文学三昧な日々。その19。

前にも書いた気がするけど最近は書くことっていうかウォール伝以外の小説と呼べるかどうか分からない例の大作を書くことがデフォになってきたからさすがに書き始めの頃の楽しさとかが無くなってきた感はあるよね。

 

大体いつもそうなんだよな。「新しいこと始めた!」「新しいことに挑戦!」っつって没頭して三か月ぐらいでやることが当たり前になってやり始めの楽しさみたいなのが無くなるのね。まぁそれだけ定着してるのはいいことだと思うんだけど。

 

まぁあと書く以外に読むのが何気に多いのはいいことだよね。思えば神学っつーか各前だとドイツ神秘主義の本ぐらいしか読むのがなかったんだけど今は小説の乱読ってのがデフォになってるから恵まれてるって思わなあかんなー思うてな。なんででもあれなんですかね、慣れるとありがたみを感じなくなるんでしょうね?まぁ去年はあれか、まだ現代音楽とかディグってたし創作やってたからな。合間に。

 

12月で完全に打ち止めやな思ってそっからあれか、エルデンリングとかあったからまぁやれてたのか。ただまぁあれか、そうだ、翻訳だわ。翻訳から始まってん。あとまぁコモンズになってる修道士が書いたやつとかのリミックスプロジェクトね。で、割とちゃんとした文章を書くようになって、翻訳っつーより自分で書きたいなってことになって、んで書き始めたんだよな。

 

なんかでもすげー前から書いてる気がするわ。なんとなく。でもまぁまだ三か月ぐらいだもんな。まぁだから最初に三か月って書いたやんか。飽きたわけじゃないんだよね。新しさが無くなったってことね。あとまぁ一日に書かなきゃいけない文字数みたいなのを決めるのは全然よくないと思ったんで今はやめてるんですよね。書けるときに書かないとあんま意味ないのと筆が進まないのに考えてるって意味ないんだよね。

 

考えていないときも実は考えてるから「書こうかな」って思った時にはそういうときに無意識に色々と考えたことがある程度まとまったから出力しようかなってことになってるんだよね。でもそう思うとあれやんな、やっぱ娯楽よ。娯楽。気分転換に・・・って話になるじゃん?・・・って……が正しいらしいって最近知ったわ。

 

パイロットウィングスとかの・・・が強烈過ぎたからね。印象が。それが正しいのだと思って。でもあれだな、なんかさ、文学音痴ではなかったって自分がって話なんだけど、それがまぁ学校教育で数学嫌いクラシック嫌いになるのと同じで例えば学校の教科書にヤク中で女と心中する話とかを載せるわけにはいかんから道徳的なつまらないものばかりが載ることになるってことなんだけど、どうなんでしょうね、俺が目覚める前に読んできたのって思い返して見るとやっぱバロウズかな。でもバロウズとかケルアックとかって文学なのか?っていうとジャンルがビートとかサブカルチャーとかカウンターカルチャーだよね。

 

純に文学的な動機づけで読んだものって何があんのか?ってあんまりないよな。あとまぁサウンドノベルですよ。弟切草とかまいたちの夜ね。んであとサターン持ってたから街とあとなんだったっけ、忘れたわ。渋谷のやつもやった気がする。ただやっぱあのテーマ的にダンカンが睡眠薬と酒飲みながら書くって話が好きだったんだよな。

 

バロウズもそうじゃん?まぁクローネンバーグの裸のランチですけどね、キメると書けるという、なんかそういうのが好きなんだよね。音楽でも破滅型のジャズミュージシャンとかロッカーが好きじゃん?阿部薫とか演奏もいいと思うけどやっぱりヤク中で破滅的な私生活送ってて中原中也並に己惚れててんであの演奏ってのが完璧過ぎんだよな。

 

そう思うとさ、最近下手に文学理論とかガンガンに頭に入ってきてるから、俺って物語が好きなんだなとは思ったんすよ。とはいってもあれよ、小説的なやつじゃないよ。っつっても最近あれだな、小説が原作になった映画とか読んだ後に原作読むとかっつーのが小説読むこと自体が早くなっててしかも勉強になるから前と違ってやれるようになってんだけどっつーかなんの話してたっけな?なんかさ、こういう意識の流れ的な感じで小説書けたらいいのにウォール伝しか書けないんだよね。

