息抜きができぬ。

書くのが当たり前になったら必然的に例のものが来ますよ。娯楽がない。つまんない。最近は外出すらもつまらなくなったっていうか、飯を趣味にしよう!とかっつって今はブームなのか分からんけど一人飯ってのを俺はブームとか関係なしにやってたんだけどそれもまぁ結構経つじゃん?そうすると大体食い終わるんだよね(笑)

 

外出したらせっかくだからうまいのを食うってのは習慣になったからこれもある種、楽しみじゃなくなってるんだよね。当たり前に旨い店を探すっていう。あといつも書くけどあれっすよ、俺の外出の動機ってレコード、CD、洋服、書籍じゃないですか?もうないんだよねっていうか通販で済むようになった書籍とかオンラインで済むようになった音楽とかはともかくさすがに洋服も全然着ないやつとか出てくるとあるものでいいじゃん!っていうかあんま外に出ないからほとんど新品のままなんだよね。

 

あとまぁ気晴らし的に毎月買ってたけど毎月洋服を買うってのはさすがに金遣いが荒すぎるだろってのもあってさ、今年は緊急事態とかもあったから控えてたら意外といけんのよね。別にまぁ買わなくてもいいんだなっていうのとあとまぁ結構前から飽きてるからね。ぼちぼち潮時だなーっていうのがすでに数年前からあって。

 

あと前にも増してゲーム無理になったわ。もうなんか面倒くさいんだよね。デビルサマナーの続編出るけどあんま楽しみじゃないしモンハンライズのアプデも買ってないしっつーかやる気が起こらんのよね。

 

だから結果的に本ばっか読んでは書くということになるんだけど、書き始めの頃みたいに楽しくてしょうがねー!って感じでもなくて、ある程度作業的な面もあるから、そういうのが続くとなんかちょっとさすがに他なんかアクティビティやらねえ?ってことになるんだけどねーんだよ。マジで。

 

またギターやり直すかとかアシッド作るかって一瞬思ってもやり尽くしてるし焼き増しっつーか元がそもそも焼き増しだからそれ以上焼き増し作ってどうすんだってのもあってさ、あとまぁアンビエント系とかはさすがに色々作ったからね。あとゲンオン掘りも尽くしたからな。もうさすがにないのよ。あと無理して買うとミスるのばっかでってのが去年の10月以降かー。

 

もう一年経ってんじゃん。まぁ飽きってレベルアップですからね。文学然り。9割ぐらいつまんなくなってる(笑)音楽と一緒だよね。まぁ本当に気に入るのって少ないって言うけどマジでそうなんだなって思うわ。あと古典はもう読んでないわ。正直やっぱつまらんのよ(笑)あと日本文学も読んでないんだよね。今はだから読んでるのは現代海外小説みたいなやつなんだけど、正直、そんなに量は多くないですよね。これも気に入るのが少ないわけで。

 

なんだろうな、映画とかこっちが何もしなくて受動的にやれるやつってそんな良いやつじゃなくてもさ、なんかちょっとでも面白かったらいいなぐらいで気晴らしに見るんだけど小説ってそうはいかないよね。能動的だからつまんないと途中で読まなくなるか、貧乏性だから最後まで読もうと思うと速読モードになって一瞬で終わるんだよね。

 

読むレベルだけは上がってるから自分のやつのつまらなさが目立つようになって(笑)削除しまくってるって書いたけど、当たり前だけど面白いというか、これはいいんじゃない?って思えるのって少ないね。マジで。それでも浮かんだら一応書いてみるってのは重要なんだけど三か月ぐらい没頭していた時期に書いてたやつの半分以上がつまらないんだよね(笑)

 

120万字書くとかっつってるけど消しまくってるからガンガン分量減ってるんだよね。まぁ120万字ってのは簡単に終わらない数字だからそれ設定しておけば基本終わらないじゃん?まぁんでなんかある程度の自分のスタイルみたいなのがおぼろげながらできてくるんだけど、俺って飽きるの速いからある程度それでやったらもういいやってなるからなんかまた別の方法無いかな?って探すんだけど探している間が地獄なんだよね(笑)進まないから焦ってくるしって焦らなくてもいいんだけど。

