ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

期待値は低めにぃ!!!!

mimisemi2007-11-30

固めに炊いた玄米でカリカリチャーハン。物凄い歯ごたえと歯ざわり。プラスチックを食べているような感じ。ところで前に書こうと思って、知的に時間が無かったので書かなかったゲームについて書かせてもらおう。テスト?あー今日はクソしてたから遅刻した。10分ぐらいだけどね。なんで万全の状態で挑もうとしないんだろう?俺。これはヤバいぞ!!ってな状況でも必死にならない俺。どこかで人生に対する諦めがあるから何事にも完全には必死になれないのかもしれない。趣味や好きなこと以外は。ただテストも慣れるとあれだね、意外とできるようになるもんだね。こないだのテストも33問中23問正解だったし、このぐらいの感じがずーっと続けばいいんだけどなぁー。ようはそこまで準備しなくても、そこまで悪い点数は取らないっていうルーティンね。ジェントルマンズCじゃなくてBマイナスぐらいがベスト。浅田彰みたいなインテリは全てAを取ったりします。ところでゲームだけど、ゲームって現実逃避だよねっつーのも、ゲームをやってるときって完全にその世界に感情移入してるっていうか、それはゲームの質にもよるんだけど、引き込まれるようなゲームって自分の脳内がその世界で満たされるから、実質、そのゲームの中のことと同じ経験をバーチャルに体験しているわけじゃない?それは個々の感性にもよるんだけど、これの重要さってのは、例えばずーっと家に引き篭もってないでたまには外に出るのが重要なのは、外っていう家じゃない世界の感覚を経験することで、脳が敏感になるというか、反応するでしょ?ずーっと同じ光景や状況だと恐らく脳の働きって鈍ると思うんだよね。それを意図的に物理的な形で変えちゃうっていうのが、まぁ俗に言う気分転換なのかもしれないけど、この気分転換の重要性というのがゲームに顕著なんだよね。例えば勉強しなきゃいけないっつって勉強だけしてても意外と効率が上がってなかったりするのは、人間が本質的に集中できる時間というのは決まっているってのもあるけど、それはさっき書いた同じ状況にずーっといることで脳の感度が鈍るってことなんだよね。ずーっとチンポシコってると感覚なくなってきたりするじゃん?で、しばらくシコらないでシコると感度が上がってるというか戻っているというか、そういうことなわけで、ゲームってのはその脳の感度を上げるというか、リセットするっていうか、例えばずーっと家に篭って寝ながらネットとか本読んでたりとかしてる生活がずーっと続いてたりして、んで外に出たりすると妙に外の空気や雰囲気というのに敏感になってたりするでしょ?それは引き篭もりじゃないと分からない感覚かもしれないけど、これってのがゲームも同じで、同じ状況にいることで感度が鈍ってしまった脳を活性化させる刺激というか、それは脳医学的に普段使わない脳の部分を使うとかいうこともあるのかもしれないけど、まぁそりゃ分からんってことで、ゲームをやるってのは例えるなら脳の再起動とかデフラグみたいなもんだね。あ、でもデフラグは睡眠か。まぁいいや。ってことで何時間勉強するとか、何をやらなきゃいけないとかってことに縛られないで、効率というのに重点を置くことが凄く重要なんだなってことに気がついたってーのは、ずーっと本を読んでたりすることが、必ずしも読書とは言えないってーのは、脳が鈍化した状態でただ活字だけ読んでても全然意味無いわけで、んだったら一時間本を読んだら一時間とか二時間ゲームをやってから、んでまた読書に戻るとか、実はこっちのほうが読書の効率が良くて、頭に入ってたりすることも多いはずなわけ。ってことで勉強も同じなんだよね。8時間とか勉強できるやつはただのマニア(変態)で、普通は1時間〜2時間ぐらいが限度なんじゃないかと思う。普通とは言えないか。俺の限度はそんぐらい。