行方不明の象を探して。その41。

「これ一回でおしまいね。今日は調子が良くないわ」

 

「でも相当ソウル溜まってるわよ」

 

「あたしはね、普段はもっと効率いいから」

 

バックスタブを終わりにすると、我々はドラフトの選手を決める会見を見た。

 

「なんで会見を今見ようと思ったの?」

 

「なんとなくかな。バックスタブに疲れたというのもあるかも」

 

「バックスタブか・・・」

 

「いけないかしら?」

 

店の中には相変わらず「ズドン!」というバックスタブの音が鳴り響いていた。軟弱なバブルガムを食べたくなったので、マスターにそれを頼んだら、活きが良いものがちょうど今日入荷したとのことで、早速、それを頂いた。

 

イニシャルNDさんも、キーボードで安定した会社のQRを提案する玩具を発売してから、あ、あのCMが和田アキ子さんのやつですねぇ。パワーポインターはベルパークの提案者なんですよ。店は6店で経営されているので、攻守のペアでお願いします。その理由は、巣にいる鳥の数が3000万羽を超え、巣にいる鳥たちの数がエグいんで、どうにか解放してあげられないか?っていう話なんですよ。PSKがバレないか心配です。

 

俺の意見というか立場はPSKバレなどはどうでもいい話で、無感覚の感性、無思考の思考を虚無に生きるものとして出現させたいという思いしかなかった。これはとある刺客の物語。でもそれは実際は食客が街を占拠するほどの数が滞在していたので、その刺客が暗殺した人間の大半は食客によるものであった。


夏の最初の朝に、増え続ける食客と同志になって安酒がどれだけ肝臓に悪いかどうか?ということを片っ端から色々な安酒を飲んでは検討しているうちに酔っぱらい過ぎて「あいつのことが気に入らない」と言い出したら増え続ける食客の一人がトイレに行ったかと思うとその気に入らないやつの首をテーブルの上に置いたから臭いが凄かった。

 

そんなコラージュの人生を全うしたそれぞれの食客たちは、刺客に殺されたものたちによって同じように無意味さを表す存在によって、俺の感情に裏打ちされた。ベーチャンはキックというよりかはハットの裏打ちを聴いている感じで、テクノの原体験的な衝撃から逃れられずに音楽的感性はアップデートされずに、もしくは当時の煌びやかさと鋭さを保ったままでベーシックチャンネル関係の音源を聞き続けるのだった。

 

シスコで買った缶入りのベーチャンのCDはCDを止めるでっぱりってなんていうんだ?あれがキツ過ぎて二枚とも割れた。あと鉄だったのですぐに錆びた。そういうところも含めてギー・ドゥボール的でかっこよかった。別名、情況電子音楽隊。仮に自分の存在理由を失ったとしても錆びた缶CDケースを目の前にすればその悲劇的な溝も埋まるかのように思えた。

 

「ここの溝がいいんでしょ?」

 

と蟻の戸渡りをブーツのつま先で擦られた時は勝手に腰が動いていた。ペニスは天に届くかの如く勃起していて、そのままはち切れるのでは?と思った。こういうのは身体性が無いと不可能な感覚で人間の生活におけるヴァーチャルの度合いが高くなったら味わえないであろう感覚である。例えば一階のパソコンの天気では外は2度になっているのに二階のPCでは10度になっている場合、PC自体に外の温度を感知する機能があるんだって思いこんでいた時期もありましたね。

 

でもそれもヴァーチャルなのですよ。そういう全てのイメージと抽象的な考えの外側で考えられないものからなる行為で考えていたのです。

 

「これからどうする?」

 

「まだ九時十分よ。どこかへ行かない?」

 

「どこか行きたいところはない?」

 

「あなた軍人かぶれなんだから決めて」

 

彼女はこめかみに指をあてながらしばらく考えていたが、ドラフトの選手が決まるとこちらの方を向いて

 

「じゃ抱きたい」

 

と言った。

 

本気なのだろうか。彼女の顔を覗き込んだ。彼女は照れもせずにこちらのほうをじっと見つめていたが

 

「だって結局はそこへ行きつくわけでしょ。最終的には」

 

と続けた。

 

そう言われてしまうと確かに人間と人間の間にはそれしかなかった。それが無ければ人類は滅びてしまう。精神的なイデオロギーがあるから肉体的な結びつきがあるのかもしれない。けれどそこに肉体的な結びつきがあるから、逆に精神的なイデオロギーも深まるのだ、ということも事実だった。そして精神的なイデオロギーが全くなくても、肉体的な結びつきだけが存在することだって、我々のまわりにはしばしば起きる話だった。

