行方不明の象を探して。その6。

「思念は現実化するとか運動は身体にいいとか、それが今やっている自分のことに都合よく働けばそれをリアルだと考えればリアルに作用するってのがミソだな」

 

「思念は現実化するってのはかなりスピ入ってると思うけど、運動は身体にいいってのはもっと科学ベースなエビデンスありきの当たり前の話なんじゃないか?」

 

俺は水が上がってくるのを見ながら誇らしげに目を海に潜らせ、後に忘れないように熱意をもって自分の回答を返したが、その言葉、音、口の中の音を思い出すことはできなかった。言葉の記憶とか音の記憶とか、もしくは口自体の記憶とか。それでも俺は自分の信念を守り続けようとした。しかし記憶は失われた。

 

お父さんはうんざりするような満員電車に乗って出社しました。満員電車がサラリーマンの寿命を削っていることは科学的に証明されています。運動は身体にいいのと同じ話ですね。そしてなにより、人間は不要な労働から解放されるべきですね。お父さんは会社に着くとデスクに座り仕事を始めました。Aはまだ出社していないようでした。

 

少し時間が経ってからAは出社してきました。そこでズドン!というのもアリでしたが、せっかくだからいつもの酷いハラスメントをしている最中にぶち抜いてやろうと思い、ハラスメントを待っていました。いつもはあれほど嫌だと思っていたハラスメントを受けるのが楽しみになる日が来るなんてとお父さんは思いました。

 

Aがいつものふてぶてしい態度で部下に不要な強い言葉を投げつけています。それだけ見ていると昔の軍隊のようでした。いよいよAの矛先はお父さんに向かいました。お父さんは仕事ができているのに意味もない説教を受けました。部屋中に響き渡るような怒鳴り声でお父さんを責め立てました。

 

お父さんは平謝りしながらそっとバッグに手を伸ばしました。手触りの良い冷たい鋼の感触がしました。ついにこの時が来ました。お父さんは怒られながらずーっとこの手触りを楽しんでいたいとすら思うぐらいたまらない手触りでした。前世というものがあるとしたらお父さんの前世はガンマンか、もしくは守護霊様がガンマンなのかもしれません。

 

お父さんはそっと44マグナムを取り出しました。Aは一瞬黙ってきょとんとした顔をしていました。「ズドン!」という言葉では形容できないようななんとも言えないマグナム弾特有の激しい銃声が部屋中に響き渡りました。Aの怒鳴り声が子猫の泣き声とも思えるぐらいの激しい音でした。そしてAの頭はぶち抜かれ辺り一面にAの脳や頭蓋骨や歯のかけらが飛び散りました。「キャーーー!!!!」という声が響き渡り会社はパニックになりました。普通だったらそうなるはずでした。

 

しかし特にお父さんほど酷いハラスメントを受けていない人間もAのことは大嫌いで、なんであんなに良いAさんが嫌がらせを受けないといけないのだ?と思っていました。そんなAの頭は斬首されたように綺麗になくなり顔面のパーツは血飛沫と共に粉々になりました。

 

お父さんは少しだけ「Go ahead Make my day」とAを屠る前に挑発しなかったのを悔やみました。しかし悪人を成敗した快感がお父さんの全身を震わせました。同僚たちは狂乱状態でお父さんを褒めたたえ血の池のようになっている中で胴上げをしました。お父さんは照れ隠しのために「返り血浴びただけに帰るわ」と言って退社しました。社員は血まみれのお父さんを英雄を送るかのようなリスペクトを持って見送りました。

 

それ以来、お父さんはサラリーマンの鏡としてレジェンドになり、社会的影響力を持つようになりました。お父さんの伝説は尾ひれがついて、本来の話よりももっと大きな話になって日々、話がアップデートされながら拡散されていきました。

 

模倣する人間が増え、そういう人たちは第二のお父さんと呼ばれ次に模倣した人間は第三のお父さんと呼ばれ、ある程度のコピーキャット状態が続いた後に社会からハラスメントが無くなっていました。44マグナムで殺された人間は会社の人間が多かったのですが、中には学生やバイトが店長を撃ち殺すということもあったのでした。

