行方不明の象を探して。その12。

梶田光君、凄すぎるよね。数学諦めて本当に良かったと思う。俺ってそこまで突き抜けてない割にやっていることに関して「B級が何頑張ってんだ?」っていう冷めた目があるから真剣にやることはS級にしないと気が済まない。でもさすがに努力でなんとかなる世界でもないわけで、中途半端な人の存在意義ってどういうところにあるんだろう?って思うんだよね。

 

俺がまさにそうだから、んだから昔から実存について悩んだりするんだと思うんだよね。明らかにダメそうだったら希望すらないんだけど、そうでもないってところで悩むんだよね。人間性?語学にしてもさ、IQ高いといいよね。ホント、普通の人の尺度で見たら語彙増やすのなんて一瞬だろうしIQ高いなりの悩みはあるんだろうけど常人がスクールに通ったりして四苦八苦してるのをなんの苦労もなくできてしまうってのはやっぱすげーよな。労力というコストを払わなくていいからね。常人だと頑張ることで燃え尽きるからね。

 

まぁ人生をスペックだけで考えたら絶望しかないんだけど、そこで俺固有のものは何か?っていうと俺固有の経験とか記憶とか感覚よね。スペック勝負は無駄すぎるんだよね。なんでも上見たらキリないから。中途半端なIQって苦労ばっか目立つ気がするんだよね。そこで突き抜けるとIQ高いなりの苦労も相殺される気がするんだけど、それほどでもない場合、まぁ半端ものになりやすいってことだ。無用者の系譜。

 

あとあれだ、関係ないけど昼間起きてると疲れる。生きている人間が発する波動っつーと怪しいけど磁場みたいなもんがあってそれに影響されてすんげー疲れちゃう。夜型になると一切、そういうものの干渉を受けないし、深夜の海で一人で自主練ってのは最高の時間なんだけど最近寒くなってきたからあんまやらなくなってるわ。

 

「なぜあなたはやろうとしないの?」

 

「だってそんな力はないんですよ。力があったとしても無理なんです」

 

「それはあなたの想定の度合いが低すぎるからではないかしら?本当はそれ以上のことができるはずなのに」

 

「そうだといいんですけどね。それ以上か・・・」

 

「あたしはあなたと知り合って以来、そんな感じがしているの」

 

彼女はむき出しの顔を心もち肩に傾げて眠っている。彼女の身体には木漏れ日が斑点になって当たっている。太陽は動かない、大気は全く静かだ。虚構の一つ一つに相次いで驚愕を覚えながら、彼女は服に隠された体、陸上競技の走者のような腿の肉の薄い長い脚、両腕の先にダランと垂れている眠りこけた手の異様なしなやかさ、胴体、毛髪のばさばさの塊、目の位置を次々と観察していく。

 

「それはお世辞じゃなくて?」

 

「お世辞みたいな言葉の浪費をするのはあたしのスタイルじゃないわ。誠実であってください。是非。力を行使してください」

 

「あなたは僕に期待をし過ぎているのではないでしょうか?もしくはそういった力を行使できる人間を探し続けている。たまたま僕がそれっぽかっただけで、実際は違うんですよ」

 

「力の有無ではなくて属性の話なんです。あなたはそれを行使できる立場にある人なんです。行使することに力の有無は関係ありませんよ」

 

「それこそその力が君の一部をなしていることの証拠なのではないですか?そう思うからあなたのギターを聞き続けているんです」

 

この部屋の特長は空虚さである。見た目は中クラスのホテル。しかし描写をすればするほど空虚さが蔓延し言葉が一切の描写を阻む。せいぜい言えるとしたらこの程度だろうか。ここにはベッド、あそこにテーブル、あなたにいるそこには肘掛け椅子。その空間で両者の声は空虚の中に反響する。

 

唯一体をなしているのが彼女のギターだ。両者の声の空虚はこの場所の空虚でしかない。しかし彼女の歌以前のような声を出しているのかどうかすらも分からない囁きとギターの音色だけは確かなものだった。しかしそれはほとんど以前にも増して音がないものだった。

 

彼女の調べだけがこの沈黙を養うことができるのだった。その注意力を行為たらしめるものの歩みによって沈黙は静かな広がりを見せる。しかし彼の極度の注意力は神経を敏感にしすぎてしまった。後戻りはできない。世界はそこまでの敏感さに対応できるようにはなっていない。彼の張り詰めた神経は限界にまで達しようとしていたし、彼自身が意識的に限界に達しようとしていたようだが、彼に「まだ限界にまでは達していないよ」と指摘した。彼はそれを正しいと認めたようだった。

 

「あなたがそれをしないとしても、それでもあなたはそれをするんだわ」

 

「でも君はそれを望んでいるのかい?」

 

「そんな言い方で誤魔化すことはできませんよ。あなたがそれをすればあたしは望むことができるのよ」

 

彼は考え込んでしまった。その時刻のバーやホテルががらんとして物置か何かに似ていることは誰でも知っていると言いたくても、そんなに早く開くバーもあることは多くの物にとってどうでもいいことに違いない。

 

「多分僕がそれを以前にしたということもありうる」

 

「それはいつなの?」

 

「それは・・・僕が君を知らなかったころだ」

 

彼女は空虚の中で大げさに笑った。

 

