カニエ三部作について。

Ardbeq10さんからお勧めされたカニエ三部作について書くです。

 

といってもあんまり感想が無いのだよね(笑)「ん、ああ。そう。んで、ああなるほどね」って感じなんだよね。ネタバレになるから見てない人は気を付けてほしいんだけど第二部までは成り上がりのラッパーの物語という感じでっつってもあれなんだよね、カニエがトラックメーカーからスタートしてたってのは知らなくてさ、あんまヒップホップ詳しくないしカニエみたいなメジャーのやつは全然聞かないんで知らなかったんだけど。

 

あとやっぱこれはヒップホップあるあるなのか分からんけどやっぱラッパーメインなのね。トラックメーカーっつーと裏方で前に出るのがラッパーっていう、まぁすんげーその辺はカニエが執着してたところだよね。「ビートメーカーって呼ぶな!」みたいなさ、まぁラップの世界とは違うんだけどMadlibとかを死ぬほど聞いてた俺としてはビートメーカーで何が悪い?って思っちゃうんだけどね。

 

まぁその辺はいいや。別に重要なことじゃないので。ただまぁカニエがまだ正気だったころの売り込みっつったら凄いね。なんか「ザ・アメリカ」って感じ。今はどんな職種もさ、アーティストとかが自分の作品だけ作っていればいいっつー時代は終わったなんて言われて久しいけど、ようはカニエみたいにあのぐらいのパワーで売り込まないとダメってことなんだろうな。無理無理(笑)

 

いや、ただそこはマジでリスペクトできるんだよね。尋常じゃねーよ。あの成り上がりパワー。ヒップホップドリームを体現してるようなっつってもヒップホップ詳しくないんだけどさ、あの売り込みは半端じゃねーよ。変な話、あそこだけでも見る価値があるかもしれない。極端な書き方をするとレーベルの事務所に押しかけてステレオで「俺の音源聞いてよ」っつってそれまでかかってた音楽を消して自分のデモCD入れて流してその場で自分でラップするとかすんげーアグレッシブだよね。いや、事務所に押しかけてるわけじゃないんだけど比喩的にそういう勢いがあるってこと。

 

あと成功してるラッパーとかがスタジオで録音してると「いいっすか」みたいな謙虚な感じじゃなくて「天才のお出ましだぜ」と言わんばかりの感じで「聞いてくれよ。俺の音源」っつってこれまた音源流してその場でラップするっていうね、で、まぁクオリティが高いわけでしょ?俺はオールドスクールかインストのヒップホップしか聞かないからあんまラップは分からんのだけどさ、あ、まぁ日本のラップは聞くけどね。最近は聞いてないけど。

 

んでまぁ問題は3作目ですよねっていうかカニエっつーとこの三本目のイメージしかないんだわ。成功してすんげー天狗になって政治とかに口出し初めて「俺はキリストの生まれ変わりだ」とか言い始めちゃって自我がどんどん肥大して自滅していってる痛いやつに成り下がったっていう、ただまぁドキュメンタリー見る感じだとさ、それまでの頑張ってた成功へのプロセスがあるし、あとまぁ例のカメラマンっつーかドキュメンタリーを作った人だよね。彼の眼から見たカニエっていうところに視聴者も引っ張られるからやっぱり同情的に見ちゃう部分はある。

 

それにしてもまぁやっぱ相当狂ったなってところはあるよね。典型的に成功してダメになるパターンだよね。あとやっぱ残念なのがさ、ドキュメンタリーの作者である名前忘れちゃったけど成功した後に疎遠になるっつーさ、疎遠っつってもカニエが調子の乗り始めて長年のダチを捨てるとまではいかないけど扱いが雑になるってなんかヒップホップ精神的にそれって超アウトじゃね?って思うんだよね。ヒップホップ精神って俺が知ってる限りだと成功した後に成り上がるまでを支えてくれたブラザー達とかに感謝して色々と還元していくっていうようなのがヒップホップなんじゃねーの?っていうさ、カニエがまぁ元々躁鬱だったのか成功してから躁鬱になったのか分からないけど、ぶっちゃけそれによって見方が変わるんだよね。

 