 

小説の方でこれをやるといつの間にかウォール伝になってんの。まぁただ俺の意識の流れじゃなくて主人公っつーか主人公とすら思わなくなってきたけど私の意識の流れだよね。で、それを拡張していくと登場人物の意識の流れだけで構成できるようになると無限なんですよね。

 

そうなるともう小説の体をなしていないっていうか、フリージャズならぬフリー小説みたいな感じになって面白いんだけど、長くなり過ぎると誰が読むねん?問題が最近頭を過るようになってきてさ、オイオイまだ早いだろっつーかもっと修行してちゃんとしたの書けるようになってからそういうことを考えろよって思うんだけど、なんだろうね、音楽の場合、ボン!と出せるから誰も聴かなくても再生すれば勝手に音が鳴るから敷居が低いんだよね。

 

だから誰も聴かなそうなやつでも全く躊躇することなく出せるんだけど、小説の場合、読むことの時間的コストと労力が凄いじゃん?音楽を再生して30秒ぐらいダイジェストで聞いてみるみたいなのができないからさ、なんかだから俺が勝手に小説の世界に没入してんのはいいんだけど、俺みたいに時間を持て余してる人っていないから、こういうトリップ感に永遠に浸れるっていうのを読む人に提供できるのかな?っていうところに全然自信が持てないんだよね。

 

多分、人生初なんじゃねーの?鑑賞する人間を意識し始めてるのって。でもそれってやっぱ媒体が文字だから必然的なんだよね。かといってもテクニックとかじゃないじゃん?娯楽小説じゃないわけで一応小説の書き方みたいなのってまぁ海外のも含めて大体読んだけど参考にはなるけど多分それってフリージャズとかノイズインプロヴィゼーションの教本が無いのと一緒で(笑)自分のスタイルでやってる場合、参考にはなっても使わないんだよね。

 

導入とか読者を惹きつける山場とかさ、そんなのあるわけないからね。そういうのを最も忌み嫌ってるわけだからな。音楽してもクラシカルなテクノのブレイクはいいけどEDMのブレイクとかってダサいじゃん?何にも起こらないってやっぱ好きなんだよね。だからまぁ前にも書いたけど昔から去年マリエンバードでとかさ、あれってまぁ前にも書いたけどロブ・グリエの作品を映像化したらああなるっつーか最近マリエンバードの脚本が本になってるからそれも読んでるんだけどああいう漂う感じなんだよね。

 

っつっても俺はロブグリエとかヌーヴォー・ロマンの作家たちみたいな頭のよさそうな文体とか語彙がないから稚拙なんだけどさ、あーでもあれだわな、あのーベケットとヌーヴォー・ロマンとポストモダン小説を混ぜたらっていかにも俺みたいな芸術かぶれみたいな、いつまで青年やってんだ!みたいなやつがいかにもやりそうなことだよね(笑)

 

基本なんか音楽っつーか俺が作るドローン系のやつとかと同じなんだよね。やってることは。だからまぁそれは別にもう自己完結してるからそれでいいんじゃね?って話ではあるんだけどね。もちろんそういう要素を混ぜただけじゃただのマッシュアップとかリミックスになるからプラスアルファの部分が必要なんだけどそれも何気にあるから、別にまぁそんな悩まなくてもいいんだろうけど、真面目過ぎんだよな。なんか読み手のこと考えるようになるなんて想定外過ぎてさ、ただすんげーノイズなのよ。それ。書く時のストレスになるのね。

 

あとは今更だけど長すぎるってことをもうデフォの仕様にしてさ、プルースト方式でっつーかプルースト方式が原点なんですよね。あんなどうでもいい話を永遠に書けるのはやっぱ凄いとは思うんだけど、でもどうなんだろうね、山形浩生とかも相当昔だけど罪と罰は名作って言われててもやっぱ長すぎて駄作としか言いようがないみたいなことを言ってた気がするんだよな。

