ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

生成ユーモアの企て。

mimisemi2007-11-08

アルファブロガー・アワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspaceでのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日は社会学のテストがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうなって思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表されるわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなスターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見てたら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたって思っててください。人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わらず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、あ、その前に、「ニューヨークのコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージというのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにやら凄い感じじゃん。まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッジの質を高めてるっていうか、オクラホマのコミュニティーカレッジだとあんまステータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めてるっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを受けている生活の中で綴るポスニート的ダイアリー」みたいなね。ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなって。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎると。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐らく昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートなんてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できなかったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワードに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリートとか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな人もいるわけ。ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがようは年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、仕事が無くてさ、んで中国行って電話のオペレーターとかやってる人とかいるらしいけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするってのとキャリアアップってのもあって日本で無駄なバイトしてるよりマシってことで行ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本が先進国だなんていう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。それこそ本国で仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないからさ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらないわけですよ。まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアスな移民たちと俺を一緒にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベルの英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとかいって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たような資本主義型社会で、言語が英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、ただなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。こうやって勝手に留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にしている代行業者とかによるイメージの捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつーかそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手な幻想抱いてる気がするのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろうがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしいし、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことなわけよ。主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとかね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わっていったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界を放浪してもダメなんですよ。自分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考とかっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトとかアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわけ。この石状態ってのがスッカラカンな石人間の留学先で起こるわけ。ただこれは師匠2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それで変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をなんかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間ってのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつかないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりうるでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイメージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキツイよ。まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだから別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんてものにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色々と克服できることって結構多いと思うのね。それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのって内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃げられないでしょ。桃源郷が社会に存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいいだけの話だよね。まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なものの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわけだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準えると、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教えに行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教科書読むわ。いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本の馬鹿な芸能人がハリウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想というものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃったほうがよっぽど幸せになります。

ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけど、なんか今回俺のブログがノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつらしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という企画を主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法などにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログには社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。かなり批判的。逆にちょーメジャーなしょこたんブログみたいなのがノミネートされるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういうのを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようはアカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺みたいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なかなかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー?Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたいなのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルスエレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んでノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけの分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってことになるわけ。大半の人はこんな感じ。内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画のアワードとかもそうでしょ。ちょー有名監督がノミネートされてたりしたら、その比較として凄いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だけで人々が勘違いするわけ。で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれかねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアートリンゼイのライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかったな。選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込んで、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらもミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を与えてくれたんだよね。ようは独りよがりでやってるようなオナニー的音楽をやっているのなら評価なんて求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェアできるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて俺には作れるわけがないから。そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。ただ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていうことと、何よりこんなブログのエントリーを主催側が許してるってことだよね。まぁ逆を言えばこんなブログのエントリーを許してるから社会的な認知が得られないのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだったんで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃないかと。「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。当たり障りの無いメジャーなブログ選出したところで面白くもなんともないからね。まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えとか経験を出力できる凄まじくインディビジュアルな媒体なわけじゃない?これは逆にメディアじゃありえないことなわけだ。そういった媒体のキャラクターを利用してアメリカなんかではブログでソーシャルクリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントというか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うんだよね。俺がアルファブロガーだとは
とても思えないけど、ただなんつーかせっかくネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色々なことガンガン書いていくべきだよね。色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすっていうね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガンガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブログならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジーの進歩についていってない感じがするんだよね。ようは人間側とか社会のシステム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテクノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イマイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとかgoogleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだよね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経ってもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育のレベルではアメリカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこそアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的なこととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトでしょ。それってアメリカのレベルが格別高いわけじゃなくて、日本のレベルが低いってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日は社会学の先生がなぜか来なくて、みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来ない場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか
まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思ったね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったもん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもうモノの考え方の差なのかなって気もするけどね。日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃうっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わないってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカスタマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作られている部分もあると思うんだよね。それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人でも、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人のDNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いたからいいや。っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん?あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだしいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思うんだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いておくね。

https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html

あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルなことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつきにはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファンキーキンキーアップするとか。まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるときに更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとかってよく文章であるけど、最近、アメリカでも一人ノリツッコミが存在することにお笑いの普遍的な価値を見出しましたね。生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモアといえば今日も学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テストが今日じゃなくて良かったかも。

ソドム百二十日 (河出文庫)

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