行方不明の象を探して。その57。

炭酸のシュワッとした感じが俺の心をどうのこうのって文章を見ると吐き気がするからそういうのは書かない。あと顔のない作家が秒速で

 

「そういうのはやめろって言っただろ!」

 

って殴りに来るから書かない。気が狂ってるよ。あいつは。いや、顔のない作家じゃなくて炭酸がシュワワとかっつーことに数行費やすやつらの頭よ。春樹先生の場合、ここでこういう微妙な時間の時に妙なバーに行くんだよな。で、変なつまみとビールを飲むと必ず変な出会いがあるんだよな。

 

何回かやってみたけど

 

「おひとりさまですか?」

 

って店員に聞かれるぐらいしか展開が無くて何もなかったぞ。なんで200円ぐらいで売られているビールが半分以下の量で500円とかするんだ?10億円あってもそんなのに金を払いたくない。あ、でもあれならいいや、ランチョンみたいな店で編集者と

 

「どんな感じがいいっすかねー」

 

みたいな感じで作家気分を味わいながら飲むビールは格別だろう。そういう時のビールは出版社の経費でタダで飲めるしごちそうになったからっつって面白いものを書く義理が発生するわけでもないんで良いタダ飲みだよな。

 

あとシミュレーショニズム得意だろう。俺は。だから

 

「時間があったら小説を書きます」

 

って言ってるやつが数ページ書いて挫折したようなものを永遠と繋げていく小説を書くのはどうか?それにしても春樹師匠にしてもなんでどうもまたあんな感じでどれもこれも同じような感じになりがちなものを飽きずに書けるのだろう?書いている時間とか集中している時間とかその後のランニングとビールとか毎日充実してそうだもんな。集中している時とか「なんかやったぜ!」っていう達成感がある日とかって気分がいいじゃん?今の俺みたいにこんなクソみたいな気分じゃないわけだからな。

 

ブコウスキーはそれでも腐らずに書き続けろ!って言ってたけどもう無理だよ。腐らずにって言えるのは腐りかけているやつが言えることなんであって俺みたいに腐りすぎて溶解が始まっているようなやつはもうどうしようもないんですぜ。ヨーカイ・ドローンって名付けたやつはまだジャパンにオリエンタリズムを感じているのだろうな。なんかああいう海外製のゲームに出てくる日本人って日本人じゃなくて「日系」なんだよな。

 

オリエンタルと言えばあっちゃんみたいに色々と吹かしたこと言って海外移住でもしようかな。そうすれば色々書けそうな気がする。いや、そうでもないな。環境が変わっても書くのは俺なんだから書けない俺がどこにいようが書けるわけがない。でもコヴィッド騒ぎで海外に行くのも相当痛いらしいじゃないか。ああ、言い方間違えた。検査が鼻にグリグリと綿棒を突っ込まれるから痛いって話を聞いてから渡航=痛いってことになってからあんまり海外に行こうと思わなくなっちゃったな。行っちゃえばいいんだけど行くまでが面倒くさい。

 

このめんどさをなんとかできるほどのパワーがないのだな。そろそろ風景タイムか?いや、でもこれでも成立するらしいよ。小説のお勉強をしていたときにこういうのを意識の流れとかって言うらしくて例のコンブレーのあいつとかウルフも使ってた手法なんだって。でも俺の場合、手法っつーよりこれでしか書けないからな。だから何を書こうかと思っても何も浮かばないんだよな。

 

コンブレーのあいつの本の一巻を適当にパラパラと読んでてもやっぱりつまらない。何が面白いのかさっぱり分からない。それなのに過去に出たハードカバー版とか愛蔵版みたいなやつを2バージョンぐらい持ってる。それでも俺はお母さんに寝なさいと言われたので長い廊下を歩いて寝室に向かうしかなかった。

 