元々躁鬱だった場合、一概にカニエが悪いとは言い切れなくて、俺はあのあれね、躁鬱っつっても鬱が目立つ躁鬱なのねっつってもまぁ躁状態になるとすんげー金使っちゃったりさ、落ち着きが無くなったりして当事者として分からなくもないんだよね。ただ俺はまぁマイルドな躁鬱なんだよね。で、まぁどちらかというと鬱のほうが目立つ躁鬱でんでもやっぱある種の躁状態のときにすんげーパワー発揮するから躁鬱を抑えるような薬は飲みたくなくて飲んでる薬っつったら抗うつ剤なんだけどさ、結局、その行動とかね、成功して過去のダチの扱いが悪くなるとかってのもどこまでがカニエの素でどこまでが躁うつ病のエピソードなのか?っつーところに尽きるよね。

 

第三話だと明らかに躁鬱が酷くなっててさ、狂人になってるけど、その手前でも躁鬱なんであってカニエはなるべくしてああいう風になったと言えばそれまでなんだよね。躁鬱がなかったらもっと謙虚なキリスト者だったかもしれないけど躁状態の時の誇大妄想って凄まじくて「俺はキリストの生まれ変わりだ」なんて思うのは別にそんなに異常なことではないってまぁ異常なんだけど(笑)躁鬱の話としてはよくある話なんだよね。

 

あとあれだ、知り合いの知り合いということにしておくか。まぁ直接会ったことはないんだけどその人も躁鬱の人でさ、んで鬱になるとまぁ凄まじいんだよね。ホントに引きこもりになって喋らなくなるし真っ暗な部屋で永遠と寝てるとかなんだけど躁状態になるとキャバクラで散財して泥酔しながらタクシーでキャバクラはしごして騒ぎすぎて警察呼ばれたりとかさ、まぁそんぐらいすげーのね。アッペンダウンが。

 

人格が変わるってぐらいすげーのよ。だからカニエも躁鬱だからああなんであってね、仕事休んで躁鬱の治療にかかればいいだろって話なんだけど基本的に躁状態の時のパワーが凄いからそういう時にカニエは動くんだろうなーって感じだよね。んでまぁ日曜礼拝とかやりはじめたりとかね、本人は悪いやつじゃないんだけど躁鬱がやっぱ影響してるっていうかそうとしかいいようがないよね。特にドキュメンタリーの三部作目の三作目を見ると明らかにそうだから「あーカニエそうだったんだー」っていう感じなんだよね。

 

キリスト者だったら「俺が俺が!」じゃなくてキリストに帰依してどんどん謙虚になっていくはずなんだけど・・・っつってもそれもまぁ躁状態にあんな感じになっちゃうとそこもしょうがないのかなと。ただまぁ精神年齢は相当低いよね。途中でシカゴ仲間としてコモンが出てくるけどまぁ年齢違い過ぎるけどすんげー成熟した大人じゃん?コモンって。まぁコモンが躁鬱だったらどうなるのか分からないけど、それは別としてやっぱり精神年齢の幼さってのはあるよね。カニエのね。

 

それが躁鬱によって余計に後押しされて客観的には荒唐無稽に思える行動とか発言に繋がっちゃうっていうね、ちなみにチャーチルとかは躁鬱のⅡ型だと言われていてっつーかまぁチャーチルと並べるわけじゃないけど俺もⅡ型なんですけどね(笑)これの場合、軽躁と重い鬱を繰り返すってパターンでまぁウォール伝そのものですよね。軽躁ときは千字とか何万字も書くっていうさ、んで鬱になると何にも書けなくなるっていうね、代償はでかいけど良いところは軽躁が文字通り軽い躁だからキャバクラで豪遊みたいな話にならないっつーところなんだよね。クソ調子が良い俺!みたいな状態になるってことなんだけどキャバクラでいきなり豪遊しちゃう躁の場合は躁だけにそうはいかなくてout of controlになっちゃうから理知的な人でも破滅的なことをしかねないっつーところがあるんだよねってまぁ俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけど。

 

