ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

来年のディレクションがすでに決定した感じで。

ヴィクトール・フランクルとエーリッヒ・フロムの本なんかを読んでてっていうかまぁ空虚さとかニヒリズムみたいなのをキーワードに色々読んでるんだけど思えば読書ってちょうど去年の年末ぐらいに保田師匠の全集を買ったりなんかしてめっちゃ本を読んでた時期でんでそっからなぜか虚空のモンハンになってヤバくなってそっからギターみたいな流れがあったんだけど保田師匠の全集は気になるトピックスのやつは大体読んであとまぁ興味ないことはないんだけど詩の話とかまぁ文学の話とかそりゃ全集だから色々あるわけなんだけど読んでないまま積読になってたんだよね。

 

まぁそっからギターメインになって本自体読むことが無くなったっつーかギター一色になってんでまぁ今改めて読書メインの生活になってみるとやっぱり馴染みが違うよね。まぁギターもやってるけど自分にとって読書の時間ってのがいかに重要っていうか生活の根幹を成しているかっていうのを再確認したっていうかまぁただ当然読んでるだけじゃダメで今はまぁ例の空虚感っていうのをディグるって感じであくまでそれありきの読書なわけでただ読んでればいいって話じゃないんだけどなんかまぁ長年の習慣っていう意味だと馴染むのは当然かなっていう。

 

まぁ広がりですよね。別に実存について考えるとか空虚さについて考えるっつーことでそれがそのまま実存哲学研究になったりする必要はないんだけどっていう意味でも関係ないんですよね。空虚さとか実存に必然的についてくる虚しさっていうかエンプティな感じは何なのか?っていうよりかはそれがもう発生しているっていう意味である意味で自己解決してるんだけど問わずにはいられないっていうところで自分で考えるのもいいんだけどそれをキーワードに色々と本を読んでみると面白いっていうか例えばまぁ実存哲学についてとかだって例えば空虚さについて述べているような箇所なんて全体から見れば一部だったりするんだけど一見空虚さとは関係なさそうな話でもようは自分のマインドのawarenessっつーのがそういうところに向かっているっていうかそういう志向になってるからそういう風に読むようになるよね。

 

別にまぁそれはなんでもいいんですよ。ありがちな迷いとかなんとかでもいいし結局まぁ宗教なんてのもそういう空虚さを埋めるためにあるような誤魔化しでしょ?っていうのが今までの俺の考えだったんだけどカール・バルトみたいな同時代だったかはともかくニーチェとかキルケゴールとか散々読んだ後にも神学を展開させるっていうその神学に依拠する感じっつーのかな。まぁ一つのイデオロギーではあるんだけどそんなのただのイデオロギーでしょって片付けるのは簡単でまぁ実際読んでみないと分からないですよね。

 

分からん、Church Dogmaticsの全巻を輸入したのが三年前ぐらいでんでまぁそっから当時のウォール伝読み返してみるとその後ドラクエとかにハマってなんかまぁ色々あったみたいなんだけどなんかまぁそっから断絶してるっつーかやってないんだよね。多分当時なぜかバルトを読んでみようっていうモチベーションがあったんだけどまぁなんか色々あってどうでもよくなったっていう感じでんでまぁ三年越しにようやく読もうっていうかそういえば買った割に読んでないなって本って多いじゃないですか?

 

いつも自分に問うのがやり尽くしたとかいっておきながら面倒だったり大変すぎてやってないのって結構あるでしょ?って思う中でバルトなんてぶっちゃけちょっと関連の本読んだだけで全然手を付けてないからね。まぁただなんつーのかな、いきなりそこで宗教的な苦しみとか原罪みたいな概念に洗脳されるみたいなことはないけどようはまぁ哲学として読むってことだよね。んでまぁそれで言うとマイスター・エックハルトって最近言及してるけどこれはフロムがよく引用するんで気になって調べたらまぁ面白そうでそこでまぁなんつーのかな、主にアクィナスだけど中世のスコラ哲学みたいなのとかもあまりにどうでもよすぎてっていうか重要視してなくて読んでなかったんだけど色々読んでみようかなっていう風にはなってるんだよね。

 

なんかさ、あのあたりのプラトンとかは宗教とかと親和性があったからネオプラトニズムみたいな感じで色々と継承されてたんだけど神学と相性が悪かったりするアリストテレスの哲学はあんまり知られてなかったっつーのがうろ覚えだけどローマだかなんかとにかくイスラム圏とかに侵略したときに副産物としてアリストテレス哲学が入ってきたんだよね。んでまぁアリストテレスプチブームみたいになったとかなんで読んだか忘れたけどなんかまぁそういう当時の流れとかも面白いから読んでみようかなってなってるんだよね。

