行方不明の象を探して。その68。

4月。春はどこに行ってしまったのかというぐらい寒暖差が酷くて、3月はまだ真冬並みの寒さがあったと思うと、4月になったら一気に夏っぽい暑さになって、過ごしやすい気候なんてのはどっかに行ってしまったんじゃないかとオツベルさんは思っていた。そんなオツベルさんは縁側に座って庭を見ていた。

 

草木が目を出し始めた時期、桜の花はすでに散ってしまっている。庭の中央には大きな木がある。この木何の木と思いながらその木を基準に気功に勤しんでいるオツベルさんにとっては、その木はどんな木であれ気脈を司る重要な木だ。面白みのない木だが、オツベルさんはこの木を庭の亭主と呼んでいる。葉は肉付きの厚い細くとがったものである。深緑の葉である。

 

オツベルさんはオツベル流の達人で技を極めきっていた。武術は結局は天性によって左右される。凡才が十年修行してもそれなりの腕にはなるが、それ以上にはなれない、厚い壁が立ちはだかるのだ。もちろんその壁を血の出るような稽古でぶち破る者はいる。だがすぐそばにまた壁が待っている。その壁をぶち破ろうと精進するが、二枚、三枚の壁を破るのは困難である。

 

世に名人とか達人と言われる人たちも多い。そのような人たちには天性があったのだ。努力だけでは名人にはなれないのだ。天性があれば三年で極意に達する。オツベルさんはぼんやりと庭を眺めながら、これからのことを考えていた。技も極めつくしたし、お金は有り余るほどある。もうこの世でやりたいことは全てやってしまったとオツベルさんは思っていた。

 

オツベルさんは首を振って立ち上がった。オツベルさんには弟子がたくさんいるし、象もいる。やることがないということはないはずなのに、ただあまりに達成してしまったことが多すぎるので、オツベルさんはやり場のない憤りを感じていた。もっと精進せねば、と思えるような何かが欲しかった。

 

腰には少し長めの脇差があった。刃渡り一尺九寸である。廊下を渡ってオツベル道場に向かった。気合の声と道場の床を踏み鳴らす音が聞こえ始めた。打ち合っているのは木刀ではない。真剣である。木刀では組太刀の練習と形しかできない。木刀で打ち合っては相手を殺すことになる。だったらどの道、死ぬのだったら真剣を使うべきだというのはオツベル流の信念である。道場に入ると高弟のゴーシュが門弟に稽古をつけていた。高座に近いあたりにもう一人の高弟サンタマリアが座っていた。

 

高座と道場の床は段差がある。道場の左右には一列に畳が敷いてあった。古い剣の流派では剣だけではない、柔術や空手に似た白打というのもやる。そのときには畳を中央に集めてやるのだ。そのための畳だった。

 

オツベルさんは高座に腰を掛けて座った。そして門弟たちの稽古を見る。

 

「師匠、稽古なされますか」

 

とサンタマリアが言った。

 

「ああ、久しぶりだ、やってみよう」

 

サンタマリアが声をかけると、門弟たちは左右に散った。サンタマリアが刀を差しだした。オツベルさんは袴のもも立ちを取って、道場の中央に出た。

 

「やまなし、選んでくれ」

 

「クラムボン、相手せい」

 

と声をかけた。クラムボンが立ち上がった。ずんぐりした体つきの二十五、六の男である。彼は一礼して刀を正眼に構えた。オツベルさんも同じである。

 

「思い切って打ち込んでこ来い。遠慮したら死ぬ」

 

「やぁーっ」

 

と声をあげる。正眼から刀を振り上げながら、大きく一歩踏み込んでくる。だが振り下ろした真剣はオツベルさんの身体には届かず床を打った。オツベルさんの真剣の切っ先がクラムボンの額の目の前で止まった。

 

「いま一度、お願いします」

 

間合いというのがある。一歩踏み込んで刀を振れば相手の身体に刀が当たるという距離である。クラムボンが間合いに入っていなかったというのではない。十分に間合いに入っていた。それでなぜオツベルさんの身体に当たらないのか。クラムボンが動き始めてから、わずかにオツベルさんが間合いを外すのだ。だから刀は届かない。

 

胸の前をわずかに掠めるだけである。躱されたクラムボンの身体は前に崩れ隙だらけになる。ぎりぎり躱すのを「見切り」という。相手の刀をどこまで見切れるか、これが勝負の分かれ目になる。動き出したクラムボンは途中で動きを止めることはできない。

 

クラムボンは次に同じように打ち込んできた。とこまで叩くと面を打たれる。それを予測して中段のあたりに止めた。そこから突いてくるつもりだ。止まった時にクラムボンは刀を落としていた。オツベルさんに小手を打たれたのだ。

 

「痛い!」

 

と叫んだ。左手で右手首を押さえていた。クラムボンの右手首は切り落とされたのか。オツベルさんが一瞬で刀を木刀に持ち替えて、慈悲と共にクラムボンの右手首を打ったのか。それを読む解くカギがここにある。

 

それは二人の弟子の会話である。

 

「クラムボンは打たれたよ」

 

「クラムボンは隙だらけだったね」

 

「クラムボンは跳ねてたけど、オツベルさんにモロに躱されてたね」

 

「ああいうの見切りって言うらしいよ」

 

オツベルさんの刀は、上の方や横の方は青く暗く鋼のように見える。そのなめらかな刀身をつぶるぶ暗い泡が流れていく。FF10でティーダが持っていた剣のような感じかなー。

 

「クラムボンはやる気満々だったよ」

 

「クラムボンはそれでも隙だらけだったけどね」

 

「それならなぜクラムボンはオツベルさんと稽古をしようと思ったの」

 

「知らない」

 

オツベルさんの刀身のつぶつぶ泡が流れていく。それは揺れながら水銀のように光って、斜め上の方へ登って行った。中二病をこじらせた人間なら歓喜するような、絵にかいたようなファンタジックな刀身だ。ダークソウルシリーズよりもファンタジックだが、ドラゴンクエストほどアニメっぽくない。まさにファイナルファンタジーと呼ぶにふさわしい業物だった。

 

「クラムボンは死んだよ」

 

「クラムボンは右手首をオツベルさんの刀で切り落とされて失血死したよ」

 

「クラムボンは死んでしまったよ」

 

「殺されたよ」

 

「それならなぜ殺された」

 

弟子はもう一人の弟子の右側の脚の中の二本を平べったい頭にのせながら言った。

 

「わからない」

 

弟子の一人が慌てて下流の方に行きました。あ、その会話している弟子じゃなくて、道場の中にいる弟子の一人ってことね。

 

「クラムボンは笑ったよ」

 

「わらった」

 

にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように道場の中に降ってきました。空から降る光の網が、道場の中で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。オツベルさんの刀の泡や道場の隅っこにあるごみ箱からはまっすぐな影の棒が、斜めに道場の中に並んで立ちました。弟子の一人が今度はそこらじゅうの黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分が鉄色に変に底光りして

 

「これなら無敵だ」

 

と叫び、狂ったように喜んでいました。

 

オツベルさんは喚起している弟子に向かって一歩踏み出しました。そして左右の手を奔らせました。右手は柄へ。左手は鍔元へ。一瞬の動きでした。その瞬間、弟子はまだ歓喜していました。

 

「今まで散々世話になったなぁオツベルさんよぉ。でももうお前の時代は終わりだぜぇ。黄金の光が俺を選んだんだ。俺に怖いものなんて・・・」