 

長さが「なげー」っつーネタになればいいんだけどマイナスになったらただですら稚拙なもんがさらにダメになるじゃん!とか思ってさ、いやー俺なりに考えてるんですよ。セックスシーン大幅に削除したりとかね、実話じゃないけど「私」の高校自体に女の子のスニーカー犯したいから住所調べて家に侵入してスニーカー犯そうと思ったら家自体に興奮するようになって家フェチになる話とかも思い付きで書いてるんだけど、そういうの並べていくと長くなるのはしょうがないじゃん?春樹先生の短編でシェヘラザードが誰かの家に侵入した時の話をピロートークで喋るみたいなやつを最初にコピーしてそっから色々と妄想とネタを色々と繋げてったんだけど、オリエンテーションがこれでいいのか?とか思うようになってきてなんか真面目過ぎるなって思ってるんだよね。

 

いや、音楽ならいいんだけどなぜか小説はオナニーになってるってのがなぜかすんげー嫌なんだよね。やってることはまぁオナニーなんだけどさ(笑)これ面白いだろ!とか思って書いてたりするのってあれなんだってね、保坂和志の本で保坂さんが言ってたけどっていうか保坂和志以外の誰が言うのか?って話なんだけど小島信夫が「保坂さんね、あの会話の部分、書いてて楽しくてしょうがなかったでしょう?でもね、あそこは作者が「イン」しちゃってるんですよ。イン。分かりますか?淫乱の淫ですね」みたいなさ、作家じゃないと分からないところってのがあって、「あーなんか淫してんのかなー」とか思うとさ、アマチュアのくせに志が異様に高いからヘコむんだよね。わかんねーところいっぱいあるんだろうなって。

 

完璧主義ではないんだけどね、ただ書くことと自分自身の距離感とかもすげー重要でさ、あとまぁそっちのほうで言うとやっぱまぁ基本的な研究気質からそういう本を読んでてブランショにハマってるんですよね。今。で、ブランショのルーツは?っつーとマラルメでさ、いや、マラルメの時代からっつーかマラルメがもうすでにテキストの不可能性みたいなのをあそこまで煮詰めて考えてたんだ!とかって思うと衝撃なんですよね。

 

煮詰めて消えるってベケットって思いがちだけどある種、概念的にはマラルメが虚無的なものを感じたっていうあのニヒリズムっぽい悟りっていうかさ、そんなんがもうあってんでそういうのを踏まえたうえで言語を解体するような詩を書いててさ、んでそういうのに影響を受けたブランショとかバタイユとかって人たちがいてさ、全く読者のことなんか考えてないような文芸作品を残してるって思うとまぁ別に巨匠と自分を比べるわけじゃないんだけど、「これやりてーな」みたいなのって文学に詳しくなればなるほどやり尽くされてるなーって思うんだよね。

 

でもさ、冴えない彼女の育て方とかシリーズ化したラノベの名作みたいなのも読んでて、特にこの冴えない彼女の育て方はほとんど会話で構成されてるっつーのを知って読み始めてるんだけどこれってギャディスじゃん!って思ってさ(笑)会話がライトなだけでっていうかなんだろうな、形式っていう意味だけ純粋に考えると会話だけで成り立つ小説って凄いなと思う反面、内容がラノベになると凄く漫画チックになるっていうさ、俺はラノベと文学とみたいなジャンル分けして考えてないから同上のものとして考えてるんだけど、結局、内容なのかっていうね、形式じゃないんだよね。

 

形式の前衛性ってことになるとラノベが何気に天然でやっちゃってる普通の文芸じゃありえないようなアクロバティックなこととかってのがなんかあれなんだよな、勢いだけで組んじゃったパンクバンドのプリミティヴなコンセプトが洗練されまくった理論的な現代音楽の理論と似ているところがあるみたいな、そんな感じがあるんだよね。

 