ただでも毎日やってれば一年間での効果ってのは勉強一筋なやつに比べて勝ってるか、もしくは同じぐらいかもしれないってことなわけで、これってマニアが一日何十時間勉強してるのと、ほんの一時間ぐらいしかやらないやつでも長期的な差は無いってことなわけで、後者の勝利でしょ。逆に後者のほうがほかの事に時間やコスト(労力)を使えたりしているわけで、そこで得られているものというのは、勉強一筋なやつには得られていないかもしれないものなわけ。だからやる気があるとき意外は一切やらないとか、必要に迫られないとやらないって俺のポリシーは怠け者に見えて、意外と効果があるのよ。特に俺みたいな人間にとっては無駄に努力をするよりよっぽど効果的なわけで、努力と苦労ってのは全然違いますからね。ましてや勉強で苦労する必要なんて全く無い。でもどうしても努力=苦労みたいなディシプリン的な観念があるんで、やっぱ勉強と努力を結びつけちゃうと、さっぱり効率が上がらないんじゃないかと思うんだよね。逆に好きで勉強してる人なんて努力なんていう概念無しに勉強できているわけだから、その人にとってそれは勉強じゃなくて、ただの好きなことなんだよね。多分、こういう人ってのが勉強に対して凄くケイパブルな人だと思うんだけど、そう思うと苦労して覚えたことなんて好きなことでもなんでもないんだからすぐ忘れちゃうと思うんだよね。だからこそ教育に必要なのってのは学力以前に生徒への勉強への動機付けを生むことなんだよね。ようは生徒が何かのサブジェクトに対して興味を覚えちゃったらもうこっちのものでしょ。その生徒は誰かにやれとか言われなくても、そのサブジェクトに向かっていくわけだから、そこにディシプリン的な努力もいらないし、無駄な苦労もいらないわけで、これってのが最強の勉強法だと思うんだよね。好きなことをやってたら、社会ではそれを「勉強」と言うらしいみたいなそんな感じ。ただ全ての人が既存の学科に興味を覚えられるかどうかってのは怪しいもんで、そうなるとこういった勉強法ってのは一部のマイノリティにしか効果が無いということになるよね。まぁなったとして、んじゃあ他のマジョリティはどうすればいいのかっていうと、気が向いたときにしかやらないってことなのよ。しかも完全に苦痛が無いやり方でやるっていう。ゲームとゲームの合間にやるとか、レベル上げしてる最中に暗記しちゃうとか、そういうレベルでいいわけ。ただ常になんだかんだでやらなきゃいけないっていう意識があって、意識的に努力して勉強するということではなく、生活の中に勉強を組み込んじゃうことで、ただのルーティンになるってことが凄く重要なのね。んだからこのルーティン化した生活を送っている生徒は無駄に努力している生徒のそれに比べてさっぱり劣らないどころか、同じかそれ以上ぐらいの効果があがっていたりすることもあるわけ。だから重要なのが無意識にオナニーをするように勉強なり読書をするってことを生活に組み込んじゃうってことなんだよね。で、話を繋げると、その勉強の効率を上げるものの一つがゲームだったりするわけ。1時間勉強やったら2時間なり3時間ゲームやって、んでまた30分とか1時間勉強する。ただその勉強の時間というのは「とっとと終わらせてゲームやりたい!」とか「早く解放されたい!」とかそんな気分でやってるんじゃなくて、当たり前のこととしてやっているだけっていうそういう感覚なわけね。嫌になったらまたゲームなりネットやればいいし、気が済むまでヌケばいいわけ。で、気が済んだらまた勉強するっていう。ただ一日のノルマが1時間から2時間なんで、そこまで大変じゃないから、結果的に毎日続けられるわけね。っていうのが今の俺の生活なんだけど、相当楽だよ。これ。もっと勉強しなきゃな・・・なんて思ったりもするんだけど、一日4時間やって次の日やらないじゃ全然意味無いから、30分でも1時間でもやるわけ。それでも「もっとやらなきゃ」って思うなら、それは俺にとって無理なことだってことなわけ。俺のペース以外のペースで勉強するなんて、それこそ涙ぐましい忍耐力を必要とする努力が必要になるので、そんなもん無理。