 

飽きるってまぁいいことなんだなって思うよね。まぁそれにしても普通の小説には飽きたね。あと少し前衛的なやつも飽きた。前衛的過ぎるやつはノイズみたいなもんだからデジャヴ感があるよね。まぁなんか似たようなことをウォール伝でやってような・・・的なね。

 

読むのが腐るほどある!余生は大丈夫だ!って全然大丈夫じゃなかったよ。まぁ好き嫌いが最初からはっきりしてるんだよね。いや、なんか色々な要素入れたほうが面白いから自分が普通じゃ読まなそうなやつも読もう!とかって思ってたけどやっぱ無理だな。ラノベとかBLとかも勉強になったけど本当に好きなもんじゃないからコピーしててもすぐ飽きるし読み直すと面白いと思わないから消しちゃって結果的にほとんど残ってないんですよね。

 

もう今後は消していく作業だな(笑)まぁ初期の名残として残していく部分はあるにせよ、なんかダラダラ書いて大して面白くないとかって部分はガンガン削除だなって感じなんだよね。あとあれ、深くはないけど広く浅くで色々な本を読んだり図書館で借りるのは気が引けるとか思いつつ(笑)図書館も併用で色々読んでるとある程度色んなジャンルに目を通すことになるじゃん?そうなると結局、やっぱ好みの問題になるのよね。いいなぁーってやつを書いてないとダメだなって思って、だからあんま読むの無いんだよね。

 

永久機関だと思ってたんだけどなぁ。まぁもちろん今後も探していけばあるとは思うけどね、ただこれもあれだね、ネットのおかげで情報収集がすんげー早くなってる結果だよね。あとまぁ本屋の文芸のコーナーを隅から隅までパラパラ読んでみるってのもすげー経験値になったなと。

 

ただまぁあれだよね、神学ぐらいしか読むのが無くなってたのに比べたら読むのはいっぱいあるよ。ただなんつーかさ、何千冊あって何年もかかるっていうイメージだったんだけど、心から読みたいと思う本は何千冊もないわけだよね。あと一部を除いて古典とあと日本文学もあんまり合わないなっていうか好きなやつもあるけど、やっぱ海外小説の方が好きらしいわ。

 

だからどうなんだろうな、まぁ常に視野はオープンにしつつめっちゃ気に入った作家のやつは精読して完全に模倣ができるぐらいディープに読み込んだほうがいいのかもな。広く浅くをやりつつ深く掘り下げるいくつかの作家のやつは凄く深く掘り下げるっていう。

 

なんか今までの学問と同じパターンやな(笑)キリスト教だ!っつって説教学とか教義学とか組織神学とか宗教哲学とか色々あるじゃん!って思ってたのに、所謂、既存の教会がどうのっていうところに興味がないんだなって分かってきて、最終的にエックハルトを中心としたドイツ神秘主義に行き着いたからね。んでそれが後期ハイデガーとかと繋がる部分があるとか京都学派も研究してたとかってことになるとなんか新ジャンルっつーより結局同じところに行く着くというかね、文学も同じなんだよね。

 

いや、文学でエックハルト的なものってことじゃないんだけど、結局あれなのよ、嘔吐的な実存的なやつとかさ、あとやっぱカフカね。カフカはメジャー過ぎてかぶるから独自性が無くなってしまう!とかって思ってもやっぱり色々読んでもカフカは面白すぎる。ベケット然り。あとまぁヌーヴォー・ロマン周辺っつってもヌーヴォーロマン系は結構飽きてきて、あとまぁやっぱブランショね。

 

あといいなと思う作家が大体カフカの影響受けてるんだよね。だからもうそういうのが好きだとしかいいようがない。思えば保坂さんだってカフカスクールみたいなもんでしょ。小島信夫然り。やっぱり小説なんだか何がなんだか分からないやつが好きなんだけど、なかなかそういうのって無いんだよね。

