FF7リメイクが終わったので。

FF7リメイク終わりましたよ。ああいうやたらムービーが長いゲームは小説を読むのにぴったりだから最後までやれたかな。今回は。まぁあれだよね、グラフィックとか街の作りこみとかさ、可愛い女性陣とかそういうところは言うところないよね。

 

でもまぁなんだろうな、あのぐらいでやるとっていうか原作思い出すとさ、全然まだ序盤だよなーこれってのがあそこまで色々と描けるってのは凄いなって思うのね。完結するのがいつになるか分からないのもあれだわな、どうなんだろうな、あのぐらいのペースとディティールで作り続けてくれればとりあえずいいよね。

 

なんか急に途中から終わりにかけて急いだ感じとかにならなかったらいいんじゃない?って思うんだよね。んであとあれだ、内容がスカスカなユフィ編やってるんだけど絶妙に今のJKが履いてそうなルーズソックスにムラムラきちゃってプレイして割とすぐに終えて抜いてからやってでもやってる途中でムラムラするからまた抜いてって感じで抜きゲーだなと思ったんだけど、最近あれなんだよね、小説読んでるのはいいんだけどさ、その頑張らないで自然に読む感じが凄くいいなと思うんだけど眼精疲労がマックスなんだよね。

 

もう毎日頭痛い。目の鈍痛はデフォルトなんだけどこめかみあたりがズキズキするのがもう最悪で、でもなんかあれかもね、知恵熱的な?すんげーまた小説を受容する頭が形成されてるから物理的に痛むのかな?とかって思ったりしてるんだよね。勝手に。前に比べて圧倒的に読解力っていうか例えば一か月前に買ってちょっと読んで読んでなかった本とかの印象が全然違うのね。

 

でもなんかあれなんですよね、寝る時間起きる時間がめちゃくちゃで道場にも行けてないんだけどさ、んでまぁ何してるんだろうな?っていう毎日小説読んでゲームやってなんか書いて終わりなんだけどすげー充実してるんだよね。なんだろうな、もっと金があればいいなぁーとは思うけど、例えば海外旅行行きました!とかさ、彼女とデート行きました!とか仲間とバーベキューやりました!とかなんでもいいんだけどさ、高級車買っただのなんだのなんでもいいんだけど心の底から羨ましくないんだよね。

 

そのぐらいあらゆることがどうでもよくなってる(笑)どうでもいいというより小説に没入しているというのがここまで最強な機関だとは思わなくてさ、ただまともな社会生活送れないけどね、そもそもそんなもん送ろうと思ってないわけでさ、まぁいいんだわ。それは。退屈だなぁーってのがないんだよね。ちょっと前まではあったのに最近は小説の読解力というかかなり読めるようになってきてるから読んでる間が楽しいわけじゃん?もちろん気に入ったやつばっかですよ。

 

あ、あとね、保坂さんの本で内田百閒の鉄道の小説が面白いって書いてあってさ、阿房列車って言うんだけど最初全然響かなかったのに読んで行ったらどんどんハマっていってさ、何も起こらない系のやつじゃん!とか思ってさ、会話もどうでもよくてさ、「きみさ、岩と石の差って何だと思う?今、こうやってステッキでいじくってるのは石なわけなんだけど岩がそこにあるだろう?」みたいなね、いや、こりゃたまらんな!と思ってさ、たまらんな!と思うと全集買う癖があるじゃないですか?だから全集買ったんだけど今って元がパブリックドメインに入ってるからなのかなんなのか全集が投げ売りみたいな値段で売られてるから高い邦訳の海外小説二冊分ぐらいの値段で買えちゃうのね。

 

まぁ「さういう」とか旧何使いだ?まぁ文庫で出てるやつは現代語っていうかちゃんと「そういう」になってますけどね、保田與重郎で鍛えられたから全然読みづらくないのね。それで安いのかな。関係ないか。でも目に優しい文字の大きさじゃないよな。だから目が疲れるのか。

 

小説永久機関みたいなのに入ってそれで余生を過ごすっつーかもしかしたら飽きるかもしれないけど書き始めの頃のヴァイブスと似てるんだよね。日常生活に全く関心が無くてひたすら書くことと読むことにフォーカスしてるっていうね、フォーカスし過ぎでヤバいんだけどさ、でもこのフォーカスしてる時の強度って凄いんだよね。