 

まぁもうすでに注文してて大量に本が届くんだけどあとまぁあれですよね、聖書だよね。あんなの読む気しないけどなんとか読めないかな?と思って調べてたらAudibleで98時間ぐらいのなんかサウンドエフェクトとかが入ったようなオーディオドラマみたいになってるやつがあってそれ買ったんだよねっていうか定価高くても1クレジットで買えちゃうからね。まぁそれをマジで聴くのか?って話だけど聖書とかってやっぱまぁなんかプリンシパルじゃん?それ読んでないと分からない西洋的な感じってやっぱりあるわけでしょ。

 

ってのがこないだも書いたと思うけどニーチェとかキルケゴールとかにしても基本聖書みたいなのがベースにあるっつーかまぁアメリカいたときも普通に人によるんだけどバイブルにこんな風に書いてあるでしょとかって普通に会話に出てきたりするんだよね。でもまぁそんなの知らねーよって感じだしそもそも関係ないからね。ただまぁ歴史を知るうえで避けて通れないっていうかやっぱりまぁ色々なものの理解は深まるだろうなって気はするんだよね。あとまぁ放置になってたものとしてはイスラム教となんでコーランがあんな暴力的なテロ思想になるのか?っていうようなところの研究だよね。これもやろうと思ってやってなかったんだけど今ちょうど神学を基礎からやろうと思ってるからその流れで出来たらいいかなと思ってるのね。

 

まぁそれで言うとキリスト教とかも同じだよね。聞きかじりっていうかちょっと知ってるのだと隣人愛とか敵を愛せとか言ってる割に十字軍やらアメリカの田舎者やらろくでもないやつばっかりっていうイメージがあるじゃん?あとまぁ教会っつーとファーザーがショタっ子をいじってるとかろくでもないイメージばっかで(笑)まぁ偏ってはいるけどなんであんなに影響力があるプリンシパルになるような経典がありながらバカなやつらに曲解されたりろくでもない結果になってるのか?っていうところも気になるよね。

 

哲学とかに関してもそれを言えばアホ臭い読解とかってのもあるけど基本哲学になるとそこそこ頭が良くないと読もうと思わないけど聖書の場合、家柄とかで無理やり読まされたりするから変な誤読みたいなのがデフォになったりするのかな?とかさ、あとまぁ何派何派で別れて内ゲバみたいになるとか歴史的にも色々あるよね。まぁざっくり言えば宗教学ってことになるんだけどまず思想としてのカール・バルトってのをちゃんとやりたくてんでまぁまずはクリスチャンの神学を基礎からやりながら宗教学なんかもやっていけたらなとかって思ったんだけど虚しさからの広がりが半端じゃないよね(笑)

 

まぁ契機はなんでもいいんですよね。まぁこんだけ広がるとは自分でも思ってなかったんだけどあとまぁずーっと本を読んでなかった反動ってのもあるかもしれないけどね。ただまぁいつもみたいな感じで一時すげー燃えて燃え尽きるみたいな感じにならないように持続してやっていければいいかなって思ってるよね。なんかいつもそうだけど年末になるとテーマ見つかるよね(笑)大体もうやべーよ超つまんねーよっつー限界状況でなんか見つかるっていうね。

 

去年は保田師匠だったり弓道だったりって弓道は一昨年だっけ?まぁ分からんけどまぁそんな感じですわ。ただまぁヴィクトール・フランクルが書いてた事例ですげー面白いのがあってまぁ下手すりゃただのスピ思想なんだけどなんだったかなんか店やってる家なんだったか忘れたけど強盗が入ったんよね。

 

んでそれに気づいた奥さんが旦那さんの名前を呼んだってのが犯人たちに聴こえてカーテンで見えなかったんだけど強盗がそれで逃げたっつーんだけど実は奥さんの旦那さんってのは二週間前に亡くなっていて奥さんが呼んだ旦那さんってのはようは神への祈りだったっていうようは神様助けて!っていうとなんかアレだけどそういうつもりで助けて!って言ったのがまぁそういう強盗が逃げて行ったっていう結果になったっていうのをどう解釈するか?っていうところなんだよねーみたいなのをヴィクトール・フランクルが書いてて別にフランクル自体は特定の宗教にめちゃめちゃのめり込んでるってわけじゃないんだけど何しろフランクルってまず経験が半端じゃないからねっていうところから言うとヤスパースとかあの世代の哲学者ってリアルでナチスがどうのとか処刑寸前だったとかっていう経験があったりして今みたいな生ぬるい世の中とは違う世界を生きてた人たちだからやっぱなんか言葉の重みが違うよね。

