行方不明の象を探して。その36。

蝶ネクタイを絞めた若い男性が差し出したおしぼり手を拭きながら象に話しかける。僕の頭の中で記憶の円盤が回り始める。象と知り合うそのさらに前へと今回は戻っていく。あの頃は良かったよな。マスターベーションするのにビニ本だの年齢誤魔化してレンタル屋でブーツフェチのAV借りたら年齢バレて貸し出しできなかったとかさ、今じゃ誰でもAV見放題と来てる。スリルがねぇなってこった。

 

「なんかお前、大体いつもそういう感じだよな。音楽でも映画でも「やられつくしている」の一点張りだよな。全く知性を感じない」

 

「別にインテリぶってるわけじゃないんだよ。ただ事実を述べているだけだ。でも映画とか音楽は文学と比べて、ネタが尽きていても適当に量産してれば消費されるコモディティとして刹那的な快楽を鑑賞者に提供する機能があるだろう?文学にはそんなものはないんだよ。娯楽未満芸術未満っていう本当にどうしようもないものだから時代と共に廃れたのさ。これを述べることにインテリジェンスなんて必要ないだろう」

 

「じゃあこないだと同じ質問をするけど、なんで本を読み続ける?」

 

「そんな終わった世界にも自分のコアとなる20冊ってのが存在するらしいんだよ。それがあればそれだけで人生やっていけるような20冊が。それを求め続けてる」

 

クソみたいな本だなって放り投げておいた本がさ、図書館から借りてきた本なんだけど、本を適当にどっかにやっちゃうってのはダメだね。返却日になってもそのクソ本だけが見つからねぇ。プラネットロックがそんなに好きなわけじゃない。

 

でもたまに聞くとやっぱり「ミスタービーン」って言っている気がする。そのあと「ワーオワーオ」JBがファンクに乗せて扇動的なことをシャウトし続けていたらブラックレボリューションが起きていただろう。

 

でもJBは意図的にそうしなかった。だから「パパが新しい茶色のバッグを買ったんだ」とか意味のないことを口走っていたのだが、ベケットやカフカに通じるものがあって、しかもファンクと来たものだ。今の俺はエレクトロのことで頭がいっぱいだろう?全ては繋がるのさ。

 

象はそう言った。

 

「これはどうなんだ?その、つまらなさの芸術というかさ、つまらないことが何千ページと続く拷問のような、現代アート的な解釈は?」

 

解説書にあるとおりにヘルメットを頭に装着し、解説書で推奨されているとおりベッドの上で仰向けに寝ね転がって……俺はゲームのスイッチを入れた。瞬間、視界が暗転する。

 

「そんなの俺もとっくに考えてたよ。多角的な読み方をすれば面白さがあるんじゃないかって。でもそんなものじゃなかった。つまらないブログと同じぐらいの価値しかないのに、なぜか20世紀のマスターピースとされてるんだよ。文学の世界って本当に腐ってるよ。称賛するやつらのセンスがイカれてるんだ。俺はそれが分からないから自分は文学音痴なんだと思ってた。でも違ったんだよ。文学の連中がみんな文学音痴で、俺は文学が分かるからこそ、死ぬほど退屈だと思う作品を単純に退屈だと思えるんだよ」

 

だいたい、キリスト教的な強迫観念やスラブ的憂鬱などを、実感を持って理解できる日本人が、どれだけいるというのだ。古典の過大評価。知ったかぶり。長い小説へのオマージュ。オマってつくともうオマンコしか浮かばねぇけどよぉ、テンガで擦り過ぎちゃってカリの部分がまた切れちまったんだよ。困ったねぇ。オマンコしてぇなーとか思いながらカリ触ると痛いんだもの。

 

「逆説的だね。でも誰もお前の文学論に興味を示さないだろうね。聞いててつまらないし、俺はお前に影響されて文学なるものを読んでる最中だけど、お前の話も文学の物語と同じで、凄くつまらない」

「つまらないってことが真実だからじゃない?」

 

「そういうことがいいたいんじゃない。お前の手前味噌な文学論はありふれててつまらないって意味で、お前が批判するありふれた文学のつまらなさと同じ様相を呈しているってことなんだよ」

 

さっきまで兄がガトリング砲を掃射しながら来た道にはモンスターの影はない。今なら一気に入り口まで駆け抜けることが出来る。現代アート的なつまらなさ?そういうものを超えないと、というか関係ないところでやらないと。そうすると面白くもつまらなくもないものが出来上がるはずだ。

 

「全く反論の余地が無いね。でもまぁそうすると人って喋らないほうがいいのかもな。どの道、つまらないだろう。書くのも無駄だな。ベケットぐらいしか思いつかないけどさ、文学の世界の焼け跡をベケットの三部作から感じるだろう?読んだことある?」

 

「名前はよく聞くけど読んだことない」

 

「よかった」

 

マスターを呼んでビールとフライド・ポテトを頼み、本の包みを取り出して象に渡した。そうそうあれだよ、カフカの日記が面白いらしいじゃないの。ありゃあらゆる作家の夢が詰まってるぜ。カフカみたいにさ、日記を書くみたいに小説を書きたいわけだよ。「よし小説を書くぞ!」じゃなくて日記みたいに書いちゃうって凄くない?

