えねちゅちゅ勃起。

mimisemi2007-10-14

最近のウォール伝の悪いところは割と真面目な話が多かったりすることかな。前回のジジェクのやつが真面目だとは思わないけど、俺らしくも無く本から色々引用してきてっていうか、ジジェクの変態発言ばかりなんだけど、明らかにこういった行為はウォール伝のコンセプトである、スポンテニアスサー、つまりスポンテニアス加減ということなんだけど、まぁ頭に浮かんだことをそのまま書いていって誤字脱字も気にしない、書き直した時点でそれはもう俺の言葉ではないという、まぁバロウズは俺と血が繋がっているからね、ジャンキーの血も繋がっているわけだから、バロウズが摂取してきたドラッグの類もクリオネのメスオスだかみたいにね、血管すらもシェアしているわけで、恐らくバロウズが生涯で摂ったドラッグと同じぐらいの量を俺も摂ることになるとは思うんだけど、何を言おうとしてたのか忘れたけど、まぁ基本的にその文のストラクチャだとかは気にしないっつーね、そういうあれで書いているのにも関わらず、例えば割と真面目なことを書いていたりすると、そんな真面目なことを書きたいというエゴ丸出しな俺がストラクチャだとかボキャブラリーを気にしたりするわけだけど、これってのは明らかに俺であって俺ではない。


最近、寝る前とかにズリネタを探しながら左手でしごきながら右手でラップトップをいぢりつつネットサーフィンするっていう、まぁ俺の恒例の行事の中で、なぜか自分のブログを探索するというのがあって、しごきながら自分のブログ読んでたりするわけ。というのもブログになってからもう半年以上経つけど、ここまで続いてくると、もう過去のものがね、日記的な役割を帯びてくるわけ。ようはそのとき書いたことが日記であれなんであれ、そのときそういえばあんなことを考えてたっけな?とかね、その書いてたときの自分の気持ちとか自分の状況とかを思い出すわけっつーのも例えヴぁあーあの頃はすげー寒くて学校行くの嫌だったなーとか、クラスメートにあんなやついたっけーなぁーとかね、あんま丸を使わないで行くことにするよ、今後は、っていうのもエッセイの授業がさ、先生がすげー厳しくて、ほぼみんな怒られてるんだけどっつーか、恐らくディシプリン的な理由であえて厳しい指導にしているんだとは思うんだけど、最近のアメリカのエッセイでは長文は書かないっていうのを聞いて、オリジナルリベラルリヴォルトキャンタマン耳蝉としては無駄に長い文章を書いてみたいという欲求に駆られるわけで、そういった意味で、例えば無駄に語彙の濫用をしているてっちゃんタイプのデリダとかサルトルだとかの無駄に長い誇張された文章というのを真似てみようかなって最近思ってるわけっていうのはね、そういうのをアメリカ人が嫌うんだったら、あえてやってみたいじゃない?、まだ丸はつけぬぞ、もちろんね;デリダとかサルトルとかガタリみたいなのはフランス語ですよ、元はね、ただね、日本語のさ、デリダの本を勃ち読みしてたときに、その言語の濫用加減が凄まじくてね、なんの本だったか忘れたんだけど、最近、マルクスの亡霊だかなんだかっていうのの日本語のやつが再発されたよねっつーか、まぁそういったデリダの日本語訳を真似て自分をカッコよく頭良さそうに見せるために文体を真似てみたりしているような、包茎の風上にもおけないような、ウロボロスの環の如く、理解の対象は多岐にわたっているのにも関わらず、運命論者の祖とも言われるような、近代社会における極めてポストモダン的な現象である、例えば社会へのコミットメントを図るにあたって幾何学的な理論を脱構築した状態における我々の気持ちを代弁した経緯を記した、恣意的な理解のすべての局面を詳細に追うことは避ける似非学者達の態度にも見られるような、自己認識の問題提起を浮き彫りにした前提で行われるこの社会分析は、あえて哲学者らしからぬ語り口で始められる動機付けるものとしての分析は、少なくとも啓蒙以降の哲学者は、虚構から覚めること、つまり、現実についても真率かつ責任ある仕方で語ることを要求してきたという認識を踏まえた上でのものであったのだが、他方、政治家は、時として目覚めることなく現実を語る権利を主張するのにも関わらず、彼はその両極の間で揺れ動いた現実と虚構のメタ的認識を哲学的な意味における暴力、そしてさらに独断的な暴力も含む、とても無力な現代の若者達を象徴するかのような人間の根本的なエゴの正当化は、われわれは皆自分たちの保護(認識する権利と放棄する権利の保証)のために自分自身という現象を雇っているというものであるがゆえに、これまで見てきたような、あまりうまく機能していない「みんなのためのエージェンシー(代理機関)」ではない「個人個人のためのエージェンシー」が現れるのと同時に、個人個人がそのエゴのために超越性を強く感じるほどのエージェンシーというものはつまり、個人個人がほんとうに代わりにやってもらいたい、あるいはほんとうにサポートしたいとおもうほどのエージェンシーという自明的なアーキテクチャーの提唱が必要であるが、そのようなエージェンシーは、運命という名の虚構へのレールに対価をとるビジネスとして、あるいは思念の情緒的な連鎖として、あるいはその意思の連続体として、形成されるその過程において、例えば過去数年を焦点とする日本での論争を踏まえた上でのその意思への螺旋的回帰を呼びかける、という観念的な弱小ドマイナーな内発性から来る強い思いは、過去に様々な匿名性を悪用した上での総括的な歴史観への批判、とりわけ、人生の意義を後景化させる死生観が旧来の人々の心を呪縛してきたことへの反省にたってのことであって、差異を語る両者の議論は、「虚構性」や「現実性」への批判として同様の方向性を持つという、それゆえのこの両者において、差異とは、「虚構」に回収できない異様な何かとしてしか記述しえないので、正当な意味での「現実」と「虚構」は生まれてきた時点ですでに死んでいる<私>なのである。みたいな文章を書いてみたらどうかと思ったわけ。


