行方不明の象を探して。その25。

ザナドゥは最初、裸なのに城の入り口が見つからずに、グルっと城を見渡してやっと城の入り口を見つけたと思ったら、トゲトゲのある亀や、禿げたおっさんの一本足が生えたモンスターを回避する六本木にある老舗のクラブだ。

 

マンシングって何のことか分からないが。マンシングのシャツを着て、ダブル・ニットのパンツを履いたエマニュエル坊やみたいな男の子や、ファッサマういかのような髪をしたセレブレティ風の女の子や、サーファー・スタイルの女の子でこのいっぱいのディスコは、江美子のお気に入りだ。

 

「このザナドゥってね、ファミコンに移植されるときに、お洒落にファミコンという名前を最初に付け足してファザナドゥという名前でリリースされたのよ」

 

彼女はハイになってくると、そのことを口癖のように、壊れたというより狂ったテープレコーダーのように繰り返すのだった。通っていた大学の教授は何らかの概念が劣化コピーされるときに、それはビデオのダビングのように劣化していくのだと言っていた。

 

「Alvin LucierのI am sitting in a roomの概念バージョンだねっ。言わば」

 

と初老の老人なのにも関わらず、初期のときめきメモリアルの登場人物のような喋り方をする変わった老人だった。問題はダビングという概念が今の若い学生に伝わるのか?ということだ。子供の頃にはVHSが主流だったし、エロビデオというよりかはB級ホラーを大量に借りてきてダビングするのが趣味だったので、自分のことを堕部ビデ男だと思っていた。ちなみに堕部ビデ男というのは単身持ち金ゼロでジャマイカに移り住んで、ダブのレジェンド達に弟子入りしたまま行方が分からなくなった伝説的人物だ。

 

ザナドゥは他のディスコと違って学生が際立って多い。それも上手に遊び慣れた子たちが集まるから、派手な雰囲気がある。行って見れば少年ナイフとRobert Ashleyのワイフである耳・ジョンソンのディスコといったところだった。

 

我々が八時ごろ行くと、もう座れるところがなかった。それで顔見知りの営業員の少年に頼んで席を作ってもらう。ちなみにザナドゥは子供を不法に労働させているのではなく、小遣い稼ぎのためにゲーム機や遊ぶ金が欲しい小学生から中学生ぐらいまでの少年を善意で働かせているという優良なクラブだ。しまった。クラブと書いてしまった。ディスコだった。

 

席についてしばらくすると、スロー・タイムになった。スモーク・マシンから噴き出してくるドライアイスの煙でFreeze状態になりFrostbite状態になる。フロアは雲の上みたいな感じになって、全ての動きがスローになってしまう。それは幻覚や麻薬のせいでスローに見えるのではなく、その煙によってスローになってしまうのだ。

 

それは煙を吸った人間が見ている幻覚なのか、それとも煙に含まれている成分が時間の動きを止める、まではいかなくても、遅くする効果があるのかもしれないが。そこまで深く考えることはなかった。何しろその場にいるときはまともな頭ではないので、そんなことを考える余裕すらもなかった。

 

早くも声をかけてきた男の子と江美子はフロアへ出て抱き合っている。酒池肉林とはこのことだ。しかしどんなものよりも薬品臭いのがザナドゥの特徴だ。ザナドゥにおけるドラッグの蔓延に比べたら、アルコールも肉欲もマンカスのようなものだ。パルメザンチーズとしてピザに振りかけて食べられるぐらいのものである。

 

ブルセラサイトとかでパンティの匂いを全てチーズの匂いで記述しているのがあった、もしくはあったとして、記述したやつはチーズ通でありパンツ通である。塔の中で執事がどうの、しゃべる猫がこういったことを娘が伝達して、とかっていう物語を書ける人間の頭の中が見てみたい。何かのマネじゃないとあんなの書けやしないだろう。

 

なんかお手本があってそれを脱構築してるわけだろう?そうじゃないと塔と執事と喋る猫なんていう発想が出てくるとも思えないし、物語というのは大体、過去に書かれたものを換骨奪胎したものなわけで、どれだけ荒唐無稽な物語でも面白いと思えたりするのは既視感のおかげだ。

 

白いなんたらを思わせる色の廊下をしなやかな足取りで……とか意味ある?彼女は廊下を歩いて隣の部屋に行った、で何が悪い?無駄な言語の装飾と浪費を取り除いたらカスも残らないようなものなんて最初から読む価値が無い。期待していたのにそんなものばかりで心底気持ち悪くなってくる。信じたかった人間とか好きになろうとしていた人間があからさまにロクな人間じゃないということがすぐ露呈して幻滅させられたみたいな経験が現実でも虚構でも多すぎるのだ。困ったもんだ。

 

俺が敬愛する「顔のない作家」はそういうゴテゴテの無駄な装飾を嫌い、物事だけにフォーカスするようになった結果、物語とも小説とも言えないようなものを数冊書いて創作らしい創作をしなくなった。それが正解なのだ。誠実であればあろうとするほどバートルビー症候群になる。俺は書くけどね。でも物語はやめてくれ!とは「顔のない作家」の言葉。

 