 

だったらずーっとこれで良くない?眼精疲労はなんとかするとしてさ、あとまぁそんなにね、好きになるのが多くないとは言えさ、結構読むのあるわけですよ。でも目が痛いな。あとあれなんだよね、頭が小説没入モードになってると他の事できないっていうか一気に関心を失うんだよね。関心っておそらく100ぐらいの数値があって人間ってのはそれを適度にいろんなところに配分しながら生きてると思うんだけど没入する俺みたいな人間は100全部それに使っちゃうんだよね。

 

だから今みたいに家族の支えがないと生きていけないし、かといっても没入の度合いが半端じゃないっつってもそれが社会的な成果に結実するか?っていうとそうじゃないわけでね、いや、まぁどうでもいいんだよ。そんなもん。強度が大事だ。

 

聞いた話なんだけどさ、ある漫画家さんですんげー売れっ子だったんだけど自殺しちゃった人がいるんだけどさ、生前の評価も高くてまぁそりゃーすげー人だって言われてたんだけど自分が書きたいものとは違うものを求められて書いてたんだって。んでまぁ腕がもうリスカだらけだったという。

 

「書きたいものが書けなくて書きたくないものを書かなきゃいけないという辛さが分かりますか」

 

って言ってたらしい。いや、だから社会的評価ってどうなんだろうなって思うんだよね。自分が好きなものを書いたり音楽でもそれをやってさ、それを発表しなくてもなんかそれで充実してるならそれでいいんじゃないのかってね、例えばうちの親父は俺と違って歳なのにすんげーバイタリティの持ち主でさ、俺と言えば今年あったことと言えば年始に父とお墓参りにいって、んでそろそろ涼しくなったからお墓参り行こうっていう、もう一年もあと四か月ぐらいなのに父との墓参り二回ぐらいしかイベントが無いってすげーなとか思いつつさ(笑)見た目はそうだけど書き始めの数か月凄かったからね。今年は。

 

でもそれって外から見たら分からないじゃん?でも本人はすんげー強度の中で生きているっていう。で、書いたものが評価されるかされないか?なんてあんまり問題じゃないんだよね。いや、だって俺って音楽作るときって全く野望が無くてさ、作りたいのを作れたらそれでいいって思ってるわけじゃん?なんで小説は野望があるのか?っていうと典型的な書き始めのアマチュアだからなんだよね。多分。

 

んで最近はもう良い意味で野望が無くなったのね。ただやるゲームが無くなっても退屈しないぐらい書きたいこととか文字の中でやってみたいことが溢れてて時間がいくらあっても足りないみたいな生活が続けば永久機関なんだけどなーっていうところですよね。

 

あと小説ってずーっとやれるじゃん?激しいスポーツとかと違って年齢いったからっつって創造性が無くなるってことはなくてさ、やるんだったら何十年単位で見ておけばいいんじゃね?ってことだよね。目は疲れるけども。

 

それがさ、文学の世界に目覚めてからもう永遠と没入モードが続いてて出来事が父との墓参りぐらいしかなくても全く現実に不満もなければなんかやりたい!みたいなのもなくてっていうかやりたいことやれてるんですよね!って最強だと思うんですよね。映えしないんだけど内面が充実しているというやつですよ。これって究極じゃないのか?

 

むしろ出来事が父との墓参りぐらいしかないほうがより小説の世界に没入できるから、時間と取られるような煩雑なことがなくなるから、なるべく特にややこしいことは起こらないでくれ!っていうか起こらないでくれ!じゃなくて意識しないのが大事なんだよね。スピリチュアルになるけど(笑)こうなったら最高だ!という像を浮かべてるほうがそうなりやすくなる。

 

ゲームの尽きと比べてみてくださいよ。数日やったらどんな長いゲームでもゲーム慣れしてる俺ならクリアしてしまうでしょう。でも文学はどうですか?終わらないですよ。ましてやまだ一年生でしょう?年齢的にも良くてさ、20年ぐらい書いてた人がマスターピースみたいなのを書き上げちゃってもうあんまり書くことなくなったみたいなのがあるみたいだけど、20年って凄いじゃん?俺ってまだ一年生だからね。

 

先にはもう書きつくして書くことが無くなるということがあるのかもしれないけどね、まだ始まったばっかだから全然いいんですよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。

 

んじゃまた。