行方不明の象を探して。その251。

結局、1時間あたりの間にそれが3回続いた。ダラダラとバーにいて、文学ごっこをしている大概だが、この女も相当なあれだな。マスターが前にやってきて、うんざりした顔で「よろしくお願いします。お客様」と言った。女は三度目の便所から戻ると、あたりを見回してから隣に滑り込み、小声で言った。

 

「ねえ、悪いんだけど、コカイン持ってない?」

 

やっぱりヤク中か。普段からキメているやつは独特の雰囲気がある。多動で激しくて落ち着かなくて喋りまくる。

 

「あなたが波留さん?」

 

と言った。女は

 

「ごめんごめん。売人かと思ったから」

 

と言った。話がかみ合ってない。でも一応、会話が成立してしまったので、頷いてポケットから適当なドラッグを出してカウンターの上に並べた

 

「ありがとう。助かるわ。売人と連絡が取れなくて困ってたの」

 

だからあんなに何回も長電話をしてトイレに行ってたのか。それにしても「ありがとう」とは何だ。売人ではないのに。でもまぁどうでもいいことだ。彼女はにっこり頷いて、またトイレに行った。

 

ドラッグの中身も確認せずにやるなんて相当なジャンキーだな。他人のポケットから出てきた意味不明の薬をそのまま飲むなんてなかなかイカれてるじゃないか。意外とマシな女だなと思った。ありがちで退屈な生活の中にいる、たまにいる変なやつの典型だ。いや、典型というより相当ぶっ飛んでるなあいつは。

 

本を読むのを諦め、プルーストの才能の無さに愕然とした。こいつはただ長文を書いていた俗人だ。何が偉大な20世紀の文学者だ。「失われた時を求めて」の全巻を買ってしまったのに、一巻を読み終わらないまま、ゴミ箱行きになりそうだ。ちょっとでもプルーストに期待していた悪かった。一般的に「偉大」と呼ばれるものを鵜呑みにして期待をするとロクな結果にならない。

 

ジョッキには少しビールが残っていた。それを飲んだ。そしてコデインの錠剤と一緒に飲んだ。

 

「なんでこんな駄作が20世紀の文学の名作だと言われているのか分からないんだよね」

 

とマスターに言った。

 

「自分はそういうの分からないし、あんなものは暇な人間が読む根暗な趣味だと思ってるから、そういう話をふられても困るよ」

 

とマスターは言った。インディードでカンディード過ぎる。マスターも千本の指を持つ男だ。しかも「文学」と言った瞬間に顔つきが嫌になっているのは、多分、マスターも文学に挑戦したことがあって嫌な経験をしたのだろう。

 

勝手な推測だが。マスターに頼んで、店のテレビにギャスパー・ノエのルクス・エテルナを独自に最後の点滅するシーンだけを永遠にループさせたものを再生するように頼んだ。独自に編集したものなのに合間合間に6本のコマーシャルが入った。ビールと儲かるわけがない投資の与太話と陰謀論の本と生理用ナプキンのコマーシャルだった。すべてありふれたくだらないものばかりだ。

 

女にあぶれたらしい男の一人がビールのグラスを手にしたまま後ろに来て、何を見ているのか、と尋ねたのだが、後ろに来た瞬間に身体が動いていて、中国武術の技の一つをお見舞いしていた。あんなもの後ろに立つ方が悪い。横からくればよかったのに。男は血の泡を吹いて気絶している。

 

気絶した男に全く目もやらずに波留が戻ってきて隣に座った。

 

「ありがとう。何かおごらせて」

 

「だいぶすっきりした様子ですね」

 

「おかげさまで」

 

波留は指でマスターを呼んで、二人分のビールを頼んだ。マスターは正確に6回頷いてカウンターの端に消えた。比喩ではなくて本当に消えた。ビールを取りに行く場所はワープしないといけないのか。まぁそんなことはどうでもいいと思った。

 

「待ち人来たらず、ね。あなたは?」

 

「いや、さっきあなたが波留さんって聞いたじゃん?なんで答えないの」

 

「相手は女の子?」

 

「は?」

 

「誰と待ち合わせをしているの?

 

「象。エレファントの」

 

「じゃああたいと同じよ。話が合いそうね。あたい、波留ってーんだ。よろしくな」

 

「マスターから聞いたんだけど、君、ここのバイトなんでしょ?」

 

「そうだけど」

 

「なんでビール注文したり電話したり、そんな客みたいな感じなの?」

 

「それがあたいの仕事なの」

 

「よくわからないけどまぁいいや。んでなんか悩んでいることがあるだとか、なんだとか相談に乗ってくれ的なことを言われたんだけど、心当たりはある?」

 

「ドラッグのことじゃない?」

 

「あ、そうなんだ」

 

「多分ね。そんぐらいしか思いつかない」

 

「っつーよりあんたのほうが相談に乗ってくれっていう雰囲気があるよね」

 

「どういう意味?」

 

