こんな時代だからこそ、高等遊民スピリットを存分に発揮する。

政治に関してはノーコメントで。

 

闇断ちは徹底してるんだけど、どうやらさ、いや、前に文学に開眼する前から実は凄く文学的な映画が好きだったから元々文学的なものや文学的な表現が好きだったんだってことが後になって分かったって書いたけどさ、ブランショの思想を読み解いていくと小説と物語の対比ってわけじゃないんだけどさ、ロマンとレシってやつですよ。

 

なるほどねーってのが小説ってのは物事が起こるまでの過程を色々と描くってことで、物語ってのは物事が起こっているそのものってことなんだけど、ブランショ自身の文芸作品は最初はロマンだったんだけどレシに変わっていったってのが、自分の表現形体がそれに合っていたからってことなんだけど、ロマンとレシの差っていう着眼点ってすげーなと思ってさ、俺が嫌いなのはようは小説なんだなって思ったのね。

 

結局、あいつとあいつが結ばれるんだけどそれまでに色々あったりいらない日常の描写とか結ばれるまでの過程を描くのが小説なんだとすれば、どうやって結ばれたの?って聞かれて言葉で要約して話すのが言わば物語みたいなもんだよね。

 

んーちょっと違うかな(笑)いやさ、最初に闇断ちって書いたけど、俺が怪談好きなのって徹底的なまでのレシだからなんだよね。どっかの旅館に泊まった時に起きた心霊体験があるって話をその泊った人間の日常から描く必要ないじゃん?(笑)まぁたまにそういう怪談師いるけどね。でも良い怪談って無駄が無くて確信まで、ようは霊現象とその恐怖にひたすら向かうじゃん?

 

もちろん小説仕立てのほうが面白い話もあると思うのよ。実話かどうかはともかくリングとか呪怨とかがレシじゃダメで、あれはロマンだからああいう規模で呪いの話ができるんであってさ、ただまぁ怪談界隈ってレッドオーシャンで作り話っぽいやつとかもうダメじゃん?だからひたすらレアな実話怪談が価値を持つんだけど、実話怪談って無駄がないからね。なんなら数分で話せちゃうんだけど、下手な小説よりよっぽど物語性があったり物語を堪能したっていう満足感があったりするじゃん?

 

怪談って話芸だけどどう話すか?っていう構成って極めて作家的というか小説的だよねって今更思ったのね。で、Escapism的なさ、もう日常つまんないしリアルでも楽しいことは結構やり尽くしたからあとはもうそういう怪談とかさ、まぁもうご法度だけどね(笑)あとまぁフィクションとかになるわけなんだよね。ようは物語に飢えるってのは現実に飽きてるってことなんだよね。

 

調べてみるといかに物語とか読書ってのがつまらない現実とか辛い現実からの逃避だったのか?っていう研究とかがあってさ、確かにそうだよなーって思ったんだよね。ただまぁあれなのかな、俺の場合、ゲームとか映画とかが最初でさ、んでそれを尽くしちゃってそっから文学に入ったわけなんだけど、元々文学だった人が、例えば結構年配世代の人がさ、仮にVRとかゲームとか仮想現実的なのにハマってもそれって基本的になんか一緒って気がするんだよね。

 

順番の違いっつーのかな?いや、テレビすらない時代の娯楽っつったら逆にそりゃ文学なんて楽しかっただろうなって思うんだよね。だって家帰ってもテレビもないしネットもパソコンもないわけじゃん?なんか読むしかないよね。あとはセックスか銭湯とか飯とか酒ぐらいだよね。

 

文学が斜陽ってのは産業的にってこともあるし、いつも書くようなポストモダン的状況ってのもあるよねっていつも書いてるけどね。出尽くすって話で。ただ前にも書いたけど文学は出尽くしとその出尽くし後の文学の終わりとかポストモダン的なものの発生が他の芸術に比べて凄く早いように思えるんだよね。それこそベケットとかピンチョンとか、まぁ現代音楽とかの前衛とかと年代はかぶるけどさ、50年代とか60年代ぐらいにはもう終わってるんだよね。そこがすげーなと思って。

 

でもそれは芸術としての文学なんであってさ、音楽然りだけど娯楽としては終わってないんだよね。例えば映画化できるような恋愛小説とかって尽くされてるのにまぁでもあるわけじゃん?でも純粋表現としての文学っつーかそれがやっぱ純文学ってことになるんだろうけど、そうなるともうないんだよね。

