ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

Googleに好かれるなんてやめてしまえ!って感じで日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

太極拳徒然。5。

色々とやってて思うんだけどまずは型とか基本ってのが絶対でそれを覚えるために最初からかっこよくスピーディーにやるんじゃなくて超スローでやるってのは恐らく武道以外の型稽古全般に言えることで、こないだも八卦掌のクラスで「打撃の威力の検証をしているのか?」っていうような質問を例の格闘家の人に質問したら「うちではやってない」というのと「最初から威力を求める人は伸びないからまずはじっくりと地味な型稽古に励んだ方がいい」という助言をくださって本当にありがたいというか師に恵まれているなぁーとかって思ったんだけどね。

 

んで色々と思うというのはその先のことで所謂前に黒田鉄山先生の本を読みながら色々と思ったことを書き連ねたやつで散々書いたんだけど武道とか武術の形骸化の問題だよね。その辺の話は黒田先生の一連の著作を読むのが一番いいんだけど、中国拳法にしても形骸化が起こるというのはつまりはそれは元々は武術で当然武術だから実践を想定してるはずなんだけど現代では目を突くとか金的を食らわせるというようなスパーリングはできないしそういう試合は実質できないから競技化しないってところがあるんだけど、そこで所謂「強さ」というものの想定の中心が現代だと所謂格闘技になってるってところはあるよね。

 

格闘技と武術って全く別だけど「実戦的」というのがスパーリングとか試合で使えるっていう感じになってる感は否めないよね。まぁしょうがないんだけどね。でもそこで中国拳法は急所を突くから拳を作る必要もないし硬くする必要もないってのは分かるんだけど果たしてそうだろうか?って思うんだよね。

 

龍清剛の鉄砂掌っていう国内武道書の中でも珍本中の珍本とされる本があるけど書いてなかったけど先月ぐらいにゲットしてたんですよね。で、その中で書かれてるのがまぁごもっともな話で身体を武器にするという前提で手が豆腐のようにぐにゃぐにゃだったり骨密度が低すぎて仮に急所を突いてもこっちの手も折れる可能性があるとかってなるとそりゃおかしいだろ!ってことになるよねってことなんだけどね。

 

いくら力で突きを出すわけではないといっても使うのは手だからある程度手の強度が無いとダメでしょうっていう、最近武井壮youtubeチャンネルで朝倉未来に打撃を習う!ってのがあってめっちゃ面白かったんだけど、いやまぁ太極拳クラスの先生も言ってるように総合で中国拳法を使うっつっても相手が朝倉未来のように密着せず動きを交わしながらでも遠くからいきなり踏み込みでパンチを決めてくるとかすんげー伸びるパンチがいきなり来るっていう一連の動作を見ると中国拳の出番は無いなと改めて思ったけど(笑)何も朝倉未来を倒す中国拳法!というのを追求したいわけじゃなくて武術としてのそれを追求する上で朝倉未来が武井壮に動画で教えていたような近代的な力の出し方とか鍛え方ってのはむしろ必須だよなって思ったんだよね。

 

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特に「なるほど!」と思ったのがリストのまぁようは腕よね。そこが鍛えられてたり普段パンチをしていることで曲がらないようになってると打撃が最大限に伝わるっていうところなんだけどまさにこれよね。急所を突くといっても決まるかどうか分からないしガードされたときにどうなのよ?って話だし仮に決まったとしてもふにゃふにゃの手で打撃が通る時にリストが衝撃で曲がっちゃって力が逃げちゃったらそれは威力がめっちゃ低下してるってことなわけで中国拳法で打撃をやるのはだいぶ後になってからといっても最低限の手は作っておかないとダメだろって思ったんだよね。

 

実践は無いし実戦もないし武術を道場の外で使うなんてご法度なんだけどそれとこれとは別じゃん?居合で例えると黒田先生のようなガチのスピードは現代にはいらないから舞踏のような制定居合でもいいじゃないかって話もありそうだけどそれって違うよね。武術なんだから相手を斬りつける機会は100パーセントゼロといっても過言ではないんだけど術をやるにあたってはこちらの身を守りながら斬りつけるという前提が無いと成り立たないよね。

 

それ言い出したら真剣でやる必要もないわけでさ、でも真剣でやるのって俺の理解だと扱いが危なくなるから下手な動きをできなくなって難易度が上がるのとより実戦的なものに近づくために真剣でやるわけでしょ?でも真剣での居合の勝負って無いわけで(笑)やっても意味ないとか時代に合わないってことを言いだすと武術なんて全部そうじゃね?ってことになるよね。

 

