行方不明の象を探して。その24。

なんでヨハネは

 

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」

 

「この言は初めに神と共にあった」

 

「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」

 

「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」

 

と言う名文を書いているのに、ヨハネの黙示録のような意味不明のものを書いたのだろうか?と、長い間思っていたのだが、後に聖書学の本を読んだりしているときにヨハネでもヨハネ違いで、言わば「田中による福音書」と「田中による黙示録」と同じことで、ヨハネというのはありふれた名前なので、ヨハネでもヨハネ違いということはあって然るべきなのである。

 

光はあたしの地球人としてのハイエンドモデルに天へ向かって座っていたねぇ。いいかげんにしろ、どうしたんだ。びっくりした。いや、電話のベルが鳴ったのです。これか? 小さな男の子が出た。もしもし?あたしの大切な友達の亮二君です。

 

あたしはその愛しい声を聞いて、泣きそうになった。亮二君が家の電話で別の内線で話していて、コーヒーを飲み終えるまでしばらく待っていれば、あたしが質問したことの答えを教えてくれるそうだ。

 

それはむしろあたしの下を痺れさせたレトルト・フードを持ってきた。しかし、あたしはちょうど自分自身に言った。なぜいけない?最近、他のすべてが狂っている。それはちょうどここにあたしたちが一緒に光のフィールドを結び、溶接されているようで。

 

怖いというのはわかるし、時には人が死ぬこともある。でも、心の中では、死は、肉体を離れるときに、あなたたちを家に連れて行くために待っている宇宙船への美しい旅だと思っていてくださいな。つまり、この壊れた飛行機を離れるときに、あたしたちの本当の細胞は家に帰ることができるんです、と言ったんです。

 

ああ、そうだ、と彼は答えた。もう輪廻転生はありません。家に帰るために自殺したり、殺人を犯したりしないでください。でも、動物たちはどこに行くんだ?ハエや虫、ネズミや魚、鳥や木や花、彼らもここから死んでいくんだ。彼は笑って、彼らのことは心配するなと言いました。

 

彼らはあなたたちとは違うんだ。彼らは本当に輪廻転生の思想に属する者たちなのだ。 彼らはあなた方全員が安全になるまで転生し、全員が故郷に帰るであろう。そして、この次元のすべての教祖と少年たちは、あなたの壊れたゲームを修復し終え、宇宙のあるべき場所に持っていくでしょう。

 

ゲームがセットされたとき、あなたはまだ幸せに転生していることでしょう。イエスも一緒に飛行機を接着しているのか? ああ、いや、彼はまだ笑いながら答えた。ジーザスは地上にいるんだ。 地球にね。 彼は決してここを離れないんだよ。さすがジーザス!人の不幸があって、そんな不幸を許す神様なんていらない!とかって言い方ありますけど、根本的な神の認識が間違っていますよね。ジーザスは地上にいるということが神なのだから。

 

従ってラヴ・アフェアーの経験は豊富でも、彼らは精神的にあまりにも貧相なのだ。それはオメコ汁で飯を食って栄養をつけていないからで、セックスするというのは、元々は刺激臭する粘液を放出する場所に男性器を入れるという即物的なことなので、それでは全く滋養強壮にならないのである。あらゆるオメコから発せられる汁を栄養にして生きる男こそが真の男なのだ。人はパンのみにて生きるにあらず、である。人は多かれ少なかれロゴスに生きるものなのだ。

 

Rene ClemencicのApokalypsisと書くのが面倒なのでアポカリプスと書くことにするが、音楽のほうの黙示録はさすがにだいぶ飽きてきてしまって、この作品が長いので、他のCDを選ぶ必要がないから愛聴していると言ったが、実際は1時間もしないうちに飽きてしまうので、他のCDを選ぶことにした。ここはやはり掛け値なしのフェイバリットであるKazimierz SerockiのAwabgardaにした。

 

しかしKazimierzの録音は少ないので、Awangardaは貴重な一枚と言える。これは多分、あまり音楽に造詣が深くない人が聞いたらホラー映画のサウンドトラックだと思うだろう。しかしKazimierzのような一昔前の前衛イディオムが大の好みである。ところで先ほど掛け値なしと書いたが、掛け値って何?

 

それにしてもなんでこんなにグルーミーな時に混沌とした現代音楽を聴くのだろう?懲りずに次は飲みかけではないコカ・コーラをまとめ買いした箱から取り出し飲んだ。冷蔵庫に入れておけば冷えたコーラを飲めるのに、ただ常温のコーラも慣れてしまえばどうってことはない。

 

「全くグルーミーだ。もっとグルーヴィーな音楽を聴こうか」

 

と思いながら、左手で性器を弄った。手持無沙汰になると、ついちんちんに手がいってしまうのは悪癖である。よく見ると陰毛が結構伸びている。陰毛が伸びると皮にまとわりついたときに痒くなったり、陰毛が引っかかって激痛が走ることがあるので、定期的に陰毛を剃ることにしている。といっても剃るというほどちゃんとしたものではなくて、はさみで伸びた毛を切るぐらいのもので、この行為をオッカムの剃刀と呼んでいる。

 

うんち食べたことある?あんのかな。美味しいの。盗んだ。はい。そう。ねね。食べたもので味って変わってくるの?本当?何食べたらどんな人なのかよくわかんないじゃないって言っても、ちょっと甘めとか、渋めとかってある?嘘!どんな女の子の食べちゃったの?