 

お父さんの44マグナム伝説が社会的現象になるころには人々は他人に対して配慮をするようになりました。それは優しさというよりも間違ったことをすれば撃ち殺されるかもしれないという恐怖からでした。まるでアメリカの表面的な市民性のようでした。お父さんは日本のダーティー・ハリーと呼ばれその翌年にノーベル平和賞を取りました。

 

それは暴力が社会を変えた前例のない素晴らしい例として世界中から称賛されました。でもそれだったら世界中でコピーキャットが増えて銃殺だらけになりそうですね。でもそうなると話が長くなるので、お話はここで終わるのでした。お父さんはノーベル賞のスピーチの最初に念願の一言を口にしました。

 

「Go ahead Make my day」

 

おしまい。

 

僕の友人はいい人だったので僕の惨めな孤独を知っていたと思うし、おそらく孤独な人をたくさん知っていて、それを察知していたのでしょう。だから僕は、おそらく当然のように何度もそこに行くように誘われた。さっきも言ったけど、僕たちは座ってお酒を飲んだり、チーズやクラッカーを食べたりしていました。それから夕食を食べに行きました。

 

その後、僕たちは宴会をして、4つか5つの異なるフードの類を完璧な順序と所作で、そして、とてもおいしいワインを飲み、食後に飲み物と同時にコーヒーを飲み、たくさん笑って水差しそのものを飲んだものでした。まるで天国のようでした。これは皮肉でも冗談でもありません。

 

決して止まらない。それがロマンだ。世界の一部になるんだ。とてもいい気分になるんだ。全体がまだ動いていて、自分は止まってしまったものの一部ではないんだ。それは天気と同じだと思う。 冬に気分が落ち込むのは、日差しのせいではないでしょうか。日差しが少ないという意味で。でも夜中に活動している俺には関係ないのでは?春は来ないのだろうか。もう一回だけ、考え直させてください。うん、なんとなくわかってきた。たぶんポケットに手を突っ込んでいるんだろう。 

 

僕の友人は孤独だ。きっと僕よりも孤独なんだ。確かに、これは僕にとって重要な問題です。こういう発想はあまりないんです。だから、だんだんわからなくなってきた。つまり、この先どうしたらいいのかっていうのが。 何かをしなければならないような気がするのですが、それが何なのかがわかりません。普段は、ここまで混乱することはありません。おそらく、僕がとても頭が悪いからでしょう。ひとつのことが次に続く。それの繰り返し。そして、僕はただそれを行う。 その結果については考えなかったのです。

 

今、その結果が目の前にある。考えるのは結果だけだ。今、僕は自分が何者なのか考えようとしている、それは僕のような人間にとって簡単なことではない。杭を取ろうとする寛容さ。象は何も言いません。象はただ新しい場所に移動するだけです。象は星を見続け、機械の中に入っていく大きな船を見続けています。

 

そう。ダーティー・ハリーのように。心臓をひたす血が思想なんだ。色々と書く前に書いてもいないのに目と額の内側に集まってくるのはもっとも安定度の高い要素なのだ。素早く調性する。様々な思いが一連の鎖となって右腕を通り抜ける。半ば目覚め半ば眠った状態でそれを捉えるのだがそれは風にあおられた泡のようだ。左端は逆に様々な鉱物の集団に作用されているらしい。

 

背中の大部分は黄昏時の様々な部屋のイメージを上下に積み重なった形を保っている。ニュートラル過ぎる自分をあえて落ち着くという動作に落とし込めて落ち着くフリをして固執するのをやめて待つ。この最初の接触はあまりにも豊か過ぎ晦渋であるように思える。虚構の存在論と実際の差は存在しない。

 

しかし虚体に向かうエロスは存在する。全てが論理的なようで偶然性によってしか解釈することができずに、それを論理で説明しようとしたり精密に分析する必要が無いことに安心する。これでいいのだと思う。仮に説明ができたとしても、できないほうがいいのだと心から思える自分の感覚がまともに思える。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。