皮延ばし症候群。

mimisemi2007-06-23

テストがある割に数学の準備をさっぱり出来ないってのは前にも書いたんだがさ、一応数学の本買ってきたっつーのも書いたと思うんだけど、この本を読んでて気がついたのが自分が予想していた以上に数学というか算数が出来ていなくて、もうこりゃダメだって感じで絶望的な気分になったんだけど、まぁあれね、得意の皮延ばし症候群を活用してテストの日程をだいぶ先に変えたのね。で、ホント、自分で自分の事をダメだなって思うのが、予想してなかった先延ばしに成功して、すげー安堵してる俺がいるの。「あーゆっくりできるなぁー」みたいな。ホント、ダメ人間だよね。俺。今日もゆっくりとロボット大戦をクリアしたからね。これでADJRの四作を3週間ぐらいでクリアした俺が怖い。ここまでハマれるのも怖いし、OGを始めている俺も怖い。それにしてもロボット大戦をやってて思うのが、ホント日本的なあの人のために死ぬっていうのが多いよね。「俺がやらなきゃダメなんだ!」っつって死ぬ覚悟で相手に挑んだ結果、まぁ打ち落とされたり、仲間の命を救うために犠牲になったりとかさ、多いよね。主人公もお決まりの如く最後は死のうとするし、凄く日本的よね。個人主義・自分勝手主義アメリカには無い発想だわ。でもさ、なんかあれね、考えすぎかもしれないけど特にRは凄く政治的なメッセージが込められてたね。もう相手を滅ぼしたいんで手段を選ばない帝国みたいなさ、で、主人公側が核ミサイルを打ち落とすとかさ、「こんなものがあるから戦争が終わらないんだー!」とかいいつつ核ミサイルを打ち落とすキャラクターとか、凄く反戦的なメッセージがあるよね。いや、凄くいいなって思ったわけ。ゲームに政治的なプロパガンダを込めるべきではないけど、道徳観とか倫理観とか平和ってのは込めてもいいよね。これが凄まじいのが宮崎駿の作品群なわけだけど、宮崎駿の作品を見て育ったはずの日本人の若い世代がなぜ左翼的にならないのかが不思議なんだけどまぁいいや。FFなんかも徹底して帝国に向かうレジスタンスの話だし、これま前にも書いたけど日本のゲームってさ、良いメッセージ性持ってるゲームが多かったわけ。もちろん近年のキャラモノに走ってるのは別としてよ。真・女神転生なんてさ、メシア教の原理主義者とガイア教の原理主義者が宗教戦争をやってるみたいな話だしさ、もっとこういうドープなのを出してほしいよね。もうペルソナ3とか見ると同じ会社だとは思えないわけ。もしくはユーザー側がメッセージ的なのを受け取ってないのかもね。ただのゲームとして消費してる人が多そうだもんね。特にFF6なんて凄くいいと思うんだけどな。あの露骨な帝国とレジスタンスの関係とかね。そういえばレジスタンスの最たるものがタクティクスオウガね。もうこれほど好きなゲームは無いね。もちろんストーリーね。ファイヤーエムブレムなんかも背景にややこしいストーリーがあったりするんだけど、タクティクスオウガのストーリーは物凄くリアリスティックで、あれを現代劇に置き換えても全然イケるような内容なのよ。でさ、主人公が「僕は革命のためなら死ねる!」とかいうシーンがあるんだけどもうホント感動モノだね。これは。SFCでやってPSでもやったからね。これ。ただまぁすげー時間のかかるゲームなんだけどね。やっぱでもこういう部分で熱くなれない日本人ってはやっぱ平和ボケしてるんだろうなーとは思うけどね。そこまで切実な問題でもないって感じなんだろうな。ガンダムなんかも政治的に物凄いからね。マジで。もう深すぎ。一番ノンポリ臭い日本なんだけど、アニメとかゲームは何気に世界一政治的に熱いわけよ。他の国見ても無いと思うよ。ここまで凄いのって。あとそうそう、いつも書くけどさ、FCのスウィートホームみたいなテイストのRPG出してほしいよね。ああいう本質的に優れてて雰囲気のあるゲームって本当に少なくなったよね。映像や音の進歩とは逆行するかのごとく、こういう部分の質が下がってる。っていつもこればっか書いてるから深くは書かないけど、なんかあれなんだよね、ゲームってのが一般化しすぎたのかもね。もう全体的にライトユーザー向けのしか無いでしょ。で、ヘビーユーザーみたいな例えば俺みたいなやつは潜在的にいるんだけど、クソライトユーザーどものおかげでマイノリティになっちゃってて、軸がライトユーザーになっちゃってるのね。