 

マルクーゼが一次元的人間でヘゲモニー的なカウンターに対しての役割をマイノリティやアウトサイダーが担うと期待していたようであるが、彼女のように完全にイカれた人間は気分でロボットに乗ってしまうし、結果的に国家側のイデオロギーを担うようなことになっても、全く気にしないことだろう。

 

真のアウトサイダーとは完全な気違いのことである。ただそんなアウトサイダーに抱かれたいと思って出てきたわけではなかった。精神的なイデオロギーを求めて出かけてきたのでもなかった。別に彼女でなくても構わなかったの。今日のこのグルーミーな気分を紛らわしてくれる相手が欲しいだけだった。彼女に電話したのもロボットの話をするためではなかった。今時ロボットの話をする人間なんてパープリンな子がほとんどだったから、余り期待もしていなかった。

 

けれども彼女は下手すると筋金入りの軍人になりかねない素質を兼ね備えていて、あのままロボット乗りになってしまったら、それはそれでいいのかもしれないと思っていた。ただそれはアバンチュールを楽しもうなんていう、シャレた気持ちでもなかった。ロジャー・コーマンの映画を観た後のように、心の中のモヤモヤやムシャクシャがさらに酷くなるような気持ちになりたいのだった。限度というものを知らないのかい?またあまたじゃなくて頭パーンとなるぞ?

 

あとなんかあそこまで振り切ってるアウトローって憧れる。俺は中途半端だからな。輩というほどでもないし、家族のことが心配だから殺傷事件とかも起こせない。結果的に善良な市民を装うことになるわけだ。実際まぁ善良な市民だからね。そこに異論はないと思う。そういえばさっきまで屋根の上に居た鳥はどこに行った?というか鳥の行先なんて知る由もないよね。鳥は自由だって言うけれど、実際はそんなに自由じゃないのかもしれないよね。鳥が見える青空は青く見える。詩的に言おうとしてあんまり成功していない例かしら?

 

「どこまで行くの?」

 

「この近くでもいい?ロボットを停めてあるところがあるから」

 

中継で写っていたドラフト選手は頷いて立ち上がった。ディスイズ・エレガントワールドの角をまがって歩いていくと、左が泡には出雲大社の挙式場がある。右側には中二病に犯された人間専用の療養施設がある。その道をロボットの話をしながら歩いた。夜だけが訓練に集中できる、とは彼女の口癖だった。Kさんの影がちらつく。

 

彼女は肩を抱くわけでもなかった。手を繋ぐわけでもなかった。特にそうしたことを求めはしなかった。先に出てくるモリモリはグレゴリオ聖歌に反応する聖なる存在だった。それはグレゴリオ聖歌に反応するということから聖なるものだと分かったのだった。モリモリのことを思い出しながら肩を抱かれてロボットに入るなんて嫌だった。しつこいようだが、何も頭ごなしに軍隊を批判しているわけではない。彼女のような主体性の無い人間がロボット乗りになることが許せないだけだったのだ。

 

ドライデントに仕込まれていた電流は電磁コーティングがされており、フェンディのバッグの中からパーツを取り出すと、そのうちの一つを彼女に渡した。彼女も「ガシャンガシャン」といういかにもロボットが立てそうな音を楽しみながら、その道の突き当りにあるコンビニに入った。もちろんロボットを駐車場に停めてからである。

 

別にしらけているわけではなかった。言わば客観的に見ればレズビアンカップルなのだが、コンビニでコンドームを買ってロボットに戻った。新荻久保や円山町で乗ったことがあるロボットと違って、そこはキンキラキンにコーティングされた超合金がロボットのコクピットの至るところにディスプレイされていた。超合金で装甲を加工しているのかと思いきや、肝心の装甲はただの鉄だった。

 

なぜ超合金をコクピットの内部にディスプレイして飾るのだろう?守り神的な意味なのか?自動ドアを入ったところに各部屋の写真がパネルになって出ていて、その下に回転チェーンソーとか、総エネルギーフィールド張りとか、ロボアニメのビデオ付きなんていう口上書きと値段が書いてあった。

 

小さなランプが消えていると、エマージェンシーではないことを表しているようだった。ランプのつき具合から判断すると、半エマージェンシーという感じで、最前線に送られるぐらいの性能の良いロボットだったら最前線に送られているかもしれないが、彼女のロボットが送られるほどの事態ではないのが分かった。そもそもこれが彼女のロボットなのかも定かではないのだが。