ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

学校のことよりインランド・エンパイアの話を。

mimisemi2007-09-03

とりあえず学校のことよりデヴィット・リンチのインランド・エンパイアの話を。というかこれって全然存在すら知らなくて、妹に薦められてまぁ見たっつーか、こっちではもうDVDが発売されててね、まぁ見たんだけど、もうはっきりいって俺の中の映画史が変わった感じというか塗り替えられた感じ。俺は相当な数の映画を見てきたけど、ここまでなんつーか俺の心を揺るがせる映画って少ないわけ。デヴィット・リンチの感覚ってあのあれなのよ、本人も影響を受けたシュルレアリズムなんだけど、例えばイレイザーヘッドは俺のオールタイムフェイバリットって前から書いてるけど、あれって完全に感覚の映画なわけ。


特に細かい部分、例えばあのメアリーの父さん、ビルがヘンリーに質問をしたまま固まっちゃうとか、メアリーがいきなり痙攣したと思ったら、母親がメアリーの髪をいじるとか、人工鳥のあの感じとか、メアリーがヘンリーのベッドを揺らすとか、書いたらキリが無いんだけど、こういうところなのね。で、このリンチ感覚ってのが凄く残るわけ。分かる分からないとかじゃないんだけど、俺はリンチ感覚を理解できる数少ない選ばれし人間だと自負してるんだけど、世界でもマジで少ないと思うよ。たぶん俺、言葉で説明できないリンチの感覚を完全に理解してると思うわけ。だからイレイザーヘッドを最初に見たときに気持ち悪くてトラウマになったし、はっきりいってこれ以上の映画ってのは以降のリンチの作品も含めて無いわけ。まぁカルネとカノンがあるけど、これはまた別かな。あと死の王とかも別。っつーかまぁ比べられないんだけど、一個って言われたらやっぱイレイザーヘッドなわけ。


でね、インランド・エンパイアはやっちゃったって感じなのよ。イレイザーヘッドのあのリンチ感覚をまたやっちゃったって感じっつーか、まぁイレイザーヘッドと比べると、まぁイレイザーの方が上っつーのもようはインランド・エンパイアってやっぱちゃんとした映画なんだよね。意味分からないっていう人いっぱいいそうだけど、あれは完全に映画。ただイレイザーヘッドは俳優の匿名性とか場所すらも曖昧っていうあの感覚とあの音とあの映像ってのが極めてイメージそのままっぽいわけ。映画として出力することで映画になってるんじゃなくて、リンチのイメージがそのまま映像になってる感じで近いものでリンチのショートフィルムのパントマイムっぽいやつがあるんだけど、あれだね、あれが逆を言えばもっとイレイザーよりイメージっぽい。ただインランドもかなりイメージがそのまま映像になった感じなんだけど、ちゃんとした台詞と俳優と演技と・・・ってことで、そこまで抽象的になり過ぎてないわけ。まだちゃんと見れるわけ。まぁ意味は無いけどね。たぶん俺が映像とか作れたらね、凄く作りたいと思うのが、昔、夢遊病だったときに見たわけの分からないイメージの洪水みたいなのね、それが今でも凄くイメージとして残っていて、これを具体化すると、リンチ感覚ならぬ耳蝉感覚になると思うわけ。


ようは俺が言いたいのは本人にしか分からないイメージとか感覚ってのがあってリンチってのはそれを映画化するのが凄く上手いわけね。で、特にインランドとイレイザーでは他者とのその感覚の共有ってのを基本的に求めてない。ただ自分のイメージと感覚を映像化しているんだけど、これがまたことごとく成功しているわけだ。インランドもリンチ感覚の宝庫で、いきなり女の子達が踊りだしたり、踊っているときのあのライトの当たり具合とか、急に消える感じとか、全然違うんだけど、意味無い強烈なイメージとして、自分としてはこれまた小さい頃から意味の無い不安でよく寝れないことがあったんだけどその寝れないときに目を瞑って無理やり寝ようとすると出てくるイメージの感覚と似てるんだよね。いや、それはリンチ感覚ということではなくて、意味の無い強いイメージという意味だと同じという意味ね。で、リンチの映画ってのはさ、例えばあのヘンリーがズボンの毛玉を取るような仕草とかね、ああいう断片的なイメージの塊でもあるんだけど、それがまた全体となると一つのイメージとして浮かび上がってくるって感じで、基本的にイメージで構成されていた長い映画が全体として完成すると、一つの映画になりえているっていう結果だけであって、基本的に個々のイメージは映画じゃないんだよね。ただそれを繋ぎ合わせることで映画にしているだけであって。で、インランドってのはそのイメージ度がイレイザー並に高いわけ。だから映画を見た後は映画を見たというよりは、他人の頭の中を見させられたみたいな感じで凄く強く残るわけ。