 

まぁそれはそういう経験があった人が言っていることなんですっつー刷り込みがあるからヘヴィーだなこれはって感じるっつーのはあるかもしれないけどただまぁフランクルが言うなんだったっけな?すげー肝心なところ忘れてる気がするけど(笑)意味が先走らないっていう行動の後に意味がついてくるっていうようなこととかあと快楽にしても行動の結果快楽がついてくるんであって快楽自体を求めるとなるとそれはもう快楽じゃなくなる的なこととか凄くプラクティカルなことを書いてるんよね。なんかそのフランス現代思想みたいなややこしいのじゃなくてもっとちゃんとリアルに地に足がついた話だよね。神学についても形而上学的なことを含むにしてもまぁすげー泥臭い生きるってどういうことなのよ?っていうようなところから来る神学よね。

 

そういう意味で言葉遊びに終始してるような現代思想とかはもう本当に興味無いしまぁ全部だめなわけじゃないけどどっちかというとそれこそ現代思想とかに比べたらもっと原初的なものだよね。生きるって何なのよ?っていうところから来るような原初的なものね。ヤスパースなんかはそれを引き受けるということ自体が哲学みたいなことを言ってたり言ってなかったりなんかこういう文献的な確実性を求められるとまとめて読んでるからどれがどれだったか分からなくなるんだけど(笑)結局まぁニヒリズムの発生とかキルケゴールなんかも再発見するところがあると思うんだよね。

 

ちゃんと神学をやった上でキルケゴールをまた読むとか研究してみるとかね、何しろすんげーベースがキリスト教的だから疎すぎるとさっぱり分からないでしょ。実際自分もそうだもんね。読んだのだいぶ昔だけどキリスト教分からないと全然だなーっつーまぁそこで実存主義的な部分は感覚として理解できたりするっていうところだったんだけど、まぁそこで別になんでもいいんだけど人がカルトにせよオーセンティックな宗教にせよなんかに救いを求めるっていう構造とかさ、それは心の弱さだとは簡単に言えるけどもうちょっと宗教について学問的にやることで分かっていくことってあるような気がするんだよね。宗教学って本当に齧った程度だから今回は良い機会だなって思っててね。

 

まぁでもさ、さっきのフランクルの話の強盗の話だけど別にそれを原理とするわけじゃないけど所謂、運命っつーのもそういうことだよね。クリントイーストウッド15時17分、パリ行きなんてまさにそういう話だしっていうかまぁあれが事実なわけだし彼らが適当にぶらっとヨーロッパを旅行していたみたいなことに意味なんてないからね。まぁぶらっと旅行するっていう行為があっただけで意味はないんだけどその先に凄まじい意味が介在することになるんだけどでもそれは偶然であって必然だったっていうそこの必然と偶然をどっちかにするか?っていうところなんだけど意味が発生するのはもはや必然だよね。結果に意味がないと考えることが不可能なぐらい意味があったという。

 

まぁこれって他のに応用するとスピ系の思想とかニューエイジにもなったりするじゃん?あと怖い話とか聴くのが好きなのもどういうところでロジックが飛躍して霊現象になってるのかな?っていう分析が好きだったりもするっていうかデフォで分析しちゃうじゃん?で、ガチだと現前性しかないんだよね。だから「うわー!怖い!」ってなるんだけどまぁそんなガチの話は滅多にないからからこそ必要以上に怖い話を求めちゃうんだよね。んでまぁ怪談マニアみたいになっちゃう。

 

まぁロマンティックなところで言うと出会いの必然性と運命みたいなところじゃないですか?んでまぁロマンを除くとロマンとか関係なくそれが悲劇であってもそれが運命だと思って引き受けるみたいな運命愛ってのがニーチェの思想だったりするんだけどこれも恐らく理解が浅いんだよね。神学を知った上でどうニーチェが運命愛っていう概念に行きついたのか?っていう神学からニヒリズムからんでその超越へっていうプロセスで神学が抜けてるとまずニヒリズムから入るじゃん?だからまぁ文学的と言えば文学的だよね。だから文学青年とかは実存主義とかにハマりやすいし俺もまぁそういうタイプだと思うんだけど(笑)実はそれが無神論であれなんであれ実存主義のベースは神学なんだよね。その中にあっての神的なものの否定とかってのが出てくるんだけどそもそもそれも全くない場合、否定も肯定もないわけで神っつーロジックが元々入ってるじゃん?

