行方不明の象を探して。その17。

地獄村で作品を作り売り込みの為に上京する生活はポリリズムを生み出し気分転換にもなって自分の仕事が軌道に乗っていると確信できた。地獄村に帰り梱包した原稿を送るために郵便局に言ったら局員さんが汗を拭きながら奥の部屋から出てきた。

 

「こんにちは、今日も暑いねえ。また東京に送るのかい」

 

「そうなんです、いつも通り時間指定は深夜で割れ物注意でお願いします」

 

村を離れている間に転勤してきたという局員さんは伝票の深夜に丸をした。

 

「最近頑張ってるねえ。送るペースが上がってきてる」

 

「はい。テレビに出たら注文が増えて張りきってます。頼まれるうちに書いておかないと。人気商売なので」

 

「へぇー、テレビ出たんだ。言ってくれりゃ良かったのに見逃したよ」

 

「すみません、今度出る時は言います」

 

「ほんと人気が出たんだねえ、そういえばあなたのファンって人が、あなたがどこに住んでるのか聞きにきたことがあったよ」

 

「へぇーそうなんですか。じゃまた」

 

疲れたから寝た。次の日、起床するには聊か重過ぎる体を起こしてベッドから床に足を下した。重過ぎるというのは体重ではなく、ただ起床するにはあまりにダル過ぎるという、起床における日々のルーティンのようなものである。それは疲労から来るものではなくて退屈から来るものである。この退屈さは支配的なものがあって、どれだけ足掻いても逃げようのないものである。とりあえずバーに行こう。

 

行く場所が無いのでバーに行くというよりも惰性でバーに行くという表現のほうが正しいのかもしれないが、どの道、家に帰っても誰もいないし、一人暮らしというのは気ままなもので全く寂しさを感じない人間にとっては甘い毒のようなものである。孤独が甘い毒のようなものというような気障なことではなくて、やめられない毒とでも言うのだったら、ドラッグでいいだろう。

 

深刻な奇妙な夕方の生活に苦しむために開始する重要な瞬間を反映している鏡のようなね、少しポエティック過ぎる生活、生命、人生。通過時間の風景が俺の主観的な風景に邪魔されることはない。それでいても俺の精神は混乱させられているように感じる。

 

その奇妙な夕方の生活の風景は不可解な、向こう見ずな配色でその色を塗るようにして、無謀とも言えるその試みを圧倒的に正当化しようとする。その配色を見て俺の目を覚ます。安易な生き方にはNoを突き付ける。向こう見ずな配色のインスピレーションに感謝している。それは恐らく今後、自分が生きていく上での良い方法の一つとなるだろう。生きる、か。面倒だな。面倒だから道具が必要だ。

 

普段何をしているのかというと、とりあえずネットやネットニュースの記事などで気になったものに目を通す。もしくは今話題のベストセラー本などがあると、それが小説であろうがビジネス書であろうが目を通すようにしている。怠惰ではあるものの社会性を失ったら全てが終わってしまうという恐怖からなのかもしれない。

 

そういった自分の中で「社会的行為」と定義されることが中途半端なまま一通り終わると、ぼんやりと天井を見ながら寝そべってしまう。今話題のベストセラー本も中途半端な理解のまま放り出される。熱の冷め方は尋常ではない。例えば一度手から離れた本が二度と戻ってくることはない。

 

かといっても学が無いわけではない。大学院を出ているし、文字を読むのも割と早いほうだと思う。しかし、しばしば読書やその他の活動全般に必要とされるような根気に欠けていて、一度魔差して熱が冷めてしまうと、大体の些細なことですらもやり遂げることなく終えてしまうことが多い。

 

大学院を出たと言ってしまったが実際のところ中退である。大学は惰性で卒業した。大学院はモラトリアム的な時間を延ばすためだけに行ったようなもので、学問への情熱など皆無だったように思う。いや、当時は多少の情熱はあったから大学院に進んだのだと思う。ただその情熱たるや拭けば消えるようなレベルのものであって、ましてこの生まれつきの根気の無さと尋常ではない熱の冷め方によって学業を続けるなどということは不可能を意味することだった。

 

とりわけ学問においては真剣に取り組むということに疲れてしまうのだ。偉大な哲学者たちのように高邁な真理へと突き進ませるようなエロスがないのは明らかだ。学問は無理だから文学や詩に凝ったこともあった。

 

悪あがきと言えば悪あがきであるが、そこにはロマンがあって、自分の才能を開花させる場所に適した場所が、そういった文芸の世界の中にあるように思われた。倦怠感から解放され、眠気をカフェインで吹き飛ばし、そこに情熱を求めた。何かしらの魅力に満ちた目的のために努力したいという渇望に燃え立っていた。

 

しかしこれもただの徒労に終わった。束の間の陶酔から目覚めて、夢を見ながら買いあさった本を適当に流し読みしては、ほったらかしにするということを繰り返していた。仮にある本がとても面白いものであっても、読書が食事や買い出しや掃除洗濯などの必要性に迫られて中断することになってしまうと。もはやその本への情熱は冷めきっていて、ダラダラしながら横になったりしていた。

 

