るものなんだよね。だから宗教抜きにして神というより善に帰依したほうが救われるし結果的に損得ではないんだけど得をするのは善に帰依してる人たちなんだよね。

 

その法則が分かってれば怖いものはないんだよね。でも分かっているだけではだめで常に毎日行をしなきゃいけないし、あらゆるときでも善に帰依しているという意識を持ち続けなきゃいけなくて、これって結構大変なんだよね。ふとしたことでただの肉の自分とただの自我の世界に陥るからね。そこをずーっと善と繋がっている感覚を維持するというのは本当に難しいんだけどまぁ難しいからやりがいがあるよね。

 

太極拳でも力を抜くっていう放鬆が凄く重要なんだけどこれがありえないぐらい大変なんだよね。緩めるといっても完全に力を抜くというわけではなくて気は通ってなきゃいけないし、実際の検証として放鬆をしながらじゃあ外部から強烈なストレスがかかった場合、それはどうなるのか?っていうと人間の脊髄反射的なものでそれに腕が抵抗しちゃうのね。腕を掴まれたら払おうとするとか掴まれた時点で緊張が走って身体的反応をしてしまうというところを腕で反応せず気に落とし込める・・・というまぁ文字で書くと超能力みたいになっちゃうけど(笑)まぁそういうことをやるわけなんだよね。

 

何が言いたいのか?っていうと日常の精神のレベルでもストレスがかかっていない状態で善に帰依しながらmeditativeな状態を維持するというのはそこまで難しくないんだけど日常世界の中でも様々な要因というストレスがかかったときにもそれを維持できるのか?というのが太極拳の放鬆を維持しながら気を運用するということに似てるんだよね。散々瞑想とかやってるくせに日常のストレスがかかるとそれに反応して「クソ!」とか思ったり「ったくなんだよ」って思ったりしちゃうでしょ?でもそれは人間として当然のリアクションなんだけどそこを反応せず気の運用ならぬ善の運用で全てを動かすというのが言わば善への完全服従であり帰依であり原理に従って動くという無我の世界なんだよね。

 

まぁこんなこと言ってて俺も全然できてないですよ(笑)だから訓練するわけだよね。あとまぁ欲張りで色々と精神の世界でやりたいことがあるから他の行とか浄化とかもするわけね。意識時代が現実世界を規定するって何気に自己啓発の本とかで死ぬほど書かれていることなんだけど、実はそれってなんにでも言えるんだよね。

 

全く過去や現在のステータスはある種関係ないからどんだけ失敗してようが逆境だろうが意識次第でなんとでもなるわけなんだよね。まぁでもそれは究極のストレスがかかっている状態で、太極拳の先生も言っているけど仮に凄まじいストレスがかかって反応しないか?っつーとやっぱやっちゃうって言ってるしね。いや、やっちゃうって殴るってことじゃなくて大会とかで身体的反応をしちゃってミスっちゃうってことなんだよね。あんだけ人生の半分以上を功夫に費やしてきた人ですらそうなんだからね。凄まじい世界だよね。

 

ただお手軽な無我の方法だといきなり善への完全なる服従っつーとなんじゃそれ?って感じだけど、あれだよね。最近のホリエモンが言ってる目の前にハマれることがあったら将来それが金になるかどうかとか関係なくハマれ!っていうそこに尽きるよね。ハマっているときの精神の純度って凄いからね。それ自体がある種、肉の自我を超えている精神の世界でハマっているのと同じ感じがあるからね。

 

あとそもそもハマることに損得計算が入っている時点で無我じゃないし純粋じゃないわけですよ。芸術と似てるよね。マーケティングとか金勘定が入っている表現ってどうなの?ってことじゃん?インキャパみたいに何の思想もない音そのものを出すということに徹するノイズってのが純ノイズなわけで、ああいうのこそまさに精神の音楽って言えると思うんだよね。

 


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無我だからこそトランス状態になるしある種のノイズ的神がかり状態になっちゃう。そういう意味では凄くシャーマニスティックだよね。あとはソニーシャーロックのLast Exitとかね。

 


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魂のヴィジョンの時代ですよ。まさに。ただ過去に顕在化した音楽とか芸術とか表現とか思想を簡単に参照できる時代になってるわけで、そういったものへと周波数を合わせていくっていうことが重要になってくるんだよね。それが前に書いた全く同じ次元を生きているのに隣にいる人は超不幸で自分は超幸せみたいなね、でも資産や社会的地位や物質的なものに恵まれているというような目に見えるような差があるわけではなく、圧倒的な認識の差があるっていうところだよね。その次元を能動的に選択するというチューニングの時代なんだよね。

 

ただまぁ結果的にそれが目的じゃないにしても商業的な成功もそういったものになってくるんだよね。ただあくまでヴィジョンありきだからヴィジョンの時代だっつって取り繕ったような、例えばセンスがいい人がモテる時代っつって取り繕ったようなセンスがよく見える音楽のセンスとかってのはまぁフェイクじゃん?素のヴィジョンだよね。そこにエネルギーが集まってくる。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。