 

それこそブランショではないけど、作家は元々死とか消滅に向かってるとかさ、バルトとかクリスティヴァみたいな、物語ってのはコピペ以外ありえないっていうね、まぁそれ言い出すといつもの音楽の話と一緒で「浮かんだ」っつってもそれは色々と聞いてきた音楽の中から自分がチョイスしたものが出てきたんであってオリジナルじゃないんだよってことなんだけどね。

 

ただなんつーのかな、現代音楽好きだけどね、マニアだけどさ、ただ現代音楽って娯楽性はないじゃん?まぁ音響的アプローチで聴けば娯楽的に聞けなくもないんだけど難解過ぎる!ってのが大体の印象だろうけど、文学もベケットかそれ以降のコンテンポラリーのやつだと娯楽性が無かったりしても面白いんだよね。

 

それはカフカが異様に面白いのと似てるんだよね。あとウルフのダロウェイ夫人とか波とかね、ブランショがレシとしてカテゴライズされてるやつとか、あとまぁフォークナーの誰が主人公だか分からないやつとかさ、いや、そう思うとヘミングウェイとかのミニマムな超簡素な文体ってのもある意味すげーなって思うんだよね。20世紀初頭にそういう前衛的なのがもうクラシックになってるっていうさ、あとまぁ俺が嫌いな女流作家とかに多いんだけど(笑)ヌーヴォーロマンか?っていうぐらい晴れている夏の東京っていう話が色んな比喩とか「何々が聞こえてきそうな」とか無駄な装飾だらけの粉飾決済の塊みたいなさ(笑)読んでてゾクゾクってするあの気持ち悪い昆虫とかの動きを見たときに鳥肌が立つ感じね。

 

そういうのをすでに特に小説のクソダサい部分だっつってっつー美学でやってるか分からんけど無駄なもん書かないヘミングウェイスタイルとかさっつっても初期は違ったらしいけどね、あんま読んでないんだけど(笑)あとまぁブルトンとかさ、あれはシュルレアリスムだけど、あとはレーモン・ルーセルみたいなやつとかがあるってのがなんかすげーなって思うんだよね。基本パンクなんだよね。大衆小説ってのがやっぱりポップスと一緒でセルアウトした文芸なんであって、純文学ってやっぱすげーなって思うんだよね。

 

他の芸術とやっぱ一緒で作家が魂削って書いてるなっていうさ、すんげー表現方法とかなんか新しい革新的なものはないだろうか?っつって苦心してるっていうところがあってさ、いや、なんか全く文学知らない時って小説書くには?っていうとまずプロットだの物語だの何人称だのキャラクターを作るだのなんだのっていう俗っぽい話があるけど、そういうもんじゃないんだよね。文字を使った芸術だから何やってもいいんだよね。

 

小説と言いながら全く小説じゃなくても小説って言っちゃえば小説になるところがすげーんだよな。それこそまぁ実験的な小説だとペットボトルのラベルの話が永遠と書いてあったり(笑)なんか話が進むのかと思ったら永遠と独白が続いたりとかさ(笑)形式に捉われないところが凄いんだよね。なんか俺みたいにさ、こういう話にしちゃうとああいう話ができなくなっちゃうから・・・っていう縛りが多いから小説なんて書けないって思ってるやつのほうが死ぬほど書けるんだよね。

 

話が矛盾してても面白ければ良くて論理的整合性で読むわけじゃないから何やってもいいわけだからさ、そう思うとマジで絵画ってのはまさに絵とかビジュアルの芸術なんであって、あとまぁ造形とかね、ファッションデザインとかさ、音楽は言わずもがな音の芸術ですよね、んで文学は文字の芸術なんだよね。そう思うと売れる売れないとか出版不況とか全然関係ないじゃん!ってことになるよね。

 

純粋芸術そのものがその業界が斜陽だからっつってやらなくなるのか?っていうと芸術家は関係なくやるよね。勝手にやっちゃうのが芸術なんだからそれは文学も同じなんだってことに気がついてからの今日みたいに調子が良い日の精神的充実感と言ったら!って感じ。

 

