行方不明の象を探して。その43。

自分の荷物はっつーとリュックの中に乾パンと胸ポケットに聖書を入れている。シャツというかスウェットというかダウナーというかアッパーは錆びた暗器を手入れするときに手ぬぐい代わりとして使っていたので鉄臭くなっている。聖霊降臨祭から24日目の日曜に典礼の間に祈りを捧げるために教会に行った。その時は聖パウロのテサロニケ人への第一の手紙が読まれていて、こんな感じだった

 

「絶やすことなく祈りなさい」


祈りと言えば俺は趣味でBL小説を読んで執筆するのだが、ある書店に行ったときにBLコーナーで執筆の参考になりそうなのを探しているときに、そのBL棚の商品の豊富さに唖然としてしまい、逆に書店員に

 

「官能小説のコーナーはありますか?」

 

と聞いたら、駅地下などの本屋には置いてあるかもしれないけれど、うちの系列では数冊が新刊として棚に並んで、売れなかったら出版社に返却になっているとのことだった。文学は昔から斜陽だろう。文学に元気があった時期なんて存在しない。しかしBL小説はこんなにも豊かなのかと思うと、メインストリームの文学はBLにあるのかもしれないと思った俺は、一発当ててやろうという山師的な発想からBL小説の執筆を始めたのだった。

 

あと例の教会で聞いた「絶え間なく祈る」ってどうするのか?っていうのも気になっていたので「祈り」と本屋の在庫検索のマシーンで検索したら色んな祈りが出てきて意味が分からなくなった。自分はキリスト教的な祈りについて調べているのにマシーンにはその祈りが通じない。「祈ればお金が寄ってくる」とか「ツキを呼び込む祈り方」とか、人って生活の為に色んなことに気配りしたり、俺みたいなホームレスじゃなくてもフリーターでも会社員でもいいんだけど、なんらかの仕事をしているわけだ。

 

満員電車の中で瞑想しながら祈り続けるとかは可能かもしれないけど、仕事してるときとか無理だろう。俺もバイトしてたことあるけど、頭を使わないような仕事だったとしても祈り続けながら仕事なんてまず考えられない。絶えることなく祈るってそんなにどうやってやんのよ?って感じで気になってしょうがないわけだね。

 

意外なのがBL小説といっても純愛ものからハードコアものまでいろいろあって、なぜ官能小説が脇に追いやられてしまうのか?というぐらい卑猥なソドムに満ちたBL小説があって、俺が10代の頃に本屋のエロ本のコーナーに行くと、エロ本を立ち読みできないようにシースルーのビニールで縛ってあって、ハードコアBL小説も、一昔前のエロ本の棚を髣髴とさせるようなビニールで縛ってあるものが多い。


で、BLのコーナーからキリスト教関係の本棚のところに戻って聖書を見て、その例の教会で聞いた言葉に繋がるような本を探していたのだけど、あれはつまりは「自分たちはいつでも、どんな時でも、どんな場所でも、いつも心を込めて祈るべきである」ということで、つまりはいつでも祈るべきだってことなんだよね。

 

ビニールで縛られていると本の卑猥さが増すのは、俺の世代特有のものなのだろうか。いや、その、エロ本が立ち読みできないようにビニールで縛られているという原体験があるから、それに引っ張られてハードコアBL小説にもエロスのロマンを感じてしまうのだろうか。ビニールで縛られている聖書があったとしたらどんな聖書なんだろうか。


それにしてもヘテロセクシャルというのは本当に古い概念だ。みんなバイセクシャルであるべきだ。BL小説を読むと本当にそう思う。幸いなことにジュディス・バトラーは武装してこの店を襲うことはなさそうだが、彼女のジェンダー・トラブルは名著であると思う。あれは別にフーコー的なのであって、女性に限った話ではなく、性的にマージナルな人間全てに言えることなのだが、潜在的な同性愛者は物凄く多いので、俺はゲイやレズという存在がマイノリティだとは思えない。

 

ただそれってどう考えても無理だってことになるわけで、どうすればいいの?って思ってさ、有名な説教師がいる教会に行ってそこで質問攻めにしてやろうとかって思ったわけだ。何しろ絶えざる祈りなんて不可能に思えるから、プロに聞くのが早いと思ったし、なにしろ自分でどう考えても分からないわけで。