だから最初からそんなやり方をしないで、自分が出来るようなやり方でやればいいわけね。で、結果的にさっき書いたように、ガリ勉とそんなに変わらないような結果が出てたりするわけでさ、しかもがり勉が得られてない何かを他の好きなことやってる時間に得ているわけだから、怠け者のやり方のようで何気に一番効率がいいわけね。あと難しい本とかと一緒で、読んでて疲れたり、読むことに努力がいるような本ってのは、自分のレベルに合ってないってことなわけで、そんなもんを読むのは効率が悪いから、もっと分かりやすい本を読んだほうが結果的に難しい本を読むよりいろんな知識が得られるってことなわけね。もちろん分かりやすい本というのは「安易な」本というわけではないよ。自分の読解力とか脳にあったレベルの本を選ぶということが重要なわけで、それは大学も一緒だと思うんだよね。涙ぐましい努力とか徹夜しなきゃついてけないような大学なんて、そんな徹夜とかしてる時点でもうレベルにあってないわけだから、そんな無理をする必要はないと思うし、アメリカでは最近、いくら学歴社会とは言えども、最近はどこどこ大学出ましたっていうことより、GPAのほうが重要視されるらしいんだよね。もちろん涙ぐましい努力をしてレベルの高い学校で高いGPAを取ることが将来の役に立つならやる人もいるかもしれないけど、そんな無理な力を出して取ったGPAなんて、それこそドーピングで得た徒競走の記録みたいなもんでしょ?んだから自分の身の丈に合ってないような資格や学歴なんて張子の虎なわけ。ホント、学業だけじゃなく、日常生活でも出来る限り頑張るなんてことをやめちゃったほうがいい。基本的に自分がやりたいこととか、やれそうな気分になときにあったものだけをやるとか、他人やら外的なものからの強要が無い限り、無理をするとか不本意なことをやるなんてことは絶対やめたほうがいいね。ただ世の中ってその外的なものからのプレッシャーが強くてまぁ困っちゃうんだけどね。ただそんなものは外からのインポーズだけで十分なわけで、自分にインポーズするのはやめたほうがいいよね。大体無理してやらなきゃいけないことなんて、大抵はためにならないわけよ。だけどやらなきゃいけないことはやらないとダメってそればっか思う人は、ちょっと自分の人生を見直したほうがいいかもね。なんのために生きてるのかって。あとあれだよね、ゲームに例えると、ちゃんとクリアしなきゃいけないゲームって慎重になってばっかりいたりしてつまらなかったりするじゃない?ただ別に死んでもいいや、とかリセットすればいいやって思えば結構はちゃめちゃができたりして、それがその結果、真面目に地道にやってるよりよかったりするわけじゃん?それって格ゲーとかで思うんだけどさ、各キャラのエンディングが見たいっつーんで、特にラスボスなんかとは慎重に戦うんだけど、イマイチ勝てなかったりするわけ。で、もういいや、コンテニューして他のキャラでクリアしようとか思って戦ったりすると勝てたりするんだよね。戦い方に慎重さが無くなって大胆になるんだけど、そっちのほうが慎重に戦うよりよっぽど有効だったっていう。スナイパーなんで物陰に隠れて敵を待たなきゃいけないっていう慎重な戦い方もいいけど、いくらでも死ねるって思えばスナイパーライフルで接近戦やってみようとかって思ったりして、んでそれが結果的に待ってるより良かったりするわけじゃん?で、人生の場合、リセットは出来ないんだが、ずーっと慎重に戦う待ちキャラみたいな生き方をするよりは、失敗してもいいから大胆な戦い方したほうがいいと思うんだよね。で、失敗したらそれこそリセットすればいいんだから。まぁリセットっつーか死ぬっていうかね。思いっきりやって失敗したら死のうとかって思ってれば相当楽になると思うんだよね。ようは慎重にちゃんと生きなきゃいけないなんていうことを忘れちゃったほうがいいわけ。そういう慎重でつまらない生き方ってスローな自殺と同じだからね。