仮にカニエが精神的にも成熟してたらあそこまで暴走しないだろうっつーのはまぁ分からないですよね。それはもう躁鬱の程度によるとしか言いようがない。Ⅱ型の場合、チャーチルみたいに調子が良いときはその知性を使って凄い仕事を成し遂げるってことができるかもしれないけどイッちゃう躁の場合は知性とは吹っ飛んじゃうのかもしれないしその辺は分からないっすよね。

 

ただカニエは精神が幼いのと同時に権力持っちゃってるじゃん?「俺がやるっつったらやるんだ!」みたいな独裁者みたいになっちゃってて、んでかといって一気に破滅するのか?っていうとやっぱり才能があるやつだからビジネス的な面で成功し続けたりしてるんでしょ。分からんけど。でもまぁ前に読んだ生地だと何千億っつー借金があるとかって読んだことあるけどまぁ分からんわ。

 

結局まぁあれだけ成功してて色々と物事を動かせる人間が躁状態になるとキャバクラ豪遊っていう規模じゃ済まなくなるっつー話でもあるよね。あそこに俺の全てが入ったビルを建てる!やるっつったらやる!っつったらできちゃうわけでしょ。普通は無理だからね。

 

あとカニエを擁護するならさ、言い方悪いけどビートで食いつないでてラッパーとして成功するのを夢見てそれ一直線でやってきたから知恵の部分を伸ばす機会が無かったとも言えるよね。ようは本を読んだり内省したりカニエなりにはやってるかもしれないけど単純に時間が無さすぎてそんな暇がないまま突っ走ってきたっていうところがあるから精神が幼いっつってもそれは精神を成熟させるような間がないぐらい突っ走ってきたっていうことでもあるわけだよね。

 

で、多分、カニエのマインドだと内面を磨くというより次から次へとやりたいことが頭の中に出てきてどう実現すればいいか?ってのを考えてて・・・っつーそれのループなんだと思うんだよね。んでまぁ当然あれじゃんね、スニーカー作ったりファッションブランド立ち上げたりラップのリリック書いてトラックも作ってるわけだからフル稼働ですよね。だから精神年齢が成り上がりの頃のカニエからほとんど発展してないっつーのも頷けるわけだよね。

 

なんかだから躁の時のエゴとの闘いっつーかさ、カニエがスピリチュアルで宗教的なのは明白だけど、そこはポーズじゃなくて地の部分だと思うんだよね。ようは偽善的ではないということ。まぁ分からんけどね。俺はどうしても自分のフィルターで世界の認知的整合性を保ちたいから人を良く見ちゃう傾向があるから(笑)そんなのは分からないんだけどさ、でもあれで本人の精神が成熟すれば変われるんじゃないかな?とは思うんだよね。根が悪人なわけじゃないからね。善寄りなんだけどこんがらがっちゃってるっつー感じよね。

 

ただまぁ病理的に見るなら本当に病気との闘いっていうホント、それに尽きるよね。別に病気だからしょうがないとかさ、何をやっても非難はできないとかそういうことではないんだけどね、ただまぁ本人は辛いだろうなぁーってところだよね。かといってもなんでも病気のせいにしていいわけでもないからね。あれだけの激しい躁鬱を持っていながら対処して自分を律してる人なんて大勢いるわけだから。

 

とりあえずこんな感じで今日はこの辺で。

 

またなんかあったら書くかも。ただやっぱカニエに関しては自分がキリストの生まれ変わりだとか言ってたのがさ、仮に病気が原因にしても分裂病とかならともかく躁鬱の場合、本人のマインドにないものが出てきたりはしないからそんな風にガチで思ってるんだろうなって思うとこれほどの涜神はないと思うんだよね。そうそう、宗教全般そうなんだけど一番ガチな涜神は狂信者から来るんだよね。まだブラックメタルとかの連中のアンチクライストとかのほうがマシなレベル。

 

反って安全だからね。狂信者のそれは神の存在自体への冒涜だからまだ反のほうがマシなんだよね。反の場合、一応は認めてるわけじゃん?キリストの生まれ変わりみたいな妄信を聞くとクリスチャンであることが全然意味ないっつーかまぁ世俗的なクリスチャンってそういうの多いと思うんだけど、神への帰依ってそんなもんじゃないんですよ。なんかまぁこういう話は神学とかの時に話せばいいんだけどね。

 

余談が長くなった。んじゃまた。