 

よく聞こえない。彼女の。なるほど。それでやったことで、ふうん。オシッコ飲んだことある?はい。どんな味なの?お酢みたいな味。かけてよ。顔にそう。そうですね興味ある。ある。飲みたいと思ったことある。ある。

 

彼は何を待っていたのだろう?真実味があって真剣に話していたことがことごとく間違っているという印象を与えたからだろう。その直感によって俺は相当苦しんだように思う。穏やかなコミュニケーションをしていたのに、そこにある硬さに耐えることができなかった。言葉に対して熱心過ぎたのだろう。もしくはランダムな物語に抵抗をしていたのかもしれない。ただ見捨てられたと考えることがいかに難しいか、それが僕の人生をより難しいものにしていた。

 

もしくは無関心を装う。彼は本当のことが何も起こっていないという虚しさを抱えていた。彼の仮面の裏側から叫び声が聞こえ、永遠に「出来事とは何か」を問い続ける人が現れる前に、急速なひらめきによってそれは分解される必要があった。毎日の関係性の惰性を断ち切るように、自分の最低限の欲求を維持する必要があった。飲み込まれないためにも。

 

そしてその晩、江美子と一緒に六本木のディスコに遊びに出かけた。江美子はヤク中の療養施設に入っているのだが、療養施設を抜け出しては、クラブではなくディスコっぽいところを探して、ディスコに鍋を持ち込み、一人しゃぶしゃぶをするのが彼女にとっての至上の喜びであった。彼女は口癖のように、しゃぶしゃぶにシャブの粉を混ぜて

 

「これならしゃぶしゃぶしゃぶやな」

 

と関西人でもないのに妙な関西弁で嬉しそうな顔をして言う。

 

「これは一人しゃぶしゃぶやねんか。でもあんたなら参加してええよ」

 

と僕は江美子の一人しゃぶしゃぶしゃぶに混ぜてもらうことが多かった。

 

「あんたが混ざってるんだから、あんたがしゃぶしゃぶしゃぶを混ぜーや」

 

とヒロ水島の小説に出てくるような唐突で全く面白くないダジャレをよく言う。ちなみにそれは齋藤智裕のKagerouではない。ヒロ水島という名義でよく分からない小説を書いている作家の膨大な諸作品のことだ。 

 

最初、江美子とはそこまで親しくなかったのだが、一緒に遊ぶようになったのは、ある時、ヒロ水島の小説の話が会話の中の成り行きで出てきて、それで異様に盛り上がって

 

「ほな、今度、あたしの家で一人しゃぶしゃぶするから、あんたも混ぜてあげるわ」

 

と彼女は言い、喜んで下心満載で彼女の家に行ったものだった。彼女がシャブ中だとしったのは、そのシャブ鍋パーティーの時だった。確かその日も雨が降っていたように思う。ただ女の子の家に行けると思えば雨など水滴に等しい。むしろ水滴と親しい。

 

しゃふしゃぶしゃぶ鍋をやった後はシャブ炙り鍋という、煮詰まったしゃぶしゃぶの鍋にご飯を入れて、さらにシャブを入れて煮詰めるという言わば鍋のシメで、それは彼女がもっとも得意とする料理だった。

 

彼女はレズビアンではないのだが、女性器の品定めをするのが趣味で、しゃぶしゃぶしゃぶパーティーをするときに大量の女の子を呼んでは、女性器品評会と朝まで生オメコという。話題が女性器縛りの討論会をしていた。

 

葉っぱの他には何やんの。ちょっとしかやらない。スピードとか、それも全部売ってんの。でもやんないの。やるときはやるぞ。へえ。フィリピンの女の子って、無事に帰ってる。大きいお金稼いで、浮気、ちょっとね、儲かりそうな話だし、何。

 

助かってるもん。悪い商売です。でもさあ、売春抜きでやってんの。しないの。純粋に何タレントっていうことでお酌して、あとはお客さんとの自由恋愛を認めますって感じ。へえ。やってない子っているそういうの。いくらぐらい稼げるのフィリピンの女の子って、1年いくらくらい稼いで帰る。

 

嘘1年で3000万。3000万。そっか。へえ。新大久保とかさあ、いっぱいいるんでしょう。関係ないの。うん。電話番号を開くので番号教えたよ。書けるよ。いいよ。でも、俺そんなにはもうさ、結構遅かったりして、明日仕事ある人だから、ナンバー。