 

こうやって色々と書いていても「これって本当に自分が面白いって思って書いている?」とかって自問自答し始めると全く何も進まなくなるから恐ろしいものだ。でも書くことは素振りのようなもんだ。木刀での打ち込みまず1000回!とか「えー!」って感じだけど、刀で打ち込むぐらい考えなくてもできるぐらいになっていないと話にならないってことなんだろう。

 

木刀を振るにしてもその動作に関する神経系統が刺激されるというか作られるようになって繰り返せば繰り返すほどそのネットワークが強くなって最終的にトイレに行くとか歯磨きをするぐらいの当たり前さで木刀で打ち込むことができるようになる。武術の基礎作りが常人に異常に見えるのは昔はそれが生き死ににの「にに」が困ったから何か他のは無いか?って考えてもそれは言語に依存するもので、例えば英語で書いたら「にに」にはならなくても他のところで「にに」になる可能性がある。

 

自動販売機にはエナジードリンクやまむしドリンクのような精力剤が売られていた。まむしドリンクを買おうと思ってお金を入れてまむしドリンクのボタンを押した。まむしドリンクがコトンとボタンに下にある口から出てきた。こんな自動販売機は初めて見た。ボタンの下に各商品ごとに口があるなんてコストパフォーマンスが悪そうなものだが、そんなものはお構いなしという感じの雰囲気がする自動販売機だった。まむしの子よって言ったのはヨハネだけど、ヨハネって名前が多すぎてわけがわからない。時代は変わって十字架のヨハネとかもいるからね。


フロントマンが出てきてこちらに敬礼をしてきた。民間人だと言おうとしたのだが、軍人になるつもりの彼女はそれっぽく敬礼をしていたので、釣られて敬礼をしてしまった。というよりせざるを得ないという感じであった。


でもやはりロボットがあまり好きになれなかった。ロボットアニメやガンダムのようなものはそこそこ好きではあるが、現実世界で武力を行使するロボットというのはやはりその存在自体が虐殺兵器という感じがしてしまうし、スーパーロボット大戦のご都合主義みたいに相手のロボットを倒したとしても全ての兵士はコクピットから脱出しており、主要人物以外の戦死者は出ないというようなことは現実ではありえないことなので、マキャベリの君主論を持った女の子が、プラトンの国家を持った男の子と一緒に臆面もなく渋谷や新宿のディベート会場に入っていく時代だというのに、自分はどうしても抵抗を感じていた。

 

入るときは良くても出る時は反撃を気にして二人別々で隠密行動をとるというのが素人のとっては苦痛でしかなかった。ステルスなんて慣れてしまえばどうってことないと人は口々に言うけれど、気配を消すだとか足音を消すということはそれだけで長い訓練を必要とするものだから、なぜ民間人までもがステルスは余裕みたいなことを言っているのかが全く理解できなかった。

 

コクピットに超合金が入っているというのもまるでマジンガーZを崇拝しているのだぞと誰かに見られているようでいやだった。装甲が硬そうな外見やごつい感じの質感がいやだった。でも我々が入ったコクピットはロボットにしては珍しいぐらいにシンプルな造りで、回転チェーンソーもスクランダーカッターもなかった。

 

バスルームは独立して上京していたし、仕送りも必要ないようだった。コクピットからESPを通して丸見えという、よくあるような品のある超能力者はどこにもいなかった。少し意外な感じがした。

 

彼女は後ろから僕におおいかぶさるようにして、髪の上から左の耳たぶに氷のブレスを吹きかけてくる。そして右手で僕の髪を勝ち割ったり、後ろへ流したりする。僕もやられたままというわけにはいかないので、炎のブレスで応戦する。

 

普段、身に着けている下着はあさい赤みがかった黄色と表現することも出来そうなもので、半月ほど前、ガールフレンドと一緒に出掛けたプーケット島で日焼けした肌に合わせると菜種油色に見える。なたねあぶらと読むらしい。漢字は嫌いだ。わけが分からない。