危ないからやらないとなるとそもそも真剣を使って居合をやるなんて自分がケガをするリスクが大きいわけで全く同じ重さの刃が入ってないものでやるのがいいってことになるけど違うじゃん?でも別にそれって試合に出るとかなら別として格闘技やるにしたって外で使ったらアウトなわけでさ、強くなるためっつっても自分から喧嘩しかけるとか絡まれそうな場所に行くとかをしない限り(笑)まず現代の法治国家の日本で格闘技にしても武術にしてもその技術を日常生活で使うことはまずないわけだよね。

 

それは相手を一瞬で不随にしてしまうような技に限らずボクシングにしたって物騒だよね。殴り方を鍛えてるわけだから。だからそういう意味で使っちゃいけない度とか使う機会無い度は武術も格闘技も一緒だよね。

 

だからそこで武術に戻るんだけどさ、使わないから鍛えてもしょうがないってのはナンセンスだよね。力を使わない内家拳と呼ばれるものでも昔の達人の写真を見ると細いんだけど体の筋肉ヤバいし当然硬い拳とか腕を訓練で作ってたわけだよね。それが今は必要ないというのはそりゃそうなんだけどでもそりゃ矛盾するんだよね。武術って武の術なわけでなまくらの拳で形だけ知ってるけど全く威力ありませんってのをやってもそりゃ型だけで武術じゃないよね。

 

ちなみに今行ってるクラスのディスではないのは明言しておくけどね。お二方とも動きがキレキレで朝倉未来に勝てるかはともかくとして戦闘を想定した動きになってるんだけどまぁあれよね、需要の問題だよね。やってみたい!といって入ってくる人たちがそこまでストイックに武術を追求するのか?ってところだよね。まぁ普通しないわな(笑)そこは俺がいつもの没入癖で異常なのは分かってるけど単純にそれはディグの仕方が違うということでもあるよね。

 

だからクラスでは全くやる必要が無いんで打撃の検証とかは大体やらないだろうし、やっているところは血の気が多い元気な若い衆が集まってるカンフークラスとかだと思うんだよね。まぁ何も俺は鉄砂掌の本に書かれてるようなレベルでの鍛錬が必須と言ってるわけではなくて、最低限自分が突きを打っても腕が折れないとか痛くないとか手首がちゃんとそれで曲がらずにストレートなままでいられるっていうものなんだよね。

 

かといっても表演がメインの武術を否定するわけではないし意味がないとは言わないけど少なくとも俺がやってる何種類のものかは武術として伝わっているものだから使わないけど使えないと武術という条件を満たさないただの踊りになっちゃうよねっつーことなんだよね。

 

世界各国で胡散臭いカンフーマスターが多いのもこういう理由だってのは前にも書いたよね。急所を狙うから使えないからやらないだけでやれたら強いんだ的なね、ただのエクスキューズなんだけどそれで納得しちゃう人もいるっていうね、んでまぁ前に書いたインチキ拳法を撲滅する!っていうファイターが自称カンフーマスターと試合をやっては数十秒でKOしているっていうね(笑)それが現実だよね。

 

でもそれっておかしいべ?朝倉未来が喧嘩自慢とスパーリングするっていう動画があってやんちゃな人たちが当然手加減をする前提で朝倉未来に挑戦するんだけどっていうか動画貼るけどね

 

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街の喧嘩自慢は喧嘩自慢だけあってそれなりに強いんだよね。少なくとも数秒でKOされるような人はいないのにエセカンフーマスター撲滅戦士にやられている自称カンフーマスターはとんでもない動きをするんだよね。別な意味で(笑)

 

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今教わっている太極拳クラスの先生にはセンターはエチケットだから必ず守らなきゃいけないって別に打撃を学んでいるわけじゃないんだけど基本功の時点でセンターは基本ということを徹底的にやるのよ。なのに上の動画でKOされてるフェイクなカンフーマスターってセンターがら空きだし(笑)相手が強いから倒せないというよりやんちゃな喧嘩好きの連中でも普通に倒せるだろうというレベルでこりゃ酷いなって話なんだよね。

 

でも困ったことに「だから中国拳法は弱い」とかってことになっちゃってるんだけどそれは違うよね。形骸化したものをもはや実戦は無いからっつーことでSNS映えするような型だけ教えたりして何の武術性もないようなものを教えている教室が世界に腐るほどあるってことだよね。素手じゃないにしてもさっき書いた鉄砂掌に出てくるようなヤクザにしか見えない人たち(笑)とかの突きはそれが総合ルールでもいけるのかは別として重いはずなんだよねというか重くないとそれはインチキですわ。