前にも書いたけど、Amazonのレビューでさ、殺したくなるような文を書いてるやつがいて、「自分は会社員だからこんな時間のかかるゲームは出来ないけど、学生とかフリーターならやれるかもね。ただもっと時間の無い人にも考慮しして欲しい」とか書いてるやつがいたのを見たことがあって、まぁこいつなんてのは正真正銘のサイコパスで元ニートが4流企業に運良く入れていい気になってるんだろうなとは思ったけど、このクズはともかく、こういう変な意見もともかくとして、時間が無い人のことも考えて欲しいという意見は割と一般的にもありそうだなとは思ったわけ。こいつなんかは近々その愚かさから死ぬだろうからどうでもいいんだけど、確かにライトユーザーってさ、例えば週末のちょっと空いた時間にゲームやるとかさ、ゲームがカジュアルなのよね。ヘビーユーザーって発売日から二日ぐらいでクリアしたりとかさ、まぁこれも狂ってるっつっちゃー狂ってるんだけど、こういう人って少数だよね。別に2日でクリアすることがヘビーユーザーってわけでもないんだけど、発売日の2日後にクリアしてるような人を基準にゲーム作ってたら、普通の人はそんなもんについていけないよなーとかは思うわけね。基本的に何らかのもののメジャー化ってこういう問題を常にはらんでるよね。コアな部分がどんどんそがれていくんで、どんどん薄っぺらくなったりだとか、深さが無くなったりとかね。まぁこんなことを書く前にまず数学の勉強しなきゃいけないんだどね。俺は。ホントさ、俺って何気に情報中毒みたいになってて、とりあえず気になることがあったらネットで調べて、もうずーっとそればっかになるとかさ、ゲームもPCでやるし、曲もPCで作ったりするんで、丸一日PCに向かってたりする日が少なくないわけね。向かってないときといえば本を読んでるときぐらいで、映画なんかもPCで見るし、なんかダメだね。マジで。ところでネットの情報ってのをさ、胡散臭いものとして言う人がいるけど、逆にこういう人ってさっぱりネットやらないんだなって思っちゃうわけね。それって知らないから言えるんだよね。なんで多くの人がネット中毒になるのかっていうと、昔みたいな胡散臭い情報だけじゃなく、ちゃんとした情報もほぼネットで調べられるようになってて、ようは常に図書館にアクセスしてるみたいな状態なんだよね。で、そのアーカイブってのがエロ画像・エロ動画・ゴシップ・テレビ番組の動画からアカデミックな情報から健康情報からファッションからニュースから・・・・マジで雑誌いらずテレビいらずAVいらずでしょ。そりゃー中毒になるよなー。今後よりネットの情報が洗練されてきたら、今以上に中毒者は増えるだろうね。今ってさ、昔みたいな「でもそれってネットの情報でしょ?」みたいな批判できなくなってるでしょ。逆にそんな批判する人ってのが無知で恥ずかしい感じだもんね。ネットの情報っつったって新聞社もあれば独立したメディアもあれば個人の情報もあればって感じで、情報を選別できる能力さえあれば
万能ツールだもんね。はっきりいってテレビなんかよりよっぽど有用で信頼性があるでしょ。もちろん情報の見分けさえつけばだけどね。だから今後ってこういうメディアリテラシーのある人と無い人の差がどんどん激しくなってくると思うんだよね。その差ってのがさ、リテラシーのある側も昔はある程度、他の人と同じ情報量の中で情報を選別していた人って感じだったんだけど、今って自分から情報にアクセスできるでしょ。だからリテラシーのある人ってのは最小限の時間で本質的な情報を集められるわけで、無駄な広告やらテレビのセンセーショナリズムに付き合うことなく情報に接することができるわけ。で、無い人ってのはずーっとパッシブなわけ。与えられた情報ばっかで、基本的に従来の雑誌だとかテレビってのを情報源としているんだけど、本人達は情報源という意識なく、ただそれに身を寄せることで垂れ流しになっている情報を受け取っているだけなんだよね。これってメディアリテラシーの無い人の特徴の一つしょ。まぁ7割〜8割ぐらいそうなんじゃない?とか思うことが多々あるけど。こんだけネットの情報というのがピンキリまである時代にまだ週刊誌とかゴシップ雑誌がやっていけてるってことは需要が全然余裕であるってことだよね。ほかのくだらない雑誌とか新聞も含めて全然やっていけているような感じを見ると、それを受け取っている側のレベルの低さに愕然とするけどね。

