行方不明の象を探して。その48。

「なんじゃらほい?」

 

とか言う言葉を使うと古くなる。古くならない言葉を使おう。それでも古いんじゃないか?男はそう言うとワインを飲み干した。大体のくだらない小説はどうでもいい話の間に何らかのアクションがあって「ウィスキーの氷がカランと音を立てた」とかクソみたいな描写があってまたどうでもいい話が続くだけなので読まない方がいいです。読むならエンタメに特化したようなものがいいと思います。

 

チョコレートでもなんでも、パフェでもあげたまえよ。お前は覚えていないかもしれないけど、お前って言い方をして、とりあえず、すまんな。あげる前に相当なフリをしたよな。大げさに数週間前から渡したいものがあるけど気に入るか分からないから迷ってるなんつってその話題ばっかだっただろう。

 

で、「よし、もうあげることにする!」なんつってさ、ただ直接渡すのは気が引けるから机に置いておくからってお前は言ったよな。で、机の上に置いてあったのはプラスチック製のしおりだった。本のしおりだよね。俺が読書家だってのを知ってだったんだろうけどさ、なんでそのぐらいのものに対してそんな大げさな言い方をするんだい?数週間とは言わず一か月前ぐらいから「渡したいものがある」ってさ、プラスチックのしおりにそれだけの価値があるとでも言うのかい?」

 

そういえば由里子だった。由里子が言い出したんだっけ?由里子を死ぬほど犯せるかもしれないのに、なんでBLの話になったんだっけ?それはもうよぎってしまったからしょうがないし、よぎったことを端折ることは自分への裏切りだ。それは現実を歪めることになるし、健全な認識を与えるかもしれないが、俺に言わせればそれこそが認知のゆがみを生み出す原因だ。由里子を抱けるのにBLのことが頭から離れなくなるリアリティを生きている俺を自分は否定したくない。それでいいのだ。それで。

 

あとはあれだなぁ、好きでしょうがないのに聞けなくなった怪談に例えると稲川師匠の語りの冒頭部分がやたら長くて怖い話が最後のほうにだけあって終わるっていう、ほとんどがどうでもいい描写だけなのが小説とも言えるな。いや、稲川さんの怪談のほうが小説より数億倍面白いのは無駄が無いからでしょ。

 

無駄を文学性と勘違いしてるからつまらないものが大量生産されて無駄に精液のようにぶちまけられるわけでさ、

 

「ドーンと来てズドンってなってピタッと一瞬止まったけどまた進んでゴーンってなって最後はガーンってなって終わった」

 

とかでいいと思うんだよね。理解なんて求めてないよ。ラディカル過ぎるのはあらゆる意味で自覚しているから。パワハラだ!って言われそうなね


「ちょっと待ってもういい、要点だけ話してくれる?」

 

とかって言われた若者みたいなね、何が?ビジネスシーンに限らず日常で無駄は忌避されるでしょ。でも小説では無駄がありがたがれるるれがるれら。その手記を残して男はカメラワークで脅かす類のゾンビになった。

 

友達からバーカと言われて怒りジッパーをあげると友達に小便を吹きかけた。俺は「じゃあな」と言ってイチモツを慎重に持ち上げて尿振るいをした後、残心の構えを残してイチモツをしまった。頭パーンの時間ですか?そろそろ。でも暫く書いてなかったしいいんじゃない?暫くって漢字にすると強そうだよね。必殺技っぽい字面になる。0.1秒の瞬間アへ顔ダブルピースメイカーで打ち抜かれた男達は男と共に男と同時に男として去っていったのであった。

 

小麦が体に合っていないと知ったのも最近のことだった。それ以来、大好きな小麦系というか小麦ばかりなんだよね。ラーメンだのうどんだのパンだの、小麦を使ってないものだけを食べるって言ってもさ、なかなか難しいじゃない?でも言われてみれば小麦ばかり食べている生活を続けているとお腹が張る感じがするし何より慢性的な倦怠感がある。いや、いつもの毎日が同じすぎてダルくなる倦怠感じゃなくて、明らかに小麦が原因だなという倦怠感。

 

でもお前は小麦が倦怠感の原因になると言ったな?でもそれと毎日がつまらないファーストパーソン視点でのクソゲーを無理やりやらされているって思ってるお前のさ、その考えから来る倦怠感じゃないのか?人生は素晴らしい!って思えばいいんじゃないのか?ファーストパーソンは素晴らしい!って思えるかい?ファーストパーソンのクソゲーがあったとして、でも内容はクソゲーでもクソゲーをやれている時点である意味幸せだって考えるのはメタ発言だろう。

 

内容よりもゲームをやれている時点である程度は幸せなんて言い出したら幸せの閾値がどんどん下がるだろう。下げていくしか幸福を感じられなくなっているのかい?

 

合間の小説っぽい風景の描写とか擦られ過ぎたようなありふれた文章に関してはなんかからコピーしてこよう。凄まじくありふれた凡庸な小説がいい。口の周りに醤油をつけたままでいるととても痒くなるので、走るのをやめて近寄ってきた人間を警戒して、とりあえず路地に身を寄せた。

 

それでも周りから寄ってくる人間がいる。醤油を拭かせてくれとも思うけど醤油まみれなまま店を出たお前が悪い。俺ではなくてお前だ。お前ってすげー言葉悪い感じするよな。お前って言いたいだけじゃないのか?

 

ただこのまま路地で寄ってくる人間に警戒しながらじっとしているのはいたたまれない。小説を書くのは内なる義務なのだと神経線維の一本一本がねじ切れるように軋んで叫ぶ。彼のレーゾン・デートゥルはポコチンにあるのではない。小説を書くことにあるのだ。もし今の彼が創作を禁止されたら彼の皮膚の毛穴という毛穴から自己を表現できない不完全燃焼の焦げたカスが噴出して収拾がつかなくなるだろう。彼女が言うように彼の世界観は狭いのかもしれない。そんな彼は転向する必要がある。自己改革が必要だ。

 

「下書きの保存に失敗しました。再度時間をおいてお試しください」

 

俺の小説と呼んでいるコデンに対するディスだろう。これは。これ自体が失敗してるから時間をおいて頭を冷やしてからまた書いてみては?っていうかもうやめろよってことなんだろう?顔のない作家の「ナンマンダブ」という作品は僧侶がジャマイカに行ってダブの師匠にダブの手法を習ってお経をダブ化したものがミリオンセラーになるまでの物語を脚色した後、脚色した部分だけをさらに誇張させて全く別の物語にしたノンフィクションだ。

 

例の「時間を置いて」の件だけどLANレシーバーの刺さりが甘くてネットオフになってたからネットオフで1円で売られている小説扱いしたのだと思う。ネットオンにしたら保存ができた。これで作家業を続けられる。本当に意味が分からないな。作家って言葉は。名前負けしているよな。そもそも。

 

「いやー作家ってほどでも」

 

って謙遜する場合は大岡昇平みたいな作家とお前を比べているんだろうけど誰もそんなこと思ってないからね。お前みたいに暇つぶしで小説を書いているようなやつと一緒にするなよ。