 

そういう威力が伴わないのに武術といってクラスをやってるのはアウトだと思うんだよね。だってそれもう武術ちゃいますやんっていうね、型をやりながら健康促進していきますっつってやるべきよね。何しろフェイクカンフーマスター達が酷いのは下手するとさっき朝倉未来の動画で貼ったような喧嘩自慢じゃなくても素人の運動神経が強い人だったら普通に倒せそうというところだよね(笑)武術をやっているはずなのに普通より弱いというのはどういうことだ?って思うよね。

 

でもぶっちゃけこれが実態なんだと思うわ。そんなんが世界でも見て8割で2割は先生はガチだけど対人とかを意識したりはしてないけどやろうと思えばできなくもないっていうちゃんとしたところって感じなんだと思うよね。だからまぁインチキに出会う確率が超絶高いわけだ(笑)「じゃあ実践してみますね」っつってスパーリングで弟子とかをフルボッコにするとかっていう実力を示すものが無いから「なんか凄そう」という理由で入会しちゃうんだけど実際は上の動画にあるような武術的どころか普通に死に体な体で戦うような人たちっていうか普段スパーリングとかはしないにしてもそれ差し引いても酷すぎだよね。

 

だから中国拳法はディスられて当然という感じがするよね。ダメなのとか形骸化してるのが8割だから「マジなのもあるんです」といったところで8割もいたらそれがマジョリティだから弱いって判断されるのは当然だよね。

 

だからそこで俺はガチを追求したいんだよね。別に試合に出るとか強くなるということではなくてそれが武術として伝わってきて実際に使われていたという検証をしたいっていうことだよね。まぁヤバい技とか失伝している技とかは多いんだけど自分が使って強くなるんだ!ってことではなくて身体を使った学問という感じだよね。

 

学術的な厳密さを持ってそれを学びたいし研究したいっつーところだよね。まぁその厳密性に関しては学問をやってきて鍛えられてるから自信ありますよね。こうやったら痛いとか入ったら終わりとかじゃなくて実際に痛いのか?とか終わりなのか?っていうのを厳密に検証するってことだよね。だからある意味で凄く批判的に中国拳法を学んでいるという感じよね。中国拳法は強いんだ!じゃなくて武術として伝わってるからには形骸化してないものに関しては総合に勝てるか?とかは別としてある程度強くないと武術として成り立たないから実際の強さがあるはずだっつーところだよね。

 

でもそれは本場中国とか台湾とか香港でも失われてて本場に行けばガチなのが学べるのか?っていうとそれは違うみたいでようは先生なんだよね。先生がガチなのか?っていうそこに尽きるわけだよね。

 

あとまぁなんで触らなくても吹っ飛ばすみたいなインチキ霊能者みたいなのにあんなに生徒が集まってみんなで芝居をしてるのか?っつーのもあれは一種の洗脳なんじゃないかと思うよね。ちゃんとした気という概念があるのにそれを乱用して生徒を洗脳するってのはカルトの手法と同じだよね。特に中国拳法とか所謂「気」が絡むものはそれが「気」なのだと言われれば分からない人は「おお!そうなのか!」ってことになるよね。

 

リアルな気を感じたことがある人でなおかつ気功の実践者だったら絶対騙されるはずはないと思うけど気感とかってまたなんとも言えない霊感とかと似たような数値化できないような概念だからそういうアブストラクトとも言えるし悪い言い方をすると胡散臭いようなものに関しては実証性が無い分、乱用されやすいんだよね。その結果、手を使わずに人間を吹っ飛ばすみたいなものが横行するわけだよね。

 

まぁ気で吹っ飛ばすとかって少林寺三十六房とかのカンフー映画で一瞬出てくるようなフィクションの部分よね。それをリテラシー不足でマジと思っちゃったり悪知恵を働かせて「これは使える!」とかって思ったやつがそれっぽい雰囲気を醸し出して仕込んだトリックで実践してみて「これが気だ!」とかって行ってみたりだとか、まぁ気なんかは中国拳法よりさらに胡散臭い世界かもね(笑)

 

でもガチは存在するわけだ。それは幸いなことに短期間に素晴らしいガチの師に恵まれた俺が体験したことだから間違いないんだよね。気は存在するしガチ中国拳法の力を入れてるわけでもないのに恐ろしい力が出るとか生徒の芝居じゃない吹っ飛ばされるということとかね、吹っ飛ばすってのも思いっきりやってるわけじゃなくて軽くやってても吹き飛ばされるからね。んで力を入れてるわけではないノーモーションでいきなり凄い力が出るから驚きしかないんだよね。