そういえば最近、日本人は遺伝的にセロトニン欠乏症の人が欧米に比べて多く、民族的に考えても不安やプレッシャーを感じやすい人が多いということになり、それが社会構造の反映になっているかもしれないなんていう文を読んだんだけど、確かに言われて見れば納得。例えばアメリカってのはセロトニンたっぷりの人が多いんで、リスクを背負ってでも誰もやっていないことを始めたり、他にも人前で話すみたいなこととか、ようは日本人がいかにも苦手そうなことを平気でやってしまうのは、このセロトニンも多く関係しているのではないか?ということなんだけど、すげー納得だったのが、今、大学に入るための書類を用意してて、その中に他の大学と比べると相当厳しい書類の要求があって、例えば銀行との過去のやりとりを証明する書類が必要だとか、所有物件の価値を証明する書類が必要だとか、色々書かれてるんだけど、「これらは一体何なんだ?両親も困っている」というようなことを大学のオフィスに言いに行ったらオフィスの人間が「お前どっから来たんだ?日本だろ?そう思ったよ。だって同じような質問をしてきた日本人がいたんだよ」なんて言うわけよ。ようはあっちとしてはそんなの気にしないで大体の書類をそろえればいいのに、なんで紙面上で書かれているすべてのことに関して心配して用意をしようと思うんだろう日本人ってやつはって思ったんだろうね。セロトニンの多いアメリカ人だったら、残高証明と給料の証明だけを提出すればなんとかなるだろうとか思って、気にせずに提出するのかもしれないね。この件について親から相当言われたんだよね。「何でお前も書類に関して全部把握してないんだ?そんなの事前に全てを確認しておけ」みたいなことを言われたんだけど、すげー日本とアメリカの温度差を感じたわけ。アメリカでは「べーつにいいじゃん、必要なものだけそろえればいいんだからー」みたいな感じで、まぁ結局、書面に書かれている面倒な書類の提出とは裏腹に実際は残高と給料証明だけでいいという話だったんだけど、一方で典型的な日本人のリアクションを表しているうちの両親は「全てを確認しておけ」ってことなわけ。ようは記入漏れがあって大学に入れなかったら一大事だから・・・という不安ベースで物事を動かしているのが日本人というか、今の俺と家族の状況で、アメリカンウェイだと、こんだけありゃ十分だろっていうラフな感じで、ようは入れないなんていうことを想定しないわけ。何か言われてもその場で凌げばいいとか、簡単に思ってるのかもね。こういったところが日本人にはアメリカ人が大雑把に見えるし、アメリカ人にとっては細かいことをイチイチ気にしすぎってことになるんだろう。でも思えば俺にとっても不安だとか鬱だとかプレッシャーってことに関しては死活問題で、ましてやうちの両親も典型的なセロトニン欠乏症ときたもんだから、アメリカ人のあの良く言えばでかく構えている態度、悪く言えば大雑把なところが凄く魅力的に思えるんだよね。彼らみたいな考えとか振る舞いが出来たら人生もっと楽で楽しいだろうなって思っちゃうわけ。で、アメリカ人が基本的に社交的っつーか知らない人とも普通の話せるっていうのにも納得なのはまぁもちろん過去からの文化もあるんだけど、知らない人に話しかけることに躊躇するみたいな不安感を感じにくいからあんだけ他人との距離が無いのかもしれない。とはいってもアメリカでは特に都市部では人間関係のドライ化が顕著である、例えばニューヨークの地下鉄では他人をいないものとして考えて振舞う・・・みたいなことが書いてあるエッセイとかがあるんだけど、ドライの超大国日本から来た俺としてはさっぱりそんなことは感じない。都市部はドライといっても日本のドライ加減に比べたら全然ドライじゃない。ってことでこういう文化的な部分と遺伝的な部分の両方が合わさって、日本とアメリカではここまでの差が出るわけね。日本人は基本的に不安ベースなんで、例えば目立つことを嫌うとか、他人と同調して安心しようとするだとか、何事も事前に備えておいて憂いを避けるとか、まさにそういうことが社会構造にも現れていて、一方でアメリカでは細かいことが嫌いなんで大雑把にドーンとやってしまうとか、事前に細かいことを考えて不安になるということがなく、考えるよりまずやる!