それは映像とか映画にするということでイメージの劣化が起きていないということなのね。ようは俺が言いたいのは、作り手の頭にあるものってのを具現化させると、その具現化という工程の中で劣化が起こるってことなの。それがさっき書いたインランドはちゃんとした俳優と台詞と・・・っていうのを使ってるんで、そこまで抽象的になりすぎていないというところなんだけど。ようは頭の中なんてのは映像に表しきれない部分がいっぱいあって、ただそれを表現する作業というのが、例えば映画監督の場合、映画だったり音楽家の場合、音楽だったりするわけだけど、それはフォーマットの無い頭の中のイメージというのを、あるフォーマットのあるものに変換しているので、その変換の作業に失われている、本人でも知りえないものがあるわけ。それは絶対あるって断言できる。たださっきリンチはそれを映画化するのが凄く上手いって書いたのは、リンチはそれをなるべく劣化させること無く映像なり映画というフォーマットに変換するという技術に長けているというか才能に長けているというか、そんな感じなんだけど、一応、やっぱちゃんとした映画っぽい作りにしようとしているんじゃないかな?っていうのは感じられるわけね。


それをしないともう映画じゃなくなるから。ただ俺はそれは劣化だって批判はしたくないわけ。それを映画にすることで生まれている本人でも把握していない効果というのが絶対生まれているわけだし、本人もそういったことに絶対自覚的だと思う。あんまいないと思うんだよね、ヘンリーがズボンを擦るところに凄まじく強烈なものを感じる人って。でも俺は感じられるから選ばれし者だと勝手に思ってるんだけど、あのズボンの感覚を噛み締めている人だったら、インランドにもズボンみたいに感じられるところがいっぱいあると思うのね。凄くリンチ感覚なんだよ。だから個人的にこの映画は俺の中の映画史を確実に塗り替えた一作なわけ。ただこれって映画の出来とか意味云々じゃなくて、見る側の感覚にかかってると思う。松っちゃんの一万円ライブの赤い車の男みたいなもんかな。俺が大日本人に期待してたのって、この赤い車の男みたいな感じだったんだけど、ヒーロー物っていうのを聞いてアー違うなとは思ったんだけど、まぁとりあえず見てみたいね。ネットではボロカス言われてるみたいだけど。まぁいいや。


そんなところでね、リンチの感覚って例えばゴダールの分かる人なら分かる的な、嫌味なインテリ加減とか教養加減じゃなくて、完全に感覚にかかっているわけ。そういう意味だと特にレベル高いとか敷居が高い映画っていうわけではないと思う。この感覚が分かる人なら絶対感じる映画だと思うのね。まぁとりあえず俺の中での数少ないオールタイムフェイバリットが出来たわけだ。好きな映画はいっぱいあるけど、俺の言うこのオールタイムフェイバリットってのは、おすぎの嘘の墓まで持っていく映画とかじゃなくて、本当の意味で生涯にわたってずーっと好きでい続けるというか、常に普遍的な位置にある映画というよりは存在なわけで、これはその一つになったわけ。イレイザーみたいなのもう一回作ってくれないかなーとかさ、思い続けてたらあれだね、忘れた頃に作ったね。リンチさん。脳で理解するとかじゃなくて、イメージが広がっていく感じなのね。ようは脳がついていってなくて、ただひたすらそのイメージに引っ張られる感覚っつーのかな、感覚としてはパニック発作とかに似てるかもしれない。ようは自分でコントロールできないイメージがどんどん脳で広がっていって、それが勝手に一人歩きするっていう感覚ね。まぁ分裂症的とでもいうのかな。俺って常に分裂病っぽいところがあるし、昔は自覚症状もあったからね。そういう頃に感じてたイメージとリンチのイメージってもちろん質も映像も全く違うんだけど、系統としては一緒なんだよね。何かを妄想してる時ってその妄想のイメージに対して自分は理解をしてないことが多いと思うのね。特にディープな妄想の場合。まぁあれか、夢って言うのが一番簡単なのかな。意味の無い説明のしようが無い夢っつーかね。ただまた夢って言うと人によって解釈が違ってきたりするじゃん。


