行方不明の象を探して。その72。

でも現代では侠者になるために武芸の鍛錬を行っていても犯罪者予備軍扱いされてしまう。困っているのは市民なのに市民に通報される。市民のための武芸なのになぜ通報される?俺は全てを黒夫人から続く夕張経由のアップジョンから教わっている最中のハンマーに全てを集中させる。

 

このハンマーが世界を変える。この世の中に侠者はどれほどいるのだろうか?やはり日本のステレオタイプだと剣術という気がする。それでこそのサムライだ。でも俺はハンマーを選んだ。理由は好きだったから。鍛練が楽しいから。携帯に便利だから。小型なら暗器だから。俺の暗器好きは度を越している。

 

武器ほどじゃないけど本はいっぱい買っちゃったからね、もっとあるかと思ったら好きそうなのは大体もう買っちゃったからね、だから大切に。あーもう読むのが終わるって思うとやめてしまって最初から読むとか金がないわけじゃなくて読むのはいっぱいあるんだけどでも思ったよりないわけだから読み終わるのが嫌だから本を常に漂わせている感じ。

 

でもそれも全ては天命のためだ。天命のためという大義名分がありつつも趣味も兼ね備えているっていう便利なもんがハンマーとか暗器類だ。それに比べて最近のアサシンクリードの低迷っぷりはなんなんだ。なんでバイキングなんだ。あんなのただの戦争だろう。侠者が暗躍しなければ意味がない。

 

イッた後にズリネタを放り投げたりもうどうでもいいって思うような感じで放り投げるでしょう。で、またムラムラ来るとズリネタを取り出すわけでしょ。本も同じだよね。300百万ぐらいかな。トータルで。でも500円とかの本もあるわけだから相当な量よ。あといちいち買わなくても著作権切れてるやつとかネットで読めるからね。

 

あーあ、また終わるのか。任侠道って書くとヤクザっぽいから侠道と書くけど侠道は終わりがないからいいよ。身体を鍛えるとか武術の練習をするとか。でも好きな小説は終わっちゃうからな。読み終わると毎回葬式ムード。でも葬式で葬式ムードを味わったことはない。若い時は終わりなんて考えないもんだよ。音楽とか映画とかさ、ずーっと新しいものが作られ続けてそれにケチャップするのに大変だろう。

 

だから終わりがないもんかと思ってた。でも人生150年時代だろう。そんなに生きなきゃいけないんだったら他に何があるんだ?駆け抜けすぎてきた気がする。普通の人が受験だ勉強だ就職だ仕事だ家庭だってやってるときに俺は永遠に自分の世界でインナートリップを楽しんでいた。楽しみ過ぎた結果、全てをやり尽くしてしまった。だから今はその全てを再評価して別の目線で見るとかそういうのをやっていかないとやっていけない感じ。

 

そうなるともう公園は暗いときてる。外の温度とか季節とかも関係なくなるだろう。だろうってのは多分ねって意味じゃなくてだろう?って意味。分かるだろう?自分の世界に没入すると常に変性意識のまま狂った世界を彷徨い続けるのに慣れると普通の小説とか普通の生活が送れなくなるだろう?

 

狂ってるとは思ってない。俺の中では面白いって思うから読むんであってね、でも一般的には狂ってるとか難解とされたりするんだけどそんなことはない。全ては意識の問題だ。また夕方になった。でも俺は寝てるから分からない。夕方とかクソ食らえだ。あんな磁場がひしめいている時間帯にインナートリップなんてできないよ。全てが寝静まったときがいいんだよ。ノイズが少ないからキャッチしやすいだろ。ウェーブを。

 

場所は今日っていうか今だよ。今ここにしかないに決まってるさ。トリップはね。頭を切り替えるとかじゃなくてそこに入っちゃうんだよ。全く人と接点が生まれない時間に起きて人が動き出すあたりで寝る。大抵の人は動きたいと思って動いてないし嫌な仕事をやっているから日中の磁場が俺をダルくさせるわけだ。ノイズの正体の一つでもあるだろうね。

 

じゃああれだ、みんなやりたいことやってたら磁場は酷くないのか?ってのはそういう社会が訪れないと分からないから今はなんとも言えない。とりあえずだから夜起きて朝寝ればいいわけで。でもやり過ぎると頭が痛くなってくるのはなんか多分、脳の違う部分を使っているからなんだろうな。

 

出来とかって「しゅったい」って読むらしいけどルビ振るぐらいだったらもっと簡単な言い回しを使えばいいのに。そういう本は思いっきり段ボールの壁に投げつけることにしている。投擲の練習を続けていると投げる精度が高まるから適当にペットボトルを俺がいるあたりに投げておこうとかって思うと大体その辺に投げることができるようになる。

 

多分、球技ばっかやっている人間もそんな感じなんだろう。あと死ぬほどサッカーをやっている人間は足技が得意だろう。足が今、自分のどの辺にあるのか?みたいな感覚が研ぎ澄まされているというより現代人がフィジカルを使わなすぎるからだから転倒したりどっかに体をぶつけたり身体を使えてないんだよな。

 

騒音と言えば大体単調だからイアマフはかかせないだろう。耳が蒸れるけどね。ナムジュンパイクだったっけ?構成とか考え始めたら終わりだって言ってたの。ようは俺のやり方が合ってるんだって言ってくれそうな偉人の言葉に後押しされる形で俺は俺にゴーサインを出している。結局、自信がないからなんだろ?どうせ。

 

踊り場なんつっても誰も踊ってないし踊り場で誰かが踊ってるのを見たことが無い。特に日本の場合、クラブに行っても照れちゃって踊ることをしないマグロが多い。欧米の場合「フゥー!」とか言ってパリピがダンスするとかいうのがデフォで少しぐらいの陰キャならパリピ率が高いところで育てばそいつもパリピになったりするから陰キャだのパリピだのってのは相対的なことに過ぎない。

 

一緒に行きましょうよ。間宮夫人は不死身です。写真とか赤ちゃんの骨とかを使わないと倒せないんです。窓は開いていますからそこからどうぞ。ドアでもよろしくってよ。言い回しも言語に依存するだろう。よろしくってよ、を英語で言ったときの本当のニュアンスでよろしくってよって言いたくてもね、言語が邪魔で言えないんだ。

 

でも一応人間だから最低限の換気とかは必要だよ。頭痛がするっつって閉め切った部屋にいたら酸素とかの問題で頭痛になっているかもしれないだろ。いいよな、ヨーロッパとかの文学は。中庭があったりするから中庭で兄妹がどうのとかってこれもどうでもいい話だけど中庭っていう素材を使えるから気楽なもんだよな。俺ぐらいになると独房みたいな世界感だから独房から必死に色々なことを想像するしかないわけだ。でも嘘は書けない。中庭があった試しがないし中庭で遊んでいる兄妹なんて他人の兄弟でも見たことが無い。

 

親はその光景を見て「俺って幸せだなー」とかって思ってるだろうよ。でもこういうところで負けるつもりはないんだ。独房魂みたいな、オレゴン魂とかさ、ジョン・ウェインの映画がわけのわからない昭和テイストの邦画みたいな邦題をつけられるだろう?次はちゃんと?をつけてだろうのニュアンスを出すわけだが、独房魂って俺は言ったか?俺は言ったな。誰が言ったか?俺なのか誰なのか分からないけどそういうことの厳密性に悩むことの脳のメモリを割くぐらいなら頭でも勝ち割って脳のメモリを食べて増やせばいいんじゃないか?脳のメモリを。妄想のカーニバリズムだ。なんでもお祭りにしちゃえばいいだろう。血祭の祭り。