みたいな、それこそDIYの精神をそのまま体現したような行動が素でとれてしまうのかもしれない。日本人が常に何かを怖がっていて群れることが好きな人種だとしたら、アメリカ人は不安を感じずに自分で自分の道を切り開いていく人種なわけで、これが共同体的な社会の日本と、個人主義的な社会のアメリカってことになりそうな気がするね。これは遺伝的な要素も関係していたということね。なんとなく話の筋が通るよね。逆にアメリカ的社会を日本人でやれと言われても、恐らくその日本人の気質から馴染めなくて、結果的にまた共同体的な日本社会に戻っちゃうし、アメリカで日本みたいな構築されきったルールばっかりの社会でやれと言われたら暴動でも起きるに違いない。日本でいくら不満があっても暴動が起きなくてフランスではしょっちゅう暴動があるというのもなんというか民族的な差があるのかもしれないね。日本って「いや、でも他の人のことも考えなきゃいけないから・・・」とか自分より他人とかその状況なのよね。アメリカの場合、自分がやりたいからやるとか、言いたいから言うとかでしょ。でも日本の場合、他人の出方とか何を考えているかとか自分がどう思われるのかとかってことに常に不安になってるんで、なんだか円滑じゃないややこしい人間関係が生まれてくるのかもしれない。アメリカ人みたいに言いたいことを言い合うということが出来ない人が多いんだろうね。特にこういった部分は俺はアメリカンウェイに憧れを持つんだよね。シンプルで分かりやすい人間関係で大いに結構じゃんっていう。フランクなのに越したことないなっていう。ただ日本の場合、常に相手のことを察するとか状況を考えるとか、フランクじゃないんだよね。俺はそれを物凄くジメジメした陰気な人間関係のように思えて凄く嫌なのよね。今でも不思議なことに例えばクイーンズにある恐らく移民経営のスーパーとかスターバックスでもなんでもいいんだけど、そういうところにいるときは普通なんだけど、日系のスーパーに行くと途端に他人の目線とか、自分の振舞い方とかに相当気を使うようになるのね。で、すげー居心地が悪いの。前にもグリニッチヴィレッジの設楽がいる日系のラーメン屋みたいなところで感じた凄く窮屈な感じっていうのと一緒ね。で、俺みたいなセロトニンが欠乏している人間でも、社会が他人のことなんて気にしなくていい個人主義だと、無駄なところに不安を感じることが無くなって(例えばアバウトな書類処理などに関しても)結果的に日常であまり鬱とか不安とかプレッシャーを感じなくなって生活しやすいってことになってるんだと思うんだけどね。少なくともこっちのほうがいいっつって生活してる人ってこういうところに自明か、なんとなくこっちのほうが窮屈じゃないっていう人が多いと思うんだよね。何しろアメリカと日本の差ってのが凄いからね。だから俺が思うに遺伝的にそうであっても環境次第ではいくらでも変えられるんじゃないかな?って思うわけ。ようは他人と普通に話せるとか、ネチネチした人間関係を求めず、フランクでいるとか、そういったことが定着しきった社会であれば、仮に日本人であってもその社会でやっていける可能性はあると思うんだよね。さっき書いたことと矛盾するけど、ようは今からいきなりアメリカ型の社会になりますってやるのと、過去からの積み重ねで徐々に定着してきたものとではだいぶ違うわけで、ジワジワと変わっていけば全然いけると思うんだよね。だから古い人間関係とか古い社会構造を保とうとする保守的な人間が消えていって、日本社会の良い部分を活かしながらどんどん進歩的にやっていく人が増えれば社会って変わるし、結果的にそれが良い社会であれば最高だよね。こっちでもそうなんだけど、一部を除いて、イマイチ付き合いづらい日本人って多いんだよね。っつーのも俺の性格が典型的な日本人との付き合いに向いてないのかもしれない。だからあれなんだよ、学校でもさ、まぁ英語学校だけど大抵のアジア人って自分の国の連中かアジア系とつるむことが多いんだけど、俺はアジア系に居心地の悪さを感じることが多いんで、前に書いたような仲の良いコロンビア人とかポーランドの女の子とか、そういう人間と良く話すのかもしれない。ポーランドの女の子って姫じゃないからね。ようは大雑把に分けるとラテンとかヨーロッパとかの欧米系のコミュニケーション方法を持ってる連中と、アジア系のコミュニケーションを持っている連中とでは、明らかに欧米系と話すことが多いってことになるわけ。