行方不明の象を探して。その44。

例えば行けそうだと思う崖があって、二段ジャンプできれば簡単に行けそうなところは実際は廃墟、というより肩の力が入り過ぎて肩が凝っていたのだと思うけども、崖の話に戻るけれども、廃墟の隙間から見える小道に入らないと行けそうな崖の上にはいけないのであって、そういうのが続いていると目の奥が痛くなってくる。

 

目の奥に針があって、それの位置がズレると神経に障って痛む感じ?でも針がある時点で激痛どころの話じゃない。針があってなおかつその針がグラグラして痛いのとではどっちが痛いのだろうか?

 

赤いオーブを取れば大丈夫そうだ。でも痛いから痛み止めを飲もう。それは香港島のセントラルにあるランジェリー・ブチックで買い求めようとしていた痛み止めだったが、商品名が漢字だらけで何がなんだか分からなかったが、全部感じで痛みを全力で止めて見せるという意気込みが感じられたのでそれを買って飲んだ。

 

学生時代、西宮の梛川にある自宅に住んでいた頃に炎のブレスを通信講座で取得したのだった。練習が大変で、場所を選ばないとドラゴンだと勘違いされて、ドラゴン狩りの賞金首になってしまい、バウンティーハンター達から逃げるのが大変だったり、会ってしまっても炎のブレスで焼き尽くしてしまったら正当防衛にはならないし、かといって何もしないと切り殺されてしまう。

 

どうしよう?そういう夢を今でも見る。結局、どうしたのだろう?どうだったのだろう?ということはあまりその時は問題にならない。何も夢だったからよかったわけではなくて、炎のブレス問題は常に継続中ということだ。

 

銀座一丁目にあるこぢんまりとしたロボットのコンシェルジュ。特に不満があったわけではない。ミッション・クルーは自分に向いていると思っていた。軍人になるのではなく軍人の補助をする役割だ。体調が少し優れないなと感じる時でも、ロボットに入るとその途端、不思議なことにシャンとするのだった。炎のブレスは使わないことになった。全く勉強が無駄になった。

 

充実感だってあった。ずっとトンでいてもよかったのだ。勤務中のドラッグ全般が許されていたので、特にやることがないときは、大体幻覚剤がマリファナを吸っていた。僕はしばらく夏の空を飛んでみることにした。空を飛ぶのは実際にはそれほどむずかしいことではなかった。一度上にあがってしまえば、あとは適当な角度にひらひらと翼を動かして、方向や高度を調整するだけでよかった。

 

僕の身体はいつのまにか空を飛ぶ技術を呑み込んで、苦労もなく自由自在に空に浮かんでいた。僕は鳥の視点から世界を眺めた。ときどき飛ぶのに飽きると、どこかの樹の枝にとまり、幻覚剤特有の吐き気が来たときは、緑の葉のあいだから家々の屋根や路地にゲロを吐いた。人々が地表をのたうち回り、苦痛に歪んでいる姿を眺めた。でも残念なことに僕は自分の身体を自分の目で見ることができなかった。

 

スーツにくたびれたギャバジンコート。時々、数時間ベンチに座って、ただまっすぐ前を見ている。そして、彼は引退するためにフロリダに行くと言っています。いい人なんですよ。あたしは彼が好きよ。もう一人の友人はほとんど寝てます。今ベンチで寝てるんだ。雨が降ってきて、みんな玄関にいる。タバコの煙とかフランスの子供とか、街の炎を研究しているとか、そういうのは雨で無理だ。

 

彼らは都市計画について話しているのに、公園を見ようともしない。彼らはベンチで眠っている僕の友人を見ない彼らは行動を求めている 彼はベンチで眠れるし、防水性のある大きなラグを手に入れたので、どこでも眠れる。みんなから羨ましがられてる。雨は全く気にならない。雨が降っていないときは、時々立ち上がって話をする。

 

一緒にいる楽しさを味わうために、あることが起こった。そもそも普通のように仲良くする必要はない。ベンチは多かれ少なかれ互いに離れている。でも、みんなの声が聞こえる。僕は、すぐそばにいるような友人を必要としている。

 

不思議なことに、ここに来るまでは、それが可能だとは思ってもみなかった。向こうの世界では、いろんなことが聞こえない。聞きたくないのかもしれないし、聞きたくても聞けないのかもしれない。遠すぎるし、音が小さすぎるし、他のことが多すぎる。でも、友達の間では、まるでいつも隣にいるような感じです。全部聞こえるんです。歌声も聞こえるし、話をするのも聞こえる。

 

嫌な気分にならないようにするのは、難しいことです。僕たち、つまり僕の友人と僕の間では、僕たちは皆、とても傷ついている。頭の中だけでなく、音や絵の中だけでなく、心の中も。失ったもののように。それはもう二度と戻ってこない。もし、僕の言っていることがわかるなら、その不可逆性。

 

こんな感じでオェッと吐いたのはいつ以来だろうか?僕が初めて象と出会ったのは三年前の春のことだった。僕たちはずいぶんと酔っぱらっていたが、だからいったいどんな事情で僕たちが朝の四時過ぎに象の白塗りのフィアット6000に乗り合わせるような羽目になったのが、まるで記憶がない。共通の動物でもいたのだろう。キリンさんではないことは確かだ。オエッとなるには感受性が必要だ。

 

しつこいようだけどゴシップの醜聞を意図せずに読んでしまった時などに生ずる吐き気は感受性の賜物だ。あんなものにオエッと来ないやつがいるなんて俺基準で考えれば理解ができないのにも関わらず、闘争領域の拡大をしていこうとしている軍勢は未だ勢い衰えぬまま、キンキンに冷やしたビールを喉にぶち込むのだった。何かといえばアルコールという人間があまり信用できなくなっている。

 

なのにも関わらず僕たちは泥酔して、その時の会話を録音したカセットがあるのだが、今、聞いてみると音声をタイムストレッチしたときのようなスピードで喋っており、それは比喩ではなく、デジタル的にそういう処理を施した0.5倍の速度で喋っていた。どうやってあんな風な喋り方をしたのか全く記憶になかった。

 

とにかく僕たちは泥酔して、おまけに速度計の針は160キロを指していた。飲酒運転の話などをしたら、コンプライアンスが酷い昨今では、こんな話を大っぴらにできないんじゃないかと思う。でも昔は違ったのだ。

 

だったらもっと平面でも良かったような気がする。平面だったらさっきの崖の話ではないが、廃墟の隅から崖の上にのぼるようなことをしなくても済むわけで、そっちのほうが楽でしょう?ようやく廃墟の隅から崖に上った僕は遠吠えをあげた。猿達が一斉に騒ぎ出してあたりはカオスとなった。