だからやっぱ夢とか妄想とかデジャブ的なわけの分からないものも含めたイメージっていうのが正しいと思うわけね。俺の中に開けちゃいけないイメージってのが何種類かあるのね。特にヤバイやつの一つは真っ白い紙にパラパラ漫画みたいな動きをしている手抜きっぽい書き方の机に座ってる男の子がいるっていうイメージっていうか映像があるんだけど、これがヤバイんだな。これが見えると後からもうコントロールが出来ないわけのわからない状態になっちゃう。自分でもさっぱり分からないけど、これはヤバイから見えてくると絶対回避するようにしてるのね。まぁ最近では見なくなったけどね。これみたいな感覚を上手いこと映像化してると思うんだよね。リンチは。ただ他人にはリンチがそのイメージに関してどう感じているか?というのは絶対伝わらないし、それは俺も理解できるわけが無い。だってそれは本人の感じ方だからね。ただリンチは本人の定義は置いておいて、とりあえずその感覚とイメージを映像にしていると思うのね。ただそのままってわけじゃなくて、ちゃんと映画上に乗せているっていう感じ。特にインランドだとそういう感じがした。そこまでむき出しじゃない。


あとね、リンチのショートフィルムで、フランスから来た変な宣教師みたいなのがカウボーイに会うみたいなやつがあるんだけど、これがまた凄いんだよね。細かいところにリンチの面白い部分のリンチ感覚が満載なわけ。ところでインランドではイレイザーヘッドみたいな、電球がバチバチいってたり、風の音が「コォー・・・」って鳴ってたり、レコードのノイズ音が鳴ってたりってのがあるけど、これって何かって言うと一貫したリンチの持ってるイメージというものが顕在化したものなんだよね。顕在化っていうか、そのままなのかもしれないけど。イレイザーでもあのファッツ・ウォラーのレコードをかける時のヘンリーのシーンのあの感じとかね、もうあれなのよ。本当に。ああいうプリミティブな感覚そのものがインランドには満載なんだよね。繰り返しになるけど。まぁいいや。キリが無いからこの辺でやめるわ。俺にとってはもう物凄く重要な映画よ。これ。俺が常に挙げる、カルネ・カノンだとか、死の王だとか、イレイザーだとかってのは良い悪いの次元じゃないんだよね。さっきも書いたけど、良いという意味で好きな映画はいっぱいある。ただそれを超越している映画ってのは本当に少ないわけ。あーあとあれか、テロ2000年集中治療室とかね、あれも超越してるわ。で、インランドもこの超越部門に入っちゃったわけ。こりゃ俺としては大事件だよ。マジで。


あ、そういえばエル・トポの監督なんつったっけ?ホドロフスキーだかなんだかのさ、あれなのね、こっちでDVDボックスが発売されたんだけど、やっぱりDVD大国アメリカ価格で45ドルとかなんだけど、Amazonで買ったら33ドルだった。日本だと二万五千円だよね。入ってるのは処女作とエルトポとホーリーマウンテン、あとエルトポとホーリーマウンテンのサントラ付きっていう抱き合わせ的な感じなんだけど、これで33ドルは破格過ぎるよね。この監督のやつはホーリーマウンテンしか見たことなかったんだけど、改めてホーリーマウンテン見ると凄いね。なんか宗教的なんだけど、すげー既存の宗教観とか俺の階級闘争に偏りすぎた見方をすると資本主義への批判も感じられるわけ。ようはディズニーが子供に夢を与えるようなやつを作っておいて実は第二次世界大戦で軍事に投資してウハウハだったとか、第三国で子供に労働させてたりとか、メディアへの物凄い力を持っていたりだとか、その矛盾した感じってあるじゃん?本当のこと知ると。それみたいなのがあのピエロやってる女社長とかね、まぁいいや。書くのがすげー面倒。


エルトポはあのツッパシっぷりが凄く良かった。全然観衆に親切じゃない。やりたいようにやってる感じが凄くいいね。あと当時のマカロニウェスタンのブームに乗っかって西部劇っつーのも凄く異様でいいね。ってのを昨日、学校の話とかも書きつつ書いてたんだけど、ゆっくり書いてる時間が無いっつーか、やることを後回しにしてるんで、集中できないのね。で、おそらくやることをやると書く時間が残らないっていう。DVD見てんじゃんって思うかもしれないけど、これもやることの一つだからね。ウォール伝って俺の音楽と一緒で有り余る時間が無いと出力できないわけね。ちょっとした時間に書くとかって無理なわけ。あ、そういえば比べてもアレなんだけど、このホーリーマウンテンとかさ、凄いじゃん。これもイメージなんだけど、3次元なのね。で、リンチのって4次元なんだあ。だから超越しちゃってるわけ。どっちが凄いとかじゃないのよ。次元が違うっていうとまるで褒め言葉のようだけどそういうことじゃなくて、2Dのゲームなのか3Dのゲームなのかの違いみたいなもんで、本質的な良さに出力の次元は左右されないわけ。それはPS2とかで出てる最近のRPGがクズでSFCの頃のRPGのほうがよっぽどいいってのと一緒。ただSFCだろうがPS2だろうがいいものはいいわけね。まぁいいや。そんな感じで。キリないわ。マジで。


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