話すっつーか話してて窮屈じゃないっていうね。もちろん日本人でも話しやすい人とかよく話す人はいるけどはっきりいってティピカルな日本人じゃない人が多いわけね。ってとこでなんか納得したね。自分の中で。アジア系っつってもまぁ台湾人とか韓国人になるとようは伝達手段が英語になるんで、また違うんだよね。ただ俺の第一言語である日本語を使って話す日本人というところに問題があるのかもしれない。だから日本語を話す台湾人とかだったら人間関係は極めて日本人のそれと似てくるわけ。まぁ仮にそうだとしてもこの台湾人は日本人と比べても見劣りしないぐらいの日本語が必要だけどね。このことからも分かるように逆に俺がアメリカ人に比べても見劣りしないぐらいの英語力とアメリカンなコミュニケーション手段を身につければ、俺が仮に出した日本語をパーフェクトに使いこなす台湾人だったら日本人とのコミュニケーションと変わらないだろうっていうのと一緒のことで、アメリカ人が俺と話しててアメリカ人同士で話している感覚になるってのが理想なわけね。やっぱ言語の本質的なところってここだと思うわけ。台湾人なんだけど日本語ペラペラで、会話の仕方とか間とかが全く日本人のそれと同じなんで日本人と話している印象しか受けないというのは、この台湾人の日本語が文法や語彙だけではない言語としての日本が完璧ってことになるわけでしょ。だから英語をコミュニケーション手段として考える場合、やっぱこの例えに出した台湾人みたいに話せるようになるのが一番言い訳ね。あ、別にこの台湾人って例えで実在する人物ではないんだけどね。英語学校でアジア系と欧米系がズバっと分かれるのって見た目もあるけど、コミュニケーションのやり方も相当大きいと思うね。それにしても前のホームステイでのルームメイトのロジャーとは人生を振り返っても滅多に無いぐらい親密で何もかも話し合えたすげーやつだったなとか今更思うんだけど、この本質的な近さってなるとやっぱ俺もアジアなんでアジア人同士のほうが本当に話し合えるのかなとは思うんだけどね。まぁアメリカ人と喋る機会ってあんまり無いんで、まぁ今後は色々出会いがあるかもしれないけど、よく言うのは、アメリカ人の場合、友達はすぐできるけどすぐいなくなるとかっていうまぁ深い付き合いが出来るやつが少ないっていうね。で、すぐ友達は出来ないんだけど、友達になるととことん深いところで付き合えるというのが日本人っていうね。ここはやっぱもう気質とかコミュニケーションのやり方とかになってくるんだろうけどね。まぁー深いなー。ほんとに。こうやってロボット大戦をじっくりやれるぐらいの時間の余裕があると、こうやって色々考えることが出来て、まぁ無駄じゃないんだよね。意外と。スパロボやりながら人生についてとか死についてとか運命についてとか考えたりもするからね。結局、常に頭の中に考え事がいくつかあって、スパロボの中の何気ないキャラクターのセリフとかイベントがその考えことに引っかかって、これがきっかけで考え事が始まるとか、久しく考えてなかったことを思い出すとか、まぁゲームっつってもあれなんだよね、ホント、小説とかと同じだと思うわけね。ゲームにもよるんだけど、役割をロールプレイングするだとか、物語を体験するとかっていう意味ではホント、小説のそれと同じだと思うわけね。ってことでゲームばっかやってると頭が悪くなるとかいう意見には全く同調できないんだけど。だったら小説ばっか読んでても頭が悪くなるってことになるけど、誰もそんなこと言わないもんね。

あー長くなったなー。今日こそは数学をやろうと思ったのに、中途半端な時間に書き出したもんだからもう朝になっちまった。夜から夜中ってのが俺の限られたビンビン時間で昼ぐらいに起きてから夜までの気分って大抵最悪なのね。すげーグルーミーなわけ。典型的な鬱の人みたいな気分のサイクルなんだけど、まぁそれは俺が日本人だからでしょう。まぁいいや。またね。

あ、そうそう。ネバスペの第二弾を作ったんでアップップしました。感謝は一度では表せなかったので。

http://mushroom.cage.to/mp3/mathematics_made_simple.mp3

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