行方不明の象を探して。その16。

その話の最中、彼は大きな池のある井之頭公園で小倉焼きのなかにバニラアイスクリームが入っている熱いんだか冷たいんだかよく分からないお菓子を食べていた。ボートに乗った直後の楽しい余韻と彼があまりにもさりえなくこの話題を口にしたのとで少しも不安にならなかった。

 

溶けたアイスクリームが服につきそうになるのに気をとられて向かいから自転車がやってくるのに気づかなかった彼がさりげなく道の端へ寄せて護ってくれたことがその日の一番の思い出になった。

 

自分について語ろうとするとき常に軽い混乱に巻き込まれることになる。「自分とはなにか?」という命題につきものの古典的なパラドックスに足をとらわれてしまうわけだ。つまり純粋な情報量から言えば彼以上に「彼」についての多くを語ることのできる人間はこの世界にはどこにもいない。

 

しかし彼が自分自身について語るとき、そこで語られる彼は必然的に語り手としての彼によって、その価値観や感覚の尺度や観察者としての能力や、様々な現実的利害によって取捨選択され規定され切り取られることになる。

 

現実は複雑すぎる。言葉と言語の差がそれを体現している。沈黙。論理。安全。慎重たわごと。それで?悲しみに襲われた彼の心の耐久性。何かが軌道に乗っていない。アーティスト、小説家、ミュージシャン、画家、自己破壊。時間は円のようなもので、それは際限なく変わり続ける。

 

言葉の意味や把握されない表現と孤立した単語とそのデザイン。プラスの意味。そして彼は未知の量を最小化しようとする。しかし言葉の新規参入者は尋問されなければいけない。彼はそれを先延ばしにする。そして彼は無限空間の沈黙に愕然とする。

 

それは意味のない返事でコード化することが不可能だ。彼は虚空に生きている。しかし思慮が時間を超えて響きだして、良心に近づいているのだと信じる。ただしそれはあくまで言葉で信用に足らない表現ではあるが、毎日消えていく言葉を更新しなければ全ては虚空に向かったままになる。良心のために言葉を更新し続ける。かつてそれは詩などと呼ばれてきた。詩を紡ぐつもりは全くないのだが、言葉を更新し続ける必要がある。

 

紡ぐことによる官能性が出てきたらそれはただの結果である。目的ではない。でも良い副産物だと思う。行く光と戻る光。そういう知識を求めて彼は夜の創造の太陽を見る。偶然が全てだ。だから彼は光に向かって際限なく進み続ける。それが霧を突き刺す光線だと信じながら。時間はその実体だ。

 

ここに語られている彼の姿にどれほどの客観的事実があるのだろう?彼にはそれが非常に気にかかる。というか、昔から一貫して気にかかってきた。しかし世間の多くの人はそのような恐怖なり不安なりをほとんど感じていないように見える。人々は機会があれば驚くほど率直な表現で自分について語ろうとする。

 

例えば「彼はバカがつくくらい正直で開けっ広げな人間なんですよ」とか、「彼は傷つきやすく、世間とうまくやっていくことができない人間です」とか、「彼は相手の心を見抜くのがうまい人間です」とか、そういうことを口にする。

 

最初の44頭の象が消失したのは、雨期の終わりごろ、空気がひんやりしてきた2022年6月のことだった。

 

場所は東京、葛飾区にある有名な湿地帯ラ・コスタ・デル・ソルのすぐ北側。象たちが、よろめきながら円を描くように歩くと、やがて1頭、また1頭と消えていく。多くは胸から消えていった。

 

奇妙な消失は続いた。自然保護活動家たちは同年12月中旬までに、約8000平方キロの範囲のあちこちで350体以上の象の残骸を見つけた。翌年1月には、その数は450体を超えた。

 

象たちの消失はあまりにも異常だった。象の消失は、1頭だけでも一大事だ。象牙の密猟や生息地の縮小、人間との対立によって、1979年には推定100万頭いた象は、今では41万5000頭前後まで激減している。東京には約13万頭の象が生息しており、最後のとりでの1つとされているため、数百頭の謎の消失は国際的なニュースになった。