数学の教科書を借りてきたときのように、そもそも学校はほぼ通信制で教科書を持っていくことなどなかったし、授業中はほぼ寝ていたので、教科書が必要なことはなかったのだが、それでも必要だったときがあったのだろう。その時の表情も話し方もハッキリしていて、隣のクラスの女の子が立っていた。彼女は「なるほど」と思ったらしい。

 

ノイズのあるプリンちゃんと寝不足の目を見ると、大丈夫なんですか?というメッセージ発していても、地上よりも寝汗をかいていて、その上を流れるようにぬるぬるしたものは一つもなかった。 何枚写真を撮ったんだ?プリンちゃん。葛葉とゾウとゾウのいないゾウ。僕も例外ではなかったが、元の場所でギリギリまで行っていた。やばい。背後から頬を押さえる彼女の姿は、自分を単純化しようとしているような雰囲気が充満している。

 

そして僕は現実のすべての感覚を失った匂いがした。古紙が一旦、雨に濡れて、生乾きになった後にまた乾燥し出す一歩手前のような匂い。そんな匂いを発しているものだから、彼らの顔色をうかがいながら、自分の体臭のことばかりを気にしていた。これで身体中を拭けと言わんばかりにタオルケットが落ちていて、でも僕の精神は留学生活を見ていた。

 

僕は耳の一部になりたい、と僕は実際にそれについて真剣に考えてみたのだが、答えは出なかった。しかし幸いなことに僕の耳に何かがあった。音のイメージ、汽車が止まり、蝉の声が嘘のような笑顔で、そこで、できるだけ古典的なものを見せて、この前行った地下街で使えそうなものだけでなく、制服のボタンを2つ外したようで、悲しみが溢れる中、寝苦しい一日をプライドのみで乗り切った後に「ありがとうございます」と書いてあるメールを開いた。

 

電柱の影にシャツを渡し、隣に座ると、まだ巻き込まれたままの状態で、急に落ち着いた声で、黒く濡れた水着の感覚が蘇り、太ももの裏側がなんとなく水の感触がする。膝を曲げたまま接触しようとした後、腕を回して扇風機を殴った。薄手の白い長袖を着ていたのは誰一人いない。

 

水上列車入口で一度や二度、思い返してみたものの、もっとそういうものではない、肉のような抽象的な何かだと思った。肉は身体を意味するし、食べる肉も意味するわけで、桃色の膝頭にもかかわらず、詳細は不明だが、ベッドにうずくまり、夏服の上にパーカーを羽織り、そのまま横になった。

 

小さな男の子に投げつけられる羽根がバットの代わりに壊れた枝で彼を打って、それをキャッチした後に、食器棚の奥にしまっておいた呪文をボロ布の束に書きつけて焼く。俺はそれに気がつきたくなかっただけだ。恐らく自分のために捨てたに違いない。捨てたというか焼いたのだっけ。

 

部屋全体は自分の叫びの無色の色彩で上塗りをされていて、白い夜すらも色がなくなって何もかもが太陽と共に沈んでいった。俺が寝れる夜というものはない。それについて意識していたのか?それは枝の上に高く舞い上がり渦を巻いて消えていった。色あせていく高い自我。心の底で失われた自分の息。

 

突然、俺は窓から見た鳥が僕が見た砂漠のイメージのまま飛び去った時に、まだそこに光が残っていたことに安心した。鳥が飛び立ったときに散らした葉っぱが俺の手の届かないところに行くのは心の問題で認識の問題ではなかった。

 

俺はここで泥を拭いた。怒りと沈黙を超えて隅に荒涼とした孤独の兆候と彼の翼を見つけた。俺はそれを投げ返そうとした。時間はまだ5時半だった。華やかな生活などない。そしてまた太陽は沈んで行った。

 

「ほい。これこれ。これもさ、トマトには普通オリーブオイルとワインビネガーをかけるんだけど、僕はね、くるみから作った上に、寿司酢を混ぜてそれをちょっとお醤油をかける。トマトとよく合うんだよ。食べて食べて」

 

「いただきます」

 

「モッツァレラの上にかかってるのね、くるみのみじん切りなんだよ。意外だね。意外だね。普通のお肉のソースには卵黄が入っているんだけども。最近蒸し暑いでしょう」

 

「美味しい、美味しいです」

 

「よかったーたまにね、こうやってパーティーやるの僕が料理を作って参加する人はワインを1本持ってくる決まりになっててね。でもパーティーなんかそうしょっちゅう開けるもんじゃないでしょ。だからそうだなせいぜいに3ヶ月にいっぺんぐらいかな。でも急に凝ったものが作りたくなってね、お肉なんかは牛のg3000円ぐらいのやつ買ってきたりなんかして構想焼きなんていう言葉も作ってるんだけど、1人だとこれが精神に良くないんだよ何回か作ってみて駄目だってわかったんだけど、うまくできればできるほど駄目ね」

 

「なんでだと思う。誰にも食べてもらえない料理がテーブルの上でどんどん冷めていくのを見るとね、そう信じたくなるんだよ。パーティーはいいよね。1人になったときもこの部屋でみんなが楽しくやってたときのことを思い出せるしね。2人が帰った後だって思い出せるし、こっちでは優美さんがミネストローネを食べていたね、とかそっちでは直美さんが食べていたねとか、1人になったときも思い出すと、なんかいいんだよね。いいよ。そんなに無理して食べなくても、他にもいろいろあるからね」