行方不明の象を探して。その13。

「あなたはそれほどまでにこの空虚さから逃れたいのですか?」

 

「そうしなければならない」

 

「あなたがいま脱出することはできないわ」

 

「そうしなければ、そうしなければいけない」

 

なにかあてがあってこそ時間は経っていくのであって、ただビール一本の為に一つの場所から離れられなくなっているのならば、それは時間が止まったのも同然である。そして時間の止まり方にも色々あり、これというあてもなしにいるものにそれが起こると、人間にとっては時間と共に動くのが普通であるから、これは恐ろしく息苦しいことになる。

 

「あなたが全てを語った時にやっと逃れられるかもしれないですね」

 

「僕は君に何もかもを言うよ。君が言って欲しいと望むことならなんでも」

 

息苦しさや倦怠から逃れられるなら何もかも言うだろうと思った。人は何度も繰り返すということに耐えられるようにはできていない。日常とは狂気の連続だ。そんな感じでいるだけで一種の自己崩壊が始まって、そうして自分が崩れていくのが、全てのものが自分に注意していると思われてくる形を取る。

 

椅子が硬いのも椅子が硬いではすまなくて、ビールの減り方が遅いのとどういう具合にか結び付けられ、窓もわざとこっちの方に光線を送っているようで、自分の顔がそんな風に変になっていることが相手に分かったらと思えば息も止まりそうになり、そしてすでに分かっているはずではないかという、放ってはおけない気分もそれに加わる。

 

「あなたが言う必要がある何もかもですよ」

 

「うん。君が聞く必要があるなにもかもだ。がずっと一緒にいよう。あなたに全てを言おう。でもこのときにじゃない」

 

「あたしはあなたの空虚さを軽蔑しないわ」

 

海面が両岸の泥の土手の間に満ちてくる。空は雲の動きが激しく、非常に低く暗く、ところどころ黒くなっている。ホテルは閉まっている。河口からごく薄い霧がやって来る。霧は目の前で踊り下降し海面で解体してしまう。水の動きはすでに見分けにくくなっている。潮の流出はその力を失っている。

 

「あなたはそのためにギターを奏でているのでしょう。僕のためだけではなくて全ての空虚さのために」

 

「あなたはあたしと別れたいのですか?でもどうやって別れるつもりなんです?どこに行くつもりなのでしょうか?あなたがあたしと一緒にいない場所というのは一体どこにあるのでしょうか?」

 

「もし君に何かが起きたら僕はそれに耐えられないし、それを待つこともできない。もし僕がこの先消滅することになったとしてもそれは変わらない」

 

待つこと、ただ単に象を待つこと。

 

「あなたは何もかもを知っていらっしゃいますね」

 

「はい。何もかもを知っています」

 

「ではなぜあなたにそれを言うことを強制するのですか?」

 

「それを君から、君と一緒に知りたいから、それは我々が一緒にしか知ることができないものなんです」

 

彼女は考え込んだ。

 

「でもあなたがそれを知る程度がちょっと少なくなるんじゃありません?」

 

彼も考え込んだ。

 

「それはかまわないんです。あなたがそれを言ってくれなければいけない。あなたが一度だけそう言ってくれればいいんです」

 

「一度それを言ったらいつも言うことになりません?」

 

「ええ、そうなんです。それでいいんです」

 

表現されえないそのことだけを表現すること。それを表現されないままにしておくこと。彼女のギターの調べはその原則の上で成り立っている。しかし彼女がそれを意識しているのかどうかは分からない。

 

「わたしにはなぜあたしがあなたに答えないのか、今では分かるわ。あなたはあたしに質問していないのよ」

 

「確かにそうだ。僕は君に質問していませんね」

 

「それでいてあなたはいつも変わらずにあたしに質問している」

 

「そうですね。いつも相変わらずです」

 

「それであたしは答えることが多くなりすぎているんだわ」

 

「僕はそれでも質問を選んでいるつもりです」

 

「あたしは一つのことしか知らないとでも言うべきなのかもしれないわね」

 

「たった一つのことしか聞き取らないようにね。でも我々はそのことが同じことなのではないか?という恐れを抱いているのではないかな?」

 

「なぜです?疑っていらっしゃる?」

 

「いや、そうではないんですが、君はその時まで僕や世間の人を待たないのですか?」

 

「世間?」

 

「君はなにか秘密を持っているんじゃないかな?」

 

僕の意識です。独り言を言うとき、あるいは今みたいにアイデアを練っているとき、僕はいつも誰かに向かって話しています。その人が誰であるかは、だいたいわかっています。 そして、その「想像」したものが、別のドアから消えていく。もちろん、気分は陽気だ。 ほとんど無意味にゲイの誰もが時々、またはほとんどの場合、すべて同時に話している。

 

「今では秘密を持っているのはあなたのほうよ。よく分かっているくせに意地悪ね」

 

「それについて反省をしてみてもいいですか?」

 

「どのくらいかかるのかしら?」

 

「ほんの一瞬で終わります」

 

「あなたが反省している間、何をしましょうか?」

 

「もう一日が過ぎてしまいましたね。そうでしょう?」

 

「過ぎて?でもそれは誰にとってかしら?」

 

「我々が脱出してしまうときでしょうね」

 

君はどうする?ゲーム好き?どうだ?同じ釜の飯を食った仲じゃない。五目並べは?ルールが分からない?俺もだ。相互的な連想ゲームは?脳細胞が減らないようなゲームをしようよ。

 

薄明かりに照らされた舗道の雨、夕暮れの舗道の光の中の雨は存在しなかったかのように、俺も彼女も疲れていた。そして彼女はその光の中で吃驚した。

 

「そのときはあなたのほうももういなくなっているわね。あたしたちにとって」

 

「やはり君はよくご存じだ」

 

一種の抽象的弱さ、非常な多数という空虚な形体のもと以外には現前する能力のない概念が反復される。

 

「君の言ったことは全部あなたの周りに見えますよ。まるで君がそのなかに吸収されてしまうような誘われているような感じだ」

 

「あたしもそれを感じています。それは絶えず動揺しているわ」

 

「我々たちの言っていることは実際にそれほど空虚なものなのだろうか?」