もっとぶっ飛んでてもいいのになーとかあんま面白いの見つからないなーってのが書くことの凄い良い契機になるんだよね。ないから面白いのを書いちゃおうということになる。俺が最近作ったノイズなんかもそうよね。自分が作業するとき用のBGMとして作ったんだけどどうせなら出しちゃえってことで出したっつーさ、そこに経済だの市場だの再生数がどうのとかって全く関係ないからね。

 

ましてや数多のノイズがある中で自分用の作るわけだから耳が肥えた俺が納得するような内容じゃないといけないわけでさ、だからまぁそういう意味で言葉が正しいか分からないけどクリティークが入ってるんだよね。第三者の目が入ってる。作りました!っていう自己満足ほど気持ち悪いものはないからさ、そこがまぁ小説も同じなんだよね。書いてるときはとりあえず書きたいこと書けばいいけど、ある程度見直してみるっていう時は徹底的に第三者というかクリティーク目線だよね。

 

んで「うわー本だったらパラパラ飛ばすところだわーここ」みたいなところをガンガン削除していくっていうね、まぁそれが最近書いてる自己検閲って話なんだけど、そういう意味で書き手って書く以前に鬼が付くほどの読み手じゃないといけないんだよね。超絶的な小説の読み手じゃないと良いのは書けない。例外もあるとは思うけど。

 

あと自己満足で作家ごっこがしたいだけでさ、外に出すってことを前提としないようなのを書き続けても一向にスキルは上がらないし何より悩んだり絶望したりしないからね。いや、大いに絶望するべし!なんだよね。自分がほれ込んでいる作家の凄さに比べて自分が書いているやつはなんてショボいんだ・・・って絶望しながらそれでも書くんだ!っつって書くわけじゃんね。

 

ちなみに惚れ込んでる作家って全然いないのよ(笑)音楽だとあれも好きこれも好きとか映画でも好きなの結構あるのに文学だとストライクゾーンがこんだけ狭いってことはある意味、すんげー向いてるのかも!って思ってるんだよね。反応しないのは分からないんじゃなくて自分の固有のストライクゾーンを持ってるから大体のものが響かないってことかもしれないわけなんだよね。

 

でもね、読み始めの頃にさ、最初は村上春樹のコラージュみたいなのから始めたんだけど、全作コラージュするとやることなくなってなんかないかな?って思うようになるわけなんだよね。そこでまぁヌーヴォーロマンだベケットだって読み始めたんだけど、ブランショの謎の男トマが入ってる「現代フランス文学13人集」ってのがあるんだけど、ブランショ目的じゃなくてロブ・グリエだったかな?

 

前にも書いたけどフーコーとかデリダとかポストモダン系の哲学の文芸理論とかも一応読んでたから名前は知ってたんだけど、ブランショって小説書いてるんだー哲学者かと思ってたんだけどなーなんつってトマ読んだ時の衝撃よ。「これや!」って思ったのね。哲学的なものが題材になっている小説ってのは数あれど、それは哲学が方便になってるだけでコアじゃないものがあるんだけど、ようは思弁小説みたいなね、埴谷雄高の 死霊なんてそうじゃん?思想を小説で表してるってやつってあんまりないんだよね。やっぱそういう意味だとサルトルの嘔吐はクラシックだなって思うんだけど。

 

あと日本だと安部公房とかかな。まぁでもそれ言い出すと全部が全部そうじゃないにしても思弁的な作品もある日本作家っているし、最初わけがわからなかったんだけど、わけがわからなさすぎる死霊とかブランショ読んで頭が鍛えられたのか(笑)泉鏡花の観念的な美とかすげーいいな!とかって思ったりしてんのね。あとまぁデュラスみたいなダラーっとしたあえてクソつまらないやつね。アンニュイなやつ。

 

なんかやっぱ書いてて思うけどセンスいいよね。俺(笑)誰に教わったわけでもないのに自分で読み始めて開拓し始めて自分の好みの物を引き寄せることに成功してるわけなんですよ。まぁ書いてるやつのネタ本ばらしみたいになっちゃうけど(笑)ぶっ飛んでた頃のソローキンとかクレメンス・ゼッツのインディゴとかたまらんよね。なんやねんこれっていう(笑)あと最初は陰湿で嫌だったけど最近文学レベル上がってきたから好きになったのがトーマス・ベルンハルトね。基本やっぱ読むドラッグ系の狂った感じと実存系っていう俺の基礎に即したものになるよね。

 