長い廊下を歩いているときに妙な寒気を覚えてそこからブルっとするものだから小便がしたくなってトイレに行って俺の悪い癖でトイレでボーッとしているとお母さんが「まだ寝てないの!」って言うもんだから「早く寝なきゃ!」っていう寝ることに関する強迫観念みたいなのを植え付けられたのも今思えば母親が原因だったんだと思う。

 

カズオ・イシグロはヤツのことをぼろ糞言ってたのにノーベル文学賞の時のスピーチではプルーストを何度も読んだとかって言ってたような?コロコロと意見とか立場を変えるタイプなの?あの人。残念だ。つまんない小説ばっか書いてないでカフカのパロディを永遠と続けていればよかったのに。なんでちゃんとした小説ってあんなにつまらないんだろうな。ちゃんとした人生が人生としてはつまらなく見えるのと同じかもね。街録チャンネルみたいに波乱万丈のほうが見る側は面白いからな。

 

文字数が400万字越えとかって言いだすとそれこそYoutuberみたいに登録者数だのアクセス数だのばかり気にするようになって端から見ると全く幸せそうに見えないやつになっちまうだろうが。オートミールは届いたのか?届いてたら何か食べなくても家に帰ればとりあえずオートミールがあるからそれでいいや。

 

庭のイチゴを摘んで食べ、空を眺めた。雲も飛行機も鳥もいない空を見て、あくびをした。ダメだ。参考にならない!今時庭のイチゴを摘んで食べてる日本人なんて全然いない!もうなんなんだよ、べつこく文学。意味分からん。なんで庭にイチゴが生えてるんだよ。風を追う者、風見鶏と呼ばれているが、どうだろう。風を追う者と呼ばれるのは、そんなに悪いことだろうか。でも風向きが変わると意見を変えるやつも風見鶏とかって揶揄されるだろうが。プルーストは権威があるからとりあえず評価しとけってか?ふざけんなよ。全くヤツはムカつく。

 

春樹先生はいいんだ。ネタ的にもガチで好きな人もいるのは分かる。でもコンブレーのあいつは明らかにつまらないだろう。春樹先生ですらも途中で挫折したんだぜ?それを愛読書だとかいうやつはどれだけ暇なやつなんだ?って話だ。あんなつまらない話に付き合うメンタリティってどんなもんだ。

 

そういうわけで何も買わないで帰った。虚しい一日だった。いや、普段も毎日今日みたいに虚しいんだ。でも目的があって外出してみてその目的が全く意味のないものだったと分かった時にむき出しになる地の虚しさはなんだろう、辛い物を食べたときに熱いものを飲むと辛く感じるような、なんでも虚しく感じるような下地にさらに虚しさを塗るような、虚しさの上塗りだよねそれって。

 

「もう一度、キリンを誘って動物園を襲撃してみたらどうかな?」

 

と僕は提案した。

 

「今すぐに?」

 

と象は聞き返した。

 

「うん。今すぐだよ。この危機的状況が続いている間にね、果たされなかったことを今果たすんだよ」

 

「よし!それだったら早速準備をしよう」

 

そういって象は口笛を吹くと、馬がやってきて象はその馬に乗って闇に消えていった。取り残された僕は極度の寒さで凍えながらも薪をかなり集めていたので、あとはファイヤーして暖まるだけで良かったので、寒さで死なずに済んだ。ファイヤーはFFではファイアと呼ばれる魔法の一種でっていうか魔法そのもので火を放つ。だからすぐに温まれるってもんだ。

 

MPさえ温存しておけば冷えることはない。薪をどう集めるかが問題だ。それについてはまた別の機械に話そうかな。誤字じゃなくて本当に機械だ。別のマシーンに話すってことだ。オポチュニティーじゃない。マシーンだ。だから俺はエレクトロが好きなのだ。

 

数日後、象から電話があった。象によると、象はキリンに詫びを入れて指の数本をキリンの前で切り落とした後に、土下座をして謝ったらしい。最初は相手にしなかったキリンも、象が「ならこれではどうか」と、別の指を口で噛み切ってキリンに見せたので、それで落とし前をつけたようだった。