「さっき文学がどうのとか言ってたじゃん?なんでそんな文学に恨みを持っているのさ?」

 

「いや、そんなこと言ってないけど」

 

「すげー言ってたよ。プルーストだっけ?あとジョイスだかなんだかが過大評価だとかなんだとか」

 

「キノコ、ホワイトホーンの、失われた幸福の葉のように。吹いている花が静止しているように、早くそうなりたいと思う。また来るよ、勝ってくれ、求婚してくれ、結婚してくれ」

 

「いいよ」

 

「君っていくつ?」

 

「19」

 

「大学生?」

 

「無職の作家志望」

 

「じゃあ俺と同じだね」

 

波留は笑った。と、マスターが姿を現した。プロジェクターから出てきた映像がそのままマスターの姿かたちになったような感じで、マスターは耳打ちした。

 

「さすがだね。感心した。あんなイッてるやつと対等に会話できるなんてさすがだよ」

 

耳打ちというより、耳の近くでそのまま喋ってる感じで、波留に全て聞こえてたし、近すぎるから声が大きすぎる。別に普通に話せばいいのに。

 

「あたいさー昔は発狂してたんだよねぇー。生きるってことがバカバカしくなっちゃってさー、んで自分探し的な?世界中を旅してさぁ、よからぬ事に手を出したんだよねぇ。売春とかドラッグとかさ、まぁドラッグが欲しかったから売春してたんだけどね、若いとそれだけで客がつくんだよねぇ。んで知らない男にさ、あと客とかにもさ、オマンコ晒しながらポケットを探ってさ、まぁスリだよね。マンズリって仲間内で呼んでたんだけど、結構これが上手くいくんだよね。クンニさせてる間に財布から金取ったりさ、金とドラッグには困らなかったね。あと空き巣とかね、ストリートギャングなんかとつるんで色んな仕事してたわけさ。で、客ともストリートギャングとも次々と男とヤッてはそいつらにあなただけよなんつってさ、そうするとみんな喜ぶんだよね。ふつーに騙されるの。てめーの面見て来いよって話なんだよね。あたいを犯し倒すことで彼らは彼ら自身をファックアップさせてる感じだったね。あたいがその堕落の方法を教えてやったって感じなんだけどね」

 

「そういう知り合いいなくもないからそんなに驚かないんだけど、いつ頃帰国したの?」

 

「ホント、最近よ。去年とか。んでマスターんとこ入りびたるようになって、マスターが面倒見てくれるようになってさ、んでまぁマスター預かりみたいな感じで、今はここに置かせてもらってんの」

 

「あ、だからビールとか頼めるわけね。バイトって身体を売ってるってことか」

 

「まぁそういうことだね。マスターが2であたいが8。悪くないんだよ」

 

「マスター売りの斡旋してたんだ。それは知らなかった」

 

マスターは誇らしげにグラスを磨いている。なんかそういうのは違うと思うんだけどな。

 

「ドラッグも扱ってたりして」

 

「いや、ふつーにあるよ」

 

「じゃあなんでさっき俺にねだったの?」

 

「マスターのドラッグのツケがマックスになっちゃってさ、んでクラックでもいいかと思って売人に電話したんだけど繋がらなくてさ、んでなんかさっき仲間に電話したらパクられたっぽくて」

 

「へぇー。危ない橋渡ってんだね」

 

「別に特に危ないとは思わないけどね。ずーっとこうやって生きてきたから」

 

「んでなんで作家志望なの?」

 

「何でって言うと話が長くなるし、話した時点で言語の拘束力が生まれるし、会話が多すぎると小説の体をなしてないとか言われるし、かといっても自然描写が続きすぎてもつまらなくなるし、根暗なあなたが考えてたような、クソ小説よ。構造とか物語の画一性ね。日常を描いたところでそれもすべて言語に還元されて、どんなにおかしいことをあたしが言っても何かをなぞってるだけになっちゃうのよ。だからあたしはそれに対して何も言わないことにしているの。それが作家志望の理由」

 

「なんで俺が考えてることと同じことを考えてるの?」

 

「それはあなたが語り手だからでしょ」

 

「語り手は君でもいいんじゃない?別に俺は語り手になったつもりはないし、語るつもりもない」

 

「あたしも語るつもりはないわ。とりあえず今日、あなたはプルーストとかジョイスとか過大評価されている近代作家の大半がクソだということが分かった。それだけでもいいじゃない。問題は語りじゃなくて認識よ」

 

「インディードでカンディードだね。君も千本の指を持つタイプかい?」

 

彼女は何も言わずにクスクス笑ってビールを飲み干して、思い出したように突然腕時計を見た。

 

「また電話しなくちゃ」

 

そういってハンドバッグを手に立ち上がった。彼女は消えた後も煮え切らない気持ちのまま、しばらく空中をさまよっていた。彼女の消え方はマスターのそれとは違うものの、存在が消えたのではなくて、また電話しにどこかに行ったのだと思う。