なんかだから形式ってことでもないんだなっていうかさ、まぁ形式でなんとかなったらもっと小説書くの楽だよね。まぁだから転生系とかなろう系とかってテンプレあるから書くのが楽なんだろうけどね。でもまぁぶっちゃけフィクション書ける人ってすげーよ。やっぱ。書くことってブログとかじゃない限りすげーパワーいるから書ける人ってすげーなって思うんだよね。

 

なんかだから安易につまんねーとかって批判できなくなっちゃってるよね。なんかもうここまで書いたっていうその労力が凄いです!っていうそこを考えると安易に批判できなくなっちゃうよね。とは言いつつも文学がどこにあるのか?って本当にランダムでさ、それは形式じゃないんだよね。文体ではないことも分かってきた。文体なんてレトリックとか晦渋な言い回しを使ってエレガントに見せるっていう装飾系な文章ってことになるとポストモダン哲学とかへの批判と似てるじゃん?言ってることはニーチェにプラス2足したぐらいのことを何百ページも意味不明な言葉で書いてるっていうのは単純に無駄なんだよね。それっぽくは見えるけど本質的に哲学なのか?っていうと全然違うでしょ。あとまぁあんま読んでないから分からないけどマルクス・ガブリエルとかもライト哲学だよね(笑)だから売れるんだろう。

 

んでまぁ結局批判みたいになっちゃうけど所謂、純文学とか言われてるやつでもってこないだロシアのスナイパーの話とかぼろ糞書いててそれを訂正するつもりはないからやっぱり苦労が分かっても日和るのはやめるけど(笑)形式が純文学として扱われるっていうだけで内容はラノベ並に軽いとか設定が現実なのにリアリティが無さすぎたり教養とか知識が無さすぎてただのドラマの脚本レベルになってるのとかすげー多いよね。逆に優れたラノベの場合、言い回しとか文体とか語彙は晦渋なものが出てくるわけじゃないんだけど文学だねーっていうところがあったりするんだよね。下手な純文学とかって言われてるやつよりよっぽど文学らしいというね。

 

なんかでもそれ思うとあれなんだよな、山下澄人がやっぱり好きでさ、天然で前衛やれる人ってやっぱ凄くてさ、でも劇団やってたしフィクションの世界にずーっといた人だし脚本を書いてた人だから作家デビューが割と歳いってからっつっても実質、そういう能力が練られてる期間って長いんだよね。で、小説っていう形式にしたら凄く良かったっていうだけで本人が元々持ってるんだよね。ああいう人は稀有だよな。だからなんか特に最近の山下澄人のさ、点が無かったりベケットっぽかったりっていうあのぐらいのミニマル加減ってかっこいいよね。で、余計なことが書いてないから凄く凝縮されてる感じがある。で、真似しても真似できるもんじゃないというね。

 

なんだろうな、表現全般に関してそうなのかもしんない。超知的エリートが書いたものというよりかはストリートだったり山下澄人みたいにすんげー勉強してきたっていうわけではない人が書いたものだったりとか、素朴さともまた違うんだけどね、まぁやっぱ天然ってところなんだろうな。現代音楽とかにしてもエリートが作ったやつよりストリートっぽいフルクサスとかさ、思い付きをそのままやっちゃいましたみたいなね、山下澄人がストリートとか素朴というわけではないし、凄く磨かれたものだと思うから山下澄人は別にして、まぁ表現全般が超絶的な技巧と知識と理論を持って作られたものというよりはそのまま出てきたものが好きなんだよね。なんだろうな、山下澄人ってLoren Mazzacane Connorsっぽいんだよな。

 

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ピッタリだよね。音的に。ミニマルな感じと情緒的な感じと侘び寂びと。質素なんだよね。過剰に飾り立てることなく文字量とかで圧倒することもなくさ、ギターの超絶的にっくとかでもないじゃん?採譜してリグコピーして弾けばそりゃ再現はできるけどもうその時点でConnorsのコピーだしさ、そりゃ山下澄人もそうだよね。コピーするのが難しいというのではなくて、ああいう表現形態をソースとして持ってることがすげーってことなんだよね。

 