まさしく知の欺瞞を地で行く感じだよね。ただあまり本番ではない、例えば今の学校のエッセイのクラスみたいな場で、こういった実験を行うのは面白いかもしれないっつーのも、無駄な表現を使いまくることで、なかなか使わないマイナーな語彙とか、無駄にアカデミックな言い回しとかが身につきそうでしょ。いや、それを自分が濫用するために使うのではなく、「あ、これは濫用だな」って俺が認識するために、そういった欺瞞的な表現方法をあえて身につけてみるっていうような、毒を食らって毒を制すだったっけ?それみたいな感じね。最高に難しい言い回しと語彙を使いこなせるようになったら、あとはそれを簡単にしていけばいいわけだから、そこから引き算が始まるわけだよね。うん、悪くないな。ところでさっぱり今日、何を書こうとしてたか忘れちゃったよ。無駄なことをしていたら。あ、そうだ、最近ちょっとずーっと本を読んでばっかりだったんで、たまにはゲームやろうってことで、KOFやってたのね。そしたらやっぱクラークが最高だったわけだけど、他のやつも使ってみるかってことで、使い始めたキングとユリがかなり使いやすくて、マイキャラになったっぽいんだけど、ユリは俺が15とか16の時のズリネタで、どのくらい精液を搾取されたか分からないね。っつってもこれってさ、98とか99とか2000とか毎年出てたっつーか今でもあるのかもしれないけど、ものによって全然キャラの使い心地が違うんだよね。クラークなんかはさ、確か97ぐらいまではSABがジャンプ蹴りから直接入ったんだよね。着地と同時に。ザンギがジャンプ強蹴りからスクリューみたいな感じだったんだけどさ、たぶん98以降から入らなくなったのと、SABが空振りでもモーションが入るようになったんだよね。97でもあったかな?ただジャンプ蹴りから入らないのと入るのとでは豪い違いなわけで、一気に戦法が変わってくるんだけど、例えばユリなんかさ、はおうしょうこうけんとかさ、漢字の変換が出るわけないんだけど、じゃなくてはおうしょうこうけんが出る前と出る後では全然強さが違うし、なによりあれだよね、らいおうけんだったか、あの空中からこおうけん出すやつみたいなやつがさ、2002ぐらいからジャンプから出せるようになったじゃん?あれで全然戦法違ってくるし、一気にあれでユリが強くなった気がするんだよね。


ちょーアッパーとかの出も速くなったし。あとキングね、トルネードキックがさ、98とかだとなぜか上行っちゃうんだよね。ケンスウのあれみたいに。ただ2002ぐらいだとあの元のトルネードキックに戻ってさ、あのラッシュみたいなのは無くなったんだけど、その分、トルネードが使いやすいみたいな。まぁサプライドローズだったけ?あれは反則だよね。無くして正解。シェルミー・大門・クラークみたいなコンビでずーっとやってるともう飛び道具があるキャラのありがたさってのがさ、すげー分かるわけ。で、なんか結局、特にCPU戦だと飛び道具あるやつのほうが有利なんだよね。まぁ本当に使いこなせば投げキャラのほうが強かったりするのかもしれないけど、別に俺、そんな強く無いからね。全盛期はかなり強かったと思うけど、やっぱずーっとやってないとすげー下手になるね。ただ一時間ぐらいやってるとだんだん感覚が戻ってきて、CPUが弱く感じられたりね。特にキングでさ、最後までストレートで進んじゃったからね。2002だかで。3人いるでしょ?でもKO無しでキングだけで最後まで行っちゃったんだけど、相変わらずラスボスはほぼ運みたいなもんなんで負けてやめたりした。コンテニューが嫌いなので。いや、でも特にキング気に入ったな。レズっぽいしね。