英語しか読めないからさ、日本の翻訳文化って凄いと思うんだよね。英語訳がないやつとか日本語訳で出てたりするから、売れない海外小説とかを出してる出版社とか本当に偉いなって思うんだよね。クソみたいな本が大量に生産される中でやっぱり文学っていう文学の灯を絶やしちゃいけないんだ!って思ってる人がいるってことだよね。

 

あと文学は教養とか特権的な守られたものじゃなくなったっつー話があるけど、全然そんなことなくて、それはJ文学みたいなさ、見た目が良いから売れてるんだろ?みたいな作家の癖にメディア露出とかファッション雑誌とかにまで出てるとか何やってんの?っていうようなのが売れてるっつーか本出せるってのはただ文学が前にも増して商業主義的になって、売れないやつも文化のためっつって出せるほどの余裕がなくなったっていうことなだけでさ、まぁ教養としてのクラシックとか現代音楽とかってスノッブだなとは思うけどさ、でもやっぱ高尚な趣味だと思うんですよ。

 

自分から文字に働きかけてさ、んで膳立てされたような一筋で読めちゃうようなものではなくて、「何なんだこりゃ?」って思いながら読まないと意味が分からないというか、面白さが分かっても相変わらず意味は分からないとかっていうのを楽しめるってすんげー知的な活動ですよね。変な言い方になるけど、そういう高尚な文学を読んでるってのはやっぱ矜持を持ってていいと思うんだよね。そのあれよ、ジャズ親父とかクラシック蘊蓄親父とかのスノッブな感じじゃなくてよ、まぁようはさ、あとは安易なSNSとかクソ分かりやすい映画とかで時間を潰さないで、難解だけど働きかけると色々と見えてくるっていう文学に時間を費やすことができるってステータスじゃん?

 

欧米の上流階級とかだとまぁスノッブだけどさ、いろんな文学的なものに精通してないといけないってのはようは実学とかさ、いかに金を増やすかとかそんなことばっかやってるやつらがダサいっていう話なんだよね。金の心配はいらないから芸術を鑑賞するし文学を愛好するし音楽を愛するってのがリアルな上流階級ですよね。でもそれは上流階級ってほどのお金が無くても、相当の趣味全般の高尚さってのがつまりは高等遊民ってことだと思うのね。俺なんかぴったりじゃん。元々筋金入りの高等遊民で、んで高等遊民というと文学と映画!って感じがするけど、文学が欠けてたんだけど、今は俺は書いてるわけですよ。ってことは端的に言って最高なんじゃないか?って思うのね。

 

アラフォーにしてニュービギニングっていうかさ、すんげー人生の宝手に入れたな!って思うのね。金で買えない秘宝よ。それを楽しんで耽読できて自分も書くって最高でしょ。まぁ音楽でそれを長年やってきたように思うけど、今はそれが文学になってんのね。やっぱこれは数学以来のパラダイムシフトですよ。その例のさ、集合論学んで数学観が変わって、一気に数学が理解できるようになって好きになったっていうのと同じだよね。

 

なんか文学っつーとまずは古典からとかって感じがあるけど現代小説でいいんですよ。もうわけのわからないぶっ飛んでるやつとかシュールなやつとか面白い!って思うやつから読めばいいし、19世紀的な大作ってのはやっぱり時間がかかり過ぎるんだよね。何しろ19世紀のもんだから、そこそんなに長くなくていいでしょっていう、まぁ昔の映画とか一緒だよね。展開が遅すぎるとか大したことない話が長すぎるとかさ、だったら今の先鋭的なやつ読んだ方がいいんですよ。

 

っつってもピンチョンあたりの一昔前の前衛って多分、俺の感覚だけど全然前衛だと思えないしぶっ飛んでるとも思えなくてまぁ古いんだよね。昔は凄かったのかもしれないけど今読むと全然ですよっていうね、だからさっき書いたゼッツじゃないけど、ああいうマジで意味分からんやつを読んだ方が楽しいと思うんだよね。まぁあとカフカはやっぱ面白いから必読ですな。あと俺みたいに現実つまんねーっつって自分が感銘を受けるものを探し続けながら部屋に籠ってるみたいな生活をしてるやつは(笑)自分の実存と似ているって意味でユイスマンスのさかしまってやつが面白いと思うんで読んでみたほうがいいかもしんない。

 