アンチ・ロマンも物語の温床だ。全然アンチじゃない。新しいか?と言われれば当時は新しかったのだろう。でも今読むと普通の小説にしか感じない。それでもありふれたつまらない小説よりかは面白いものが多いのは間違いない。装飾はくだらないから一切そういうものを取り除いた小説家というのはいるにはいるのだが、人気が出ないのか売れないのか、書いている作品は素晴らしいのに作家業をやめてしまった友人が歩いているのを見たとき、思ったよりテクテクしていないと思った。

 

テックテックという感じで、機械的というかなんというか、ドラムンベースで言うところのテックステップは結局はエレクトロなんじゃないか?すべての音楽がエレクトロに還元されてしまうということに気がついた夜は乾杯せずにはいられなかった。なんで「これは良い!」と自分が思う作品を書いた作家は寡作なのか。もしくは途中で創作をやめてしまうのか。もっと読みたいのに。

 

偏在する文学性。例えば断片。リバースな体位で金玉を吸っている女と馬のイチモツのように屹立した巨大なペニスをしごいでいる男が「グ……グァァァ」とか言いながら射精している動画のコメントに

 

「声がまるで屠殺される前の豚みたいだ」

 

というものがあった。こういうところに文学が偏在している。本人は文学だと思っているわけではなくて、ただその射精時の声を聞いてそう思ったからそう書いたのだろう。でもそのコメントは下手な小説を読むより豊富な文学性がそこにあった。小説=文学ではないことを確信した瞬間だった。というのは言い過ぎだった。

 

奥で何かを探しているようで、特に急ぐ用事でもなければほっといてくれ。お姉さんは元気なのかい?少しだけ気があった。お姉さんに。綺麗だから彼氏がいるに違いないにしても。そのお姉さんの父親は自称音楽家らしいのだが実際は無職なんだろうというのをみんな分かっているのにあえて言わせないものを持っていたからこそ自称音楽家で居続けることができるのだろう。

 

お姉さんを尋ねる理由は街並みがあった。お姉さんに会えなくてもお姉さんが住んでいる街が好きだった。実際は全く街並みに関心などないし、現代のグローバリゼーションが生み出した街並みを見たまえ!全てがね、都市であれば特に顕著だ、どこも同じだ。スタバにファストファッションにファストフード。そんなに急いで何になる?

 

何もかもがファストな割に速い音楽が流行るとかっていう、そういう速さとは関係ないらしい。デスメタルとかグラインドコア好きの間では「あのドラマーヤバいんだよね」「速いの?」とかっていう速いかどうか?が凄さの基準になっていたりすることがあって、でも自動のツーバスだったら速いとは言えないだろうし、スネアも打ち込みか生かオーバーダブしている可能性もあったりして、実際に速いかどうかなんて分かるわけがない。

 

一枚目の写真の写りは悪くなかったが問題は三枚目だ。気に入る小説家が寡作。気に入る小説の作者が寡作。言い方は色々ある。エレクトロのミックスも然り。90年代の完全にピュアなエレクトロだけをミックスしたCDというのは極端に少ない。ミックスなんていくらでもある。でも90年代にミックスCDとして発売されていたミックスにはストリーミングで聴けるミックスには無い良さがある。どういう良さなのかを説明できたら苦労はしない。そりゃ言葉を費やすところを間違っておるよ。「へぇー」ぐらいで済ませておけ。

 

あとアナーキズムと民主主義を行ったり来たりしているとか抜かしていたやつ、刺し殺しておけ!これだけはマジだからな。冗談で言ってるんじゃあない。ダメだ、メジャーな作家でもレーモン・クノーとかは絶対フランス語で読まないとニュアンスが理解できないのだろうなと思って、そんなことを言い出したら文学全般そうだろうと言われても、じゃあイタリア語からドイツ語、フランス語をやったりするのかい?英語は辛うじて読めるがね、読む癖をつけてないと錆びついていくものなのだよ。

 

アスリートがバリバリ毎日練習しているような時に俺は何をしていたんだっけ?アメリカにいて英語を磨いていた。下手糞な英語を。何にも意味がなかったように思える留学も今思えば良い財産になっていると思うと人生分からないものだっていう「人生分からないものだ」っていうところで終わってしまうあたりが口惜しやって言いながらドロンドロンと出てくる幽霊じみたもののドラムっていうか太鼓を叩いている人間は誰だ?

 

エレクトロのトラックで「ハーハー」って言ってるのがループしてたらクラフトワークのツールドフランスかそれのオマージュだと思っておけば問題ない。ノープロブレム。

 

この日の江美子はエイフェックス・ツインがプリントされたTシャツに大きな花柄のスカートを履いていた。母乳のカクテルを飲みながら、ベタっとしたチークを江美子が躍るのを見ていた。曲はDimensional Holofonic SoundのLSD3Dのアシッドリミックスだ。ユーロテクノ的なテイストが入ったアシッドは本場シカゴにはない薬臭さがある。

 

「Mind bending chemicals」

 

という声のサンプルと共に女性の声で「キャー!」という声が聞こえる。女性の叫び声もトラックに入っているボイスサンプルなのだが、ラリっているとそれがあたかも誰かが発狂して叫んだような感覚を覚える。薬をやれば人間をやめるとまでレッテルを張られてしまう日本という島国では、いつまで経ってもサイケロックやアシッドロック・アシッドテクノなどの神髄は分からないだろう。