あのワイン運んでくる姉ちゃんとかと夜レズってるんだろうなとか思うとファイティング意欲が増すわけね。KOFやると欲情するやつって世界に星の数ほどいそう。ただクラークのSABさ、2001ぐらいから雰囲気変わったんだよね。っつーかインターフェースが変わったじゃん?2000だか2001以降、交代できるようになったでしょ?クラーク好きなら俺の言いたいことが分かると思うんだけど、あの投げた後の感じが違うのよ。97から99ぐらいが一番最高で、あのインターフェース変わってからはなんつーか地味になったっつーか、死ぬほど吸い込んでる人はこの違いが分かるでしょ。気持ちくないんだよ。SABがメインだからSABの威力にも依存するからさ、シリーズによって全然強さ違うんだよねクラーク。まぁ使いこなせばどれでも強いんだろうけどさ、やっぱ使いこなさなきゃダメだよね。昔は京とか庵を使ってたけど、こういうキャラに今は全く魅力を感じないね。リュウとかケンタイプのキャラってお子様キャラなんだよね。素人が使って喜ぶキャラ。やっぱ玄人はクラークとか大門とか、あと渋いところだとあのボクシングの女とかシェルミーでしょう。あーマジで疲れてないから寝れないな。でも家に引きこもってると腹が減らないし物欲も湧かないから経済的だよね。まぁ性欲は凄まじいけど。


ホント、思うんだけどさ、俺って昔、サルみたいにオナニーしてた頃と全然感度が変わってないんだよね。ぐっさんもリンカーンで言ってたけど、ホント、変わらない。歳取ってちょっとは落ち着くのかと思ったけど、全然落ち着かないね。まぁまだそんなに歳じゃないけど、さすがにティーンネイジャーの頃よりは性欲は無くなるだろうって思ってたけど実質、さっぱり変わらないね。もうオカズ収集に時間がかかっちゃって大変よ。マジで。まぁでも今はネットがあるから便利っつっちゃー便利なのかな。ジジェクが言ってたように、西ヨーロッパだかで全面的にポルノが禁止されてたときはアムステルダムまでわざわざズリネタ買いに行ってたらしいからね人々が。でも俺って絶対他の普通の人よりかはオナニーの回数多いからネタの消費も激しいんだよね。前に書いた音楽と一緒よ。毎日聴いてるんで消費が激しいってこなわけで、毎日擦ってるんで消費が激しいのよ。最近なんかさぁーこっちに来てからイカ臭いながらもさぁー割と充実した生活送ってるからさぁー体がさぁー健康なのかもしれないんだよねぇー、だからさぁーこないだもさぁー地下鉄でさぁー金髪の綺麗な姉ちゃんがさぁー俺の横に座ったときはさぁージジェクのさぁー人権と国家にさぁー集中できなくてさぁーすげー鼻息荒くなっちゃいそうになってさぁーこれってさぁー日本人がさぁー日本人っていうかアジア人が横に座ってもさぁー別に何も感じないわけだけどさぁー、なんかあのブロンドってさぁーすげー威力あるんだよねぇー、俺もさぁー基本的にさぁーただのブロンド好きなんだなぁーってさぁー思ったわけねぇー、おっさんがさぁー「パツキン」とか言ってるのとさぁー同じレベルなんだよねぇー、だけどさぁーアジア人ってさぁー白人にさぁーもてないからさぁーっていうかさぁー日本人の女の子は凄くモテるんだけどさぁー前にも書いたようにさぁーアジア人の男ってさぁー全然モテないっつーかさぁー人間扱いすらされないんだよねぇー、だからさぁー同じパツキンでもさぁーパツキンっていう馬鹿みたいなブロンドじゃなくてさぁー姫みたいなさぁー知的で貞操を守ってるようなさぁー気高い女の人とさぁーフォーリンラブしたいわけさぁー、でもさぁー俺ってこんなだからさぁーやっぱ無理だからさぁーもうさぁー諦めてるんだよねぇー、だからさぁーまたショタとかで抜いたりするんだろうなぁーとか思うとさぁー、情けなくなるよねぇー。えねちゅちゅ勃起。そっ!えねちゅちゅ勃起、あじゅ勃起。あっ!!カーペットに精液のシミがっ!アニー大丈夫かい?


Ragga Jungle Anthems 2

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