「だってあなたはいつになってもあたしを知ることはできないのよ」

 

彼は微動だにしなかった。部屋にいるのが自分一人で実在しない誰か、あるいは返事できない人形とかマネキンとかと会話の真似をしているだけなのだという気持ちになっても不思議はない。そうだとすれば実際、もっと大声を出しても無駄なわけなのだ。そして彼女の声は確かに自分自身にお話をして聞かせる子供に特有の声だった。

 

でもいつかは、消えてしまうもの、移ろいゆくものの今を繋ぎとめておきたいと思う。そのためにカメラを手にした。決められた時間を守り、決められた場所を結ぶ乗り物に連れて行かれるという感覚。前日が昨日の繰り返し、明日が今日と違うとは考えられない。

 

「じゃあそれはここで起きて、君は僕と一緒にいたの?」

 

「多分ね」

 

「分かりました。じゃあ君の望むことならなんでもしましょう」

 

「あなたが助けてくださることを頼んでるんじゃないの。そこにいてあなたもまた待ってくださることを頼んでいるんです」

 

「何を僕は待つべきなんです?」

 

「あなたにはお判りでしょう?象ですよ」

 

しかし彼は予期せぬ違和感を抱いた。書こうと思うのが怖いのだ。書くことが軽率な行為に繋がってしまうのではないか、しかし書かなければ永遠とこの不安と戦うことになってしまう。これについて彼がどれだけ悩んで考えてきたことか。しかし彼は書くことをしなかった。また彼の心を揺さぶることがあったからだ。それは些細なことで説明するほどでもないことなのだが、彼がチャンスと感じていてもそれを先延ばしにしてしまう言語への恐怖感があった。

 

書くことは明らかである。全くそこに神秘も不明瞭なことも存在しない。本質的にはやはり象を待つということに尽きる。彼女が言うことは正しい。

 

「あなたに話すときって裸になったような気分になるの。見てほしくない弱い部分までも曝け出すような気分になる。でもね、その捨ててしまったものというのはどこにあるのかしら?」

 

「分かった。君が望まないなら喜んで諦めるよ」

 

「あなたに何を言うべきなのでしょう?あなたは何が言いたいの?もしそれを言えば、その言う意識を破壊してしまう」

 

ここではなにひとつ悲鳴も鈍い轟音もとおいどよめきもない。見極めのつく何らかの輪郭すらもない。そんな中で彼女は話をしているとき一種の言葉へのロマンティシズムを彼は感じることがあった。言葉が分節化されず、彼女の期待通りに伝達する何かがあると彼女は信じているようだった。逆説的にこれがつまりは現実が虚構ということなのだ。

 

本質的に彼女の言葉も彼の言葉も彼らの生活や誰との生活とも関係していなかった。しかし発せられる言葉の曖昧さが意味を持ってその外に会って再び沈黙したものになっていたかのようだった。言葉の絢爛たる廃墟がそこにあった。

 

「あなたがお話できるように、語れるようにして」

 

彼女が彼に対して発する言葉は彼女の従順さそのもののうちにあった。恐らく少し混乱していて彼女の現前は一個の疑いに結び付いていた。まるで彼女が現前していたのは自分に離させないようにするだめに過ぎなかったように。彼女の言うことには何が欠けているのだろうか?もしくは断片的な言い方が彼らの伝達において最良だと判断した彼女の方法なのだろうか。

 

「いいえ、後悔すると思います。もうそれを後悔していますから。あなたも後悔すると思います」

 

そして彼女はすぐに指摘したのだった。

 

「あたしはあなたに何もかもは言わないわ。ほとんど何も言わないわ」

 

「でもそれならなにもはじめないほうがマシだろうに」

 

「ええ、そうよ。でもつまり今もうすでにはじめてしまっているっていうことなの」

 

彼は下手な言葉を使わないように気を付けていたのだが、それは彼が秘密に属しているということであり、この世における彼の言語表現を断念するということなのである。彼は自分の知っていることを知ることはあるまい。それが彼における孤独というものだった。

 

「それを頂戴」

 

彼はこの命令のまるでそれが自分から発せられたもののように耳を傾けた。そして彼の中である記憶がリフレインした。

 

「でもその考えが相変わらず同じ考えじゃありませんか」

 

そう言われ彼はこう答えた。

 

「全く同じというわけではありません。それにもう少しそれを考えたいものですから」

 

ここを脱出できるという目的があるからこそ彼はここに留まっていられることを自覚していた。だが彼は個人的なレベルでは安直にできる脱出が、別のレベルでは実現不可能な決心を必要とするものだと予感していた。彼は脱出しても留まるだろう。彼女の調べはそう語っているように思えた。

 

「あなたは閉じ込められている、我々はもうここから出ていけない?」

 

それでいて全ては変わらぬままに留まっていた。彼らは一つの空虚を埋めようと努めているのにも関わらず、その空虚の自己主張に耐えられないでいた。

 

無灯火のブロックの減少、左右を確認しての横断、あるいは……と思っていたら、車のオーバーヘッドランプの黄色い光に照らされ、俺は影を落としている。そのような人影は掃いて捨てるほどあり、様々な、自己を巻き込み、波のように乱れ、そして、それらを見ながら、俺はより強く布団の暖かさに包まれるように丸くなる。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。