 

あとあれだ、昔は読んでて意味分からなかったけどバタイユとか、まぁブランショ周辺のあの時代の今は大御所だけど当時は割とマイナーだった作家達の文芸作品ね。でもブランショにしてもバタイユにしても文芸作品が文学評論に比べて少ないんだよね。だからすぐ読んじゃうから次は?ってことにならんから、だからさっき書いたように深く読むしかないのかな?ってことになるんだよね。

 

まぁなんか結局、抽象的なのが好きなんだよね。あとこれが凄く大事なんだけど要約できないような「何を書いてるの?」って言われたときに説明できないようなものってのが重要なんだよね。読んでもらった感じでしか判断できないようなものってのがすげー重要。もはやそれって小説じゃねーだろって話だけどやっぱりアンチ・ロマン系とか近代フランス文学はそういうのが多いから結果的にフランスのやつばっか読んでるんだけど全部が全部翻訳されてるわけじゃないからフランス語で読まなきゃいけないなとかって思い出してフランス語を若干勉強してるんだけど結構しんどいよな(笑)

 

フランス文学だけじゃないのかもしれないけどマイナー過ぎて翻訳されてないやつって結構あるんだよね。いや、その翻訳ってのは英語か日本語かってことなんだけど英訳がないやつも結構あるんだよね。ただ前衛的なアンチロマン時代周辺のフランスのマイナー文学って小品みたいなやつが多くてさ、二百ページいかないような実体がないようなぼやけたような感じが続いて終わるようなのが多いんだけど、そういうのがツボなんだよね。

 

っつってもまぁこりゃ売れないだろうなーってのばっかで(笑)なんで俺は売れないマイナーなものがどの分野でも好きになるんだろうか?小説は今までのマイナー趣味に比べてメジャーだと思ってたのにどんどんわけがわからなくなってるからな。まぁそれでいいんだけどね。読者想定とかやり出すと胃が痛くなるんだよね(笑)そういうのが書く手を止めちゃうからもう好きなようにやるしかないなっていう。

 

あとブランショってフーコーがブランショを論じるようになって割と有名になったらしいんだけど、それまで出てた小説とかってのがさっぱり売れなかったらしいんだよね。一部の超インテリしか読んでなかったり、あとは意味不明だから古本屋に流れてコーヒー一杯ぐらいの値段で安売りされてたとか。

 

ブランショのバイオグラフィーまだ読んでないんだけど、あんな分かりづらいの書いてどうやって生活してたのかな?っていうね(笑)バタイユも司書だったから別に文芸で食ってたわけじゃないからな。そもそも古今東西、ベストセラー作家以外はみんな食えなかったんだよね。音楽と一緒。なんかそう思うと文学って新しい表現活動だ!って思ってたのにSMKが小説書き始めましたみたいなもんじゃん!って感じなんだよね(笑)

 

ああ、でもあれだ、程よいスカム感を忘れちゃいかん。くだらない小説のくだらない会話を取り入れるのは大好きだし「しょうもねー!」ってやつってある意味抽象的なんだよね。前衛文学とかを読んでて「一体これは何なんだ!」みたいな感じがしょうもない会話が続く小説でもそれが味わえるからスカム系をもっとディグりたいってのはあるんだよね。

 

でも最近思うのがさ、コピーしまくってるけど俺がやってるのは盗作と言われればそれまでなんだけど(笑)コラージュなんだよね。ようはスカム系でもいいから、なんか話があったとして、そのスカム系小説の話がそのまま俺の書いてるやつの中に入るってことはなくて、言い回しとかセリフの断片を使ってるからサンプリングなんだけど、でもなんかすんげー煩そうだもんね。盗作だ!みたいなのって調べると凄いもんね。別にこの一節が似てたとして話全体が似てるわけじゃなかったら模倣したっていいんじゃないの?って思うんだけど文芸ってそうはいかないみたいでってどうなんだろうね。

 

