文学三昧な日々。その18。

ワッカ


宮沢賢治

 

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。

 

一、五月

 

二匹の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。


『ワッカはわらったよ。』


『ワッカはかぷかぷわらったよ。』


『ワッカは跳はねてわらったよ。』


『ワッカはかぷかぷわらったよ。』

 

上の方や横の方は、青く暗く鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。


『ワッカはわらっていたよ。』


『ワッカはかぷかぷわらったよ。』

 

『それならなぜワッカはわらったの。』

 

『知らない。』


つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。


つうと銀のいろの腹をひるがえして、一匹の魚が頭の上を過ぎて行きました。

 

『ワッカは死んだよ。』

 

『ワッカは殺されたよ。』

 

『ワッカは死んでしまったよ………。』

 

『殺されたよ。』

 

『それならなぜ殺された。』

 

兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら言いました。

 

『わからない。』

 

魚がまたツウと戻って下流のほうへ行きました。

 

『ワッカはわらったよ。』


『わらった。』

 

にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並ならんで立ちました。
 

魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又上流の方へのぼりました。

 

『お魚はなぜああ行ったり来たりするの。』

 

弟の蟹がまぶしそうに眼を動かしながらたずねました。

 

『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』

 

『とってるの。』

 

『うん。』

 

そのお魚がまた上流から戻って来ました。今度はゆっくり落ちついて、ひれも尾も動かさずただ水にだけ流されながらお口を輪のように丸くしてやって来ました。その影は黒くしずかに底の光の網の上をすべりました。

 

『お魚は……。』

 

その時です。俄に天井に白い泡がたって、青びかりのまるでぎらぎらするブリッツボールのようなものが、いきなり飛込んで来ました。兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖っているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。


二匹はまるで声も出ず居すくまってしまいました。お父さんの蟹が出て来ました。

 

『どうしたい。ぶるぶるふるえているじゃないか。』

 

『お父さん、いまおかしなものが来たよ。』

 

『どんなもんだ。』

 

『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖ってるの。それが来たらお魚が上へのぼって行ったよ。』

 

『そいつの髪は茶色かったかい。』

 

『わからない。』

 

『ふうん。しかし、そいつはボールだよ。ワッカと云うんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。』

 

『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』

 

『魚かい。魚はこわい所へ行った』

 

『こわいよ、お父さん。』

 

『いいいい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』


泡と一緒いっしょに、白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました。

 

『こわいよ、お父さん。』

 

弟の蟹も云いました。

 

光の網はゆらゆら、のびたりちぢんだり、花びらの影はしずかに砂をすべりました。

 

私の幻燈はこれでおしまいであります。