行方不明の象を探して。その23。

直美とはカジュアルな付き合いをしていた。直美は、ダメージが入ったジーンズに、Off-WhiteのロンTを着ていた。所謂、全身ハイストリートブランドで固めている人間なのだが、独特のファッションセンスがあって、自分は直美のそのファッションセンスと何気ない着こなしと、相当注意深く観察しないと分からないお洒落な小物やアクセサリなどのセンスがたまらなく好きだった。

 

所謂、ブランド名が入ったロゴのシャツとかを着るのがありえないという思想の持ち主で、パッと見は派手そうには見えないシックな装いにも、ちゃんとした彼女の着るハイストリートブランドの哲学が反映されていて、彼女のファッション自体が一種の哲学を形成しているような、彼女のインテリジェンスをファッションで体現しているようなスタイルには相当の影響を受けた。

 

そうでなきゃ。まさか!違う、あたしの名前よ。じゃあ、あたしじゃなかったら?作り物だったら?もしあたしが作り話をしたら?誰もできないよ、いいかい?あたしたちだけよ、  そうね、彼がいた窓の外を見るんだって彼が言ったんだ。彼は捕まったのか?

 

ただバッグは必ずルイヴィトンで、そこだけは譲れない何かがあるようだった。でも彼女が持つルイヴィトンは、全身はファストファッションなのにバッグだけルイヴィトンというような、見栄っ張りのファッションセンスのない女とは大違いで、同じアイテムを持っていても、これだけの違いがセンスによって出るものなのかという感動すら覚えたものだった。

 

これはそんな出会いや女の子がいたらいいなという妄想で、そんなキラキラした人づきあいがあったことは一度もない。ラヴ・アフェアーという感じの恋愛を一度もしたことがない。男というのはラヴ・アフェアーの経験が多いと、虚勢を張らないで、女の子を冷めて見つめることができるようになるのかもしれないと言っていた、心底軽蔑する人間がいた。一体、なんなんだ、ラヴ・アフェアーって?

 

ある種のオルタナティブな答え。気持ちはバッグで表現される。空気中で行われるバンドのようなものがあります。 シルクのスカーフという発想のフィーリングみたいなものが宙に浮いている。

 

適当にノーブルでディレッタントな人間にとって、ラヴ・アフェアーなど粕すらも残らないような虚しいものだ。しかし、異性と話しているがお利口になれるのは確かである。スキーツアーやディスコパーティーで知り合った女の子たちが何人もいた。しかしスキーにもディスコにも興味がなく、そもそもディスコって今はクラブって言うんじゃない?と思うのだが、そういうわけで、そんな風にして知り合った女の子など一人もいない。

 

けれど、彼らはみんな考えることがひとつしかないのは確実だ。いかにしてお目当ての異性を陥させるか、である。キーボードの上に何かが乗っかってしまって、押されたキーがテキストとして出力されることが多々あるのも、これはエーテル界からのシグナルに違いないのだ。

 

開きっぱなしだったテキストを見てみると、書き途中だったところの後に、おおfjrjfkgjみたいな文字が書いてあるのは、大抵エーテル界からのシグナルだ。いかにエーテル界を陥落させるか・・・・・・・・・・・・・・・・・・という点の数が恣意的なのも、そういった理由からだ。お目当てのオメコにちんちんをぶっ指すにはどうしたらいいのか?ということに対する・・・・・・・ではなかったのか?

 

表現が直接的だと「・」の数は「・・・」ぐらいで済むと思う。しかし、いかにお目当ての異性を陥落させるか?ということになると、そこまで遠回しな言い方をされてしまうと、あたかもメタファーのようにも感じられるので、カンマという名前が性器っぽい名前の記号を使わざるを得なくなる。しかしカンマは.で・は中黒である。中が黒いから・・・・・・・・・・で膣の中の黒さと人間的な腹黒さを表しているわけである。

 

ああ、バブルの時代に戻りたい。あの頃は本当に良かった。しかしバブルがなんだったのか?を後で知った人間なんであって、リアルタイムにバブル期に大学に行っていたような人間ではない。それも時間軸の問題で物理学の煩雑な問題になってしまうので、あまり言及しないほうがいいだろう。なぜかと言えば全くそれについて知らないからである。

 

男はセックスについての考え方が女と違うというのは誰でも知っていることだ。まだ抱いたこともない子を落とすまでの過程に、考えられないくらいの情熱を燃やす。けれどその情熱は一旦女の子を陥落させてしまうと急激に冷めていってしまう・・・・・・・・・。中の黒さはこのぐらいかな。

 

中目黒とかいう地名も中が黒い女性器に目がついた人間が住んでいる場所だと認識している。・・・・・・・・・・・・・・はこのくらいか。でも黒ければいいってもんじゃない。だってこう言うじゃない。意味がなければスウィングは無いと。でも書いてる本人の文章の大半において意味がない場合、それはスウィングゼロという、ポストモダン的でメタ的なことなんだろう。表現形態というものは恣意的に改ざんされ解釈される。

 

回数を重ねて深く交われば交わるほど、女の子が喜びを増していくのとは大きな違いが、そこにはあるらしかった。あ、さっきのどうでもいいセックスの話ね。それは整理に違いなのだかあ仕方のないことだった。この生理は血まみれのアンヌの生理ではなく生理的という意味での整理だ。

 

股から刺激臭のする粘々とした織物が出てくる生物が女性なので、ちんぽこから射精するだけでいい男のほうが人間により近いと思う。しかし人間の本質というのは、その異質性にある。つまりはかわい子ぶってて「エッチのことなんて知らないんです」とか言ってるような女こそがリアルなヤリマンで、巷では清楚系ビッチなどとも言われるらしいが、どの道、女性は股から痰のような刺激臭を出す恐ろしい存在である。

 

しかし、その女性がいなければ人類は滅亡してしまう。おりものをタッパかなんかに入れて冷凍保存して、ある程度の量が溜まってきたら、それをご飯にかけて食べれば、それもオメコ汁で飯を食うということになるだろう。言葉は多義的なのだ。情婦に夜の仕事をさせるヒモ男がオメコ汁で飯を食っているとは限らない。実際にオメコ汁で飯を食う人間も少なからずいるのだ。

 

特に若い男なんて、できるだけ多くの女の子とファックしたくてウズウズしているわけで、中にはオメコ汁で飯を食いたくてウズウズしている上級者も少なからずいるということをどうしても分かっていただきたい。彼らはどれだけの量のオメコ汁で飯を食ってきたかを競うことにレーゾン・デートルを見出す。オメコゲームを友達と競い合っているその様はヨハネの黙示録が童話に思えるほどの黙示録っぷりである。