ただまぁもちろん盗作だ!っつって話題になるのってエグイ盗作なんだけどね。話そのままコピペしてきて名前だけ変えて同人とかで出しちゃうとかっていうアクロバティック過ぎることをやってるやつがいて(笑)逆にそれをやれと言われてもやりたくないよね。だってつまんねーじゃん?他人が書いたやつがそのままそこに入ってたらつまらないじゃんね。改変しまくって断片化させまくって原型をとどめないぐらいにしちゃうとかさ、そんぐらいしないとってまぁ結構俺のはまんまのやつも多いんだけど(笑)でも話もそのままってことは当然ないんだよね。

 

なんかやっぱこの辺があれなんだろうな、音楽でもそうだけど盗作しちゃうのって承認欲求なんだろうな。何々出しました!って活動をアピールしたいからリリースの球数増やしたいわけでしょ?でもまぁなんかなぁ、音楽の話でいつも書くけどさ、そのままコピーよりも悪質なのって全く別物を書いてるけどモチーフとか話とかアイデアをそのまま持ってきて別の物を作るってほうが悪質だと思うんだよね。そういうのって分からないじゃん?っつってもクリスティヴァじゃないけど基本まぁ文芸なんて模倣なんですよ。

 

でもそれとこれとは違うっつーかね、何か本来喋らないものが喋り出してそれが中心に話が進んでいくっていうそれがありふれたものではなくて結構特殊なものだった場合さ、その本来喋らないものの物を変えて似たような話を書き替えたらそれってパクりだよね。問題はコアとなる部分がパクリってことなんだよね。部分部分パクりなのは誰でも少なからずそうだからいいんだけど、そういう全体の部分に至る構造とか話の大枠みたいなのが模倣っつーのはどうなのかな?って思うけどね。まぁ意図的な模倣と悪質な模倣があるとは思うんだけど。

 

でもこの辺も考え出すと面白くて何かにインスピレーションを受けたっつってもそれってまぁそれが文芸じゃなくても結局模倣なんだよね。このモチーフ使える!っつって作品にしてるわけだからさ、でもなんで文芸は例えばヒップホップ的にならんのかな?って思うんだよね。もろに他人の曲のかっこいいところをループさせて抜いてきたブレイクスをループさせてラップ乗っけちゃえばそれはトラックだ!っていうそこの抜いてくるっていうところにセンスが出るわけじゃん?もちろんラップの質然りなんだけど。

 

でも例えばドンキホーテをモチーフにしたりドストエフスキーをモチーフにしたりっていう作品はあるんだけど、これが単純な著作権の問題だったらなんかさ、ヒップホップで著作権がうるさくなってサンプリングできなくなったのと同じで結局著作権かよ!って思っちゃうんだよね。村上春樹の二次創作とか同じ村上繋がりで村上龍の二次創作とかさ、著作権が全然あるやつにしてもリミックスする権利ってどうなんだろうね?

 

この盗作とサンプリングの差問題っていつも俺が話題にするけど、やっぱ気になるんだよね。なんかやっぱあれなんだと思うけどね、アダプテーション的な、その素材を元にした新たな作品だったらそれはその素材を元にして作られる表現の自由があっていいと思うんだよね。そもそも模倣以外ありえないわけだからね。まぁでも著作権がある作家のパスティーシュ集とか結構あるけどね。そんなにないか(笑)

 

文芸でディスコハウスみたいなことはできないのか?って思うんだよね。フィルターかけちゃえばそれはもう新たな創作だ!みたいな、まぁヒップホップ的な発想よね(笑)Tonkaとかの凝ったディスコハウスじゃなくてRouleとかから出てた短絡的なフィルターかけだだけのフレンチフィルターハウスとかって昔大嫌いだったけど今では好きなのはあの短絡性なんだよね。それを文芸でやりたい!ってのがあるんだよな。スカムのサンプリングもまぁ暴力温泉芸者とかがしょうもないB級映画とかから音をサンプリングしてくるのと一緒でさ、色々と混ぜちゃえばそれってもう暴力温泉芸者の作品じゃん?