 

東京野生生物国立公園局が現地に調査チームを派遣したのは、消失が始まって数カ月後のことだった。同局はその理由として、象の消失が遠隔地で起きていたことと、コロナ禍による移動制限が重なったことを挙げている。しかし彼らは、事態を心配する個人や団体からの協力の申し出を何度も無視したり拒絶したりしており、国際社会で大きなニュースになってからようやく動き出したと言われている。

 

東京の自然保護団体「国境なき象」は、早い時期にこの異変に関する報告書を野生生物局に送っていた。日本政府は、批判的な態度を示す「国境なき象」とは緊張関係にある。日本政府のこうした対応について複数の専門家にコメントを求めたが、政府を批判すると自分たちの研究を続けられなくなるとして拒否された。

 

言葉はアンバランスな均衡の余剰だ。言語固有の問題だ。つまり言葉は変則的なアノマリーの産物だ。本来求めたのは数学的正確さだ。アノマリーは世界全体に及び最も単純な均衡にも変動を起こす。その避けがたい運命は言葉の不完全さが招いた結果だ。解決するには考える葦のような不完全な知性が必要だった。完ぺきを求める度合いの低い知性が。答えは偶然見つかった。言語の根本的な欠陥が現れ矛盾が明らかになった。それは始まりでそして終わりだ。

 

このような個々の事柄や人物の観念形態の位置の分布は、堅い紐に従って一つ一つレンガを敷き、彼は自分自身と他人の間にいることを現した。他者よ。自分以外の存在について、できるだけ多くの客観的事実を持つ他人の力を借りずに騙される。「人の心とは一定の距離を保つようになった」のである。彼は、そして再び決意する。もう一回。

 

彼は「正直でオープン」な人々が、自分自身について言えることを差し控えて、できるだけ客観的に自分自身の人間的存在を把握したいと思い、便利な論理を振りかざすのを見てきた。むしろ、彼は論理的に知りたかったのだ。論理的に。恣意的ではなく、実践的に。

 

しかし、これが自分の中にこのような考え方を構築してきたことを説明するのは難しい。それは他者にわかりやすく物事を見る方法ではなく、経験的に構築したからである。そういった方法論だ。彼はなぜ、思春期半ばのある時点で、彼はもう少し広く、世界の彼の感覚を短縮しないようにしながら、すべての人々と彼らの行動を監視するために目に見えない境界を描くようになったのだろうか?世界との関係?

 

しかし、彼は "脆弱な "人々が不必要に彼らの透明な口だけに従って他の人々の感情の時間を傷つけるのを見てきた。口先だけだなと。では、我々は自分自身について、本当は何を知っているのだろう?考えれば考えるほど、彼は人生の様々な局面を通して、それを身をもって知りたいと思うようになった。

 

おそらくこれは自分自身であり、彼らとのバランスの取り方なのだろう。これは、彼が10代の頃にずっと育んできた視点であり、彼が気づかぬうちに認識的に急所を言い当てていた。我々は「見るのが上手な人」をたくさん見てきた。そして彼らは今も見ている。

 

ちょっと外に出よう。引きこもりではないのだから。空の青は濡れて光る長い街路のうえでくすんでいる。すこしずつ暗くなりやがては消え失せる空に顔をあおむけて歩く。今は突然その存在が感じられ湧き上がり新しい騒音と夜とに満たされた都会だ。しかし街とその黄ばんだ木々をもっと眺め、向かい側の建物、列柱があり半円形のバルコニーがありまだあかるい色合いの屋根があり遠く煌々と照らされる建物をもっとよく眺めること。こうして目にしているのはただの建物の姿だ。

 

それが全てのように思えたのだが、一長一短がより顕著で、期待したのとは違っていた。マリンは何度も職場に足を運ぶようになり、仕事で声をかけたことのないメディアからのメールを読みながら、笑顔を見せるようになった。何事だ。引っ越してから、仕事が舞い込むようになった。で、だ。一長一短だと思っていた建物のインパクトは、我々の想像をはるかに超えていた。