 

ただこういう高度な技術をちゃんとした師から体得している先生は相当少ないということだね。だから道場選びは本当に慎重にしないとただ偉そうにしてるだけのへなちょこな先生に当たる確率が高いってことだよね。まぁこれは日本に限らず中国とか香港台湾でも同じってことなんだよね。中国台湾香港っつーと達人がいっぱいいそうな気がするけど実際はそうでもないみたいね(笑)文革で粛清された達人も多いし中国から亡命した達人とかが台湾に居たりしてでもまぁそれって少ないわけよね。

 

でも世界中にある胡散臭い道場と同じく立派な看板掲げてやることはできるわけだから偽物が横行するんだよね。ガチの人は量産できるわけじゃないし何年もの修行を普通の人じゃ無理な時間をかけてやってきたりしてる人たちだからまぁ大抵そういうのは途中で心が折れたり辞めたり続かなかったりっていうわけでそのガチを継承する人ってのはさらに少ないわけだよね。

 

そのぐらい大変なことなわけで、だからガチの総数が必然的にフェイクに比べて少なくなるんだよね。それこそ俺みたいなカンフーオタクがちょっと道場に数か月通っただけで「何々師範に師事」とかって経歴に書いたりしてまぁ経歴詐称って横行してるけどそういう詐称をしたり師事したのは事実でも実際は数か月(笑)とかっていうレベルで自分は達人だみたいな振る舞いや言動をして生徒を集めて道場をやるってことは可能でしょうって可能かどうかは分からないけど「師事」っつっても数か月ってレベルのインチキ野郎は相当多いらしいぜ。

 

師事は一般会員が数か月学んだだけでも師事は師事だから書けるけど弟子ってのは師からある種の印可みたいなのをもらってる免許皆伝の人のことを言うわけでって弟子の定義が分からんけど少なくとも俺は先生の弟子ではないよね(笑)ただ師事していただいているというだけで弟子じゃない。弟子ってのはもっと関係が近くて何しろ先生が弟子として認めているという水準のものを言うわけで師事と弟子の差というのは月とすっぽんどころの話じゃないわけなんだよね。

 

それでも大御所の先生の弟子を自称して詐称して裁判とかになってる例とかもあるわけでんで問題なのはそういう詐称してるやつがその業界の武術でも気功でもなんでもいいんだけど若手の将来有望な人間とかっつってメディアで紹介されたりするってことなんだよね。肝心の大御所の先生は全く師事した覚えはないし弟子として認めるなんてもってのほかだ!っつって大激怒してるのにテレビ出たりするんだよ?恐ろしいよね。そういうやつを出すメディアもメディアなんだけどメディアがそもそも胡散臭いからね。あとガチの人はそんなに目立とうと思わないから露出しようなんて思わないだろうしね。

 

まぁこういうところが神秘的で未知なものが多い中国拳法とか気功に乱用されるっつーところだよね。神秘が無い実力勝負な格闘技の場合、まずこれはないよね。だって先生弱かったら話にならないじゃん?(笑)だからなんか俺はそういう神秘とか秘伝とか言われてるものの化けの皮を剥がしたいっていうのもあるしその中でガチな秘伝に出会えたらそれは凄くラッキーだと思うけど太極拳の先生にも言われてるように幻想化は絶対するなっつーところなんだよね。

 

だから学び方としては批判的以外ありえないよね。批判的ってクリティカルって意味ね。批判的思考だね。中国拳法凄い!先生凄い!気功凄い!っていう盲信にならないのは当然として術理の冷静な分析とか変な思い込みによる誤謬に陥ることなくまぁ言わば科学的厳密さを持って学ぶということだよね。だから「これって微妙じゃね?」って思うようなことを先生が言い出したらぶっちゃけ一気に不信感が増してそこに通わなくなるということも十分ありえるよね。ただ今のところはその微妙さの片鱗すらもないんで半ば盲信状態になってるところもあるけどそこは先生自身が諫めてるからね。先生の言うことが絶対だなんて思わないでくださいって言われてるからね。まぁそういうのもあって今の太極拳の先生には信頼がおけるってところもあるんだけどね。あとまぁ当然実技が伴っているという立証性だよね。

 

あとまぁ太極拳の先生が言ってるのはこないだのビールの落ち方の話と同じで強さに流派がどうのとか関係ないつーところに行きつくって話なんだよね。例えば流派が太極拳なら戦うときにも太極拳の技のみを使わなければいけないのか?っていうと仮にキックとかの経験があってキックの間合いならミドルとかロー出した方がいいわけで太極拳の技に固執する必要はないよね。