今日は何かね、すんげー捗っちゃってこれ以上やると頭パーン!ってなりそうだからもう寝るか寝る前に映画でも見ようかなって思ってますね。そういえば伊藤計劃の虐殺機関ってリアルタイムで見てたんだけど、文学に開眼したうえで原作読んで観るとめっちゃ面白いね。あ、映画なんだけど。あんなの書けるってすげーよな。なんでああいう人って死んじゃうんだろう。佐藤泰志とか萩原慎一郎とかも、ああいう人ほど金持ちの家に生まれて金のこと心配しないで創作に打ち込んでガンガン傑作書けばいい人なのに、凄い不遇な人生送っちゃうんだよね。んでどうでもいいやつが本を出したり無駄に金を持っていたりして、金回りに関してはなんとかならんのかなって思うよね。

 

まぁ俺は主に思うことが芸術だからヨーロッパみたいに芸術家がちゃんと生計立てられるようなアートの基盤ってのがないってのが本当にダメだなって思うんだよね。凄い人はいるのにさ、生活大変だからあきらめざるを得なくなるとかさ、勿体なさすぎだよね。本質的な国の富って文化だからね。経済的に潤っていることも条件かもしれないけど、金があるだけで国民がバカじゃどうしようもなくてさ、やっぱ文化レベルが高いってことが国が豊かってことなんだよね。まぁ日本はサブカルとアニメとゲームがあるからね(笑)国もそれを推し進めようとしているらしいけど、マジで文化的な戦略って必要だよね。ホント、虐殺機関じゃないけど日本のアニメって凄いなって思うんだよね。んでああいう原作者がいるってのがね。攻殻機動隊が最たるもんだけど。

 

だから日本って文化的に豊かなんだよね。でも金が回らなくなってるから斜陽になってるってだけで、ちゃんとしたものに金が回るようになればいいと思うんだよね。よく個人がプロモーションしてマネタイズするとかって言うけどああいうのは大衆娯楽にだけ言えるんであって純粋芸術はそりゃ無理だし純粋芸術を志すような人がマネタイズがどうのとかSNSがどうのとかやらんのよ。

 

なんか話は変わってこないだ令和の虎みたんだけどさ、下品な社長が非道徳的なことをやってしかもシャンパンタワーに1000万使ってるとか、なんかああいうやつに金がいくシステムってなんとかならんのかね?芸術は食えないとか文学は空前の灯だとかなんだとか、「それだからしょうがない」じゃダメなんだよ。なんかやっぱやんなきゃ。

 

日本がさ、全然文化的に遅れてるとかダメダメだったらあれなんだけど、文化的インフラ凄いんだよね。本屋行ってもマイナー文学の翻訳とか高いけど出てるしさ、文化的なものを享受しようと思えばいくらでもできるっていうお金ではない裕福さがあるんだよね。もちろんそれに市民がアクセスするかどうか?ってことなんだけど、そういうものに市民がアクセスするようになるっていうこともまた国富なんだっつー認識があっていいと思うんだよね。

 

年齢のせいもあるのか年寄りの説教っぽくなったかもしれないけど(笑)若い時からそうですからね。俺。文化が第一!だから。それはもう一貫してるでしょ。みんな金金言い過ぎ。金無くたってすんげーいいものにアクセスできるんですよ?だってさ、例えばカフカを読み倒した後にベケットを精読している生活ってシャンパンタワーに1000万使う生活より豊かな生活してるわけなんですよ。シャンパンタワーなんて空虚そのものでしょ。ましてやその1000万がどこに行くのか?ってクリエイターとか作家とか芸術家じゃなくてキャバクラでしょ。もうその時点でそいつは貧しいわけよ。そんな金の使い方をしている時点で貧しい。令和の虎繋がりで言うと賭けポーカー然り。

 

結局、人間性なんですよ。だからやっぱいつも書くけど人として善くあることとかね、あえてこういう言い方をするけどハイブローな趣味に時間を費やすとかね、それが真の富なんですよ。金なんてのは通貨ですからね。シャンパンタワーの社長は一生カフカやベケットを読まないわけなんだから(笑)文化的な豊かさとそういうものに触れて感動してきたっていう文化的蓄積はプライスレスですよ。ゴールドカードとかプラチナカードよりもキラキラ光るものですよ。

 

だからね、諸君!文化的な生活をしたまえ!ついでに金の話になるけど、現代で文化的なものに接して暮らすって昔に比べて全然金かかならないぞ(笑)

 

ってことで今日はこの辺で。