 

なんでも文芸だとそうなりにくいのかな?って思うんだよね。サンプリング系作家って俺の無知もあるけどあんまりいないんだよな。理想的なのがキャシー・アッカーなんだけどなんかもっといてもいいんじゃないか?って思うんだけどね。まぁ影響を受けたのがフランス文芸理論・哲学・ポルノってそのまま俺じゃんって話なんだけど(笑)まぁポストモダン的ってことだよね。

 

ポストモダンって意識しなくても出てきちゃうんだよね。あと素でやってたらベタなメタフィクションみたいになっちゃったとかね、でも意識してなかったんだけど、でもそれが自然に出てきちゃったらそれは恥ずかしくてもいいんじゃない?って思うんだよね。カッコ悪さも良さだからね。

 

なんか文芸って全部のページがクールじゃないといけない!みたいな感じがあるけどダサかったり部分的に下手糞な部分とかがあって全然いいと思うんだよね。完璧なものほどつまらないじゃん?あと保坂さんじゃないけど一気読みできちゃうような線が通ってるやつとかも読んでるときはまぁまぁ楽しいけど、保坂さんの書いたものそのままになっちゃうけど「一直線で最後まで来ちゃったな」っていう感があるじゃん?

 

かといって山下澄人とか坂口恭平みたいな天然のグルーヴを模倣するわけにもいかないっていうか、ああいう本質的なオリジナリティを模倣したらダメよね。ああいうのを作り出さなきゃいけないわけで。だから元々持ってる人って凄いよなって思うんだよね。意識せずにああいうのが書けちゃうってのは凄いなって。俺もなんかさ、難解な文芸理論とかを研究しまくって脳からひねり出したようなのを書きたいわけじゃないんだよね。天然のグルーヴ感があるやつを書きたいわけよ。

 

でもそうなると書くってどういうことなの?とかってことになって話がメタのまたメタになってきて堂々巡りって感じなんだよね。正直、こんなに面倒なことになるとは思わなかったわ。完全に沼に入ってる感じだわな。あとなんかさ、ここ上手くいったなぁーってところの再現性がないんだよね。なんか偶然とかなんだよね。困ったもんだ。今は前に見たいにコンスタントに一日結構な量を書くってことができなくなってるんだよね。で、いつの間にか楽しみでやっていたはずが「文学に命を懸けてます!」ぐらいのむさくるしいコミットになってるのよ。だから精神がすり減るのね。だから娯楽が必要になる。なんで俺って楽しめないかね?突き詰める気質はもうしょうがないんだろうな。かといって産みの苦しみと言えるほどのもの書いてるわけじゃないし。

 

筒井康隆が言ってる書き手の凄みとかってこういうことを永遠と何十年もやって出てくるもんなんだろうな。それまでメンタル持たないだろうって思うんだけどね。なんかでも明らかに音楽のアウトプットより大変なんだよね。まぁでも音楽はかれこれ20年以上断続的にやってきたから経験もあるよね。

 

小説は書いたことなかったわけだからしょうがないにしても、まぁーこんなのあれだわ、片手間でできることじゃないよね。仕事しながら書いてる人とかいるらしいけどすげーなって思うよね。メンタルと体力全部持ってかれるじゃん?んで寝れなくなるし悩むし。

 

あと数学やってた頃にいつも鬱っぽくなると出てくる「やっぱ才能ないのかなー」っていうところね。まぁまず最低5年ぐらいやってから才能云々言い出せよって話なんだけどね。あとあれ、めっちゃ脳使うから寝れなくなる割に薬マックスで飲んで寝ると起きれなくなるのね。頭が疲れてるのかバカみたいに寝ちゃう。それを繰り返すことでウィザードリーみたいに寝ればレベルアップ!とかってなってればいいなと思うんだけど客観的に分からんからね。前に進んでるかどうかが全く分からないんだよね。

 

まぁ今日はそんな感じでんじゃまた。