 

そこをまぁ無理やりキリスト教とかを勉強させられてたような家柄の西洋人はデフォとして捉えて読んだりできるんだろうけど全くベースが無い典型的な無宗教の日本人の俺みたいなのが例えば原罪とか言われても意味分からないわけよね。でもその原罪っつー概念にしたって恐らく一見関係ないであろう哲学の諸概念の中に関連するものであってそれが仮に否定されてても否定されているっていう時点で概念はすでに介在しているっていうことなんだよね。だから神学抜きじゃ結構どうにもならないなっていうかちゃんと読んだって言えなくない?って思うようになったっていうのが多分昔あったと思うんだよね。そういうのは前から分かっててやろうと思ってまぁなんやらゲームやらなにやらなんだっけ?弓道とか色々あってやってなくてまぁんでいよいよ行き詰ってなんかまた戻ってきたって感じなのが今の感じだよね。

 

まぁでもSMK始動し始めたのもまぁサタニストに目覚めた!なんつってたのもまぁすげー宗教を意識するようになってたんだよね。んでまぁ逆説的にサタニストの方がハードコアクリスチャンだろってのがあってまぁだから俺はハードコアクリスチャンのサタニストってことなんだけどまぁ何気に財布にはジーザスの像が入ってるのよ(笑)その頃からね。ただまぁ全然勉強してなかったっていうね。別にただクリスチャンになったというつもりはないし神的なものに目覚めたっていうことでもないんだけどね。いや、目覚めてたらあんな虚しさに襲われないだろうっていう(笑)

 

ただそこで勝手な想像なんだけど人間にとって良いと思えるような意味論を持つものが全く意味が生じないような事柄とか行為から生まれるとそこに意味論が発生するっていう人間原理的な話になると神学なんてグダグダになるしまぁそういうグダグダになった体系の神学もあるんだろうけどこれも最近読んだ本でなんか忘れたけどむしろ信仰とか神的なものを意識するのはむしろ不条理からだみたいな話があってそれが面白かったりしたんだよね。オー!ジーザスのおかげだ!ありがとう!とかではないような不条理ね。まぁ大抵のものは人間中心のご利益中心の俗化した宗教なわけでそれをマルクスなんかはアヘンだって言っててまぁもっともその通りでこれに関しての意見が変わることはないだろうけどでもそれは俗化した宗教なんであってリアルな宗教はどうなのよ?ってところについては全然分からないよねっていうかガチの学問領域じゃん?そこに踏み込もうとしてるわけよね。今。

 

だからまぁあれと同じですよ。虚しさを感じて虚しさとか空虚さみたいなのをキーワードに哲学とか心理学を読んでいるってのと同じなのよ。救いを求めて答えがありそうなものにしがみつきたい!じゃなくてなんなのこれは?っていうところだよね。そこでまぁ結局神学とか神って何なのよ?っていうそこでまぁイメージとしては所詮やっぱりニューエイジとかスピと変わらないくだらないもんだなっていうところとガチなところだとすげー深遠なんだけど多分信者の9割以上が理解してないんだろうなみたいな本質があるんだろうなっていう気はしてるよね。

 

そこに答えがあるかは別としてディグる価値はありそうだって思うしまぁ今の自分のテーマとも合致してるからね。膨大な時間がかかるし読むのが楽しいしまぁ知的刺激が凄まじいから結局快楽原則に従ってるだけじゃんって話でもあるんだけどまぁトピックスが深遠ですからね。まぁ今後の人生のサステイナビリティみたいなのにも繋がればいいなと思いつつって感じですかね。

 

まぁバタイユなんかも神学あってのああいう思想だからね。無とするところの有の存在ってのは有がベースになってるよりも明らかに大きいよね。そこで神秘体験とかをやっぱり論理には帰結できないところでそのままにしているっていうところがさすがだなって思うんだけどまぁやっぱり気は狂うだろうなっていうかメンタルやられるだろうなーとは思うんですけどね。バタイユのはだいぶ読んだ気がするけどまた読んでみようかなっていうかまぁ体系的に全集みたいなのを買って読もうかなって思ってるけどね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。