なんかまぁそこがあれなんだろうな、才能ってところなんだろうなって思うね。近年になると才能というと技巧とか理論とかそっちに寄りがちだけど実際はやっぱセンスとか情緒なんだよね。言葉にならないものだよね。パッと説明できないからそれが文学作品になるわけだし読まないとそれは分からないことだし、Connorsのインプロにしても聞かないと分からないもんね。かといって万人受けするものではないんだけどさ、情緒で言うとほぼ死後に評価されたといっても過言ではない福井亮とかね、Youtubeブレイク形なんだけどテクニックとかではない情緒だよね。

 

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でも情緒って言葉を乱用すれば文学も詩もジャズも情緒ってことになって岡潔じゃないけど数学すらも情緒ってことになって(笑)なんでも情緒なのかよ?っていうとそうじゃなくて、アウラっつーか、それに接しないと心に響かないものだよね。白石一文の「火口のふたり」ってのをこないだ本屋に言ったときにいい感じの会話がメインなやつないかなーとか思って買ってた一冊なんだけど映画化されてんのね。近々見るけど。

 

あ、それに書いてあったのは味とかセックスとかの良さって食べたときとかヤッてるときにしか分からなくて、んで「良さ」はその時の記憶でしかなくて、普段「うなぎ旨いよな。セックス気持ちいいよな」って思ってるのはその時の記憶を想起してるだけで実際は相当あやふやなものだっていう話が出てくるんだけど主人公のモノローグ的な部分だったかは忘れたけど芸術全般それよねやっぱ。

 

デヴィッド・フォスター・ウォレスは元々論理学やってて大学時代ぐらいに文学に目覚めて一気に書き始めたらしいんだけど読んでると頭の中で「Click」っつークリック音が鳴るものが良いというか「これだな」って感じがするのがあって、それを最初に聞いたのがバーセルミのバルーンだったらしいんだよね。今の俺だと「なるほどねー」ってそれがすんげー良く分かるようになった。乱読ってのも言わばそのクリック音を聞きたいがために乱読するんだろうなって思うんだよね。本にもなってる講演が素晴らしいので貼っておくけどInfinite Jestって長すぎて邦訳されてないんだよね。でも出るとしたら国書刊行会からだろうな。ギャディスのJR出したからな。帯文がイマイチのやつ(笑)あと二階堂奥歯が勤めてたのが国書刊行会だったっつーのを最近知ったんだわ。本が河出から再発されてるのを最近知って買ったんだけど今読むとあのSuicidal Tendenciesが強烈過ぎて無理だったわ。最後を知ってるからってのもあるんだけど結構冒頭から危ういヴァイブスが半端なくて、ああいうのは引き込まれるとヤバいから読むのをやめたんだわとかいいつつ参考程度に貼っておくけど。

 

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Infinite Jestはペーパーバックで欲しいものリストに入ったまま買ってないっつーか分量が多いからだいぶ読むのは先になると思ってて、邦訳されてる短編集とかウィトゲンシュタインのなんたらとかは持ってるんだけど、ポスト・ピンチョンとかってデビュー当時言われてたらしいんだけどピンチョンより全然面白いからね。エンタメ性が凄く高いのがいいんだよな。本当にただのくだらない会話が永遠に続くところとか、まぁなんかそれ言い出すと読めば読むほどもうやることねーなって思っちゃうんだけど(笑)まぁいいや。優れた文学作品はディグればいっぱいありますよってことだね。

 

https://www.amazon.co.jp/Infinite-Jest-David-Foster-Wallace/dp/0316066524

 

あと映画も良かったんで。良かったっつーかまぁ悲しいやつだけどね。

 

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ってことでんじゃまた。

 

あ、んで山下澄人と柴崎友香のお勧めをいくつか貼っとくわ。まぁなんだろう、内容というより視点だよね。色々ともっと広がったプルーストみたいな感じなんだよね。あとまぁ特に劇的に何かが起こるものではないってのも読んでて面白いかは別としてなんか知らんけど好きなんだよね。実際はもっと派手なのが好きだったりするんだけど。なんかやっぱ表現形式に美を感じるからなのかなとか思ったりするわ。

 

 

 

 

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