 

詠春拳にしても同じで詠春拳っぽい技の間合いなら詠春拳の技を使うのがベストかもしれないけど遠い間合いで戦うもんじゃないから遠い間合いだったらまぁ結局キックがいいってことになるよねって俺が言ってるのはキックボクシングという意味なんだけど。そこを明らかに近づくのがリスキーなのに詠春拳にこだわって無理やり近づこうとしてパンチとかキックをもらったんじゃどうしようもないよね。

 

そもそも何々拳って言っても元は例えば少林寺だったりなんかの土台がある中で派生した流派なんであって基本は同じなんだったら流派にこだわる必要なんてないんだよね。例えばそれで総合出たいならやってきた中国拳法の練功とか柔軟性とかを活かしつつキックボクシングをやればいいわけで無理やり不利な中国拳法を総合で使う必要はないわけだよね。そもそも詠春拳にしたって色々な流派が混ざったものだし純粋な「これ!」という流派なんてないんだよね。

 

実際に昔のカンフーの達人たちが色んな流派を学んでミックスして使ってたように引き出しを増やすってことだよね。んでまぁ使える部分だけを使って形だけで武術的に意味ないのは使わないとかっていう当たり前のことだよね。敵を倒すのにナイフ術をマスターしてるからナイフ術で敵を倒さなければいけないなんていうルールはないわけで死ぬかもしれない状況で銃持ってたら銃ぶっぱなすのが一番いいし棒状のものがあったらナイフ術的な体裁きを活かしながら棒で殴ったりするほうがいいわけだしナイフ術にこだわる必要ないんだよね。

 

なんかこの「なんたら流」ってのも固定観念だよね。敵を倒すときになんたら流の何々って技を使わなきゃいけないじゃなくてその技が一番状況に適してたから使ったという結果論でしかなくて動きなんて色々と学んだものが混ざるものでしょ。かといっても色んなのを数か月齧っては他を行く・・・みたいな浅いやり方をするんじゃなくてどれも深く極めて理解すれば武術の術理というものの理解が深まるわけでより強くなれるとか色んな状況に適応できるっていうことになるわけじゃん?

 

だから何流が強いっつーよりそいつが強いかどうかが問題よね。中国拳法も深くやっててキックボクシングもやっててなおかつブラジリアン柔術もやってれば最強かはともかくとして対応できる場面で最善の動きができる可能性が高まるという意味で強いよね。ただまぁそんなにやれる人が現代にどれだけいるのか?ってことと(笑)独学でやってる風にはできるけど実際にはさっき書いたような探すのに困難を極める良い師を見つけて学ばないといけないわけでんでそれって通いになるわけだし時間の問題にもなるよね。

 

ちなみに俺が思う最強は武術と総合とかもごっちゃにしても現実的な数え切れない数のスパーリングと対人戦と試合と・・・っていうのを山ほど経験してきた経験による知と感覚が備わっててなおかつ理論派で打法も優れているっていう総合の選手ってところに尽きるよね。武術はスパーリングの数とか試合の数で明らかに四六時中対人戦とかスパーリングをしてる格闘家に敵わないだろうってのが現実的なところだよね。だから強さって流派がどうのっつーよりそういう複合的なところじゃん?あとまぁ現代っていう時代背景とかね、プロ格闘家が強いのはプロ格闘家として食っていけるが故にトレーニングがまんま仕事になってるから強いに決まってるわけだよね。

 

でも武術家はそうはいかないからっつーか素手に限った話だけど試合があるわけでもなければあったとしてもプロ総合格闘家の比じゃないわけで流派云々は別として圧倒的な時間とかトレーニング量で負けるよね。でもそれが流派の強弱を決めるわけではないんだよね。変な話、ある意味資本の流れによって強さが決まってるとも言えなくもないよね。それが職業として成り立つ場合はトレーニングが仕事になるんで強くなれるけどマイナー武術とかの場合、仕事しながら合間合間にやらなきゃいけないんでプロ格闘家のそれと比べたら全く量的にも質的にも及ばないっていうね、ましてや仕事してるからそれで疲れるってのもあるし。

 

まぁそれを考慮しても総合ルールでチャンプになるような人が強いとは思うけどね。ボクサーのパンチとか前にも書いたけど普通の人が金属バッドで殴るより重かったりするわけで人間凶器よね。だからまぁ前に書いたような当然の帰結になるよね。体がデカくてマッチョで剛力で技に優れてるタフな人間が最強・・・かどうかはともかく強いというね(笑)

 

なんか久々に一万字行きそうになったけどまぁそんな感じでんじゃまた。

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