だったらとりあえずスナイパーライフルでも素手でもナイフしかなくても物陰に隠れる戦法をやめて、スナイパーなのに接近戦で戦ってみるとか、無茶してみてもいいと思うんだよね。たぶん無茶できない歯止めっていうのは、ちゃんと生きなきゃいけないみたいな、わけの分からない概念があると思うんだけど、今なんてちゃんと生きようなんて思ってるまじめな人ほど馬鹿を見る時代なんだから、んだったらとりあえず突っ込んでいったほうがいいね。ナイフとハンドガンしかなくてもやってみたらいいと思うんだよね。生への執着を無くして突っ走った結果、生がついてきたみたいな、そんな感じでいいと思うわけ。俺ってホント、日本人的な精神論がでえっきれーなんだよね。だから努力と苦労を履き違えたような、観念的な努力ってのはマジで無駄だからやめたほうがいいわけね。いや、報われる見込みがある努力ならやるべきですよ。やらなきゃソンです。ただそんな努力ってあんま無いですよね。だからいつも書いてるようにこんな世の中なんだから、あんま期待しないで生きたほうがいいと思うんだよね。期待するものが無いと失うものが無いから、俺みたいにマイナスってことがありえなくなるわけよ。プラスってことしかなくなる。まぁ今の俺の環境は恵まれすぎにしてもさ、常に恵まれてるって感じられるのは地獄の生活経験が
あったおかげなわけで、デス万歳!ですよ。O Death!!期待するから裏切られるんだから期待なんて最初からしなきゃいいんです。で、良いことがあったらそりゃラッキーなんです。だからとりあえずやけになるってことじゃなくて、やってみたいことやって、失敗してどうにもならなくなっちゃったら死ねばいいと思うわけね。四方八方ゾンビに囲まれていながらも、なんとかシェルターみたいなところに逃げられたはいいけど、脱出する術が無いんで、倉庫にある食料を地道に消費して生き延びる・・・ってことをするより、とりあえず武装してゾンビのいる外に出て他の場所に移動してみるとか、車があったら運転してその場から脱出してみるとか、死んだら終わりだけど、シェルターで死んだように生きるよりそっちのほうがいいと思わない?で、脱出に成功できたらラッキーってなことなわけでさ、やってみる価値あると思うのよね。ただ最終的に助かってもそれこそナイト・オブ・ザ・リビングデッドみたいな絶望的な最後になっちゃうこともあるかもしれないけどね。ありゃー最悪だよな。それにしても。助けに来たアーミーからゾンビと間違えられて撃たれて死んじゃうなんて。ただまぁそんな心配してもしょうがないよね。マジで。心配とか不安の根源って死なんですよ。恐らく。自分の生を脅かす何かが自分の心を揺さぶるわけです。ってことで生に執着しなければ、怖いことなんて無いですよ。マジで。まぁ死ぬってのは極端だけど、期待しないってのは相当ありだと思うよ。まぁこれは俺のやり方だから、別にインポーズするつもりは無いけどね。でもリアリスティックでいるってことが結局なんだかんだで生きるってことなのよね。だからリアリスティックってことは死を念頭にも置いてるってことだからさ、そんなのも認識しつつ生きていけば、まぁちょっとは精神的にタフになれるんじゃないのかなぁー?とは思うんだよねぇ・・・。俺もさ、マンハッタンでさ、人のいない夜道とか歩いてても全然怖く無いんだよね。まぁ場所にもよるし、なによりこっちの生活に慣れたってのもあるんだけど、それ以前に、まぁ襲われたら襲われたでしょうがないか・・・っていう諦めがあるからさ、だから怖くないんだよね。やせ我慢とかじゃなくて。マジで。もちろんそんな場所にあえて行く必要はないんだけど、生に執着しすぎてるとロクなことないですよ。マジで。まぁそれは前に書いた煩悩全般に言えることだけどね。あ、もう寝なきゃ。続けたかったけど、もうダメだわ。いつもこのパターンで睡眠不足になるんだよなぁー。あー残念っ!!!宿直ぅっ!!!期待値は低めにぃ!!!!人生はナッシングネスぅ!!

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