 

「なんだい、これは?」

 

「誕生日のプレゼントさ」

 

「誕生日は4か月前だぜ」

 

象はそう言って包みを開け、本を取り出してしばらく眺めた。一応、客がいないときにやるべきことは、マニュアルに規定されていた。だが、手際よく店内を掃除したり商品の陳列を直したりしてしまうと、もう何もやるべきことが残っていなかった。本部のマニュアルも、ここまで暇であることは想定していなかったらしい。

 

無駄に時間を過ごすくらいなら通信添削の問題の一問でも解きたかったが防犯用のCCTVカメラが睨んでいるため、そういうわけにもいかない。カメラの役割の半分は、店員の不正や怠慢を防止することである。怠慢が分かったら即銃殺だ。

 

「サミュエル・ベケット「モロイ』「マロウンは死ぬ」「名づけえぬもの」」

 

「文学青年がすぐ真似したものをブログに載せそうな感じがするだろう?」

 

「確かに。インディードだ。あ、例を言うのを忘れてた。ありがとう。」

 

「良い引導になるといいんだけど」

 

気の抜けた臭気を発するぐにゃぐにゃした物質からそれは蒸気みたいに湯気みたいにしみ出してきて、その湯気が凝結し小さな雫となった言葉が細い噴水となって立ち上り互いにもみ合い、そしてまた落ちてきた。他の言葉たちが上昇しそしてさらにほかの言葉たちも今は最後の噴出と共に下に落ちた。もうなにもなくなった。

 

「だけどよう、もっと驚いたのはさらにその後だ。帰りの飛行機の中でよう、すげえんだ……ヤク切れの離脱症状っていうの?もう欲しくて欲しくて全身の細胞が欲しがるんだよ。阿片くれえーって肉体が叫ぶんだ。がたがた震えて脂汗だらだら流れて俺、座席にしがみついてたえてたけど……あんなの初めてだったよ。それが日本についてからも三日も四日も続くんだ。キツいぜ、阿片のヌケはよう。三日で中毒になっちまうんだからな……阿片で戦争起きるわけだよ。人を殺してでも手に入れてキメたくなるもんなあ。洒落にならないぜあれは」

 

時間を取ってやってるのになんだその態度は!コミュニケーションって全力でやるものだろうが。アホか?お前は。無駄なんだよ。時間が。お前と話してるだけ無駄。話してるだけでも無駄なのにミーティングまでセッティングするなんてナッシングなペッティング。風俗にでも行ってこい!この野郎。

 

Aux 88のエレクトロミックスを聞いてたらビッチベラ笑福亭の元ネタと思われる、もうやめだそういう話は。エレクトロの話ばっかになるだろうが。

 

そしてまた中に閉じこもって身を任せる。言うままにされるがままになった。風俗嬢に。深いオーガズムを向かえるまで自己集中が高まるのを待った。断続的に微かな厭らしいチュボチュボする音が聞こえる。我はペニスなり。

 

「キメだろう。三人で行ってブツはあの二人に運ばせるつもりらしい。あいつが運んだらヤバ過ぎるからな」

 

「あの二人は何者だ?」

 

「ちびの方は元タクシー運転手で背の高い方は元ラーメン屋。おまえ会ったことあるだろ?あの環七沿いのラーメン屋、一緒に行ったことあるじゃん」

 

「ああ、あのラーメン屋か。去年だっけ?結構美味かったのにやめちゃったのか?」

 

「そうなんだよ。まいったよ」

 

「何が?」

 

「いやぁ、頭痛が酷くてさ、眼精疲労らしいんだわ。誰に言われたわけでもなくて目の周りが痛いから。で、目薬買った。プラシーボか分からんけど目薬するようになったらちょっと良くなったかなって思った時にさ、目薬がエッジに置いてあったんだよね。凄くエッジーなところに。で、取ろうとしたら落ちちゃった。でも別に崖から落ちたわけじゃないからね、探すじゃん?」

 

「ないんだろ?

 

「そうなんだよ。なんでわかったの?」

 

「だってもうそういう話の類型じゃんそれ」

 

逆構図。今はすっかり明るくなった室内。拍手はやんで、観客たちは席を立っている。彼らはそこらにいくつかのグループを作っている。グループというより強制的に学校で作らされる班のようなものに近いのかもしれないが、グループの間を縫って円を描くように動いていく物体が通り過ぎたときにやはり予想したようにみんな

 

「うおお!」

 

っていう驚いたリアクションをした。でも誰もその正体を突き止めようとするものはいなかった。身体が強張ってたというのもあるのだろう。何人かはまだ舞台のほうを向いていてもう拍手はしていないが、まるでいま終わったばかりの芝居にまだ魅せられているというように、立ったまま、じっと前方を見つめている。

 

でもそれは見つめているように見えているだけで、例の正体不明の何かを探そうとしていたり、記憶の中にダイヴして、似たような経験や物事が無かっただろうか?とサーチしていたのかもしれない。でも人間はロボットのように

 

「検索中」

 

なんて言って頭脳を動かせば身体が止まるようにはできていない。大体においてそういうひとたちはそこらに孤立しているが、いくつかのグループの中にはそうした姿勢を取りながらグループに立ち混じっている者がいる。もっとこれについては深堀するべきなのだろう。もしかしたらロボット的に考えすぎてフリーズしているやつらもいたのかもしれないし、何よりグループだと言って個々を一緒くたにするべきではない。