行方不明の象を探して。その77。

僕の時計が常に秒単位まで正確に合わせされていることは全く知られていないが、その理由を知る連中は皆無だ。象の母親はグリーンのスーツを着て仕事に出かけた。その理由とはつまり今、僕が肺で息をしている理由と同じだ。一回にリビングとキッチンと主寝室二回に子供部屋と客間が一つキリンの差し押さえられた実家に比べると狭いが、それでも結構広い。

 

朝食はもう少し後にすることにして象は二回に上がり、自分の部屋に入った。弟の部屋からはゲームの音も鳴き声も聞こえてこない。まだ寝ているのだ。象は弟とあまり話さないが、仲が悪いというわけではない。ほんの数分前、僕は既にシャッター下りた商店街を全力疾走しながらただ今日はいつもよりマシな人生を送ろうと気分的に必死で、というかそもそも、アカシアの雨が止むとき、阿部薫のハーモニカが聞こえると思ったんだけど。

 

オツベルさんの家に行って、象は自分で「バイト」と呼んでいることを始めた。オツベルさんが飼っている象として振舞うことを象は自分の仕事だと考えていた。オツベルさんとすれ違ったときの象の内臓のうち一つが爆発したような感じがしてその場に崩れ落ちそうになってしまった。

 

なぜそんなにショックだったのかと言えば、象はその土曜日の昼下がりとてもイヤなタイプの客と調教プレイをしてきたばかりでとても沈んでいてそのまま家に帰るきにもなれずに何か気が晴れるような買い物をしようと思って青山を歩いていて、オツベルさんと運命的な出会いをした。

 

客との調教プレイはSMのようでSMではなくて、象の調教師になりたいと思っている人間に、言うことを聞かない頑固な象の演技をして、調教師に調教されるというプレイで、象は性的なものだとは考えていなかったが、調教師の大半は最終的にオーガズムに達して、象の顔面や脚にザーメンを放出していた。

 

作曲家で歌手で映画も作って時々は小説も書いたりしている剣豪ツベルさんは40を超えているはずで象の内臓を一つ爆破した後すぐに赤いスポーツカーに乗り込んで見えなくなってしまったけど、象はその赤い車が青信号の彼方に完全にきえてしまうまでまるで彼の残り香を嗅ぐようにじっと見つめ、とても気分が良くなっていることに気づいて、もし象がうちの母親ぐらいの歳だったらオツベルさんの歩行に手を合わせてたかもしれないと思っておかしくなった。

 

オツベルさんが出てきたイタリア料理店の横に宝石店があって象は入って行って、髭を生やしたスリーピースの店長が優しく微笑んでくれて何も言わないまま象の後にエンコすることになる指をじっと眺めて、これは象の指だと言った。宝石店に入ってから象はずーっとオツベルさんのことを考えていて頭の中にはオツベルさんの顔や音楽や絵が詰まっていたので、象の指と言われた時に、まるでその男が自分に話しかけてくれたような気がした。

 

象が高層ホテルの一室でさっきまで汗とか色々な粘々した液体を自分の身体から出しながら裸で調教されたイヤなタイプの客からもらった一万円札を出して眺めてみると、それはとても上質な紙でできていて、札としての出来は悪くない、言わば文句のない一品だった。金はただの情報だとか思い込みだと言う人がいるけど、お札ほどそのプレゼンスが強いものはないと思う。

 

それはただの「情報」なのではなく、お札という作品であり、それと同時に通貨であり情報であり観念でもある。そこまでの情報量を持った媒介というのはファンタジーに出てくる魔法の杖以外に思い浮かばない。

 

そんなことを考えていると象は40を超えた芸術家の一部になったような気がしてきて、シャワーを浴びてから30分も経っていたけど一物が屹立してくるのがわかった。象は基本ヘテロセクシャルであるが、人間にとって調教をする象の性別はあまり関係がないので、男性との関係を持つことも多くなって、ジェンダーという感覚が薄れてしまっていた。それはまさに人間が象を見たときに雄か雌かをパッと見で判断できないように、または、そんなことを気にしないように、象も人間に対して相手が男か女かということを気にしないようになっていた。

 

しかし、このところは女性としか調教されていないから、どうにも違和感があった。そして女性に調教されるときでも「僕」を「あたし」にしていることが多い。これは、性器や肛門を使わないSMプレイの場合、「僕」を使うよりも「あたし」を使ったほうが、相手の反応がいいからである。

 

しかし、今日のように、男に調教されているという感覚でいるときには、やはり象は象でありたいと思った。そうでなければ、本当に男に調教されているのと変わりがないからだ。象にとっての本当の悪夢は、ホテルの一室で調教プレイをすることではなく、その調教プレイが、あたかもサーカスで調教される象のように、本物の調教のようになってしまうことだった。

 

だから象は、今日だけは自分のことを「象」と呼んだ。「僕」も「僕」も使わずに、ただ「パオーン」と言い続けたのだ。すると不思議なことに、次第に自分の中に入っている男が、「僕」ではなく「パオーン」であるような気がしてきた。

 

もちろん錯覚だ。それは分かっている。だが錯覚というのは、一種の催眠術のようなものでもある。だから、それが本当だと思い込めば、本当になるかもしれない。少なくとも、自分の中の男は、「僕」ではなく「象」なのだと思い込むことができた。

 

ザーメンが染みついた三枚のマン札を頭金にして、下北沢の骨董屋に足を運んだ。その骨董屋には昔に製造された蓄音機があって、そこで聴かせてくれるSPレコードの音は素晴らしい。横から出ているレバーをグルグル回してぜんまいを撒いて演奏する蓄音機は電気を使っていない。現代の動物が春から秋にかけて子供を産むことは知られていないが、蓄音機にレコードを滑り込ませ、 階段を駆け上がり、 既にホームに入って来ていた列車に飛び込むと象の重みで車体が揺れる。その背後で音をたててドアが閉じる。

 

そして今、 閉じたドアに背をあずけて、ようやく息を整えているというワケだ。〇〇〇〇だと象は思った。この〇〇〇〇はYHVHと同じぐらい言葉に出すのを憚れるワードである。検閲するしかない。

 

象は

 

「これだ!」

 

と前から思っていた。「象!いつまでゲームなんかしてるの」母さんの声だ。象、ため息をつきながらファミコンのスイッチに手を伸ばす。つまりこれが象の時計が首にヘビーな負荷を与える正確な理由なのである。象の仕事は……まあ、いいか。これだって、得意になって説明するような仕事じゃない。

 

けれど、一日の疲れを引きずって数キロの道のりを歩く事を考えると、終電の時間を気にしながらグララァガァするほうがマシ、というワケ。ともあれ、 今夜は間に合った。明日がどうかは、わからないけど、それ言い出したら明日死んでるかもしれないわけで。