行方不明の象を探して。その73。

結果的に自分を追い込む結果になったな。インナートリップし過ぎたおかげで物語もゲームもエンタメも大体消費し尽くした。何かないか?と思って探してももう大体ないんだよ。まぁそりゃ新しいのはあるけどさ、消費の繰り返しだろう。だからもう自分でなんとかするしかなくなる。じゃあ自分が作ればいいんじゃん!みたいなクリエイティブで前向きなことでもなんでもない。もうこれしかないからやっている感じ。

 

じゃあこれすらも終わっちゃったら残りの100年ぐらいの人生どうするんだ?もうそれを考えるとカフェイン摂取し過ぎたときみたいな気分の悪さに襲われるから考えないようにしている。終わりたくねーな。散財にも限界があるよな。散財したつもりはないけどどうしても欲しいものを買い続けると大体5年から10年もあれば欲しいものなんて買いつくすことができる。

 

人生150年時代の中の5年や10年なんて大した時間じゃないだろう。30歳以降は大体の人生はただの惰性なんだから急いでいるとか時間がないとか150年時代にそんなに焦ってもしょうがないんだよ。浮き沈みを考えろ。必死に這い上がるのはいいけど這い上がった先には何もないぞ。あとはもう余生だ。

 

這い上がるというより150年あらゆる意味で豊かなままで生き続けるほうが重要だ。幼少期とか二十歳になるぐらいまでのを引いたとしても130年っていうか30歳以降惰性だったら120年は惰性で生きるんだからその120年を中だるみ無しに生きるわけだ。無理ゲー過ぎるだろう。絶対飽きるよな。たまに違うアバターとかキャラを選びたくなるだろう?1キャラしかいないゲームを永遠とやり続ける、それも120年同じゲームをやり続けるって大変だろ。

 

老後までにいくら貯めるとか今の老人を舐めるなよ。60歳とかになったところで特に元々そんなに身体が強靭だったりしなければほとんど中年の頃と変わらないんだよ。意外にも身体も頭も動きすぎるから老後の余生という感じがしない。150年時代だと最後の5年ぐらいが余生ってのがリアルだ。

 

60歳なんてまだ半分もいってないわけだからそもそものプランニングを考え直さなきゃいけない。プランニングとか無い俺みたいなタイプでも150年もクソゲー続けるのか・・・って思ってないと精神ヤラれるぞ。生き続けられる喜びよりも生きなきゃいけない苦痛のほうが大きくなるもんだよ。世界旅行したところでな、一個一個のテロとかに巻き込まれないレベルの治安の都市を死ぬほど味わっても10年か15年ぐらいで世界制覇できるわけだ。でも俺らは150年生きなきゃいけないわけだからそんなのも一瞬だ。

 

「一生のうちにやってみたいこと」みたいなので人生が終わるほど人生の長さは甘くない。長いんだ。とにかく。オペラとかに凝ってみたりさ、大体あんなもん何言ってるか分からないから最初は聞くだけだろう。でも聞きつくすともっと楽しもうとして対訳をじっくり読みながら楽しんだりするだろう。でもそれも3年続けばいいんじゃないか?半年で飽きるやつもいるし「やった!オペラって趣味を見つけた」と思って上がりみたいに思ってもダメだよ。

 

畜生!またパソコンの温度計が狂ってやがる。外が15度とかになっている。真冬だってのに!ガッデムだ!俺の仮説はあっているだろう。ネット経由じゃないんだよ。気温を測るやつのデータがOS経由で表示されてるんじゃなくてパソコン自体に温度計が内蔵されてるんだよ。だから室内の温度が表示されるわけだ。室内は暖房が効いているから20度は超えているはずだから15度ってことはないな。15度は微妙に寒いぞ。気温が15度でも日が照っていたら体感は温かいだろう。

 

暗器は古いだろう。例の届いたやつ。だからギター用のオイルを塗ったら木の匂いがした。鉄なのに。武器の練習をしているとゾクゾクする。武器の才能ってあるんだろうか。どうせ才能なんて相対的なもんだろう。なんでもまぁ相対的なんだけど。武器の才能なんて成立しない。社会的ニーズが無いから客観的に才能があっても社会的に有用とされないから才能とは認められない。

 

ピアノとか新体操だったら才能がどうのとかって認められるんだろう。結局は認められるかどうかに全てがかかっている。でも仮に全ての人間に何らかの才能があったとしたら才能がないって嘆いている人間も実は拳銃のトレーニングをしたら拳銃のエキスパートになるかもしれないし、ただここも問題だな。

 

拳銃の訓練をさせても「特に目立った才能のようなものは感じられない」とかってなるだろう。でも1000時間ぐらい練習させたら実は拳銃の才能があるどころか天才だったなんてことになる人間は少なからずいるだろう。ただ見つからないだけなんだな。多分。俺はそういう意味で良かった。ハンマーの才能があった。誰からも認められるような才能ではないけどないよりかはあったほうがいい。自己肯定感が強まるから。

 

トチ狂った性質を持つ小説が「複雑怪奇な心温まるストーリー」とか凡庸な説明をされているとそれだけで見向きもしなくなるだろう。複雑怪奇な心温まるストーリーって読みたい気もするけどそうでもないな。っていうかどういうストーリーか説明したまえよ。愛読書がプルーストっていうやつの頭をかち割りたい理由は色々あるだろうね。権威付けされたものってなんでも同じでさ、愛読書はニーチェですっつっても現代だったらアップデートされたもっと尖ったバージョンのニーチェみたいな思想を持っている人が書いた本とかがあるのにアカデミックな権威付けがされてないから愛読書としてはあまり語られないとかってのはニーチェって名前が独り歩きしてるんだよね。

 

普通のあれだよ、パパがさ、今日は家族旅行。奥さんが行きたがっていたなんたらのアクセサリー店と名物の肉うどん。思った以上のボリュームの肉うどんにテンションが上がる息子と奥さんっつって写真が貼ってある。これもまぁプルーストだよな。夏休みのつまらない話を異様なディティールで書いてもプルーストだ。でも誰も読まないでしょう。あとはまぁ身内とかね、パパが日記のためにつけているものをブログに乗っけてるっていうだけで文学的野心なんてないでしょう。

 

なんでパパの日記は愛読書というか愛読しているブログにならないのに愛読書はプルーストって言われ続ける人がいるの?最初は俺も春樹師匠をバカにしてましたよ。でも春樹師匠ってネタ的なことも含めて面白いじゃないですか?でも春樹師匠の作品を「あんなくだらねーおっさんのオナニーみたいな小説」とかって言い出したら歴史的にもっと酷いのに権威付けされてる小説って腐るほどありますよ。

 

はんだ付けってどのくらいくっつくのかな?電源が余ってないのとなんかそれだけやって終わってハンダ一生使わなそうだから買ってないんだよね。あ、使うのは暗器です。カスタマイズしたのはいいんだけど分解しちゃってつかなくなっちゃったところがあるからはんだ付けしようと思って。研ぐのはだいぶ上手くなりましたよ。で、研ぐことを究めようと思って研ぐことに関する本を買ってみたら研ぎの世界が奥深すぎてヤバ過ぎて無理だって思って諦めましたね。まぁちょっと先を尖らせるぐらいでいいわけだから。